飯Pを手探りで書いてます 湖畔に降り立つと、踏みしめた草地の泥が青臭く匂った。生ぬるい風が頬を撫でる。雨になるのかもしれない。見上げた夜空は厚い雲に覆われて、星さえ見えなかった。
湖の先にある滝を目指してとうとうと流れていく黒い水面を眺めながら、帰りは雨に濡れるだろうな、とぼんやり思った。洗濯機につっこまれたびしょ濡れの夫の服を見ても、きっと彼女は何も言わないだろうけど。
街のネオンも届かない夜の暗闇のなかで、まるい窓から漏れる温かな灯りだけが自分の足下を明るく照らしている。例えようもない満足感が、その足から身体を這い上り、全身を満たしていた。ぼくは、呼び鈴を押すこともせずその家のドアを押し開けた。
彼は部屋の真ん中で椅子に座って、ぼくを待っていた。前もって知らせるようなことはしていなかったが、ぼくが今夜ここにくることは分かっていたらしい。所詮、浅はかなぼくの行動なんてものは、幼い頃からの師である彼には全てお見通しなのだ。
「おまたせしました、ピッコロさん」
ぼくがそう言うと、彼はいつものようにふいと横を向いて、「待ってなどいない」と吐き捨てるように言った。ぼくが夜この家を訪れるたびに繰りかえされる、お決まりのやりとりだった。
けれど、ぼくは知っている。いつもそっけなく視線を逸らすあなたの、その可愛く尖った耳先が、ほのかなすみれ色に染まっていることを。あなたが、毎晩、ぼくを待っていてくれることを。
「そうですね。ぼくがあなたに会いたかっただけです」
大きくてゴツゴツした椅子――ナメック星の最長老様の椅子にそっくりな――に腰掛ける彼の膝の上へとゆっくりと乗り上げて、腰を下ろした。身長差のせいで、立っている時は交わらない視線も、こうすればまっすぐ覗き込むことができる。同時に彼の足の長さを思って、そのスタイルの良さに感嘆のためいきが漏れてしまう。
「昼間、会ったばかりだろう」
確かに、またしてもピッコロさんにパンの幼稚園のお迎えを頼んでしまった。ぼくはレポートが立て込んでいたし、ビーデルさんは武術教室だかなんだかの用事があった。それに、ピッコロさんに迎えに行ってもらうとパン本人がとても喜ぶものだから、ついついこの人に甘えてお願いしてしまう。
夕方、パンを連れ帰ったピッコロさんが、オレンジ色の夕陽に照らされた広い庭で彼女にトレーニングをつけているのが、ぼくの仕事場の窓から見えた。そこに、帰ってきたばかりのビーデルさんが冷えたミネラルウォーターとパンのおやつを載せたトレーを持って加わった。ゆっくりと傾いていく西日の中で、仲睦まじく談笑する三人の影が濃く長く伸びていく。愛する妻と娘、そして師。冷めてしまったコーヒーのマグを片手に、凝り固まった肩を回しながら、ぼくは、自分が今、幸せのまっただ中にいると思った。ぼくはずっと欲しかった完璧な家族を手に入れた。三人の姿を見ていると、おなかの底からぽかぽかと温かな塊が膨らんでいくような優しさにあふれた幸せを感じた。
それなのに、同時にぼくは。娘に笑いかけるあなたの笑顔を見て、そのひやりとした肌の感触と、葡萄色の舌の濡れた滑らかさを思い出していた。あぁ、はやく、あなたを抱き潰したい。
「でも、そのときは、こんな風にあなたに触れられなかったでしょう」