赤黒れんしゅうよく晴れた青空の下、やわらかな朝の日差しに照らされて、紅色の綺麗な髪がきらきらと光って見える。よく通る声は聞いているだけで朝から背筋が伸びるように身が引き締まるのに、わずかに含まれた甘さのおかげで耳に心地良い。立ち姿まで彫刻みたいに美しくて、彼が着ているだけでただの制服もまるで王族の衣装のようにすら感じてしまう。
そんな見目麗しい姿を、持ち前の影の薄さをここぞとばかりに利用してこそこそと盗み見していたはずなのに、黒子の視線を感じ取ったのか、目線の先の彼は目が合うとふわりと優しく笑った。
「おはよう、黒子」
「おっ!おひゃようごじゃいまふ!」
まさか気付かれるとは思わなくて、驚きすぎて声がひっくり返った。カミカミの挨拶に恥ずかしくなって、黒子の顔がかあっと熱くなる。その様子を見て、赤司はまたくすくすと笑っていた。
「ほら、早く行かないと遅刻しちゃうよ」
「は、はい…赤司くん、朝からお疲れさまです…頑張ってくださいね」
「ありがとう」
少女漫画のような微笑みに撃ち抜かれて、黒子の心臓はノックアウト寸前だ。ペコリと頭を下げて早足気味に校門を通り抜ける。
今週は朝の規律週間で、生徒会役員たちが校門前に立ち生徒たちの身だしなみをチェックしているのだ。生徒会長の赤司は今週は毎日朝早くから校門前に立っている。その姿を黒子は電柱に隠れてこっそり眺めていた。黒子は、赤司のことが大好きだった。
どこが好きかって、全部好きだ。誰もが目を惹くような美しい容姿も勿論だし、大人も黙らせる頭の良さも、ずば抜けた身体能力も尊敬と憧憬を抱いていたけれど、何よりもそれに驕らず努力する姿がとにかく格好いいと思っていた。同じ男として憧れるにはあまりにも手の届かないような存在だったはずなのに、赤司は黒子のことを認識してくれて、微笑みかけて挨拶してくれる。黒子自身あまり表情豊かなほうではないけれど、心の中では背中に羽が生えて天にも登れるほど嬉しかった。
朝から会えて、あまつさえ会話も出来るなんて。いい気分で校舎に向かっていたら、急に首筋の後ろを撫でられるような感触がして、思わず「うひゃあ!」と声を上げる。
「おはよう、テツヤ」
「あかしくん…おはようございます」
「ふふ。何だか朝から嬉しそうだね?」
何かあったのかな、と唇にわざとらしい笑みを湛えたもう一人の赤司に、黒子は首の後ろを抑えながら、何もないですよ。とだけ言ってそそくさとその場を離れた。つまらなそうな顔をしながら、赤司は黒子の後ろをくっついてくる。来ないでください!とは言えなかった。なぜなら赤司と黒子は、恋人として付き合っているから。
事の発端は、数ヶ月前に遡る。
放課後に図書室で図書委員の仕事をしていた時のことだった。テスト期間でもない放課後の図書室は閑散としていて、利用者はほとんどいない。返却された本を書棚に戻していた黒子は、とある一角ではっと目を見張った。図書室の一番奥、窓際の長テーブルの端の席に赤司がいたのだ。
換気のために少しだけ開けた窓が、クリーム色をしたカーテンをふわっと孕ませはためいている。分厚いハードカバーの本を真剣に読んでいる赤司の頬に、彼と同じ色をした、燃えるような夕日が影を落としていた。淡い光に包まれる彼は、大袈裟でもなんでもなくどこかの宗教画のように神々しくて、思わずうっとりとしてしまう。まばたきすら忘れてしまいそうだった。
静かな室内に、ぺらり、とページをめくる音が聞こえる。長い指先が触れる、その本のページすら羨ましいと思ってしまった。自分も、あんなふうに彼に触れられてみたい。もっと近くで、その美しい表情を見てみたい。そう思う気持ちがどうしても止められない、彼に魔法をかけられたような、不思議な放課後だった。
「…好きです、赤司くん」
そう言ったのは、そんな不思議な放課後がなす、本当に無意識のことだった。そのほんの小さな声がまさか自分が発した言葉だとは思わず、慌ててハッと口を押さえる。聞こえてしまっただろうか。けれど目を伏せて本を読んだままの彼は微動だにしていなかったから、よかった、聞こえていなかったと胸を撫で下ろし、書棚の整理に戻ろうと赤司に背を向けて本を取る。
「なら、付き合ってみる?」
「……え?」
声が聞こえて振り向けば、先程までページを捲っていたはずの右手で頬杖をつきながら、赤司がにこりと笑っていた。
細められた目を見て気付く。下を向いていたからわからなかったけれど、彼の前髪は少し短くて、左右の目の色が少しばかり違っていた。
彼は、「双子の弟」のほうの赤司だったことに、ようやく気付いたのだ。
「僕のことが好きなんだろう?」
「えっ!?あ、いや、その…」
「『違う』って言うのか?まさか」
狼狽える黒子に、腰を上げ立ち上がった赤司が近づいて来る。さながら狙いを定めた獲物を狩る臨戦体制のようで、肉食獣に喰われる寸前の小動物のように黒子は固まって動けない。古びた図書室の磨かれた床がきゅっと鳴って、赤司の色彩の異なる綺麗な瞳が黒子を射抜いた。
「君、名前は?」
「くろこ、てつや、です…」
「テツヤ。今日から僕たちは恋人同士だ」
「こ、こいびと…!?」
「ああ。それともテツヤは、好きなだけで付き合いたくはない、と?想うだけで十分、だなんて言うのか?僕が付き合おうと言っているのに?」
「ええぇ…」
赤司の言葉に反論を挟む余地もなく、いつのまにか、二人は恋人同士になった。
その後の赤司の行動は早かった。兄の赤司のほうに「恋人のテツヤだ」と言って黒子を紹介し、黒子もまた戸惑いながらも「黒子テツヤです、よろしくお願いします。」とわけがわからないまま兄のほうに頭を下げていた。自分が好きだったのは兄の赤司だったはずなのに、なぜか弟の恋人として紹介されている。どうしてこうなった、と混乱する頭を整理することも出来ないまま、おそるおそる顔を上げれば兄の赤司はたいそう嬉しそうな顔をしていて、「こちらこそよろしくね」と彼もまた黒子に対して頭を下げた。
兄の赤司は、黒子にこっそりと言った。弟は、頭も良くストイックで真面目ないいやつだとは思うのだけれど、なにぶん素直じゃないところがあって、小難しくて神経質なきらいがある。人付き合いもうわべだけのように見えて、特別仲の良い友人もいないようだったから、弟のことを理解してくれて、支えてくれる人が出来たのなら嬉しい、と少し照れながら言っていた。あんなやつだけど、仲良くしてやってね。と良い顔と良い声で言われてしまえば、そんなの、わかりましたと頷く以外選択肢はない。
『昼休みに屋上』
一言だけのメッセージに、はぁ、と黒子は溜息を吐く。少し授業が延びてしまって、昼食片手に足早に屋上までの階段を駆け上がった。そもそも、屋上だって立ち入り禁止になっているはずなのに、どうして彼が鍵を持っているのだろう。外へと続くドアノブを捻れば、案の定重たいドアはすぐに開いた。
「遅い」
拗ねたような声で、まばゆいばかりのオッドアイがまばたきをする。
「すみません。これでも急いで来たんです」
赤司の座る隣に、少し距離を開けてぺたりと座り込む。コンクリートがひんやり冷たい。黒子が座って一息ついたのを見ると、赤司は豪華な弁当を開いて「いただきます」と手を合わせた。黒子も同じように「いただきます」と箸を掴む。赤司より一回りも二回りも小さい弁当を見て、赤司は自分の弁当の中の魚の切り身を黒子の口の中に突っ込んだ。もがもがと一生懸命に咀嚼する黒子の様子に、赤司は小さく笑っていた。
「おなかいっぱいです…」
満腹になったおなかをさする。結局、かなりの量のおかずを食べさせられた気がする。「食べなきゃ大きくならないよ」と涼しい顔して言う赤司に、黒子はむっとした。君だって、対してボクと身長は変わらないじゃないですかと言いたい。むむむ、と唇を尖らせたまま、それでも何も言えずにいたら、その様子を見ていた赤司の指先が、そっと黒子の頬をなぞった。
「…?赤司く、」
言い切る前に、唇が塞がれる。ふにゅっと沈み込んで、あたたかく、柔らかいものが触れた。かすかに熱い息が触れ合う。ふわりと風が吹けば、それは二人の前髪を揺らして毛先がおでこを撫でた。時間にして、ほんの数秒なのか、それとも数十分も経っていたような、体感がよくわからない。それでも離れた瞬間に見えた彼の顔は思ったよりも赤くて、今しがた触れ合ったばかりの唇を、軽く噛んでは黒子の唇を指で撫でた。
「…恋人なんだから、構わないだろう」
「……は、い」
固まって何も言えなくなってしまった黒子に何か言葉を返すこともなく、赤司はそのまま、黒子の膝にごろんと転がって頭を乗せた。唐突な行動に黒子の肩がビクッと揺れる。横を向いた赤司は、コンクリートに落ちて風に揺られている葉っぱをぼんやりと目で追っていた。
「…いやだったか?」
「……いいえ」
ニキビひとつないなめらかな彼の肌が、じんわりと火照って赤く染まっている。仕返しにとばかりにその頬を撫でて指先で軽く押してみたら、思ったよりも弾力があって驚いた。くすぐったそうに身を捩った赤司が、ごろごろと黒子の膝に頭を擦り付けながら目を閉じる。
赤司が目を閉じたのを見て、黒子もまた、自分の唇を軽く噛んだ。触れた熱が引かない。おそらく、聡い彼は黒子が自分と兄を間違えたことに気付いている。それでも何も言わない。何も言わずに、こうして気まぐれに黒子にくっついて甘えてくる。
そう、間違いだった、はずなのに。心臓はけたたましく脈打って、身体が熱くてたまらない。いやじゃない。全然いやじゃないから、困ってるのだ。膝の上のそっと頭を撫でてみれば、赤司はふるりと身体を震わせたあと、寝返りを打って黒子の腹に腕を回した。
好きです、赤司くん。喉元まで出かかった言葉をぎゅうっと飲み込む。うららかな晴れ模様に、鮮やかな赤い毛先がひらひらと揺れていた。