【飯P】寒い日ひらりと揺らめくその白が、ボクは好きだった。
空に靡く雲の白よりも、新雪の滑らな白よりも。
だが、その「好き」が形を変え色を付けて、苦しみに変わっていったのはいつからなのだろう。尊敬を込めた好き、がいつの間にか胸を刺す痛みに変わっていったのはいつからなのだろう。
「ボクも新しい服が欲しいです。ピッコロさんの服を」
この白に込めた想いは、きっと純粋だったはずだ。
「大好きです、ピッコロさん」
大好き、という言葉は紛うことなき親しみだったはずだ。
なのに、年月と共に色付き恋に変わっていく。
◇
真冬の神殿は、肌やら肺やらがチリチリと凍てつくほど寒いから好きじゃない。けれどしょっちゅう通っているのはそこに己の想い人がいるから。
ちょっと会えるだけで嬉しい。声を聞くだけでも嬉しい。本当は念で話し合えば声なんてどこでも聞けるんだけれど、ボクはわざわざ飛んででもあの口から直接言葉を貰いたい。だから、寒くても向かう。
今日も外で雪がシンシンと降る中、バッグに荷物を入れて道着を着込んで準備をしていた。
暖かいお茶を保温性のある水筒に入れ、懐炉を懐に入れて上着を羽織る。
今は冬休みの期間なので、予定が無ければ合間を見て頻繁に神殿に通っている。
朝早くに勉強を済ませてしまえば、母はもう何も言わない。自分が時間を管理して勉強出来ることを知っているからだろう。
一昔前までは、神殿に通いすぎるな、勉学を疎かにするなとガミガミ言われていたが、最近はボクの自由を優先してくれている。
「気をつけて行ってくるだよ」
見送る母に手を振って玄関に向かう。
だが、弟はそんなボクの足を止めた。
「あれ、兄ちゃん今日も行くの?」
母はボクの外出に何も言わなかったが、弟は違かった。
何でもかんでも興味を持つ年頃。ボクが頻繁に神殿に行くことに疑問を持ち、そう言ってきた。
「まあ、ね。ピッコロさんに修行をつけてもらおうと思って」
「こんなに寒いのに修行するの?」
「寒いからこそ修行するんだろ。最近はベジータさんに、お前は身体がなまりすぎだって怒られちゃったし、せっかくの冬休みに勘を取り戻さなくっちゃ」
「じゃあ、ボクも行くよ」
椅子に座ってのんびりとしていた悟天は、くわあっと欠伸をして立った。忙しない動きで手元にあるバッグへ荷物を入れて道着に着替えること僅か一分。
いっぱいに服を着込んで準備完了、と言う悟天にボクはおずおずと問う。
「寒いの、嫌じゃないのか?」
「平気だよ」
こんなことでへこたれていたら、トランクスくんに勝てないし。行こうよ、と手を引く悟天に連れられて扉を開ける。
気をつけて行ってくるだよ、二回目の母の言葉に元気よく返事をして、白い白い空へと飛んで行った。
◇
「ヘクシッ」
「なぜこいつを連れてきた」
「ひどいやピッコロさん、ボクをこいつ呼ばわりしちゃってさ。ボクだってやる時はやる男だし」
怪訝な目で己の師に睨まれ、ボクは思わず目を逸らした。
堂々と意気込んでいる弟は、ボクの足元で震えて縮こまっている。何度も何度もくしゃみをしていて、見るに耐えない。やはり置いていくべきだったか。
「こんな寒い中修行とは…。風邪をひくかもしれんだろ」
「でも、ずるいよ。兄ちゃんばっかり修行してさ。ボクだって身体動かしたいよ」
「もう一度言う、寒さのあまり風邪をひかれては困るんだ。お前がいつどこで修行しても構わんが、冬場にここへ来て修行するのだけはやめろ」
「なんで」
「お前の母親に騒がれる」
「げっ」
母親、という言葉にドキッとした悟天はみるみるうちに青ざめていって頭を抱えた。
「どうしよう。母さん、元気に送り出してくれたけどボクが風邪ひいて帰ってきたら悲しんじゃうよね…?」
「困るんだったらさっさと神殿の中で温まってこい」
走って神殿に向かう悟天を見て、ボクはわははと笑った。年相応だ。背伸びして兄と同じ行動をしようとしたって、結局子供は子供なのだ。
「兄ちゃんは?」
「兄ちゃんは大丈夫だよ。悟天より身体が大人だから風邪なんてひかないし、いつもこうやって修行つけてもらってるしさ」
「それが気に食わないんだよなあ」
そのまま悟天は、デンデが暖をとってあげているという部屋まで駆け込んで行く。
後ろ姿を見送った後、ボクはひと段落のため息を吐いた。ほう、と出た息は白くてその寒さを物語っている。ちょうど小さな雪もチラホラ舞ってきたようで、ボクは思わず身震いした。
「お前も、風邪をひくんじゃないか?」
「まさか、悟天と違ってボクはもう大人ですよ」
「まだハイスクール生だというのに、なにを言う。このオレから見たら、お前も悟天も同じ子供だ」
「あは、そうでしょうか」
そうだとも。と、ため息を吐くピッコロさんの息も白くて、ボクは見とれてしまった。
姿形が違くても、彼はちゃんと生きている。ボクらと同じように、呼吸をしている。
どこかの美術品のように美しい彼も、ボクと同じ生き物なんだ。
触覚を包み込むターバン。視線を下にずらすとおぞましいほど整った顔がある。三角の耳だって、形はボクたちと違くてもその皮膚の下にはちゃんと血が通っている。寒さで紫色になった耳先を見ると、なんだか口角が上がってしまう。
吐いた白い息は、その下のマントの色と同化して吸い込まれ消えていく。昔はあの白いマントがかっこよくて、羨ましくて仕方なかった。けれど、今はその気持ちに加えて、雑念とも言える下心が芽生えてしまっている。純白が似合う彼に、違う色でついつい染め上げたくなってしまう。桃色というか、黒というか、とにかく「恋心」と名の付く色を。だが、隠さなくてはいけない。隠し通さなくてはならないのだ。
ドキドキと脈が忙しなく打つ。
これじゃあ見つめすぎだ。彼に隠していた下心が徐々に動き出していく。ボクは段々といたたまれな気持ちになった。
「赤いな」
「え?」
「頬が、赤い。熱があるのか?風邪でもひいたのか」
「いえ、違…そういう、わけでは」
「まったく、困った兄弟だ。ほら、こっちに来い」
本当は今すぐにでも逃げ出したくなった。
ピッコロさんに会うために寒い中神殿に来ているというのに、いざ彼から「来い」と言われると足がすくんでしまう。天邪鬼なボクに対し、手招きする師。
その指先が動く度、ふわりとマントが揺れる。軽そうで、かと思えばふんわりとしていて暖かそうなそれ。ちらつく雪よりも白くて、眩しく思える。
意を決して、ボクはピッコロさんの元へと五歩向かった。
見上げると、何やらニヤついた顔が見えて首を傾げる。
すると、視界が急に真っ暗になった。
「あ、うわっ!」
「うはは、どうだ。これで寒くないだろう」
「ピ、ピッコロさんっ」
彼が、ボクをマントで包み込んだのだ。
ドキドキを通り越してバクバクとうるさい心臓の音は、耳の良い彼に伝わっているだろうか。伝わっているのなら、更にいたたまれない。
恋をしているボクは、本当に天邪鬼だ。
彼に会いたい声を聞きたい喋りたいと思っても、ここまで近づいてしまえば何も出来なくなってしまう。
彼に触れたい腕を回したい熱を与えたいと思っても、身を固めて何も出来なくなってしまう。
彼に恋を教えて純白を染めあげて恋の色一色にしたいと思っても、結局は踏みとどまって隠してしまうのだ。
だから、何も出来ない。
けれど、何も出来ないままでは、どうにもならない。
こうやって歩みかけてくれる彼がいるからこそ、今のこの瞬間の、この温もりは生まれているんだ。
そこに恋心の一つも混じっていないと知っていても、ドキドキして、熱が上がる。燃え上がる、ボクの気持ち。
何も出来ないボクを、変えたくなった。今までの天邪鬼なボクを、変えたくなった。少しでも勇気を持って、歩み寄りたくなった。
彼がそうしてくれているのだから、尚更。
じわじわと溶けるその温み。まるで羊水の中に包まれている気がして、何もかもを彼にさらけ出している気分になった。マントの中で、モゾモゾと身体を合わせて熱を確かめる。更に心を歩み寄らせようと。おずおずと腕を伸ばす。そして、その腰に抱きつく。
「悟飯、お前は温かいな」
「…ピッコロさん、こそ。温かいです」
「お前ほどではないさ。だが、不思議だ。オレは普段あまり寒さを感じないが…。何故だろう。お前をこうやって包み込んでいると、離れたくないと思ってしまう」
「…ボクも、です」
「はは、口調が堅いぞ悟飯。どうした、寒さで口も動かんのか」
イタズラにおちょくって来る彼を、ボクは更に抱きしめた。ここが、チャンスかもしれない。
「温めてくれたら…」
「ん?」
「こうして肌と肌を触れ合わせたら、温かくなったでしょう?だから…次は、その、口と口を…」
ダメだ。ダメだって分かってる。ダメだ。もうこれ以上彼に漬け込んでしまえば、その白を汚してしまう。
ダメだ、これは、いくらなんでも歩み寄りすぎだ。悪い方向に走ってしまっている。
ボクが尊敬していた「白」。
親しみを込めていた「好き」。
ぶち壊してしまいたくは無い。この気持ちは、閉まっておかねば。
好きという気持ちは、今も昔も変わらない。
変わってしまったのはボクだ。
今こうやって身体を包んでくれるマントが、ボクは好きだった。
空に靡く雲の白よりも、新雪の滑らな白よりも。
だが、その「好き」が形を変え色を付けて、苦しみに変わっていったのはいつからなのだろう。尊敬を込めた好き、がいつの間にか胸を刺す痛みに変わっていったのはいつからなのだろう。
「口と口を、合わせればいいのか?」
「ピッコロ、さ…」
ち、と水音がする。
ボクは身震いした。寒さにではない。恐れからでもない。その、熱さに、だった。
変わってしまったのは、ボクだけだと思っていた。
そうか、あなたも変わってしまったんだね。
白だと思っていたそれは、いつの間にか色を変えていたんだね。
マントの中で、熱く熱くキスをする。
グツグツと煮える想いは、冬の寒さを寄せ付けぬほど燃え上がっていた。
「どうだ。これで少しはマシになったか」
「…ええ。でも、まだこうしていたい、かも」
「奇遇だな、オレもだ」
神殿の中から、ボクらを呼ぶ声が聞こえる。きっと、悟天が羨ましくなってきたんだろう。
ずるい、兄ちゃんばっかり、ボクにも修行混ぜてよ。きっと、そう言うんだろう。でも、ごめんな、ずるい兄で。本当は修行なんてしていない。ボクらは、熱を与え合っていたんだ。
バレちゃいけない。
これが恋から来る熱だってことも。
ボクらが見ている白は、既に恋の色に染め上げられているんだってことも。
今、こうやってキスをし合っていることも。
「どうする、もうすぐ悟天が来る」
「いや、もうちょっとだけ。もうちょっとだけ、こうさせてください…」
「ああ…」
悟天が神殿から出てくる数秒前まで、ボクらはマントの中でずっとずっとキスと抱擁を繰り返した。
天邪鬼なボクは、今日が、寒いと思った。