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    2月新刊「やがて灰になる」作業進捗です。

    やがて灰になる
     九月も終わりかけだというのに、うんざりするほど暑い日だった。一人暮らしをしていた女は、親戚の訃報を受けた地元の両親から、隣の区で執り行われる葬儀に参列するよう頼まれた。親戚付き合いなどと縁のない女は、顔も知らない故人の式で、不謹慎にも両親の死に際を空想し涙した。
     
     動きづらい喪服に灼熱から身を守る日傘、引き物と何も入らないハンドバッグ、それを補うためのトートバッグ。そんな大荷物を引きずりながらやっとのことで最寄り駅まで引き返した女は、暑さから逃れるようにカフェへと足を運んでいた。最寄り駅ということもありよく使っているチェーン店である。平日の昼間であるためか、客はあまりいない。ひとまず荷物を置いて、レジで冷たい飲み物と軽食を注文する。財布を取り出そうとしたとき、背後から「This one」とメニューを指差す腕が伸びる。あまりにも突然の出来事に何も言うことができず、ただ勢いよく振り返る。そこには、金髪を丁寧にセットした外国人の男の姿があった。呆気に取られていると、その男はさも当たり前かのように女の注文分も支払いを済ませ、女が荷物を置いていた席に座ってしまった。
    「あの、困ります」
    「……?」
     男を追いかけ声をかける。面倒なことに日本語は通じないようだ。幸か不幸か、女は少なからず英会話のスキルが求められる仕事をしていた。ため息をつき、再度英語で喋りかけた。
    「だから、困ります。どういうつもりですか?」
    「ああ、悪いね。怪しいモンじゃねえんだけど、説得力ねえか……とりあえず座んなよ、奥さん」
     ミセスという単語が聞こえたことに首を傾げながら、渋々男の目の前に腰を下ろす。新品のパンプスで動き回った脚は、限界に近かった。
    「とりあえず、お支払いします。わたしの分」
    「いいって。代わりと言っちゃなんだが、ちょっと話そうぜ」
    「はあ……」
     怪しすぎることこの上ないが、疲れ切った身体は頷くことしかしてくれない。しかもこの男の、妙な威圧感。有無を言わせぬような雰囲気に、凝り固まった筋肉がまた緊張していくような気がした。
    「まずはこれだな。俺、こういう者でね」
     そう言って男が取り出したのは、一枚のカードだった。ちょうど店員が置いていったアイスコーヒーを一口飲みながら、差し出されたそれを受け取る。男も同じものを注文したようだった。顔写真と名前、バーコードが記載されたこれは。
    「は、はあ!? 初対面の人間になんでこんな、」
     衝撃のあまり口に含んだ液体が飛び出そうとするのをなんとか抑えて、グラスをテーブルに置く。留学中に目にしたものとはデザインこそ違うものの、それは一目で身分証だと理解できた。極め付けは『アーミー』の文字。その意味を翻訳した脳が、くらくらと揺れる。
    「どういう……あ、アメリカ軍? そんな人が、どうしてこんな……」
    「おいおい、初対面の男が出してきた身分証なんて本物がどうかわかんねえじゃん。お人好しなんだな、あんた」
     確かに男が詐欺師で、ロマンス詐欺か何かをけしかけようとしている可能性は十分にあった。というか、通常の思考回路であればそれを警戒してさっさと立ち去るのが身を守る手段としては適切である。しかしながら、女は疲れていた。
    「じゃあこれ、偽物なんですか?」
    「いや、紛れもなく本物だ」
     女は疲れていた。そう言うのならそうだろうと単純に思ってしまうほどには。
     しかしながら、である。本題は、なぜアメリカの軍人である男が自分に話しかけてきたのかということだ。
    「それで……わたしに何か?」
    「ああ、そうだった。なあ奥さん、俺の愛人になんねえか?」
    「愛っ……」
     落ち着くためにコーヒーを口にして、また吹き出しそうになる。そしてそこで納得がいく。この人、わたしのこと既婚者だと思ってるんだ。
    「あの……まずわたし、独身です」
    「マジ!?」
     そう言ったきり、男は口元を覆って何か考えるように黙り込む。女はいまだ手にしたままのカードをまじまじと見つめた。今よりも少し若く見える顔写真に、スタンリー・スナイダーという一際大きな文字列。男の名前だろう。それから階級の記載があるが、そういった用語はよくわからなかった。
    「悪かった。あんたほどの良い女、旦那がいないわけねえって思い込んでた。気を悪くしたなら謝る」
    「いえ、それは別に……」
    「あんたが独身なら堂々とアタックできるってもんだ。なあ、俺と付き合ってくんねえか?」
     この付き合うがどういう意味なのかなんて、考えなくてもわかる。女はため息をついて、トートバッグから煙草を取り出し火をつけた。女がこの店を重宝している所以であった。
    「しばらく考えさせて……」
     男もまた、懐から重そうなライターと煙草の箱をを取り出した。しかし中身は空だったようで、微かに鼻を鳴らして灰皿に空箱を放り込む。テーブルにライターを置き、アイスコーヒーを煽った。
    「口寂しいときにこれだと、嫌になるな」
     男の視線が己の唇に注がれていることを、女は見逃さなかった。しかしそれに嫌悪感を抱かないのは、すでにこの男に絆されてしまっているからだろうか。女は頭を掻きむしりたいような心地に耐えながら、自身の煙草の箱を男に突き出した。
    「……よければどうぞ」
     男は面食らったように数度瞳を瞬かせた。一拍置いてから、テーブルに肘を突いてずいと女の方に身を乗り出す。男の、やけに緩んだ頬と下がった目尻を捉えて、女はほんの少しだけ後悔した。これまでの経験から、その表情が意味するところを理解していたからだ。女が差し出した箱から煙草を一本取り出して、男はすぐに姿勢を戻した。
    「やっぱあんた良い女だね。俄然燃えてきた」
     咥えたそれに火をつけた男が短く笑みを漏らすと同時に、やけに鮮やかに彩られた唇から伸びた煙が宙を漂う。男が手にした煙草には、まるで所有印であるかのように同じ色の口紅がうっすらと付着していた。今度は、女がその唇に目を奪われる番だった。男はこれといって化粧をしているわけでもないようだ。それなのに、ただ口元に乗せたその色だけが浮くこともなく、むしろ男の色気を増幅させているようにすら感じる。女の視線を察したらしい男は、わざとらしく笑みを深めた。
    「トムフォードだよ。惚れただろ?」
    「まさか」
     紫煙を吐き出すふりをしてまたため息をついた女は、煙に霞む目の前の男を一瞥する。こんなのどうかしている。この男も、この男に少しでも気を許してしまった自分自身もだ。



     母国では、肌は小麦色に焼けていた方が健康的で魅力的だとされている。男にはこれといった拘りはなかったし、男も自身の身体には無頓着だった。
     しかしそれは、休暇を取って気まぐれに訪れたこの国で覆された。じりじりと照りつける太陽と高い湿度から逃れるように入った店で、男は運命とも呼べる出会いを果たしたのだ。男の直前に店の入り口に立った女は、喪服に身を包んでいた。重そうな荷物を抱え日傘を閉じる腕の白さに目を奪われた。この蒸し暑い国で漆黒を見に纏う女の、ストッキングの向こうに心惹かれた。上気した肌と額に浮かぶ汗に、唇の乾きを覚えた。
     女に声をかけたのは必然とも言える。喪服を着た女が既婚者であると思い込んだのは、男の願望にも近しいものが原因であったという他ない。男は特別身持ちが堅い方ではなかった。目が留まった相手に声をかけることこそ何度かあったものの、女に対するそれは普段とは明らかに違っていた。男は、己の隣に女がいる未来を無意識に空想し、動揺した。たった数ヶ月の暇を潰すための来日である。それはあの女にとっても、男自身にとっても避けた方が賢明であると結論づけた。だからこそ、その短い時間でのみ都合よく付き合える、また己が諦めざるを得ない期限つきの関係でありたいと願ったのだった。己を突き動かした衝動を、男は憎らしく思った。
     女は案外というか国民性のおかげというか、真面目なタイプらしかった。「今ここで決めなくてもいい」と連絡先を書いた紙を渡したその日の内に、コーヒー代の礼がしたいという旨のメッセージが届いた。それならば、と男が次の約束を取り付けたのも、日を跨ぐ前だった。
    『ロマンス詐欺ってやつじゃないの?』
    「やっぱりそう思うよねえ〜……」
     約束の日の前日。ベッドに横になった女は、スマートフォン越しの友人のもっともな指摘にため息をついた。ロマンス詐欺の手法は、女もよく理解していた。というのも、女はそれを仕掛けられたことがあるからだ。学生の頃に実家で飼い始めた猫の愛らしさを、女はSNSで発信しようと試みた。アカウントを作成して数日、何人目かのフォロワーであった外国人らしきアカウントから届いたメッセージ。青い目が美しいラグドールの写真を数枚投稿していたそのアカウントは、女がアップした猫の動画を賞賛し名前を尋ねてきた。女もまた相手の猫を褒めちぎり会話が弾んだところで、そのアカウントは自身が軍人であること、多忙ゆえ今のプラットフォームではやりとりを続けることができないこと、そして別のプラットフォームに移動したいことが記されたメッセージを寄越した。女は、人生で初めての裏切りを受けた。
    「普通に怪しすぎるしやめといた方がいいって! よくてカツアゲ最悪リンチだよ!」
    「怖いこと言わないでよ、明日会うのに」
    「絶対一軒で解散しなよ〜!」
     ううんと曖昧に返しながら、女は男とのメールを見返していた。男が渡してきた連絡先には電話番号も記載されていたが、警戒した女は使っていなかったメールアドレスから連絡をしたのだった。特にそのことに触れなかった男が、怪しさ満点の己に対して本当に律儀な人間だと心から感心したことを女は知らなかった。
    「わかってる……何かあったら助けにきてね」
    「連絡できる状況だといいけどね〜」
     不穏な言葉と共に、通話が終了したことを知らせる音が響く。メール管理のアプリを閉じたと同時、アプリアイコンの右上に新着メールがあったことを知らせるバッジが表示された。女は、メールの通知を受け取らないように設定していた。ポケットの中でスマートフォンが震えるたび、男から連絡があったのではと妙に緊張するようになってしまったからだ。通知が来なくなったところでバッジを確認すればどうせ動悸に苛まれることになるのだが、女にとってはそちらの方が幾分か気が楽だった。
     騒ぎ始めた心臓を深呼吸することで諌めて、意を決した女はふたたびアプリに触れた。『スタンリー・スナイダー』という差出人の下に、何度かやりとりが続いたことを示す件名が並んでいる。
    『明日、楽しみにしてる』
     開いたメールには、ただそれだけ書かれていた。女の脳には、やっぱり無理ですとか、体調を崩しましたとか、月並みで卑怯な断り文句が続々と浮かんでは消えた。仰向けになり大きく深呼吸をしてから、女は返信のためのアイコンに触れた。『よろしくお願いします。私もです』と打ち込む。
    「わたしも……わたしも……? わたしも、かあ……」
     下着だけを纏った腹の上にスマートフォンを置き、そう口に出して反芻した。凝り固まった筋肉をほぐすように、思い切り身体を伸ばす。
     友人にはああ言ったものの、女には己が明日の再会を少なからず楽しみにしているという自覚があった。見知らぬ外国人に対しての不安はもちろん拭えないが、家とストレスの多い職場を往復するだけの日々に、女は無意識のうちに刺激を求めていたのだ。異性との交際に執着があるわけではない。ただ、遠方の家族はともかく友人ともあまり会う時間を作ることができない中、己が他者のぬくもりを求めていることを、女は自覚できずにいた。
    「わたしも……は、いらないかも」
     うん、と頷いてスマートフォンを持ち上げると、そこには先ほどとは異なり受信したメールの一覧が表示されていた。肌に触れたことで画面が切り替わってしまったのかと自動的に保存されるはずの下書きを見ても、そこに書きかけのメールは見当たらなかった。まさか、と背筋が冷える。慌てて送信メールを確認すれば、案の定『私もです』と書き添えられたままのメールを送ってしまった後だった。女は声にならない悲鳴を上げ、スマートフォンを放り出してのたうち回った。自室であってもきちんと服を着ることを、女が誓った瞬間であった。

     *

     女が待ち合わせ場所に指定したのは、数日前と同じカフェだった。自宅から駅までは徒歩十分ほどであるため、女は約束の十五分前に家を出た。飽きもせずぎらぎらと輝く太陽のせいで、ここ数ヶ月は日傘を手放すことができずにいた。男と出会ったあの日に使っていたシンプルなレースの黒い傘は、淡い紫色のそれしか持っていなかった女が葬儀のためにわざわざ購入したものである。出発の直前、女は華やかなフリルが施された紫色に手を伸ばしかけ、二度と使うことはないであろうと思っていたもう一方を無意識に掴んだ。どちらかと言えば、その日の服装には淡い色の方がよく合っていたし、女もそれをわかっていたはずだった。服装と日傘のほんの少しのミスマッチに気がついたのは、家を出てすぐに届いた『先に入ってる』と書かれたメールを確認した後だった。
    「どうも」
     入店を知らせるベルの音と共に、冷えた空気が女の汗ばんだ腕を撫でる。見渡さずとも、奥の席に一際目を惹く後ろ姿があった。近づいて声をかけると、男は短くなった煙草を持つ手を軽く挙げた。空いた椅子に荷物を置くと、テーブルにはすでに男が注文したらしいコーヒーが置かれている。思わずそれを二度見して、女は眉をしかめた。
    「この前のお礼がしたいって話だったの、覚えてます?」
    「ん? ああ、あんたにとってはそうだろうな」
     見せつけるようにグラスを傾けた男にため息をつく。少なくとも女は――女自身が自覚している限りではあるが――本当に礼だけのつもりで赴いたのだ。こんな予感がしていなかったといえば嘘になる。相手は初対面で愛人になれなどとのたまった男だ。悪びれもせず煙草を吹かす男を前に、女はバッグから財布を取り出した。
    「お昼、もう食べました?」
    「軽くな」
    「じゃ、デザートは?」
     男はひとつ瞬きをして、すぐにくつくつと笑い始める。
    「マッチャのチーズケーキ」
     意図を汲んでくれたらしい男が、背後のショーケースを親指で示した。いかにもなチョイスであるが、この店の抹茶のチーズケーキは抹茶の風味が薄いことを女は知っていた。外国人は本当に抹茶に惹かれるものなのだと妙に感動して、女は頷いた。ついでに男のグラスにも目をやって、それが空になりかけていることを認める。レジの上に掲げられたメニューを見ながら、自身の注文について思案した。人知れず鳴いた腹の虫にスマートフォンを見やると、ちょうど十三時を示していた。
    「すみません、待ちました?」
    「いや? すぐ戻ってきただろ、あんた」
    「そうじゃなくて」
     注文を終えて戻る間、女は疑問を抱いた。ここに到着したのは待ち合わせの五分ほど前だった。外国人が時間にルーズであることを知っていた女は、男が遅れることなく、しかも己より随分と早く訪れていたであろうことを察したからだ。吸い殻が3本入っていた灰皿が、その想像を容易にさせた。
    「……浮かれてたんだよ」
     椅子に腰かけた女へちらりと視線を向け、男はほとんど空になったグラスを煽った。薄くなったコーヒーが流れ、遅れて氷が音を立てて唇に触れた。それを一つ口に迎えた男は、グラスを置いてがりがりと噛み砕いている。冷えた空気が流れているはずのこの空間で、男の耳だけが不自然に赤くなっている気がした。その行為が意味するところを理解するのに、これといった苦労は要さなかった。そんな殊勝な態度を目の当たりにした女は、淡い高揚感を抱く己をどこか他人事のように感じていた。
    「変な人」
    「言うじゃん」
     やわらかなその微笑みには、案外動揺せずにいられた。火がついたままだった煙草を灰皿から取り上げた男に倣うように、女もまたバッグから出したそれにライターを近づけた。
    「あんたが――」
     口を開くと同時に、煙が溢れて散る。冷房の風に男の髪がそよいで、自分のものとは違う煙草の匂いが鼻腔を撫でた。
    「あんなメール、寄越すから」
     じわ、と頬が熱くなる。昨晩の失態が蘇って、またそれを指摘されたことによる羞恥で手汗が滲んだ。爪の傍に見つけたささくれを押し撫でる。あれは、とか、その、とか口ごもる女から、男は決して視線を逸らそうとはしなかった。居た堪れないといった様子で目を泳がせる女とは対照的に、その瞳はどこか熱を帯びているようだった。
    「……事故、で」
    「じゃ、なんて送るつもりだったんだ?」
    「わたしも、は、消し忘れたんです」
    「へえ」
     男の笑みが深まる。取り繕う言葉も出てこなかった。己が墓穴を掘ったことに気づいたときには、男はもう口を開いていた。
    「つまり、リップサービスじゃあないってことだな」
    「…………」
     その沈黙を肯定と見なしたのだろう。すっかり黙り込んでしまった女を見て、おもむろに俯いた男が紫煙を吐いた。
    「すっげー嬉しい……」
     すっかり短くなった煙草を灰皿に押しつけて、男は汗を拭うように手のひらで額を擦った。居心地が悪そうに煙草を咥えた女は、その言葉に一瞬呼吸を止めた。危うく咳き込みそうになる喉をなんとか落ち着けるが、みるみるうちに熱くなる頬をどうにかする手立ては持ち合わせていなかった。
    「ほんと、変な人……」
     沈黙がテーブルを這って、店内を流れる穏やかな音楽が遠くで聞こえる。運ばれてきたチーズケーキに舌鼓を打った男は、満足そうにコーヒーを飲み干した。

     思いの外盛り上がった会話によって、気づいた頃には二時間ほどが経過していた。次の店への移動を提案されるとばかり思っていた女だったが、男はそんな素振りも見せずに退店の準備を進めた。友人からの警告――というよりは、多少残っていた緊張による疲労を言い訳にそれを断るつもりだった女は、鳩が豆鉄砲を食ったような心地になっていた。
    「じゃあ、また」
     店を出ると、いまだ燦々と煌めく太陽が肌を焼く。湿り気を帯びた熱気によって、首筋からはあっという間に汗が湧き出てくる。ほんの少しの名残惜しさと共に、女は黒い日傘を掲げた。
     結局、軽く摂ったと言っていた昼食が物足りなかったらしい男は、大盛りのパスタを平らげてから店を出た。みずから注文に立とうとする男を「お礼って言ったじゃないですか」と阻止するのは、かなり骨の折れる作業だった。渋々といった風に座ったのを確認して満足そうな顔をすると、男は愉快そうに笑っていた。それにひとつも心を動かされなかったといえば嘘になる。たった二度会っただけの相手に己がどんどん絆されていっているのを、女は黙って受け入れることしかできなかった。
    「嬉しいもんだね。あんたから『また』って聞けるなんてさ」
    「だって、事実だから……」
     店を出る支度を進める女に、男は次の予定を尋ねた。実のところ、女は都合がつく日程を詳細に頭に入れていた。女は決してスケジュールの管理がまめな方ではなかった。ただ、男からの誘いによって次回があるだろうことを予感して、無意識のうちにカレンダーを確認していた。それが期待によるものであると、女は自覚できずにいた。案の定男から受けた提案に、女はスマートフォンを確認した。それは小さな見栄であった。
     またという言葉はただの事実ではなく、ふたたび男と過ごす時間への期待という熱を孕んでいた。
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    PROGRESS2月新刊「やがて灰になる」作業進捗です。
    やがて灰になる
     九月も終わりかけだというのに、うんざりするほど暑い日だった。一人暮らしをしていた女は、親戚の訃報を受けた地元の両親から、隣の区で執り行われる葬儀に参列するよう頼まれた。親戚付き合いなどと縁のない女は、顔も知らない故人の式で、不謹慎にも両親の死に際を空想し涙した。
     
     動きづらい喪服に灼熱から身を守る日傘、引き物と何も入らないハンドバッグ、それを補うためのトートバッグ。そんな大荷物を引きずりながらやっとのことで最寄り駅まで引き返した女は、暑さから逃れるようにカフェへと足を運んでいた。最寄り駅ということもありよく使っているチェーン店である。平日の昼間であるためか、客はあまりいない。ひとまず荷物を置いて、レジで冷たい飲み物と軽食を注文する。財布を取り出そうとしたとき、背後から「This one」とメニューを指差す腕が伸びる。あまりにも突然の出来事に何も言うことができず、ただ勢いよく振り返る。そこには、金髪を丁寧にセットした外国人の男の姿があった。呆気に取られていると、その男はさも当たり前かのように女の注文分も支払いを済ませ、女が荷物を置いていた席に座ってしまった。
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