花筏（シトガイ）　夕べ、ガイと連れだって散歩に出た。
　電車に乗って20分程度の桜の名所。先日劇団近くの公園でみんなと花見はしていたが、テレビで見て気になっていたところに、二人で行くことになった。デートのつもりだが、隣に座っている男は気づいているだろうか。
　半袖に着替えるにはまだ早いが、もう日が沈んでも何か羽織らなくてもいいような、散歩にはちょうどいい季節だ。
駅から出ると同じ目的であろう人達でごった返していた。「わぁ、ヒモ笑いネ」とつぶやくと、うまく聞き取れなかったのか、ガイが首を傾げた。春組のみんななら、きっとツッコんでくれていただろう。
「ポンコツ相手だとボケ甲斐がないヨ」
　ガイの腕をポンポンと軽くたたいた。

　まっすぐ目的地に向かおうとするガイを引きとめて、逆方向の出口にあるコンビニに入った。
「ちょっと付き合ってくれ」
「腹が減ったのか」
「違うヨ！　おまえの分も、ほら」
　ドリンクコーナーから手に取ったのは、銀色の缶。キンキンに冷えていて、手の平がじわじわと痛くなる。服の袖を引き延ばして、直接触れないようにしながらレジに並ぶ。
「歩きながら見るんじゃないのか」
「飲みながらでもいいらしい」
　ほら、と周りの客も酒を持っていることを伝える。ザフラでは外で酒を飲み歩くようなことはなかった。というか禁止されていたので、どうにも慣れない感覚なのはわかる。日本でもあまり行儀はよくないらしいが、一度やってみたかったのだ。
　それを聞くと、私の手から缶を1本取り上げ、陳列棚の方に戻っていった。規則正しい男には憚られるのかもしれないと思っていると、帰ってきたガイの手にはカップの酒が。
「こちらの方が気になって……」
　目を合わせないまま、私が持っていたビール缶も一緒にレジに出す。
　人間らしさを取り戻したガイはすべてが変わったわけではないが、意外とちゃっかりしているところがあった。

　会計を済ませて目的地へと向かう。駅からそう離れていないはずだが、今のところ見た目には特徴のないビル街で、絶景があるような地域には見えない。ただ、近づくほどに水のにおいが強まった。
　前を歩いていた集団から、わっと歓声が上がった。そろそろかと進んでいくと、ビルを曲がったところで、いきなり変わる景色。大きな川沿いにずらっと桜並木が続き、どれもが白く小さな花を鈴なりに咲かせていた。並木に吊るされた提灯の明かりは、はらはらと舞う花弁を幻想的に照らす。
　こんなにも花が咲き誇っているのに、なんの香りもしないのが、余計に現実味を無くしていた。
「これはすごいネ」
「画面越しで見るのと実際に見るのでは全然違うものだな」

　人の流れに逆らわず、川沿いをゆるゆると歩く。お互いに先ほど買った酒を開けて飲み始めた。のんびりとした散歩のお供に、大口で飲み進めたくなるような酒を買ったのは失敗だったかもしれない。まあ、足りなくなったらガイに分けて貰えばいいか。
「この前の宴会も楽しかったが、桜を見ながら歩くのも風情があるな」
「ああ。桜を見ていると、本当に日本にいるんだなと実感するよ。なんだか不思議な感じだ」
　ザフラで一悶着あり、2人で日本に帰ってきてからもう数ヶ月経っている。劇団にガイがいるのにもそろそろ慣れてきたはずだが、いまだに夢なのではないかと思ってしまう時がある。弟たちとのいがみ合いが終わって、ガイが感情を取り戻して、かつてずっと願っていたことがこんな一度に叶っていいのだろうか。それから墓場にまで持っていくつもりだった気持ちをガイに伝えたことも……。
　幸せすぎて怖い。なんて贅沢に思ってしまう。しかし、口の中でパチパチと弾ける炭酸で痛む頬が現実だと教えてくれるのだった。