ラファラファ『こんばんは』
「どちら様?」
一人で夜空を見上げていると背後から声が聞こえた。ここは外だから写鏡はない筈。月と星の悪戯で僕の姿を投影するにも不可解が多い。睡魔が限界を迎えているのだろうか?深夜だし、まぁ、幻覚を見るにはかっこうの時間帯とも言える。
『僕は貴方だ』
そう告げた人物に鳥肌が立ってしまう。目を凝らしてみると僕と瓜二つという風貌はタチが悪い。嗚呼、これはやはり寝惚けているのだ。夢ならば仕方無し。目を醒ませばこの幻は消え去る。美醜の獣でもあるまいに文献で読んだ伝説が現れる訳がない。ジキルとハイド?まさか。あれは一人の人間の魂が二分してしまったが為の現象だ。悲劇的だと言う人もいるが僕は己の精神を操れなくなった末路だと考えている。
もし、これも僕の魂が二分した世界に迷い込んだのだとしたらどうする?相手と対話するか?この場を去るか?
『黙られてしまうと悲しいなぁ。僕は僕なのに』
静かに近付かれて思わず後退してしまう。
『僕は貴方が求めている真理だ。そして貴方自身。分かるかな?それが何を意味しているか』
月の様な冷たさを感じる己の分身に鳥肌が立った。真理だって?僕が知りたいと思っている事が分かってしまうのだろうか。
『不安な顔をしないでほしい。貴方と僕と同じ名前だから区別を付ける為に"先生"と呼ぼうか?』
「なら、僕は君を何と呼べば?」
『ラファウ』
悪趣味だと思ったが己の名前だ。他に呼びようがない。僕に関しては"先生"だなんて。
「ラファウ、か。自己紹介以外で自分の名前を言うなんて恥ずかしいな。君が"先生"と呼ばれたら良いのでは?」
問いを投げてお互いの呼び方を交換しようとしたが受け入れられなかった。
『僕は貴方の瞳から宿す星から生まれたんだ。先生としての立場である貴方からね。だから、名前の交換は駄目だ。諦めて』
「…分かった」
木のコップに映る星々を飲み干したから"ラファウ"が生まれたのか?僕の瞳が星を写したから"ラファウ"が生まれたのか?そんな御伽噺の様な存在を肯定するとでも?否定したい気持ちはあるが、何をどこから否定したら良いものか。
「まさか、再びコップに水を注いだら僕が増えるなんて言わないだろう?」
『ハハ、まさか!試してみるかい?もう一つの例えで貴方の瞳に宿す星々から僕は生まれたのだとかすれば既にもう一人二人と存在していたりしないか?』
「…僕は怪物なんかじゃない」
『そう。正真正銘の人間だ。そして僕も』
「は?君も人間だって?」
『ほら』
手を差し出され、触れろと促している。渋々と手を伸ばして触れてみる。確かに感触はある。続けて髪、顔、肩から足も確認した。幽霊ならば足は透けていると言われているがその可能性も無かった。
『信じたかい?』
「信じ難いね」
『君の"愛している"宇宙や星であり、この世に行ける人間の一人だ。この出会いに乾杯をしようじゃないか』
「…コップは一つしかないけど?」
『心配ご無用。ほら、ここにある』
男はいつのまにか手にしていた彼と同じ木のコップを見せつけた。そして二人分の水を注ぐ。
『耽美な貴方に祝福を』
「気色悪いなぁ。毒を入れたりしてない?」
『出会い頭に心中?そんな愚かな事はしないさ。これから貴方を愛する宇宙の世界に連れ出していくだけだから安心してよ』
ゴクゴクと喉を鳴らして飲み干していく姿を見終えて彼も続けて水を口の中に流した。
「は…、これで満足?飲んだ所で一体何が変わると」
『これで貴方も人間ではなくヴァンパイアの仲間入りとなった。さぁ、永遠の薔薇の星空の下で歌おう』
「え?」
グラ、と視界が揺れた感覚に陥る。やはり何か盛られたのだ。同じ容姿をしている人間と呼ばれる存在に気を取られていて警戒心が緩かったのかもしれない。あれ?眠気が…。完全にしくじった。意味深な言葉を告げた男の微笑みは慈愛に満ちており、不気味さと美しさに思わず酔いしれそうになった。これは錯覚だ、気をしかと持て!限界の眠気で幻覚を見ているだけなのだからと身体を叱咤するが、抗えずに空を見上げて星々に問う事になろうとは。
「神よ、僕は何か道を誤まったのでしょうか?」
突然気を失い倒れ込んでしまう。その身体を男に支えられた記憶がぼんやりとあったが目を開ける事もままならず流れに委ねるしかなくなった。
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中略
『お目覚め?』
「んん…」
昨夜、姫君を抱き抱える様に僕の身体をその体勢で運ばれていた事を目覚めた時にこの男から聞いた。
『ヴァンパイアになれた感想は?』
「?まさか。僕は人間だ。ヴァンパイアなんかに…痛っ」
『ほら。そんな否定的な言葉は言えない身体になった証拠だよ?』
首筋に痛みを感じて、男に噛み付かれたと知る。指で幹部に触れると赤い血が付着していた。数秒経過すると、不思議な事に痛みは引いて指先の血も蒸発してゆくではないか。何て事だ。古の伝説なのではなく本当に存在している人物だと言うのか?本当にヴァンパイアだと?けれど魂がそれを肯定している。受け入れられないと。昨夜に飲み干した水に盛られたのは本当に…。見せられた幻覚は現実であり真実、真理のどれだろう?きっとどれも嘘だ。僕は夢を見ているにすぎないのだ。
『素敵な寝顔が見れたよ』
「同じ顔なのに?」
『魂は異なるだろう?似ている人間なんてこの世に三人存在していると言うじゃないか』
まぁ確かに。それもそうか。
「で?君は僕に何か用事でも?」
目覚めた場所は漆黒のベッドの上だった。黒い薔薇の花びらが至る所に散りばめられていて悪趣味に感じた。
「あ、こう言っていなかったかい?"僕は貴方の瞳から宿す星から生まれたんだ"たと。"貴方は僕"であるとも。それを意味するものは?」
『ああ、あれに意味は無いよ。初めての邂逅にミステリアスな演出をしたまでさ』
あっけらかんと質問の意味を躱された。そこに重点を置く事ではないか。魂が異なるならば僕の分身ではない。しかし物言いが僕に似ているのが気になる」
ベッドの縁に腰掛けた男は敷布団を捲り潜り込んできた。
「もしかしておネムの時間?残念ながら赤子をあやすような事はしないよ?」
『まさか。眠るのは先生の方だ。僕に組み敷かれながらね』
仄暗い表情をしたと思ったらコレか。寝ていたままの僕の両肩をベッドに押し付ける形で男が多い被さってきた。どうやったら逃げられるかな。
「へぇ、君ってこんな趣味を持っているんだ?」
『お前は特別な存在だから。魂が一つになる事を望んでいる』
どうやら魂が望んでいるとなると、下手したら僕の魂も共鳴してしまうのではないかと心配した。
『先生の血を吸わせてくれたら痛い事はしない』
「血?」
『そう。僕はヴァンパイアだから定期的に血を摂取しなければ弱ってしまうんだ』
それは嘘か誠か。いずれにせよ、口を開いた男の歯には牙が見えた事で誠なのかと確信した。この鋭さで皮膚を突き刺すのか。痛くないなんて嘘なのではあるまいか。
「血を?まさか」
上着のボタンが一つ一つ外されていくと首筋の肌が顕になる。左の人差し指から薬指の四本で頸動脈付近を撫でられる。何度か往復されてゾワゾワと身体が泡立ってしまう。ああ、本当に吸われてしまうのか。
『いただきます』
食事をする前の挨拶をすると牙が皮膚を突き破ってきた。ブチ、ブチ、と切れる音が感覚的に伝わる。
「痛っ」
『ごめんね?初回は痛みが生じる事を言い忘れていた』
先程は痛みは無いと言っていた奴が今更、何をいうかと悪態つきたくなる。
「は…」
『美味しい』
「、ラ…ラファウ…」
血液が男の口の中に入り込んでいると想像すると魂が震えた。僕が男を侵食している。この糧を有難く吸えば良い。この漆黒の薔薇達が赤く染まる様に沢山味わえば良い。僕で満たしてやろう。このヴァンパイアと言われる存在を。
『先生を人間からヴァンパイアに変えた事を後悔していません。だってこんなにも血が美味しいのだから』
「それはどうも。あ、」
ヂヂュュと聞こえる先に待つは同類と化した僕の人間としての別れを告げさせる。
2025/03/10 ⚰️