モブ子のXデー モブ子のXデー
端的に言おう、私は坂木訓練長が好きだ。
一昔前流行った「会いたくて震える」とかいうフレーズの歌がネタとしても流行り当時は理解できなかったのだけど、好きな人が出来てわかる。震えるほど好きなのだ。そりゃもうスマホのマナーモードばりにブルブルに震えている。いつも頭の片隅には坂木さんが居て、常にマナーモードだ。……言っていて私も意味がわからなくなってきた。
そんな話はさておき私は現在四学年で、坂木さんがこの防衛学校に在校していた頃から思いを寄せて居たのだけど、
「内恋? んなもんしねぇよ、風紀が乱れる」
当時、食堂で岩崎さんと話していた坂木さんの発言を後ろで聞いていた私はそれはもう頭を抱えて絶望した。違う意味で震えた。寝込んだレベルだ。いや、分かっていたのだ。坂木さんはとても真面目な方で妥協もしないし他人に厳しく優しく、自分に関しては徹底的に厳しい方だ。(私の妄想だけど、いやきっとそうに違いない。)
少しでも意識して欲しいと思っていたのだが、私は恋愛下手で駆け引きなんてものは出来ない。そもそも、私と坂木さんは同じ小隊ってなだけで校友会も違うしほぼ接点がない。きっと坂木さんは私の名前を聞いても「ああ、そんな奴も居たな」程度だろう。
そして少しでも不審な動きがあればマッハの速度で噂が広まる。それだけは勘弁して欲しい。人権を失う。そして、坂木さんに迷惑は掛けたくないのだ。
そして坂木さんが卒業してしまう。言うなら今しかない。言わなければ、このまま死ぬまで会えないかもしれない。そう思った私は告白を決意したのだが去年の卒業式間近、坂木さんが事故に遭われたのだ。
私が生霊を飛ばしてしまったのだろうか、という動揺と坂木さんは生きているのだろうかという心配でまた寝込んだ。そして卒業式……あの空気で言えるわけが無い!満身創痍の坂木さんに告白して迷惑は掛けたくない。
こうして私の長い長い春が終わったと思いきや、神はまだ見捨てていなかった。坂木さんが訓練長としてこの防衛大学校へアイル・ビー・バックしたのだ。
坂木さんが空自隊服を身にまとって松葉杖を付きながら現れたその姿を見て脳裏にタ〇ミネーターのBGMが流れたあの日を今でも忘れない。
——そして時は流れ今年の二月十四日、Xデーだ。
デパートで開催されるバレンタインイベントでもみくちゃになりながら死闘の末手に入れたバレンタインチョコ。
私はそれを同部屋の先輩や後輩にバレないように課業の鞄に滑り込ませ、坂木さんに渡す機会を伺った。が、
「無い」
渡す機会が無いまま、課業が終わってしまった。私はトイレの中で頭を抱える。
「……無理ってことか」
ふと冷静になる。空気のような私が坂木さんにチョコを渡したからって何が起こるのだろう。坂木さんの事だ、女学や事務員の人達に沢山のチョコを貰うに違いない。私はトイレから出て廊下を走っていると角から壁がぬっと現れたため慌ててブレーキを掛けるとその壁は千葉教官だった。
「ばんはっ!」
素早く敬礼をすると千葉教官はいつものように涼しい顔をして敬礼を返し……
「……あ、あの?」
千葉さんは私をじっと見つめて動かない。
しばらく見つめあっていると千葉教官は
「いや、女学に会うと高確率でチョコを貰ったんでな」
「千葉教官に女学が群がってましたもんね」
「まあな。 お前はそういうイベント事は気にしないタイプか?」
そんな事を聞かれ、私は課業の手持ちをグッと握ると
「いえいえ! 大好きですよ! あ、そうだ! 部屋っ子達にあげようと思っていたものが余ってますので、千葉教官にもおすそ分けです!」
忘れていました〜と私は課業の鞄からラッピングされたチョコを千葉教官に差し出すと「おう、ありがとな」と言うと箱をじっと見つめた。
「あの、千葉教官?」
「お前……」
千葉教官はため息を着くと、その箱で私の頭をコツンと叩いてきた。突然の所業に私は混乱して見上げていると
「ばーか。ちゃんと渡せ」
「あ、え……え?」
「どう見てこれは部屋っ子にばら撒くチョコじゃねぇだろ。俺様がどれだけのチョコ貰ってると思ってる」
「星の数でしょうか……?」
「リーダーになる人間が狼狽えるな」
「す、すみません!」
背筋を伸ばして私は謝ると千葉教官は私の手に箱を返品する。
「内恋するなとは言わん。するなって方が無理な話だろう。それに昔ほど緩くなったし、俺たち教官勢も行き過ぎない限り注意はしない」
「はい……」
「就寝時間まで時間はある。それで無理だったら、明日俺様が受け取ってやる。で、ジュースでも奢ってやるよ」
ポンポン、と肩を優しく叩かれる。
「で、でも……私なんて大勢の中の一人です。渡した所で……」
「防大の男なんて滅多にチョコ貰えねぇ。それに貰って嫌がる男なんて居ねぇよ」
「内恋反対の人なんです。拒否されるのが怖いです」
「そう言う奴はモテないから虚勢張ってるだけだよ」
「ほんとですか……? あんなカッコイイのに……?」
「それはお前のフィルターが掛かってるからだろうが」
「そんな事ないもん……」
「おい泣くな、俺が泣かしたみたいになってる」
「私の好きな人をディスりました……」
「いや、ディスってないだろ」
泣きそうになってしまい、私はゴシゴシと袖で涙を拭う。
そんな私を見て千葉教官はまたため息をつくと
「お前、陸だったか。海や空と違って陸は駐屯地の数が多い。卒業したら二度と会えないレベルだぞ。どうせもうすぐ卒業なんだ。言ってみるだけ良いだろ。そんで、上手く行けば結構なことだ」
ここから卒業なんてあっという間だぞ、と千葉さんは付け加えると、私はガシッと千葉教官の両腕を掴む。
千葉教官は珍しくビックリした顔で私を見下ろし、私は千葉教官を見上げると
「あ、あのっ! さ、さささ……坂木訓練長は まだ居ますか」
「……まさかの坂木か」
***
防衛大時代では妹と母親からしか贈られてこなかったバレンタインのチョコも、防衛大の訓練長という立場になったせいか女学や事務員の人に貰うという機会があった。といっても、バラエティパックのものだったりパウチタイプのチョコだったりともちろん義理ばかりなのだが。
この場合ホワイトデーはどうするべきなのだ?坂木は顎に手を当てながらまだ先のホワイトデーの事を悶々と悩ませていると、
「坂木訓練長!」
「ん?」
薄暗くなった外へ出ると、小さな影がこちらに向かって走ってきていた。確かあれは、同じ小隊だった事がある女学だ。
「よ、よかった! 追いついた」
「そんな大急ぎでどうした? 伝達か?」
「い、いえ! あ、あ、あの、その……」
「?」
顔を上げた女学は涙目で坂木を見上げ、ただ事ではない雰囲気に坂木も勘づいて眉を寄せる。
何だ?服務事故でもあったのか?彼女の口が開かられるのを待っていると頭を下げて何かを差し出された。
「これを!」
「……は?」
受け取った箱を見る。箱はチョコだと分かるのだが、今日貰ったチョコとは別格の雰囲気を出しているためさすがの坂木も驚いて困惑すると、
「これは、何だ?」
「えっ ……チョコ、です」
「ああ、だよな……」
見れば分かるのだがまさか自分がこのタイプのチョコを貰えると思っていなかったため変な質問をしてしまった。この場合、どうする? そうだ、千葉は爽やかな顔で「ありがとう」という返しをしていたではないか。
「あ……りがと、な」
結果何とも間抜けなお礼となってしまった。
そう言うと彼女は嬉しそうな顔をしたあと真剣な顔になりグッと拳を握ると、
「私、ず、ずっと坂木訓練長の事が好きでした!」
この雰囲気で分かっていたのだが、いざ言葉に出され坂木も返答に困り口を開けたり閉じたりする。彼女は言えたことにスッキリしたのか少し息を吐くと、
「坂木訓練長が内恋反対というのは、重々承知です。なので、卒業したら私に……チャンスを頂けませんか?」
顔を真っ赤にさせて言った彼女の発言に坂木は頭の中で復唱する。恋愛などという物は自分の中に一切なかったため、突然降ってきたこのような話に坂木は戸惑いながら口を開いた。
「……悪ぃな」
「へ……」
坂木は申し訳なさそうに頬を掻きながら視線を逸らす。その言葉に彼女は赤い顔から真っ青な顔色に変わり俯いてしまった。
「その悪ぃじゃない。オレも言葉足らずで上手く言えねぇが……嬉しいよ。嬉しいが、オレの中で色恋沙汰なんてもんは無かったから戸惑ってるだけなんだ」
緊張で早口になりながらもそう言い切ると、彼女も少しずつ顔を上げて最終的に目が合った。
「あっ、謝らないでください! そんな、私の方こそ突然こんな事言ってしまって申し訳ありませんでした」
「いやオレこそこういうの、慣れてねぇ……チョコも今まで妹とか、母親くらいしか貰わなかったからな」
照れたようにはにかむ坂木の顔を見て彼女もまた顔を真っ赤にさせると、
「じゃあ、私が初めてなんですね」
緊張ではなく、素直に嬉しいと溢れ出た彼女の笑顔を見て坂木は僅かに目を見開くと途端に坂木の心臓も早くなる。初めての感覚に坂木も困惑しこの後どうしたらいいか思案すると、
「メモ出せ」
「へ?」
「早くしろ」
「はい!」
彼女は慌ててポケットからメモとペンを取り出すと坂木は腕を組んでいつもの訓練長の顔になると、
「……怪しまれねぇようにするフリだからな。一発で聞き取れよ」
「は、はい!」
「マルハチマル……」
「え、え! 番っ……ごほん! は、はい!」
震える手で書かれたヘロヘロの数字見た坂木は頷くと
「オレは確かに内恋反対派だ。 それに今は上の人に無理を言って訓練長っていう立場を与えられているからチャンスをくれた人たちのためにも最後まで全力を出したい。……だから、今はお前とどうこうという関係にはなれない」
その話を彼女はこくこくと頷く。その顔はまるで教祖の説教を聞いている時の顔そのものだ。
「お前が本気で、そこまでオレのことを見ていてくれたのなら……オレも本気でお前と向き合いたい」
「ほ、ほんとですか……」
「男に二言はねぇよ」
「坂木さん、私の事知らないのに、そんな簡単に良いんですか……」
「小隊一緒だっただろうが」
「認知されてる!」
「あ?」
顔を覆いしゃがみ込んだ彼女に坂木もヤンキー座りで一緒に座り込むと
「恋愛なんて、お互い知らないとこからスタートじゃねぇのかよ。だから連絡先渡したんだろうが」
「は、はい……うぅっ、坂木さん……すきです……」
「あんま言うな、恥ずかしい」
慣れてねぇんだよ、と坂木も被っていた帽子を深く被る。そんな坂木を見て彼女は目を潤ませてメモを抱きしめると二人は立ち上がり坂木も咳払いしながら手を後ろ手に組むと、姿勢を伸ばす。
「以上! 学生舎に戻れ!」
「ありがとうございます!」
彼女はいつものように敬礼をすると坂木も返し、お互い背中を向ける。
坂木はリュックを背負い直して門を出ると、後ろから喜びの奇声が聞こえたため、小さく吹き出したのだった。
モブ子のXデー
END.
2022.02.14