Here's looking at you, kid.「俺あの時本気で思ったもん。こいつマジで妖怪だって」
そう楽しげに笑う杉元の頬は真っ赤染まっている。
「えー、それまだ言うのぉ?」
呂律の回らない声で答えた白石の顔は杉元よりも赤く、まるで大きな一つのマッチ棒の様だった。
よくこんなモノを水よりもするすると呑めるものだと、尾形はクチャ中に転がった酒瓶と白石から無理やり渡されたぐい呑の中の酒を見比べて眉を顰める。
そうすると否が応でも瓶達と一緒に転がっているアシリパが尾形の視界に入ってきた。当の彼女は杉元の着ている上着の裾を掴みながらスゥスゥと寝息をたてながら眠っている。こんな所で熟睡できるものだと呆れつつ感心しながら尾形は酒を一気に飲み干して空のぐい呑みを地面に置く。アルコールの刺激が喉を突き、一瞬だけ脳がぐらりと揺れた。
「えーん。尾形ちゃぁん。杉元がいつまでもいつまでも俺の事妖怪って言うよぅ。酷くなぁい」
いつの間にか尾形の側に来たらしい白石が尾形の腕を抱え込みながら泣き言を喚きだした。酔いのせいで潤んでいる目元が松明に当てられてキラキラと揺れている。
尾形はそれをぼんやり眺めながら母親とのことを思い出した。
片手で数えられるくらいの歳の頃、俺は寝床から顔を出して「妖怪って本当にいるの?俺今まで一度だって見た事ないけど」と行灯を消そうとするおっ母の背中に尋ねた事があった。
それを訪ねた理由をしっかりとは覚えていない。ただ大人達の間で何やら不可解な畑泥棒が出たととか言う話を聞いた村の餓鬼共が「天狗の仕業だ」だとか「きっと鬼が出他に違い無い」だとか「絶対河童だよ」などと無責任な事を楽しげに話していた事を又聞きした事が起因だったように思う。
当時の俺が妖怪の実在に興味があったともましてや恐れていたとも思えず、その時思い付いたことを思わず口に出しただけだった様に思う。何故ならその時の俺はそう尋ねておきながらおっ母がこの問いに答える事無く火を消してしまうものだと思っていたからだ。
だがそんな俺の予想を裏切って、おっ母はぴたりと手を止めてこちらに身体を向けた。そうして口を小さく開けて何時もの様に穏やかな声音で「百ちゃん」と確かに俺の名前を読んだ。
「妖怪って言うのはね。例えその姿が見えなくても人の心を惹きつけてやまないものなのよ」
そう言ったおっ母の顔は俺の方を向いて優しく笑っていたが、瞳の奥がゆらゆらと不気味に揺れ、視線は違うナニかを捉えている様に思えてならなかった。
恐る恐る自分の後ろを振り返って見ても、そこには行灯に照らされた闇がふんわりと浮かんでいるだけで、おっ母の求めるものなんて在る様には見え無い。
まだまだ純粋で可愛げの塊だった当時の俺は、ひょっとして自分が見えないだけで本当にそこにはナニがいるのではないかと思い、布団を頭から被って瞼をぎゅっと閉じた。
今思えばきっとおっ母はあの頃からすでに壊れていたのだろう。きっともうどうでもいい話だが。
「尾形ちゃん?どったの?調子悪い?」
腕を掴まれてからずっと微動だにしない尾形を不審に思ったらしい白石が、少し酔いの冷めた声でそう尋ねてきた。その声にはっとした意識を戻した尾形は己の腕を抱きかかえたまま見上げてくる白石の顔をまじまじと見下ろす。
あの日の母親と同じ様に瞳の奥が揺れているが、あの日の母親と違ってチカチカと瞬いている様に見えて、目を離すのが勿体無いなと尾形は確かにそう感じた。
そうして再びあの日の母親の言葉を思い出して「ハハッ」と自笑の笑みを溢す。
「お前が妖怪なのは間違いないだろうぜ」
それだけ言うと尾形は強く白石の腕を振り払った。白石は突然の尾形の動きに一瞬呆けた顔をしたが、すぐに何時ものいじけた表情になり「尾形ちゃんまでひでーやひでーや」と側にあった酒瓶を掴むと一気に呷った。