ね っ ち ゅ う し ょ う八月某日。
「…まだ来てないのか」
先日ユーベルから『週末ヒマ?ヒマだよね?行きたいトコあるんだけど』などと、半ば強引に呼び出されたのだが。その呼び出した張本人は未だ姿が見えず。
「……仕方ない」
おあつらえ向きに設置されたベンチに座り、ラントは本を読みながらユーベルをのんびり待つことにした。
「あっ。もういる」
噂のユーベルが来たのは、およそ十五分ほど遅れてから。
約束の時間から見ればまだまだ余裕の時間ではあるけれど、なぜか毎回ユーベルの方が遅れて到着する。その度に『お待たせ。待った?』などとやり取りを交わしてから出発する……けれども。
「……」
珍しく読書に集中するラントを見て、ユーベルの悪戯心にほんの少しだけ火がついた。
そろそろと後ろから近づき、ラントのメガネを取り上げてやろうとして……。
「……」
ユーベルは上から覗き込む形でしばらく硬直し、やがて赤面しながら視線を逸らす。
さすがに気配を感じたラントが後ろを振り向く頃には、一歩下がったユーベルが毛先を触っているところで。
「なんだ、来てたのか」
「い、今さっきね…お待たせ」
「うん。行こうか」
「……」
「…ユーベル?どうかした?」
「メガネ君ってさぁ…えっちだよね」
「…なんの話?」
なんでもないよ、と言いつつ。ユーベルの脳裏には上から見えたラントの胸部がしっかりと焼き付いていた。
◼︎◼︎◼︎◼︎◼︎
二人の外出は大体いつもラントが聞き手役に回り、ユーベルはずっと話かけ続けるというのが定番だった。
現に今も、今日はフェルンがシュタルクと行った恋愛映画とか、雑誌で紹介されたカップル限定白くまかき氷の話でヒートアップしている。
「喉乾いたから何か買っていいかな」
「あっうん。いいよ」
通りかかったキッチンカーの列に並び、何にしようかと悩んでいると。ユーベルは今朝の一件をすこし思い出して、ちょっとだけラントを試してみたい衝動に駆られた。
すなわち『私だけドキドキしたのは、何だか負けた気がする』という何時もの悪い癖。
「…おりゃ」
「何してんの」
隣に並ぶラントの手を握り、世の恋人達がさも当然のようにするみたく。互いの指を絡み合わせた繋ぎ方をしてみせた。
「……何も感じない?」
「ちょっと何言ってるか分からない」
「…ふーん……」
ラントは動揺するそぶりも見せず。淡々と注文と支払いを済ませ、さっさとその場を離れようとユーベルの手を引いて歩き出した。
「えーっと。メガネ君?」
「なに」
「手は離さないのカナ?」
「離したいの」
「そういう訳じゃ無いけど」
それからユーベルは何か話したような気がするけど、それがどんな内容だったか思い出せず。ただ口の中がずっと甘ったるくて、頭からはどんどん血の気が引いていくのに、繋いだままの手は溶け出しそうなくらい熱くて。
「ユーベル」
「…ん?」
じっと顔を覗き込むラントにすら、気付いていなかった。
「…なぁに、メガネ君」
「ちょっと休もうか」
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街中から少し離れた小さな公園。
けたたましく鳴く蝉の声を聴きながら、木陰のベンチに腰掛ける。
ラントはただ黙ってユーベルの隣に座って、器用に片手で本を読んでいた。
「…まだ離さないんだね」
なんて聞いてみても、メガネ君は何も言ってこない。
相変わらずの無表情で器用にページをめくっているし、こちらを気にしているそぶりも見せない。
それじゃ私は何をしてるかと聞かれれば、もう中身なんて無い容器のストローで溶けた氷を吸ったり、意味もなく足を動かしたり、繋いだままの手を握ったりゆるめたり。指先でメガネ君の手を撫でてみたり。でも、何の反応も返ってこないからすぐ止めたり。
「…今日、熱いね」
いよいよ私なに言ってるんだろ。暑さでどうにかなったのかな。
ていうかメガネ君もメガネ君だよ。誘ったのは私だけど別に断る事も出来たじゃん。どー見たってインドア派でしょ。いっつも無表情でなに考えてるのか分かんないし、たまーに喋ったと思ったら必要最低限しか言わないし。
これじゃあ私、メガネ君に付きまとってるヤベー奴じゃん。ただのメンヘラじゃん。キモすぎるでしょそんなの。
フェルンが羨ましいよ。シュタルク君と仲良さげに出かけたり喧嘩したり、かと思ったらもう元に戻ったり。私なんてメガネ君と喧嘩なんてした事ないんだけど。そりゃそうだよね、だって私が私がばっかりでメガネ君から何か言われたりされたりした事ないもんね。
ほらもう、なんか変な汗出てきた。セミはずっとウルサイし日差しは熱いし氷は全部とけちゃったし服の中がジメジメして汗で服が貼り付いて気持ち悪いしメイクは崩れてるだろうし。
あーダメ。なんか泣きたくなってきた。でも絶対そんな顔見せらんない。ほら、ダメだって。我慢しなきゃ。メガネ君いるんだよ。ちゃんと笑って。ねえ。笑わなきゃ。私いま、どんな顔して……
「ユーベル」
ラントはただ一言呼びかけて、ユーベルをそっと抱き寄せる。
繋いだ手は離れていたけれど、それ以上に大きな何かで繋がっていて。
「メガネ、君?なんで」
「手を離したのはユーベルだろ」
「あ、うん、うん。そうかも、ね?」
いやいや違う違う。違うって、そうじゃない。
「…メガネ君、離してくれないかなぁ」
「嫌だ」
「あーはいはいそうで…!?」
いま、なんと…?
嫌だって言いました…??
メガネ君がぁ!?
よしよし落ち着け乙女ユーベル。ここは落ち着いて深く深呼吸しようスゥーーーーーー……あっめっちゃエッ違う。いい匂いする。
「な、なんでぇ…?」
「手を離したから」
「だからって抱き寄せは…」
恥ずかしくないのかと聞く前に。ユーベルは早鐘のように鼓動するラントの心音を聞き。
「…メガネ君、すっごいドキドキしてるよ」
「そうだな」
「もしかしてずっと?」
「…そうだよ」
「具体的にいつから?」
「………朝」
はぁーーーーーー?????
なん、はぁーーーーー????
このメガネほんと…はーーーーーーー????????????
「メガネ君さぁ」
「なに」
「私のこと好きだよね」
「そうだよ」
そうだよって…そうだよ!?
肯定!?!?!?!?!?
あんなに私のこと『嫌いな女』だの『危険女』だの言ってたクセに!?!?!?
「メガネ君」
「……なに」
「私いますっごく怒ってるんだけど」
「…なんで」
「なんでだろうねぇ。自分の胸に聞けばぁ?」
「……意味わかんないんだけど」
分かりませんか。そうですか。こーんなにドキドキしてる音を私に聞かせて、分かりませんですか。
「じゃあ分かるまでこのままの刑」
「さすがにそれはちょっと…」
「だぁーめ」
「………」
鳴き続けたセミは、もうどこかに飛んでいってしまった。
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後日談。
「それはそれとしてメガネ君、私今日からメガネ君の胸に住むね」
「…とうとう頭おかしくなったか……?」