五条と住み始めてやっと半年が過ぎようとしていた時、住所など教えていなかった悠仁が宿儺の居場所を突き止めて姿を見せてきた。
両親だけでなく悠仁の連絡先もブロックし、削除までしていた宿儺。これで完全に関わることがないと思っていたのが油断として現れた。
「やっと見つけたぞ!」
「騒ぐな。近所迷惑だろう」
「それはゴメン!でもいきなり連絡が取れなくなったら心配すんだろ?」
「心配?お前が?俺に?何故だ」
「いや、俺じゃなくて父ちゃんと母ちゃんが」
「ああ……別に俺には関係ないことだからな」
「関係ないって…」
「事実だろう。血の繋がりがあるからなんだ?以前の記憶まで引き継いでいる俺にとってはそこら辺にいる虫となんら変わりない」
「お前っ…!」
時間は深夜。壁は薄くはないが、玄関先で大声でも出せば近隣の耳に届いてしまう。寝静まっている時間帯の騒ぎは避けたいところだが、素直に悠仁を自宅にあげたくはなかった。
宿儺の言葉に頭に血が上った悠仁はまた声を張り上げようとしたが、すぐに言葉を失うこととなる。
「……すくな?」
自宅の扉が開いてしまった。そしてそこから顔を出した幼い五条の声を耳にし、姿を視界に捉えた悠仁の体は簡単に止まった。
宿儺はこの状況に舌打ちをした。
力尽くで悠仁を追い払うか、気絶でもさせておけば良かったと後悔。今更それを試行したとしてももう遅い。一時的に追い払うことに成功させたところで今まで以上にしつこくなるに決まっている。
仕方なく悠仁を押して自宅に入った。
「…どういうことだよ」
「どうもこうも、見た通りだ。俺が保護している。それだけだ」
「………いつから」
「半年ほど前だな」
あれこれと何度も問いかけられるのを億劫に思った宿儺は事の経緯をかいつまんで説明した。
ちなみに五条は隣の寝室へ向かわせた。戸を閉める直前に見えた瞳は不安を表している。が、宿儺は一言、「先に寝ていろ」とだけ声をかけた。
悠仁はチラチラと寝室の戸を気にしている。もう一度五条に会いたいのだろうが、それを設ける必要を感じなかった宿儺は無視をした。
「話したことが全てだ。さっさと帰れ」
「…………」
「アレには記憶がない。ただの餓鬼だ。可能性として、お前と同じように徐々に記憶が戻るかもしれないが、その確証もない。今のアイツにとってお前は部外者」
「……だとしたら、お前はなんで記憶のない先生を側に置いてんだよ」
「………今となっては暇つぶしに過ぎん。もう十分だろう。帰れ」
納得している様子が一切ない悠仁は重い腰を上げた。恐らく、また近日中にやってくるであろう。本当に面倒なことになってしまった。
悠仁が出て行き、部屋は静まり返った。
閉じていた寝室の扉を開けば、やはり五条はまだ眠っておらず寝返りをして宿儺を見上げた。
「寝ていろと言っただろう」
「……ごめんなさい…」
小さなため息をついて、同じベッドに入り込む。
すると直ぐに五条は宿儺の腕の中へ収まった。
甘えることを許されなかった子供の、精一杯の欲求表現。温かすぎる体温は宿儺の眠気も刺激した。
宿儺の声色や口調もある程度関係しているのだが、五条は事あるごとに謝罪を口にする。煩わしくないといえば嘘になる。が、無理にそれを直そうとは思わない。少しずつでいい…。
自分との生活に少しずつ慣れていってるように、その癖や性格も。
本来の髪質に戻った白銀を撫でる。そうするだけで五条は酷く安心したように肩の力を抜く。
薄い戸だけを挟んだ小さな部屋。宿儺と悠仁のやり取りは聞こえていたことだろう。まだまだ幼い五条がどこまで二人の会話を理解できているのかは分からないが、己のことを話しているのは察しているだろう。
話しても宿儺にとっては問題ないが、理解力もない子供に説明したところで反応は容易に想像できる。ならば今ではない。そう、判断した。
※
「貴様らは暇なのか」
翌日の昼間。悠仁は再度、宿儺の元へやってきた。しかも今度は一人ではなく、見覚えのある顔の男性を連れて。
伏黒恵。
ただの人間として生まれてしまった宿儺にとって、もはや伏黒恵も興味の対象から外れた存在。伏黒の表情からして悠仁から真相は聞いているのだろう。そして、一緒にいるということは伏黒も二人と同じように以前の記憶を持っている、ということ。
二人して眉間の皺を作ったまま宿儺を見据える。言葉で言われなくとも「中に入れろ」と訴えてきている。が、宿儺はそれを拒否した。
「話すことはもうない。昨夜、散々説明してやっただろう」
「納得するわけないだろ」
「それをしようと、しまいと俺には関係ない。記憶のない五条悟を保護した。それだけだ」
「…………お前、何考えてんだよ」
二人にとって、宿儺の言動は不信感しかなかった。かつての呪いの王。今は自分たちと何ら変わりない…同じ人間だとしても信用するに値しない人物。
記憶のない五条を……しかも子供を保護するなど、宿儺になんのメリットがあるのか…。
黙っていた伏黒が口を開くも依然として宿儺は態度を変えることはなかった。
「小僧にも言ったが、ただの暇つぶしだ」
二人に自分の心情や状況を事細かく話す義理はない。二人の目的が五条にあるのは明白だが、その五条は三人と異なり、記憶を保持していない。だからこそ会わせる理由がないのだ。
「貴様らの目的はなんだ」
「……五条先生に会う」
「会って満足するのか?一目見ただけで大人しく帰るのか?」
「それは…」
「俺たちと同じように記憶を持っているわけでもない餓鬼に会ってなんになる?」
「それでも、記憶が戻るかもしれねぇだろっ」
「望み薄だな。それに記憶が戻ってほしいと一方的に願っているのは貴様らだろう」
「………」
「彼奴の両親はもう居ない。今は俺が保護者となっている。俺から引き離したいのだろうが、果たしてあの餓鬼がそれを望んでいると思うか?」
半年も、一緒に暮らしている。
相変わらず五条の表情や言動の変化は乏しいが、一切ないわけではない。
出された料理を目の前に置かれた時の綻ぶ顔。空腹を訴える時の上目遣い。震えが見られなくなった指先。強張りが消えた体。宿儺が寛いでいる時に寄る足。寝付きは良くなり、夜中に目覚める回数も減った。
五条にとってこの家が安全であり、宿儺の隣が安心であるという証拠。
そんな状態に変化した今、五条が宿儺と離れてることを本当に望んでいるのか…。宿儺が口に出せば五条は素直に頷くだろう。しかし、今度こそ本当に…完全に心を閉ざしてしまうだろう。
「記憶が戻ったとしても俺から離れるなり、貴様らのそばに居るという選択をするのはあの餓鬼次第だ」
「……………」
「二度とくだらぬ事で俺の前に現れるな」
悔しげな顔の二人を残して宿儺は部屋に戻った。
ソファにはこれまた不安げな顔をした五条がこちらを見上げている。軽い溜息を吐き出したあと、彼の隣に腰を下ろす。
僅かに出来た隙間を埋めるように、五条の方から距離を詰める。
「……………仮の話だが」
「?」
「お前を引き取りたいと……お前の側にいたいという人間が現れたら、お前はどうしたい?」
「………それは、すくなも一緒?」
「違う」
「…ぼくの、知ってるひと?」
「貴様の知らぬ人間だ」
「…………すくなが、いい」
「…そうか」
俯かれた横顔は少しだけ寂しげに見えた。
頭に手を置いて軽く撫でてやれば直ぐにその表情を崩して、宿儺の膝の上に乗った。
遠慮がちではあるものの、随分と懐かれている。
以前、宿儺の放った『好きなことをして生きればいい』という言葉。それを五条なりに実行しているように感じた。
宿儺とて、今の生活に不満があるわけではない。退屈とは思うものの、脱却したいとは思っていない。未だに平和という言葉、状況に慣れないだけで時間が経てばこの違和感にも慣れていくことだろう。
小さ過ぎる背中に手を添えれば強請るように五条は宿儺の胸に顔を擦り付けた。