留まるところを知らないもの 誕生日という概念は、正直高月に来るまで薄いものだった。
俺が産まれた日。お母様がお腹を痛めて俺を産んだ日。それくらいの温度しかないものだった。
高校の頃も、俺にとっては祝ってもらう、という感覚は若干薄かった気がする。俺は別に誕生日をクラスメイトに好んで教えた記憶もないし、部活の中でも割とそうだった気がする。祝われればありがとう、と謝辞を述べることは出来ても、嬉しいかどうかを問われたなら。それは、どういうものになるのだろう。
少なくとも、自分にとって特段大切な日ではなかったそれに、意味を与えたのは。自分から、「欲しい」と言ってしまうようになったのは。
――お前のせい、なのだ。
今年の誕生日は何がいい、とオロチから言われて、そういえばもうすぐ自分の誕生日だと思い出す。去年は蒼と翠で飾られた、綺麗な髪飾りだった。――俺の、目の色。そして、知ってしまった甘美な絶望。知ってはいけなかったもの。罪悪だと教えられていたもの。
花綻んだ感情には、乾いた笑いしか産まれなかった。独りきりの時で零したそれは、どこからどう見ても「女」の顔をしていて。
それでも、交わらない平行線のように奥底に閉じ込めながら日々を過ごす。俺は知らない、俺の醜さ。けれど時々、こういう風に、隠そうと、殺そうとしている「女」の部分がどうやっても顔を覗かせる。
たとえば、今みたいに。
「――ピアス」
思わず舌に乗せた言葉は、震えてはいなかっただろうか。
オロチの体には、沢山のピアスが付けられている。だからというのもあったけれど、一番欲しいものは、一番欲しかったのは、ピアスそのものよりも、それのために付けられる傷跡なのだと。そんな欲にはどうか気付かないでくれという想いは、無事に届いているらしい。
そんな数日を過ごした後、誕生日に贈られたのは、一つ石のホワイトトパーズのピアスだった。普段使いに丁度いいな、という仄かに浮き立つ心と、今から自分の体に傷を付けるというささやかな背徳感。
開けるのは右耳だけでいい、と言ったのは、左耳にはよくイヤーカフをしているから、というのもあるけれど。――なんとなく、もう片方を開けるとしたら何でもない日がいいなと思ったのだ。特に、意味はないはずなのだけど。
付けられるのは一ヶ月後くらいからだ、と言われてその間はどうするのか、という疑問のやり取りもあった。その間はファーストピアスというもので穴を固定するらしい。なるほど、となりながらオロチが自分の耳を消毒している間はまだ開封されずに置かれている白いピアッサーを眺めていた。変に心臓が脈打っている理由は、自分でも分からない。そこにあるのは戻れないことに対する恐怖なのか。まさかとは思うけれど、期待なのか。
氷は要らないのか、と聞けば、「氷で冷やす方が皮膚が固くなって開けにくくなるそうだ」という言葉が返ってきた。成程、また一つ新しいことを知った。多分暫くは必要のない知識だけど。
消毒が終わって、耳たぶに当たるピアッサーのバネがキリキリと押されていく音と、その瞬間がもうすぐ来るという感覚を味わいながらオロチの真剣な表情を見ていた。湖面のように静かな、虹色と青のオッドアイがとても綺麗で――ふと、何かがよぎった気がしたけれど、開けるぞ、という合図で現実に引き戻されるのと同時、バチンという大きな音で掻き消された。
終わったぞ、という言葉と共に差し出された手鏡を見れば、銀色のファーストピアスが煌めいている。
どうやら知らず知らずのうちに息を詰めていたらしく、それを確認した時に小さな吐息が零れ落ちて。
「痛くはなかったか」
「――いや、特には」
こういう時に、「女」の顔をしていない事を強く願う。腹の底からじわりと湧き上がる――信じたくない官能が、薄らとした紫と共に鏡写しの瞳に映し出されていて、思わず目を背けた。どうかその事には気付かないでいてくれ、と切に願う。
ここにいるのは信頼出来るバディではなく、欲深い怪物だということに。
――お前の隣に居たい、だなんて。