バレンタインの話「ハッピーバレンタイン」という声とともに、僕のデスクに謎の箱が置かれた。驚くことにその箱を置いたのはバレンタインには全く関係のない宮野志保だった。
「貴方に渡すよう頼まれたの」と彼女は言い「工藤君からよ」と面白そうに付け加えた。彼女の真意を計りかねていると「子供達に頼まれたんですって」アナタ急にポアロやめたでしょ?と。そして
「今年だけでいいから渡してくれって。少年探偵団からの依頼よ」説明しながら彼女は謎の箱を優しく撫でた。
その箱は1辺20cmほどの正方形で上の面には丸い穴があいていた。くじ引きの箱に似ている。
「これはね」
と彼女が言うには、アメリカのバレンタインデーに小学校でよく見る箱だそうで、箱に自分の名前を書いて教室の机に置いておくと、クラスメイトや友人達がチョコレートを入れていってくれる。チョコには日頃の感謝を書いたメッセージカードも付けるのが一般的で、自身もクラス全員の各箱にチョコとカードを入れていく。つまりアメリカのバレンタインは日本のとは違い、恋人のみならず友人や家族に感謝の気持ちを伝える日でもあるそうだ。雰囲気としてはお祝いのイベントなのよ、と彼女は付け加えた。
謎の箱には”安室さん”と可愛らしい字で書かれている。なんだか毒気を抜かれた僕は「1つ取ってみて」と少し愉快そうに呟く彼女につられ、箱の中に手を入れてみた。中には小さいお菓子が幾つか入っていて、触れるたびお菓子達がカサカサと小音を立てた。まるで子供達がおしゃべりしているようだな、そう思って、それをなぜか咳払いをして誤魔化した。いや、彼女に僕の心の声が聞こえるはずもないのだが。ないのだが彼女はふふっと笑った。
取り出したチョコレートにはハート型のメッセージカードが付いており”From 吉田歩美”と書いてあった。
ふっと頬が緩み「小学生なのによくアメリカのバレンタインのこと知ってましたね」と独り言のように言えば、案の定彼女は答えを言わない。だから
「前に誰かから聞いたのかな?それを覚えていたのかもしれませんね」と言ってみた。彼女を盗み見るよう見上げながら。
彼女は、かすかに恥ずかしそうにした後、遠くを見つめて目を細めた、そしてゆっくり笑う。
それは、はにかんでいるようにも泣きだしそうにも見えた。
「…さぁどうだったかしらね」
そうして優しく目を閉じた。
ざわつくような、木漏れ日がさすような、不可思議な感情の気配を僕は自分の内に感じ始めた。感じながらそれに触れないように、ピリリッとわざと音が立つようにチョコレートの包みを開け、
「ウェハースチョコですね、美味そうだ」とサクサク食べ始める。
「もっと大事に食べたら?子供みたい」と彼女は呆れたように僕をからかうから「忙しくてね、甘い物を欲してたんだろうな」と大げさに笑みを作って言い返した。
「ご多忙中失礼したわ」と一呼吸吐き出した後、彼女はドアに向かって歩き始める。僕はチョコレートをンと飲み込み「ホワイトデーにまた来てくれますか?」と声をかけた。振り向いた彼女に、お返しを渡して欲しいので、と付け加えた。
ええ良いわよ、得意気にまたは嬉しそうに、笑って彼女は帰っていった。
彼女が置いていった箱の中にはまだバレンタインの贈り物達が入っていた。さっき手を入れた時、僕はそれがいくつ入っているか感触だけで把握した。なるほど、僕の最初のインスピレーションは合っていたようだ、子供達からの贈り物にしては1つ多い。
なるほど、宮野志保が持ってきたのはまさに謎の箱だった。