ぺけんさんお誕生日おめでとうございます! 腕を組むアルジュナの両側で、ボイジャーとアビゲイルが落ち着かない様子で部屋中を見渡していた。アルジュナの視線は、壁に掛けられた時計と、部屋の出入り口を行き来している。
十四時に中央管制室へ集合するよう、四騎の英霊に指令が下ったのはつい三十分前のことである。約束の時間まであと僅かだが、最後の一人――ビーマの姿がそこにはない。
「あとは兄様だけですか、マスター」
「ああ、うん」
機械が英霊として昇華した現代の英霊・ボイジャーや、近世の英霊・アビゲイルとは異なり、アルジュナやビーマは神代の英霊である。神の血を引く二騎が生きた時代は、森羅万象が自然現象やそれを司る神々と結びついていた。
近現代のように、時計で時間管理を行う感覚が、アルジュナやビーマの中には元々存在していない。聖杯の力により、現界した時代の常識は心身に落とし込まれているが、太陽の位置や高さで時間の経過を感じる感覚のほうが体に馴染んでいる。
ビーマは約束を守る英雄だが、カルデアに現界してまだ数ヶ月あまりしか経っていない。遅れる可能性を考えつつ、アルジュナは腕を組んで静かに佇む。
「あともう少しで、約束の時間だわ」
「やきがしをつくっているのかしら」
アルジュナに聞こえないよう、ひそひそ声で小さな二騎が話している。真面目なアルジュナの性格では、例え相手が兄であろうが、組織の約束事に反したら注意するだろう。
カルデアの中でも古参の英霊であるアルジュナは、あらゆる英霊からその能力と人となりを知られていた。召喚されて日が浅いが、積極的に人の輪へ入っていき、場を盛り上げるビーマとは、ある意味対照的な性格をしている。
感受性の強い子どもサーヴァントたちは、性格の違う兄弟が険悪な雰囲気にならないか、勝手に心配しているらしい。ビーマがよく自慢の弟について話題に出すので、余計そう思ったのだろう。
「大丈夫ですよ、兄様は無断で遅れるようなことはしません」
視線は入口に向けたまま、ボイジャーとアビゲイルに聞こえるようにアルジュナは呟いた。次の瞬間、扉が開いた――かと思えば、アルジュナとよく似た白い装束の男が颯爽と飛び込んできた。
「悪い、遅れた!」
「遅れてはいませんよ。まだ、約束の時間まで2分あります」
戦闘を伴うレイシフトの時に、ビーマがこの白い衣装で現れるのは珍しい。よほど急いでこの場所に駆けつけたのだろう。
ビーマが部屋に入ってきてから、バニラとスパイスの匂いがふわりと周囲に漂っている。どうやら、ボイジャーの言う通り、クリスマス用に焼き菓子を準備していたようだ。
くんくんと甘いお菓子の匂いを嗅ぐアビゲイルに気づき、ビーマは手に持っていた小さな包みを手渡す。その様子を見ていたボイジャーにも同じものを渡した。
自分に向けられたアルジュナの視線に気付いたビーマは、大きな背でボイジャーとアビゲイルを隠す。人差し指を唇に当て、しぃーっと小声で言った。
「――そろそろ時間です。行きましょうか」
「そうだね!」
ボイジャーは小さな両手に焼き菓子の入った袋を隠し、アビゲイルはくまのぬいぐるみに袋の紐を結びつけている。秘密のプレゼントに喜ぶ小さな英霊たちを、アルジュナとマスターは微笑ましく見守った。
試作品の味見として配ろうと思っていたが、到着が集合時間間際になったため、渡す時間はなさそうだ。ビーマはアルジュナに目で合図しようと視線を向けると、アルジュナは振り返った。
「なあ、アルジュナ――」
ビーマが口を開いたのと同時に、アルジュナの姿は見えなくなってしまった。レイシフトのため、霊基が転移装置に移ったのだろう。
「せっかく兄弟が一緒になれたっていうのに、アルジュナとはタイミングが合わねえな……」
もっとも、法や規律を重んじるアルジュナには、レイシフト前なのに緊張感に欠けると思われるかもしれないが。そんな様子を見守るマスターに気づくことなく、ビーマはアルジュナの後に続いた。
***
転移先は町外れの林、ミッションは敵の撃破と聞いていたが――ビーマとボイジャーがたどり着いたのは荒野だった。二百mほど先に、周囲をきょろきょろと見回しているマスターを発見したビーマは、ボイジャーを抱きかかえてマスターの元へ走った。
「よ、マスター。待たせたな!」
「わっ、びっくりした!」
風神の子であるビーマは見た目以上に動きが俊敏だが、抱えられたボイジャーのスイング・バイが発動し、さらに加速したようだ。マスターが気づいた時には、ボイジャーを抱っこしたビーマが隣に立っていた。
レイシフト先では、どこからともなく敵性生物が襲ってくる期間がある。サーヴァントと合流したことで、マスターはひとまずは安心したが、付近にアルジュナとアビゲイルの姿がなかった。
木々が生えない平坦な大地を見渡すと、土と同じ茶褐色の大きな岩山やテーブル形の台地が点在している。アーチャーのアルジュナは攻撃に備え、岩山や台地に身を潜めているのかもしれない。
「あのふたりは、このちかくにはいないね」
標高の高い場所に位置しているためか、気圧差で耳に詰まったような違和感がある。日が高いうちはいいが、乾燥地のため、日夜の寒暖差が激しい場所だと想像される。
人間のマスターと長居するわけにはいかないだろう。耳抜きをするマスターを見ながら、ビーマはそう考えた。
「アルジュナがいるんなら心配ねえな。俺たちで先に敵を片付けるか?」
「時間の猶予もないし、倒しながら探そう!」
拳を振り上げたマスターに合わせ、ボイジャーも握った拳を高く上げた。その瞬間――ぐるるる、マスターの腹の虫が鳴り響く。
「ごめん、昼食前に呼ばれたから何も食べてなくて……」
お腹を押さえて進もうとするマスターの肩にビーマがぽんと手を置いた。手首に引っ掛け、袖の中に隠していた小さな袋をがさごそと取り出し、マスターに手渡す。
「いいの?」
「腹減ってんだろ。俺の分もあるしな」
マスターが紐を緩めて袋を開けると、硬めのチョコクッキーが五つ入っている。ボイジャーの分はジャムクッキー、ビーマの分はジンジャークッキーだ。
近くには座れる岩場がないため、三人は立ったまま小腹を満たすことにした。あっという間にビーマは自分の分を食べてしまったが、空腹のマスターは一つひとつのクッキーを味わうように食べていた。
「みんな、ちがうあじなんだね」
どのクッキーも硬めに焼いているが、味も大きさも異なる。ビーマのは大きめのハードタイプだが、マスターのものは中くらいで、一口が小さい子どもたちの分は五百円硬貨程度のサイズだ。
「ぼくのは、いちごあじさ」
ボイジャーは最後の一つを親指と人差し指で持ち、マスターとビーマに見せる。円形のクッキーの中央に、いちごのジャムがたっぷり埋め込まれている。
「人数分準備してるってことは、アルジュナの分もあるんだ」
「……渡しそびれちまったけどな」
ぱくり、一口で食べ切れる大きさのクッキーを、ボイジャーは半分だけかじる。どこか寂しそうに呟くビーマを見上げながら、マスターは尋ねた。
「最近、アルジュナとあまり話せていないの?」
「他のやつらと仲良くやってるところに、割って入るわけにはいかねえだろ?」
召喚された当初、『優秀すぎて壁を作られているだろうから、食事会を開こう』と提案してアルジュナに却下されたことがある。今思えば、古今東西の英雄たちにも慕われて、いい関係を築いているアルジュナにとって、余計なお世話だったのだろう。
「昔も今も、アルジュナを慕うやつはたくさんいた。だが――俺は、どこか寂しく思ってるのかもしれねえな」
自慢の弟があらゆる人々から愛され、認められている光景は何度も目にしている。兄として、家族としてそのことを誇りに思っているはずなのに――胸に何かが引っかかっている。
アルジュナは自慢の弟だ。数々の苦難を乗り越えた高潔な戦士であり、優秀な弓兵であり、周囲の人々を深く思いやる心を持った英雄である。
その事実は、生前も今も何ら変わらない。変わってしまったのは、遅れて召喚されたビーマのほうだ。
ビーマが知らないアルジュナの一面を見る機会が多くなったこと、同じ場所で生活しているのに会話がないことで、心の距離を感じてしまっているのだ。ビーマは無意識に弟を縛ろうとしていることを自覚し、自分を恥じた。
生前は兄弟で一緒に暮らし、あらゆる苦楽を共にしていたことから、兄の自分はアルジュナのことを何でも知っていると思い込んでいたのだ。あんなに近くにいておいて、アルジュナの抱える苦悩に、気づいてやれなかったくせに。
「すまん、忘れてくれ。今のは、アルジュナに秘密な」
レイシフト前にお菓子をこっそり渡した時のように、ビーマは人差し指を唇に当てる。ボイジャーは、残った半分のクッキーを美味しそうに食べながら、首を横に振った。
「すきなひとのことをしりたいとおもうのは、しぜんなことだよ」
口の周りにクッキーのかすをつけたまま、ボイジャーはマスターに同意を求める。目が合ったマスターは、自分の口を軽く拭きながら、うんうんと頷いた。
「うん。それに――アルジュナもきっと、そう思っているよ」
「どういう意味だ?」
ビーマが問うと同時に、大きな爆発音が周囲に響き渡った。アルジュナが放った技によるものだと悟り、三人が音のした方へ体を向ける。
砂埃の中に、すらっとした男性と少女のシルエットが見えた。ビーマが実体化させた槍を軽く振るうと、風の力によって周囲に舞った砂が収まった。
「敵は全て私と彼女が片付けました。帰還しましょう」
砂埃を吸わないように袖で口元を抑えながら、アルジュナはマスターに提案した。アビゲイルはワンピースについた砂を軽く叩いて払う。
「素敵なお菓子をありがとう。この季節にぴったりだったわ」
アビゲイルの口元は、スノーボールクッキーの粉砂糖で少し白くなっている。黒い服はところどころ荒野の土で汚れていたが、アビゲイルに戦闘の形跡はなかった。
直接戦闘に参加させず、側でクッキーを食べながら、敵を弱体化させるスキルで戦闘を支援していたのだろう。今のアルジュナがカルデアで子どもの英霊にどう接するかを垣間見た気がして、ビーマは微笑ましい気持ちになった。
マスターの言葉を胸に引っ掛けたまま、ビーマは帰還した。四騎の英霊を従えながら、わずか二十分ほどで帰還したことになる。
特段ダ・ヴィンチからの連絡事項もなく、各々が持ち場に戻っていく。真っ先に管制室を出て廊下を歩いていたアルジュナを、ビーマが呼び止めた。
「アルジュナ、少しいいか?」
何かを取り出そうとするビーマの手を、アルジュナが押さえた。ビーマの腕を掴み、廊下の端へ寄るように手を引いた。
「兄様の部屋で聞きましょうか」
ビーマの部屋はこの先にある。部屋に入れたことは数回しかないが、アルジュナはまっすぐ部屋の前まで移動し、扉を開いた。
ビーマの部屋は簡素で、棚や小さいテーブルの他は家具といえる家具がない。ソファも椅子もないため、ベッドの端にアルジュナを座らせて、正面にテーブルを置いた。
レイシフトに行く前、ポットに入れておいた紅茶はぬるくなっているだろう。アルジュナの隣に座り、隠していた小袋を取り出す。
「これ、食べてくれるか?」
ビーマは棚から小皿とフォークを取り出し、袋の中に入った菓子を取り出す。アルジュナの開いた袋から、キューブ状のお菓子が五つ、皿の上にころんと転がり落ちた。
「おまえにも渡そうと思ってたんだが槍を振ったときに崩れちまったんだ」
「バルフィ……」
煮詰めたミルクに、ギーとカルダモンを加えて砂糖で甘さを加えたこの菓子は、現代では母国で祝い事の折に食すものである。レイシフト先で動いたためか、ほろほろした生地の隅っこが崩れている。
「こっちのほうが馴染みがあると思ったんだが……おまえはここの生活が長いだろう?」
クッキーもバルフィも生前はなかった料理だが、後者のほうが生前口にしていたものに風味が近い。ミルクを煮詰めて固めただけでなく、ピスタチオやカシューナッツを加えている。
アルジュナはバルフィをフォークに取り、口にした。アルジュナの顔が次第に綻んでいく。
「俺の知らない好物もあるだろうから、これから教えてくれよ」
二つのカップに紅茶を注ぎ、アルジュナに差し出す。思った通り、紅茶は少し冷めていたが、甘いバルフィとの相性は抜群だ。
心なしか、紅茶を飲むアルジュナの頬が、ほんのり赤い気がする。部屋の温度もちょうど良く、紅茶はぬるくなっているはずなのに、ビーマには理由がわからなかった。
「兄ちゃんが私のために作るものなら、何でも好きです」
視線は皿の上から外さず、アルジュナがビーマに答えた。二つ目のバルフィを美味しそうに食べながるアルジュナを見ていたら、不思議とビーマも腹が減ってきた。
「だから、俺はおまえが食いてえものが知りたいんだよ」
「言ったとおりですよ?」
そう言って微笑むアルジュナを見て、ビーマは思った。一方通行かと思っていたが、どうやらそうでもなさそうだ。
じっと自分の顔を見るビーマが、アルジュナの目には物欲しそうに見えたのだろうか。アルジュナは、最後の一つを半分に切って、ビーマの分のフォークを出してきた。
「最後の一つは、半分こしましょう」
美味しいものは誰かと食べた方が、一人の時よりも美味しく感じる。好きな相手と一緒ならば、なおさらだ。