オレの知らない君の話 暑さもだいぶ落ち着いて、窓を開けるだけで心地良い風が頬を撫でる。最後の卵焼きをもぐもぐと咀嚼するほっさんの髪に光る蜻蛉玉が、チカチカと俺に存在を主張している。見る度に優越感を抱いていることは本人には秘密だ。ごちそうさまでした、と手を合わせたほっさんがパッと笑顔で口を開く。
「粋くんって小田原に住んでたんだよね?」
「ええ、まあ。一応生まれも育ちも小田原ですよ」
「前にライブで行った所の近く?」
「あそこからは少し離れてますねえ。同じ小田原でもちょっと田舎というか。良くも悪くも普通って感じの所ですよ」
生まれてからの16年間を過ごした街だ。思い出そうと思えばあらゆるものが鮮明に浮かぶ。あの頃に戻りたい、なんて考えは特にないけど、全てを忘れたいほど嫌な記憶しかないわけでもない。懐かしさみたいなものだって胸に込み上げてくる。
「行ってみたいな、粋くんの故郷」
「え、時間もお金もそこそこかかりますよ?」
「そうなんだけど……プチ旅行みたいな? 日帰りでさ。ほら来週末は部活もオフだし!」
「来週末って、それはまた随分と急ですねぇ」
口ではそう言いながらも予定を確認してしまう俺も俺だ。この人の望みなら叶えてあげたい。そう思うのは愛なのだろうか。こうして俺は思いもよらぬタイミングで、故郷へと帰るきっかけを手に入れてしまった。