俺の知らないアイツ 生まれ変わりなんて信じていなかった。
ここには熱砂の国も、グレートセブンの英雄達も、そして俺を振り回してやまない鬱陶しい誰かさんもいない。
前世の記憶が自分にあると気がついたのはいつだったか。たぶん5、6歳の頃だったように思う。
ある日ふと思ったのだ。ここは"前"のように子供のうちから働かなくてよくて楽だと。
その"前"が前世だと思い始めたのは小学校に上がってから本を読んで前世の記述があったのを見た時だ。
同じだ、と思った。
この本に出てくる主人公と同じように知らないはずのことを知っていたり会ったこともない人とずっと前から知り合いだったような気がすることがよくあった。
10歳を迎える頃には自分には前に生きた記憶が残っているのだと信じるようになった。
とはいえ、肝心の記憶の多くは曖昧であまり役に立ったことはなかった。
今世の俺は、ごく普通の家に生まれ主従関係に悩まされることもなく健全に育った。両親は優しくて、賢くて、俺をのびのびと育ててくれた。
これが、自由。
前世の俺が求めてやまなかった自由!
間違いなく俺は幸せだった。
けれど、ずっとなにかが足りないような気がしていた。それがなにか思い出せないまま、俺は高校生になった。
「ジャミル、バイト始めたんだって?」
そう言ったのはリビングでソファーにだらしなくもたれかかってアイスを頬張る妹だった。
ちゃんと座れよ。アイスが垂れるだろ。
それでも冷房の効いた室内は快適で汗ひとつ、かかない。窓の外では、庭の青々とした紅葉の木が暑さにやられたのかぐったりと葉を垂らしている。秋には見事な赤に染まるのに夏は目立てないから拗ねているようにも見える。どこからともなくジィジィと名前も呼びたくないアイツらの声が響いていて、今は絶対に外に出るもんかと固く決意する。魔法はないが科学はあるこの世界を俺は嫌いではなかった。エアコン万歳。
「まあね。父さん達も社会勉強にいいって言ってくれたし」
俺は冷凍庫から妹が食べているアイスとは別のアイスを取り出して大きなクッションソファーに身を委ねる。妹のナジュマが俺の持っているものを見て「あー!」と大袈裟な声を上げた。
「それ期間限定のやつじゃん! 私も食べたいー!」
「お前は今食べただろう。それにこれは俺の金で買ったんだ。欲しけりゃ自分で買ってこい」
俺は適当にあしらってアイスの封を切る。パリ、と音を立てて簡単に開いたそれは今、テレビで絶賛宣伝中の人気商品だ。
コンビニ限定のため、すぐに売り切れてしまうのでタイミングよく行かないと手に入らない。今日は学校帰りに寄ってみて正解だったな。
「え〜、いいじゃん。一口、一口だけ! ね?」
そういって甘えてくる様子は前世の妹と何も変わらない。それでもこいつは前世の記憶なんてなにもなく、この世界に馴染んでいる。俺も思い出さなければ、こんな違和感を抱えずにすんだのだろうか。
「仕方ないな。一口だけだぞ」
あーんと口を開ける妹にアイスを食べさせてやる。アイツもこんな風に甘えてきたな。
…………アイツって誰だ?
また、名前も顔も知らない『アイツ』のことが頭に浮かぶ。最近のイラつきの原因でもあるそれを頭の中から追い払おうとかぶりを振った。
「お兄ちゃん?」
「あ、いや。頭が、キーンとした」
「あははっ! 欲張って食べるからだよ。それにしてもコレ超美味しい! サンキューお兄ちゃん♪ 」
どういたしましてとポンと頭を撫でてやると「もう子供じゃないんだから」と文句を言いつつも妹がはにかんだ。
いつからか、年下にやってしまうようになったこの癖。直そうと思っても中々難しい。この前も学校の友人にやってしまってクラス中の噂になった。挙句にクラスの女子から「ねえねえ、◯◯くんと付き合ってるの?」と好奇心旺盛な瞳を向けられた。友人は男だ。俺にそんな趣味はない。
「そんでさ」
妹に言われて我にかえる。
「お兄ちゃんはバイト代何に使うの? 欲しいものでもあるの?」
「べつに。これといって欲しいものはないが」
「えー♡ じゃあかわいい妹になにか買ってよ〜! アクセとかー、バックとか!」
「お断りだ」
「なによ。ジャミルのケチ」
ムカつくと呼び捨てにする癖、やめろよな。ちゃんとお兄ちゃんって呼べ。バカ妹。
食べ終わったアイスの棒をギッと噛み締める。アイスの味と木の味が混ざったものが口の中に広がった。
それを口から出して部屋の隅に置いてあるゴミ箱に狙いをつける。
「欲しいものはないけど、行きたいところはあるんだ」
投げた棒は円を描きながら狙い通りにゴミ箱にシュートを決めた。
そして夏休み。
俺はかねてからの計画通り、バイクを買った。一年の時からコツコツとバイトした金はそれなりの額になっていて準備に不足はなかった。
MT-25と呼ばれるバイクは高校生には少し高かったが上手いこと中古を譲ってもらえてありがたい。このバイクは一目惚れしたバイクで黒の車体に深い赤色のラインが入っているところが気に入った。それにタイヤのホイールが赤なのも、いい。
行き先は悩んだが、南の方に行くことにした。特に見たいものがあるわけではないが初心者向けの優しいロードがあると聞いたのだ。
両親を説得するのが大変だったが自主性を重んじる方針の二人で助かった。
毎晩連絡を入れることを条件に俺は出発した。
道路は平坦でバイクのエンジン音が軽快に耳に響く。荷物は背中に背負ったリュック一つでペットボトルの水と最低限の着替えが入ってる。少なくはしたがそれなりの重さになってしまった背中も今は軽く感じる。解放感というのだろうか、今までになくワクワクと胸が期待で膨らんでいた。
風を切って走ると茹だるような夏の暑さもいくらか緩和される。
ああ、楽しい。
今度はアイツも後ろに乗せたいな。きっと馬鹿みたいにはしゃいで笑うんだろう。
「…………チッ、だからアイツって誰だよ」
苛立ち紛れに舌打ちをして、カーブで車体を傾ける。バンク角は浅めでコーナリングに入る。綺麗なリーンウィズになったと内心自分を褒める。教習所でセンスがいいと教官に褒められた記憶はまだ新しい。
この旅を計画したのは、いつからか頭に浮かぶようになった『アイツ』を忘れるためだった。何をしても、何を見ても記憶にない恐らくは前世で深く関わりがあった『アイツ』。
心の中にいつの間か入り込んでいた『アイツ』は日に日にその存在感を大きくしていく。甘い食べ物を見たら、アイツが好きそうだと思い、辛い食べ物を食べればアイツはもう少し辛い方が好みだと思う。
はては女の子を見た時にアイツの好きそうな顔だ、なんて思ってしまうのだから日常に支障が出まくりだった。
でもそれ以上はどうやっても思い出せない。声も顔も、なにもだ。
ジャミルも年頃なので恋人がいた。なぜ過去形かというとこの旅に行くことを話したら振られたからだ。「私より大事なの?」とか泣かれてもジャミルの心は変わらなかった。だって必要なんだ。俺にはこの旅が、俺の人生に必要なことだと心が叫ぶんだ。
説得を試みることもできたがジャミルはそれをしなかった。
彼女のことは好きだった。色素の薄い柔らかな髪も太陽のように華やぐ笑顔も、少しドジなところも好きだった。でもキスした時に、思ってしまった。
違う。これは『アイツ』じゃない。
高鳴っていた胸が途端にザワザワとして自分が何か悪いことをしているような気になって、そうして幾らかギクシャクしていた矢先の別れだった。
ジャミルは傷ついたが、それ以上に彼女に申し訳ないと思った。ドキドキして、恋をして、今しかできない楽しい思い出を作りたかったのは彼女だけではない。
でも自分の心に嘘はつけなかった。
別れ際の平手打ちは甘んじて受け入れた。どうか、俺以外の人と幸せになってくれ。さよなら、俺の恋人。
バイクを止められる駐車場付きの宿をピックアップしてくれたのは妹だった。
妹は「なんでこんなバカなことするのかねー」と呆れていたが、お土産をちらつかせると嬉々として協力してくれたのだ。まったく誰に似たんだか。
そういうわけで最初の宿は少し古いけどきれいな宿を選んだ。毎回こう豪勢にとはいかないが最初と最後はいい宿に泊まりなさいとは父さんの言葉だ。ポケットマネーを「母さんには内緒だぞ」とこっそり渡してくれた。ありがとう、父さん。
温泉がある宿で石で囲まれた露天風呂で足を伸ばす。気持ちいい。帰りもここにしよう。決めた。
きっとアイツも喜ぶに違いない。
「はぁ…………」
相変わらず頭の中に浮かぶ顔も見えないアイツ。前世で関わりがあったのならもしかして俺と同じように生まれ変わったりしているのだろうか。
「どこにいるんだよ…………」
自分の口から出た台詞に自分で驚いた。なんだよそれ。俺はずっと会いたいって思ってたのか。忘れたくて旅に出たはずなのに。
「ははっ、あはははははっ! なんだそれ、はははははっ!!」
露天風呂でひとり、笑い転げた。
そうか、そうだったのか。
笑いがおさまってから空を見上げてみると都会では拝めない満点の星空が視界いっぱいに広がる。その空に主役のように居座る月を見ながら俺は決意した。
「目標変更だ。絶対この旅でアイツを見つけてやる」
待ってろよ、とこぶしを突き上げる俺を他の客が不思議そうに眺めていた。
○○○
その日ついた街は漬物が特産らしい。安い宿だけど出された夕食はまあまあ美味かった。どこか観光スポットはあるかと聞いてみたら宿のおかみさんが色々教えてくれた。その中の一つ、有名らしい神社に行ってみるとなんとも不思議な経験をした。
鳥居をくぐり、静謐な雰囲気を感じながら手を合わせる。特に信心深いわけではないが作法くらいは心得てる。
ちょうど朝の早い時間帯で結構大きな神社にも関わらず人の気配はない。まるでどこかの異世界に迷い込んだような独自の雰囲気を味わっているとどこかから声が聞こえた。
「あの子だ」
「あの子ね」
「いた」
「いたね」
はじめは空耳かと思った。念のため周りを見渡してもジャミル以外の人影はない。
うっすらと朝霧がかかる境内で動くものはジャミルだけだった。
「…………」
なんとなく早く立ち去った方がいいと思ってジャミルは振り返る。途端に眼前に羽根を持ったなにかがぶつかりそうになってジャミルは悲鳴をあげた。
「うわあああっ!! 虫ーーーッ!?」
ジャミルの叫び声につられるようにキャアキャアと甲高い声が聞こえる。
前だったら魔法で一気に焼き払ってやるのに!!!
あれ?
なんで魔法?
魔法なんてあるわけないのに。
「シツレーね! わたしたち、虫なんかじゃないよ」
そう言って再びジャミルの前に現れたものを見てジャミルはまた叫びそうになった。目の前にふわふわと浮かぶ小さなものは羽根が生えているけど人間にそっくりな姿で…………お伽話の妖精の見た目そのままだった。
俺の頭はおかしくなったのか。
妖精たちは興味津々にジャミルのまわりを飛び回る。
「君がジャミルね」
「本当にジャミル?」
「間違いないよ。髪が黒いもの」
「目も黒い!」
「釣り上がってる!」
「賢そう?」
「う〜ん。そう見えるような、そうでもないような」
「いい加減にしてくれっ!!」
間近でブンブン飛び回られて発狂しそうだ。思わず叫ぶと蜂の子を散らすようにわーっと逃げていった。
「なんだったんだ」
早起きしたからまだ寝ぼけているのかもしれない。もう宿に戻ろうとジャミルは鳥居をくぐろうとした。
────南に行って────
鈴を鳴らすような微かな声が聞こえてジャミルは思わず振り返る。けれど騒がしかった妖精の姿は一匹も見えなかった。
「本当に、なんだったんだ…………」
○○○
南に向かったのは別に妖精に言われたからじゃない。そもそも最初から南に向かう予定だったのだ。大体ジャミルは神社によく行く方ではないし、朝早くて寝ぼけてただけだし妖精なんているわけない。
そんな前世じゃあるまいし。
「…………前の世界にはいたのか?」
軽快に走らせていたバイクのスピードが少し緩める。前の、前世とやらの自分の記憶を信じるならばあの世界には魔法があったのかもしれない。
ペンか何かを振って魔法を使っていた………ような気がする。
ジャミルが覚えていることといえば、前世も自分はジャミル・バイパーだったということ。魔法があったかもしれないこと。グレートセブンという意味の分からない言葉、それから顔も名前も知らない『アイツ』のこと。
もしもアイツが前世からの繋がりなら魔法のある世界から妖精が来てもおかしくない、のか?
いやいや。
自分で考えておいてジャミルは内心首を振った。あまりにもメルヘンすぎる。
とりあえず、次の街に向かおう。一雨来そうだ。
そう思ってジャミルは握ったハンドルに力を込めた。
山岳地帯にあたるこの街は坂が多い。何度も何度も坂を上がったり下りたりしたためにガス欠寸前だ。ジャミルは早く給油したくてガソリンスタンドを探していた。
時刻は夕刻近く、空は切れ切れとした鈍色の雲が広がりいつもよりも空を暗く覆っている。間の悪いことに一本間違えて入った道は進むごとに道幅が狭くなっていく。さっき確認したスマホの地図アプリではあと30分も行けばガソリンスタンドに着くはずだった。
今にも降り出しそうな空を見上げてジャミルは舌打ちをした。
一旦戻ろうかとバイクを止めた。その時たまたま目についた。
道端の木々の間にある小さな鳥居。神社にあるような朱いわけでもないただの棒を組んだ粗末なものだった。お情けとばかりにその前に木の箱が伏せられていてその上に欠けた茶碗が置かれている。大方地元の住人が勝手に置いたのだろうと想像がついた。
そこにいた。
小さい手のひらにすっぽりおさまるような人によく似た姿。忌々しい羽根をバタバタさせるのを見ると悪寒が走る。
そもそも俺は霊感なんてないんだ。いきなりそんなのが見えるなんておかしいじゃないか。
でなければ俺の頭がおかしくなってしまったんだ。そうだ。あれは幻覚。実在なんてするわけがない。ジャミルはそう判断して目を逸らして先に進もうとした。
しかし幻の方は黙って見逃してくれる気はないようだ。
「あ、ジャミルだ〜」
まるで古くからの友人だったように妖精達がジャミルの方に寄ってくる。
「どうしてここにいるの?」
「わたしに会いにきたの?」
「ばかね、あの子に会いにきたに決まってるでしょ」
その言葉が引っかかって俺は思わずその発言をした妖精の方を見てしまった。
「あっ」
途端に妖精の目が輝く。
「そうなのね? あの子に会いに行くのね? まあ、なんてすばらしいの!!」
ぎゃーッ!やめてくれ!
「うわー! こっちくんなッー!!」
頭のまわりを飛び回らないでくれ!!
ジャミルはぎゅっと目を閉じるとバイクに急いでまたがった。早くかかれっ早く早く早くっ!!
泣きそうなりながら、まとわりついてくる幻覚を必死で払っていると、ようやくエンジンがかかった。
助かった……!
りん、と鈴のなる音が背中の方で聞こえる。
「行ってあげてね! 絶対、絶対、あの子に会いに行ってね!」
幸い、妖精のような何かはジャミルの後をついてこなかった。しばらく道なりに走って行くと、すぐにガソリンスタンドが見つかった。
給油を終えたバイクに跨がり今日の宿に向かって進む。ぱらつく雨もさほど気にならない量だ。
「そんなに会いたいのかよ…………」
あんな幻覚を見るくらいアイツに会いたがっているなんて自分でも思わなかった。一体アイツとはどんな関係だったんだ?
ただの友達ではない気がする。
親友?
逆にものすごく仲が悪かったのかも。
このまま探してもいいのだろうか。ちょっと心配になってきた。
雨はだいぶ本降りになってきていた。スリップしないように気をつけながらバイクを走らせる。
雨がヘルメットやジャケットに当たる音が耳を打つ。肌寒くはあるけど存外悪い気はしなかった。
今日泊まる宿は素泊まりなので、どこかで飯を調達しなくてはならない。びしょ濡れの状態で飲食店に入るのも気が引けて適当にコンビニで買っていくか。
そう思って細い道に入ったのがまずかった。
地図ではすぐにたどり着くはずのコンビニがいつまでたっても見つからない。まさか、こんなところで迷ったのか?
地図を広げてみたくてもこの雨じゃ難しい。
仕方ない。あと少し進んでみてダメならきた道を戻ろう。そう決めた矢先に、見覚えのある看板が光っているのが見えた。助かった…………!
店の前でバイクを止める。やけに高い入店音が鳴るのとほぼ同時に店員のいらっしゃいませ〜という声が聞こえた。さて、何を買おうか。
見覚えのある品揃えを一通り眺めて、手に取ったのはカレー弁当だ。
カレーは昔から好きだ。アイツは嫌いだったけど。
…………?
なんで嫌いなんだっけ?
いや、それよりまたアイツか。なんで俺の思考に割り込んでくる。このままじゃ日常のあちこちに見知らぬアイツが出てきてしまいそうで、ゾッとする。俺はカレーを元の棚に戻して唐揚げ弁当を代わりに買った。
「ありがとうございましたぁー!」
明るい声の店員が笑顔で挨拶してくれる。その顔に見覚えがある気がして、思わずじっと見つめてしまった。
「どうかされましたか?」
「あっ……いや、知り合いに似ていたもので…………すいません」
軽く頭を下げる。
「え〜、そうなの? 俺に似てその人もイケメンだったりする? なんてね〜〜〜♪」
茶髪の店員は気を悪くした様子はなく、むしろノリ良く笑ってくれた。いい人だ。
たわいのない会話をしながら、やっぱりどこかで会ったような気持ちがしていた。でも、知り合いにこんな人はいないし名前にも聞き覚えはない。気のせい、なのか?
「あっ、お客さん。もしかしてT市に向かってる?」
「はい。なんでわかったんですか?」
「ここ、境目だから多いんだよね。お客さんみたいな人。店出て三つ目の角を左に曲がってから五つ目を右に曲がると大通りに出られるよ」
「ありがとうございます」
地図にそんな道あっただろうか。とりあえず礼を言っておく。
楽しげな音を鳴らして出入り口の自動ドアが開いた。
店員は小さく手を振って見送ってくれた。
ジャミルが去った後、店員の青年は小さな声で呟いた。
「がんばって、ジャミルくん」
コンビニの店員のいう通りに進むと簡単に大通りに出ることができた。さっきまでの曲がりくねった道が嘘だったように分かりやすい道だ。
雨のせいで道を見誤ったのかもしれないなと考えていたら宿に着いた。部屋にシャワーがついていてよかった。このままだと風邪をひいてしまうところだ。
本当は湯船に肩までつかりたいところだが贅沢はいえない。
せっかく海のそばの町を通るのだから、沿岸沿いに進むことにした。
大通りから左に曲がって細い道をずっと進むとやがて、目の前に鮮やかな青が見えてくる。
オーシャンブルーとは違う濃い青は白波をいくつも作りながら陽の光を受けて眩しいくらいに輝いていた。
海なんて幼い頃に家族で何度か遊びにきただけで、たいして馴染みもない。なのに、どうしてかひどく懐かしい気持ちになってバイクを止めた。
ヘルメットを外すと海から吹いてくる風が潮の匂いをはらんで後ろ髪を暴れさせる。
別に海が特別好きなわけじゃない。でも嫌いというにはこの海は眩しすぎた。アイツとは違う色だ。
でもアイツは海が好きだった。海がない国から来たから珍しかったのだろう。入学してすぐの頃は毎日のように海に連れ出されて大変だった。
…………入学?
俺とアイツは同じ学校に通っていたのか?
なにか、思い出せそうな気がする…………。
その時、一台の車がやってきた。こちらに来る少し手前で徐行し、俺の前を通り過ぎたところで動きを止める。
いい車だ。
外国の有名なブランドのエンブレムが付いている。
どんないけ好かない奴が出てくるのだろうと眺めていたら、意外にもラフなTシャツ姿の若い男が降りてきた。ビスケットブラウンの跳ねた髪にキャップをかぶった男は迷うことなくこっちに小走りでやってきた。
「すいませ〜ん! ちょっと道教えてほしいんスけど〜……って誰かと思ったらジャミルくんじゃないっスか。なんでこんなところに?」
ブルーグレーの瞳が細められる。たれ目で一見温和そうに見えるこの男はなかなか食えない奴だ。
「それはこっちのセリフだよ。ラギー。お前休みの間は海外に行くと言ってなかったか?」
「あー、そんなことも言ったっスねえ。海外で荒稼ぎしようと思ったらオーナーの気が変わっちゃって、突然国内旅行っスよ」
がっくりとラギーは大きく肩を落とした。ラギーとは同級生で同じ部活をやってる。知り合いのツテで海外旅行に行くとはしゃいでいたのをよく覚えている。
「オーナー?」
「ああ、車の後部座席で王様みたいにふんぞりかえってるっス。なんでも金持ちのボンボンらしくて、オレは坊ちゃんの話し相手というかお手伝い役のバイトだったんだけど、あの人がすっげーわがままで思ったより大変なんスよ〜」
「そうか。それは大変だな」
少しの世間話の後、道を知りたいというので俺の持っていた地図を見せてやった。
そういえばナジュマに旅先の写真を送ってと言われていたことを思い出して、ラギーと海をバックに一枚撮る。
「ここから見えるあの島、すげー煙っスね〜」
ラギーが指差したのは海の上に浮かぶ小さな島だった。有名な火山島でいつも噴火による煙が山のてっぺんから出ている。
「確かにすごい煙だ。こんなに離れてるのにはっきりと見える」
「あそこ、人住んでるらしいっスよ」
「嘘だろう? 噴火してるんじゃないのか」
「してるしてる。でも灰が降るだけで住めるんだって。港からフェリーが出て一日で往復できるって、パンフレットに書いてあったっス」
「観光楽しんでるじゃないか」
○○○
よく噴火しているという島はフェリーで15分で行くことができる。噴火してるのに人は住んでいるし観光スポットになっているというのだから驚きだ。
噴火してない時も山頂から立ち上る白煙は途切れることはない。近寄れるギリギリまで行ってみてその迫力に圧倒される。
すごい。自然の大きなパワーを感じて見惚れていた。しばらくそうしていると笑い声が聞こえた。
はじめはまた妖精かと思った。
でも声のする方を見てみるとそこにいたのは実体のある少年────少女?だということが分かった。幼さの残る顔つき、ボブカットの髪には緑のインナーカラーが入っていて意外と派手だ。服装も黒を基調とした独特の服装でゴスロリ?いや違う。ゴシック・パンクとかそういうやつだ。
ファッションには詳しくないけど変わり者の少女達が着る服だと認識している。
「くふふっ、今日は機嫌がいいみたいじゃのう」
幼さの残る外見のわりに老成した物言いの彼女はジャミルの方を見るとまるで知り合いを見つけたように手を上げた。
「おお! こんなところで会うとは思わなんだ。久しいの」
驚いたのはジャミルだった。こんな子、会ったことなんてない。何というか迷って結局口から出たのはありきたりのない言葉だった。
「すみません。どこかでお会いしましたか?」
「おや、覚えておらんのか。あやつを探しにここに来たのかと思ったぞ」
「アイツを知っているんですか?」
思わぬところで得られたチャンスにジャミルは飛びついた。
少女は引いたり怪訝な顔を浮かべたりはしなかった。むしろ楽しそうにケラケラと笑った。
「そういうことか。お主も難儀よのぅ。よーく、知っておるぞ。マブダチだからな」
リリアと名乗ったその少女は名の知れた占い師だと後に知ることになる。
リリアに教えてもらったのはとある神社だった。最初に妖精に話しかけられたのも神社だったからやっぱり何か縁があるのだろう。
「餞別じゃ」
と渡されたのは木製のブレスレットだった。その並んだ木のビーズを無意識に撫でるとなぜだか心が落ち着いた。
リリアから聞いた前世での話は魔法が使える世界でのたわいもない学園生活の話だった。フェリーで滞在している街に戻りながら物思いにふけるジャミルは徐々に記憶が蘇ってくるのを感じていた。
そうだ。アイツとリリア先輩は同じ部活で、軽音楽部なのに練習しないでお茶してるようなゆるい奴らだった。俺が作った菓子をよく持たせてやったっけ。
アイツはいつも喜んでそれを食べてた。
「ジャミルの作るものはいつもうまいなあっ!」ってニコニコして。お前が満足するようにたくさん練習したんだ。お前が好む味付けも覚えて、栄養面も考えて菓子だけじゃなく弁当も毎日作ってやった。
毒見だって率先してやった。だって俺はお前を死なせたくなかったから。ずっとそばにいて守ってやった。だってお前はそそっかしくてすぐに危ない目にあうから。
ああ、どうして忘れていたんだろう。
俺はアイツが憎らしくて、鬱陶しくて、それでいて愛しかった。
離れたくなかった。ずっと守ってやりたかった。だってアイツを守れるのは俺だけなのに。
フェリーから降りて神社へと向かう道を歩く。自然と歩く速度が早くなった。
わかる。分かってしまった。
アイツはこの先にいる。
きっとアイツは俺がくるのを待っている。早く行ってやらないと。だってアイツはいつもヘラヘラ笑うくせに弱ってるところを誰にも見せようとしない。
俺以外のやつには。
山道に入り生えてる雑草が潰れて青くさい匂いがした。足にまとわりつくような草に舌打ちをする。すでに歩調は競歩の域を超えていた。
早く、早く、早く、早く、早く…………!
心が急いて額から汗が流れ落ちる。それを拭う時間すら惜しい。
パラパラと天気雨が降り出してきて、瞬く間に足元に水たまりができた。バシャンと水がはねるのも気にせずに俺はひたすら先へと進む。
そうだ。アイツは雨を降らす魔法を使った。暑い日にはよくみんなのために雨を降らせてやっていた。雨の中で踊るアイツは綺麗だった。
地元では神様みたいなんていう年寄りもいて俺はバカバカしいとよく笑ったものだった。あんなアホでそそっかしくてお人好しな神様がいてたまるかって、笑ったんだ。
大昔ならともかく現代ではお遊戯程度の需要しかない。だからすごいなんていうな、神様なんかじゃない。崇めるな!!
走っているうちに雨はやんですぐに太陽が顔を出した。さんさんと差し込む光が眩しい。
鳥居をくぐると妖精達がこっちこっちと手招きをしていた。導かれるままに進んでいくと奥の方にとても大きな木が生えていた。太いしめ縄が巻かれていてこの神社のご神木だとすぐに分かった。
ジャミルはご神木に近づいてそっと幹に触れた。
「……………遅くなって、ごめん」
触れると心が落ち着いた。
リリアがくれたブレスレットはこの木から取られた枝から作られたのだろう。魔法はなくても同じ気を感じる。雨上がりのお日様のようなあたたかな香りだ。よく知っていたアイツの香り。
ずっと嫌いだった。思い通りにいかないすべてがアイツのせいだと思ってた。俺は子供だった。何も知らなかった。アイツが抱えてるものの大きさを知ったのは大人になってからだった。
けれど思い出した今、あんなに呼ぶのが疎ましかった名前を呼んでみたい。
「カリム」
嫌いで憎らしくて、かけがえのない名前。思い出したくなかったのに、消えてくれなかった存在。
「カリム、会いたかったよ」
俺の憎くて、だいじなカリム。とうとう本当の神様なんかになりやがって。ばか。
なんで神様なんかになるんだよ。俺の許可もなしに勝手なことしやがって。
こんな人があまりこない山の中で、お前は何百年待ったんだ。
騒がしいのが大好きなお前なのに、こんなに静かなところにひとりきりで、ずっと、永い間、俺が来るのを待っていたのか。
「カリム、頑張ったな」
デコボコとした木肌を撫でると感じるはずのない温もりを感じたような気がした。
ぽつりと頬に雫が落ちた。
見上げるとさっきの通り雨の雨粒が葉っぱから滴り落ちていた。
それがなんとなくカリムが泣いているように見えて俺は微笑んだ。
「ほら、泣くなよ」
葉っぱには手が届かないけれど涙を拭ってやりたくて手を宙に伸ばす。指で拭う仕草をしたらその指が濡れた。
「えっ」
驚く暇もなく空中から手が現れてジャミルの伸ばした腕に絡んだ。ぽたぽたと雫が垂れる。いや、違う。空中から何も無いはずの宙から水が現れて落ちてきている。まるでなにかがそこにいて、泣いてるように。
「カリ、ム?」
ぎゅっと掴まれた腕を掴む指に力が入った。間違いない。そう確信したジャミルは、空中から生えた腕を掴んで引っ張った。
「カリム!」
次第に腕から先も現れて肩や首、そして相変わらずふわふわの髪と記憶に強烈に残っていた柘榴石のような赤い瞳が現れる。
赤い瞳は涙で濡れそぼり大粒の涙は宝石のようにキラキラ輝きながらジャミルの顔を濡らした。
「…………う〜っ、じゃびるっ、じゃびるだぁっ! 夢じゃなっ…………うわあああんっ!」
懐かしい聞き覚えのある泣き声が耳に飛びこんでくる。逆さまに落ちてくるような格好のカリムを受け止めようとジャミルは腕を広げた。
やがて体全部が現れたカリムは急に重さを増してジャミルの上に落ちてきた。
「うおっ!?」
受け止めようとしたものの、以前よりは鍛えてない体と足場の悪さでカリムを抱えたまま尻餅をついてしまう。
「わわっ! すまん! ジャミル!」
大丈夫か?と慌てたようにこちらを見るカリムは前世とまったく変わらない。ジャミルの上から下りようとしたカリムの体を引きとめて思いきり抱きしめた。
「うひゃ!? じ、ジャミル?」
肩口に顔を埋めるようにくっつける。ああ、匂いも昔と同じだ。
「カリム」
「ん?」
「名前、呼んで」
「ええと、ジャミル?」
「カリム」
「なんだ?」
「もっと」
「ジャミル」
「カリム」
「ジャミル!」
「カリム」
「ジャミル! 大好きだ!」
「そういうのはいい」
「えー! なんでだよー! オレたち恋人だろ!?」
そうだ。何を血迷ったのか俺は前世でコイツと恋人同士だった。主従で男同士なのにだ。
「それにしても、なんで急に姿を現したんだ? カリム。お前、人間じゃないんだろう?」
それがわかんないんだよなーと呑気に神様は笑う。
「オレのこと見える人間は最近じゃリリアくらいだったんだけどな! ジャミルに会いたいって強く思ったらなんかできたみたいだ!」
「そんな適当な…………。しかし触れるのはどういう理屈だ?」
あちこち触って感触を確かめているとカリムが変な声を出した。
「ひゃ!? あはははっ! 変なところ触るなよ〜」
まさか自分が死んだ判定なのかとにわかに不安になってくる。ためしにスマホで写真を撮ってラギーに送ってみたら「お、カリムくんじゃないっスか〜!おひさ〜♪」と返ってきたのでジャミルはまだ生きてるしカリムはちゃんと実体があるみたいだ。
あとラギーのやつ、前世の記憶があること黙ってたな。あとで覚えてろ。
「はあ、理由が明確でないとスッキリしないな」
「まあまあ、こうして会えたんだからいいじゃねぇか。細かいことは気にすんなって!」
そういうやつだったよ。カリムは。
適当というか豪快というか…………。
覚えがある胃の痛みに懐かしさを感じる。カリムはうれしそうにジャミルと離れていた時間どう過ごしていたかを話した。
この国は妖精達が多くていつも一緒にいてくれたからそこまで寂しくはなかったとか、木は根っこを通して会話するからご神木ネットワークがあって結構楽しいとか。
時々参拝に来る人間達を見るのが好きだとか。
「ジャミルの家の庭にさ、紅葉の木があるだろ?」
確かに家の玄関前に紅葉の木が植えられている。秋になると小ぶりな葉っぱが赤く染まってなかなか綺麗だ。植物好きな父さんがたまに手入れをしてるのを見かけるがジャミル自身は特に気に留めたことはなかった。
「あるけど、なんでカリムが知っているんだ?」
「言っただろ。木同士のネットワークがあるって。又聞きだけどそいつのおかげでジャミルが生まれたのを知ったんだ」
父さんに聞いたことがある。あのモミジは引っ越してきてすぐに買ってきて植えたものだって。ジャミルが生まれた日もモミジはあの家の玄関先を彩っていたはずだ。
「じゃあ、俺がどこで生まれたかお前は知っていたわけだ」
「おう! ジャミルが小さい頃に玄関先で転んで泣いたことも小学生になってランドセル背負って家の前でかっこよくポーズ決めて写真撮ったのも聞いてるぜ!」
「そうか」
俺はカリムの頭を両手で挟み込むようにして顔を近づけた。
「えっ、ジャミル…………」
ぽぽぽっとカリムの頬が赤く染まる。期待に満ちた目で俺の顔を見上げて、潤んだ瞳が瞼で隠されていき…………
「……いでててててっ!? 何すんだよぉ!?」
ぐりぐりと拳を頭に捻りこんでやるとカリムは情け無い悲鳴をあげた。
「つまり、お前は俺がお前のことを思い出せなくてモヤモヤしている時に呑気に俺のストーカーをして楽しんでいたわけだな」
「ス、ストーカーなんて人聞き悪いなぁ。ただ話を聞いていただけだぞ?」
「お前が先に生まれてるんだから、会いにこいよ! それくらい出来るだろ。神様なんだから」
「無茶言うなよ! オレいつの間にか神様とか言われるようになったけど元々ただの木だぜ!? 動けるわけないだろ! 木なんだから!」
再会の甘く感動的な雰囲気は綺麗さっぱり消え去って、二人は子供みたいな言い合いを繰り広げる。
「よし分かった。この木を掘り返してやる」
「待って待って! なんで!? そんなことしたらオレ死んじゃうぜ!?」
「カリム。俺はまだ高校生なんだぞ。一緒にいるには木を持ち帰るしかないだろ」
「絶対ダメーーーー!!! オレこれでもこの街の観光スポットだから!! 保護指定? されてるから! そんなことしたらいくら未成年でも逮捕されるぞ!! たぶん!!」
「チッ」
「舌打ちすんなよぉ、お行儀悪いぞ」
「あいにく今世は代々続く従者の家でもないしバカで能天気なご主人様もいない。お行儀よくする義理なんてないね」
「うう〜、ジャミルが意地悪だ!」
悔しそうにするカリムの顔を見るのが楽しくてたまらない。たまらずに笑ってしまえばカリムはなんで笑うんだとまた怒るのでジャミルはますます楽しくなった。
追いかけっこみたいになったところでジャミルがカリムを抱きしめた。
「ジャミル?」
「…………離れたくない」
ジャミルの顔は見えないけどその声はとても弱々しく聞こえて、カリムの胸は締めつけられた。
泣きそうだ、と思った。カリムは知っていた。ジャミルがバイトを頑張っていたこと。行く先々で出くわした妖精からカリムのことを聞いてたくさん探してくれたこと。前世の別れでカリムを死なせないために命をかけて守ってくれたこと。
カリムはずっと覚えていた。木として生まれ変わり、木の精になって前世のような姿を手に入れてもそれは普通の人には見えない。自分は確かにここに存在しているけど、それを人に認知してもらえないのは寂しかった。だからもう、ジャミルとも会えないと思ってた。でも諦められなかった。
ジャミルに会いたい。
どこかで生まれているのかもしれないと思うと居ても立っても居られなくて誰にでも聞いてまわった。木ネットワークではカリムがジャミルを探していることは有名になった。そして17年前、ようやくジャミルがこの世界にやってきた。
うれしかった。今度こそ幸せになってほしかった。遠く離れた土地で健やかに育ち、人として生を全うしてほしい。幸せになってほしい。オレは会いに行けないけど、ずっとずっと願っているから。
ジャミルの幸せだけをずっと。
そろりとジャミルの背中に手をまわす。こうして直に触れ合うことができるなんて思いもしなかった。
「ジャミル。オレも、おまえとずっと一緒にいたいよ」
ああ、オレのジャミル。オレの大好きな人。
「オレ、木に生まれてよかった。神様になってよかった。人間だったらとっくに死んでジャミルに会えなかった」
ジャミルは何も言わない。ただオレの背中に回した腕に力がこもった。
「オレはここから出られないけど、ずっとここにいるからさ。また、会いにきてくれよ。待ってる。いつまでも待ってるから」
「カリム…………」
ジャミルの腕が解かれて少し距離が空く。ジャミルがカリムの顎を掴んで上に上げた。その瞳の熱に覚えがあってカリムはそっと目を閉じた。
優しく触れるだけの口付けは何百年ぶりだろうか。前世の時と同じ甘さに脳が痺れる。
泣きたいくらい幸せな気分でカリムは目を開けた。そこには劣情の色を乗せた恋人がいて、カリムの体が反応して熱くなった。
「あっ…………」
「カリム…………」
低い声が耳を撫でる。ゾクゾクとした感じに背中が震える。
「ぅひゃいっ」
動転して素っ頓狂な声を出してしまった。恥ずかしい。腰が抜けてズルズルと座り込んでしまったカリムをジャミルが軽々と抱き上げた。
「随分と軽いな。神様だからか?」
「し、しらない〜。おろせよぉ」
カリムをお姫様抱っこしたままジャミルはどんどん歩いていく。
カリムは抱かれたこと自体が恥ずかしくてジャミルの肩口に顔を埋めてひたすら隠れた。でもいつまでたっても下ろされないことに疑問を感じて顔を上げた。
「ちょ、ちょっと待って! どこ向かってるんだ!?」
「どこって、出口に決まってる」
「オレ出られないんだって! さっき言っただろ!?」
「そんなの」
ジャミルは真正面をみてズンズンと歩みを早める。
「やってみないと分からないだろ?」
悪戯っぽく笑ってジャミルは鳥居をくぐった。
「うわあああっっっ!!!!」
カリムはぎゅっと目をつぶった。以前出ようとして電気が走ったような衝撃を体に受けたことを思い出したからだ。
「………………………あれ?」
いつまでたってもやってこない衝撃に不思議に思い恐る恐る目を開く。鳥居がジャミルの肩越しに見えて自分が『外』にいるのを理解したカリムは叫んだ。
「えーーーーーっ!?? なんで!? どうして!?」
「うるさ……」
ジャミルがカリムの声量に顔をしかめてゆっくりとカリムを下ろした。カリムは興奮してぴょんぴょん跳ねてジャミルのまわりを仔犬のように駆けまわった。
「なあなあ! なんでオレ外に出れたんだ? ジャミルなにしたんだ?」
「なにも」
「えー! なんかしただろー? 勿体ぶるなよ」
「本当になにもしてない。やったとしたらお前だろ。カリム」
ジャミルに言われてカリムはキョトンとして自分を指さした。
「ええっ!? オレ?」
「ここはお前の神域なんだから、何かできるのはお前しかいないだろう」
「うー、それはそうなんだけど…………でもオレなにもしてないぜ?」
「これは俺の予想だが」
神社の方を見つめていたジャミルは言葉を途中で切ってカリムを見た。
「カリムが俺と一緒に行きたいと強く思ったから、出れたんじゃないか?」
カリムはさっきの自分の気持ちを思い出した。ジャミルに抱えられて一緒に行こうと言われて、カリムは確かに思ったのだ。
もう離れたくないと。
「あ……………」
かあっと顔が赤らむ。そんな姿を見られるのが気恥ずかしくてカリムはジャミルに背を向けた。
「カリム」
背中にぬくもりを感じて抱きしめられてるんだと気がついた時には耳に口付けられていた。
「…………俺はまだ学生だ。できることは多くはない。それでも、今は離れたくない。生まれてからずっとお前を探していた。なあ、カリム。言ってくれ。俺と一緒にいると。おねがい、カリム」
「ジャ、ミル…………」
カリムは自分の胸元にまわされた腕にそっと触れる。熱の籠った声とは裏腹に小刻みに震える腕をひと撫でした。
「わかった。オレ、どこまで外にいられるかわからないけど、できるだけジャミルと一緒にいるよ。オレもそうしたいんだ。ジャミル」
体を向き直してジャミルを抱きしめる。大好きだぞ、と背中を撫でると「当たり前だ」と返されて笑ってしまった。
ある日の晩、こんなタイトルのスレッドが某掲示板に立てられた。
『自分探しの旅に出た兄が彼女(男)を連れて帰ってきた件について』