surprise 「晃牙くん晃牙くん!」
「…あ?」
大きな声に叩き起こされた。目を開けるが、薄暗い。ようやく夜明けになった頃だろうか。
「おはよ!朝早くからごめんね!お誕生日おめでとう!はい、行ってきます!今日は帰るからね、何か好きなもの買っておいて!一緒に食べよう!ケーキは俺が買うから!じゃあまたね!!」
「ぐ、苦し…!」
まだぼんやりした意識の中、力強く抱きしめられ、口づけをされ、捲し立てられて、一気に解放された。バタバタと慌ただしく玄関のドアが閉まる音がする。
「行ってらっしゃい…」
恋人のいなくなった空間に小さく返事をする。それから布団を整えて、目を閉じたが、むず痒くて一人で、ふふふ、と笑った。
「律儀な人だな」
羽風先輩と暮らし始めて5年以上経った。とっくに成人を迎えていて、有難いことにアイドルとしての俺たちの地位も確立されている。ユニットとしての仕事はもちろん、個人の仕事も沢山頂いていて、忙しくできていることは嬉しい悲鳴だった。その代わり、2人でゆっくり過ごす時間が減っているのは仕方のないことだった。仕事が立て込んでいる日はホテルに泊まることも少なくない。昨日だって、羽風先輩は現場近くのホテルに泊まっていたはずだ。本当なら家に帰りたいとぐずぐず泣いていたんだから。日付が変わった瞬間に、『お誕生日おめでとう』とメッセージを送ってくれたのに、わざわざこんな朝早く一旦家に戻ってきてくれたのだ。このまままた現場に戻って朝から仕事だろうに。
『先輩、サンキューな』
閉じた目を開けて、忘れないうちにメッセージでお礼を言う。すぐに既読がついて、『俺の自己満足だから気にしないで。今日の夜楽しみにしてる!お互い仕事頑張ろうね!』というメッセージと共に、犬のスタンプも送られてきた。それにスタンプで返して、ベッドの中で伸びをする。起きるにはかなり早いけれど、今日は俺も気合が必要な日だったから、もう起きてしまおう。まさか自分がサプライズを考えている日に、サプライズを先越されるとは思わなかった。恋人のキスとハグで目を覚ますなんて、幸せ以外の何物でもない。
寝室を出て、洗面所で顔を洗う。リビングのクッションの上でまだうとうとしているレオンを撫でて、キッチンに立った。冷蔵庫を開けると、そこには『プレゼントその1』と書かれたペットボトルが冷えていた。なんてことのない、ただのスポーツドリンクだったけれど、蓋には羽風先輩が描いたであろう犬のイラストが描かれていた。不細工だけど、きっとレオンだ。
「子どもかよ」
時間がない中で一生懸命俺を喜ばせようとしてくれたんだろう。その気持ちだけで充分だ。仕事に行く時に持って行こう。
トーストを焼き、卵を焼き、軽い朝食を作る。その内にレオンが起き出して、レオンの食事も準備する。飯を食ったら散歩だからな、と話しかけると嬉しそうに返事が返ってきた。食事を終え、軽く身なりを整えて散歩に出ようと、クローゼットを開ける。
「…まじか」
その1があるなら、その2もある。中には、『プレゼントその2』と書かれた包みが置かれていた。洋服からアクセサリー、靴までの一式が入っていた。あまりに嬉しくて、その場にしゃがみ込む。サプライズが過ぎるぜ先輩…。今すぐ彼にキスできないのがもどかしい。この気持ちを今すぐ伝えたいのに。ああ、早く夜にならね〜かな。あの人の喜んだ顔が見たい。
「レオン、散歩行くぞ」
早朝は人通りも少なかった。日差しもまだそこまで強くなく、時折吹く風が心地よい。今日の仕事には、羽風先輩のプレゼントを身につけて行くのだと思うと、自然と気持ちが高まった。それにつられているのか、レオンも普段より機嫌が良さそうだ。
ほとんどランニングのような散歩が終わり、家に帰ってシャワーを浴びる。新品の服を取り出し、少し調子に乗ってそのまま靴も履いてみた。サイズもぴったりで、センスもいい。彼への愛しさが込み上げて、本当に居ても立っても居られない、とはまさにこのことだと思った。許されるのならば、羽風先輩に会いに行きたい。今日だけは仕事を放り出して、2人で出かけたい。
もちろん、そんなことは出来ないのだけれど。本当にそんなことをしたら羽風先輩に怒られてしまう。だから、夜まで我慢だ。
「レオン、今日は遅くなるから、留守番頼んだぜ」
心強い返事を背中に聞きながら、家を出た。出る間際に、用意しておいたプレゼントも忘れない。きっと彼は驚くだろう。そして、きっと喜んでくれる。ああ、楽しみだ。
☆
「…え?晃牙くん?」
「よう。待ってたぜ」
現場を終えた羽風先輩の前にタクシーを停めてもらう。ドアを開けて手招きすると、先輩は目をまん丸にして、マスクと帽子を外した。
「なんでここにいるの?急なお仕事?」
「迎えにきた。飯、行こうぜ」
え?え?、と繰り返す羽風先輩の手を引っ張ってタクシーに連れ込む。最初に告げていた行き先に向けて、タクシーは走り出した。
「…」
色々聞きたくて仕方ないんだろう。羽風先輩はそわそわしているが、タクシーの中だからか口は開かない。時折こちらの様子を伺ってくるのは分かったけれど、気がつかないフリをした。
15分ほど走って、目的のレストランに到着した。高級ではないが、味も評判も良く、何より海辺で景色が良いらしい。
「ここ!いつか来たかったところだ」
「まあ、俺様に任せろよ」
「予約してたの?ごめんね、本当なら俺がセッティングするべきだったよね。せっかくの誕生日なのに」
「違えよ。俺様が勝手にやった。あんたに喜んで欲しくて。だから謝んな」
「でも、今日は俺の誕生日じゃないよ?」
「だからこそだろ」
スタッフに名前を伝えて、席に案内してもらう。窓際の個室に案内され、羽風先輩は目を輝かせた。品よくライトアップされた海と、イルミネーションがとても綺麗だった。
「すっごく綺麗。晃牙くん、ありがとう」
「おう」
「…ねえ、他のお客さんは?」
「いねぇよ。大丈夫。だから安心しろ。何話しても平気だし、キスしても平気だぜ」
「そういうこと言わないの!聞かれたらどうするの!」
「こっちから呼ばない限りは、入ってこないって。結構お忍びで芸能人も来てるらしいし」
「そうかもしれないけどさ〜」
「心配してねえで、せっかくなんだから楽しもうぜ。腹も減ったし」
そうだね、と羽風先輩は椅子に座った。俺は彼の前に立って、全身を見せびらかすようにくるりと回ってみせる。羽風先輩はパチパチと拍手をした。
「これ、ありがとよ。似合ってるか?」
「うん。早速着てくれてありがとう」
飲み物をオーダーし、スタッフが離れるのを確認してからグラスを持つ。
「晃牙くん、誕生日おめでとう」
「乾杯」
程よい甘さのスパークリングワインが喉を通っていく。でも、物足りないから先輩に目でせがむ。
「…なあに」
「分かってんだろ。祝いのキスは」
「朝したじゃん」
「寝ててよく分かんなかった」
「ひどい!せっかく早起きして行ったのに!」
「嘘に決まってんだろ」
諦めて笑って、俺は再びグラスを手に取った。その手に、羽風先輩の手が重なる。
「…」
「そんな意地悪言うなら、今日は寝かせないからね」
「ッハハ、それは俺様のセリフだよ」
ん、と目を閉じると、触れるだけのキスがふってきた。俺は満足して、口角を上げる。
「上等なもんをありがとよ」
「どういたしまして!」
少し拗ねたような言い方に、更に笑うと羽風先輩はそっぽを向いた。その頬がほんのり赤いのが可愛い。
「ねえ、なんでレストラン予約したの?晃牙くんもここに来たかったの?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
コースも中盤になり、酒も程よく回ってきた。料理はどれも美味しくて、羽風先輩は最初に拗ねたことなんか忘れたように、ニコニコと箸をすすめる。
「まあ、あんたと来たかったんだよ。せっかくの誕生日だし」
「でもそういうのって、自分の誕生日にやらなくない?」
「…あんたからの誕生日プレゼントはどれも嬉しかった。朝から幸せな気持ちで目が覚めたし、あんたに早く会いたくて仕方なかった。仕事なのにわざわざ家に帰ってきてくれたことも、誰かに自慢してえくらいだった」
「ちょっと、やめてよ。そんなに言われたら恥ずかしいじゃん」
ツンツン、と足先を蹴られた。
「なあ、俺様が一番嬉しいことって何か分かるか?」
「えー?なんだろう。アイドルしてる時?」
「それは楽しいけどよ、仕事でもあるだろ。嬉しい時だよ、嬉しい時」
「えー…?ふふ、分かった、俺といる時でしょ?」
悪戯っ子のように、上目遣いでそう言った羽風先輩に、頷いて返す。彼は驚いて、冗談だよ!、と取り繕う。
「俺様は冗談じゃね〜んだよ」
「…」
「あんたが笑顔でいてくれることが一番嬉しい。欲を言えば、俺様の隣で、幸せそうに、笑っていてほしい。だから、今、世界で一番最高なプレゼント貰ってんだ」
「…」
「羽風先輩が、喜んでくれてよかった。プレゼントその3、だな」
ものすごく、照れ臭かった。でもそれ以上に、伝えたかった。付き合ってもうだいぶ経つ。男同士でアイドルで、いつ終わってもおかしくない関係だった。それなのにここまで一緒にいられたのは、羽風先輩が俺を好きでいてくれたからだ。男嫌いで、臆病で、嘘ばっかりで、自分の幸せを後回しにする彼が、こんなにも幸せそうに一緒に暮らしてくれているなんて、まるで奇跡だ。その奇跡を手放したくなかった。大好きで大好きで仕方ない。あんたが泣いたら俺も辛いし、喜んでくれたら俺も最上の幸せを感じられる。
「…そういうの、ずるいよ。なんで俺が、君の誕生日にこんなに幸せにしてもらえるの?晃牙くんは、俺を甘く見過ぎ」
俺はいつだって幸せだし、君の隣に居られるだけでこんなに喜んでるのに、と羽風先輩は続けた。
「…怒った?」
「…正直、すっごく嬉しい」
「なんだよ、ビビらせんなよ」
はあ、とため息をつくと、ケラケラと笑われた。
「サプライズだなんて、晃牙くんも大人になったね」
「いつまでもあんたに先越されてるわけにはいかね〜からな」
「変なところで競わないでよ」
幸せだね、と羽風先輩は言った。おう、と答える。好きな人と過ごす誕生日が、幸せじゃないわけない。間違いなく、今俺が世界で一番幸せだ。
「わあ、可愛いケーキ!」
デザートが運ばれてくると、先輩はスマホを取り出して、撮影タイムに移った。気の済むまで続くそれを見守る。もうこんなの慣れた。理解はできね〜けど、この写真が大事なことなんだろ?多分。
「お待たせ〜。いただきまーす!」
我ながら、よく見飽きないな、と思う。でも、羽風先輩の笑顔は本当に何時間でも見てられる。こんなに心奪われているなんて、高校時代の自分が知ったら驚きすぎて倒れてしまうだろう。人生分からないもんだ。
「先輩、これプレゼント」
「…まったく、君はさあ。どれだけサプライズしたら気が済むの?今度覚悟しておいてよね」
なぜかやり返そうと思っているらしい。まあ楽しみにしてる、と返事をする。
「クリームついてる」
口元を指差す。ここ?と聞いてくる先輩に、違う、と返しながら、彼の隣の席に移動する。何をするか分かっていたように、羽風先輩は目を閉じる。
「先輩、愛してる」
帰ったらもっと愛してくれる?、という甘い誘いに、俺は頷いた。
continued.