花冷え春風
自宅のドアを開け、外に出るとよく晴れていた。雲ひとつない見事な快晴。春らしく心地よい気温だ。
「流司くん、そろそろ出ないと新幹線乗り遅れます!」
玄関ではボストンバッグを持った大悟が待ちきれないといった様子で靴を履いていた。
「ああ、今行く。」
荷物を持ち、部屋の最終確認をする。
オレ達はこれから大阪に移動し、映像作品の撮影の予定になっている。大悟とはずっと一緒に住んでいるが、仕事が被るのは久々でなんだか不思議な気分になる。撮影は8日間。比較的余裕のあるスケジュールのため、ゆっくりできるだろう。
鍵をかけ、自宅を後にする。なんとか新幹線にも間に合いそうだ。
「大阪、楽しみですね。」
「そっか。大悟は久々か。」
オレは先月も舞台の地方公演で大阪に行っていた。2週間程度しか経っていないため、あまり新鮮味がない。
大悟は「流司くんと一緒なのが嬉しいんすよ。」と楽しそうにしている。大悟にとっては復帰後初の地方仕事だということも理由の1つだろう。
まさかまた、こうして大悟とともに過ごせる日々が戻ってくるとは思わなかった。
「桜、満開ですね。お花見できないのが残念です。」
そう言われ、上を見上げると満開の桜に覆われていた。もうほぼ満開と言ったところだ。明日から雨の予報が出ていた。こちらに帰ってくる頃にはほとんど散ってしまっているだろうと予測が着く。
「雨降るらしいし、次見る時にはもう葉桜の方が近いかもな。」
「あっという間に夏が来ますね。」
オレたちの時間は早い。人の何倍かで時間を過ごしている気がする。季節が進むのもあっという間だ。
前を歩く大悟が遠くなり始めている。「そんなに急がなくても間に合う。」と引き留めようとしたその時、突風が吹いた。
地面に落ちていた大量の花びらが宙を舞い、視界が桃色に染まる。
「だい、ご。」
また、いなくなるのか。
咄嗟にそう思い、大悟の腕を掴んでしまった。何故、掴んでしまったのかなど分からない。
大悟も「流司くん?どうかしました?」と不思議そうな顔をしている。
「いや、」
なんでもない、と誤魔化そうかと思ったものの、本当の理由を言ったところで大悟は笑ったりなどしないだろう。
「また、いなくなる気がしたんだよ。」
「俺がですか?」
首を傾げる姿は昔と変わらない。髪に着いた桜をはらってやる。
「桜に攫われる、とか思ったのかもな。」
どうやら、自分にとって、大悟が居なくなったあの日がトラウマになっているらしい。
あの日も、桜が咲いているこんな気持ちのいい春の日だった。
「……もういなくなりませんよ。」
大悟は「まぁ、6年もいなくなっておいて言えることじゃないですけど。」と付け加える。そして、
「もう、絶対流司くんの前から消えたりしませんから!」
と大悟は見慣れた笑顔で笑ってみせた。
やはり、彼のこの笑顔は愛しい。何年経ってもそれは変わらない。
「そうだな。信じてる。」
そんな不安、忘れてしまうくらいこれから時間を重ねて、思い出を増やせばいい。そう分かっているのにどこか不安感が消えない。
少しだけ俯いたまま、再び歩き始める。すると、大悟がオレの顔を覗き込んだ。
「流司くん、手繋いでいてくれませんか。俺が桜に攫われないように。」
不安感を見透かしたかのように、大悟はそう提案してきた。相変わらず不思議な勘の良さがある。
「駅までな。」と返し、大悟の左手を握る。慣れた動作だというのに少しだけ心臓が高鳴った。
「流司くん、新幹線あと10分で来ます。まずいです。」
時計を見ると出発時刻の10分前だ。余裕で間に合うはずがそれなりの時間をロスしてしまっていた。
「やべぇな。走るか。」
桃色の花びらが舞う道を大きなバッグを抱え、2人で走っていく。これから先、オレたちは何度この道を通るのだろう、そしてどれだけの思い出を作るのだろう、そんなことを考えながら駅までの道を2人急いだ。