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    pixivにアップしてたの引っ込めたのでこちらに

    #Bloodborne
    #シモルド
    simoldo

    過去ログ20街が病んでいることなど誰が見ても明白だろう。ふらりと足を運んだ異邦人でも一目で分かるほど街の荒廃は一目瞭然だ。整然と並んだ石畳に染み込んだ血の色は消えず、壁に張り付いた肉片はは乾いている。何よりこの臭いだ。腐った肉の臭いや濡れた獣の毛皮の匂いが付き纏い、眉間が疼くようだった。住み慣れている筈の街だが、徐々に増す生臭い死臭に不快感は増すばかりだ。
    粘つく唾液を吐きながら一匹の犬が飛びかかる。シモンの頸動脈を狙ったのだろう。身を屈めて襲撃を避ければ着地に失敗して犬が転ぶ。その四肢は腐って肉が崩れて始めていた。皮がずる剥けて繊維状の筋肉が剥き出しになった足から酷い匂いが漂っているようだ。
    甲高く吠えたてる腐った肉を纏う犬の脇腹を蹴って弓で射る。誰かの飼い犬だったのかも分からぬほど原型を留めぬ其れを射殺せば、その隙にこちらに掴みかかろうと迫る男がいた。一切躊躇わずに首を刃で跳ねれば饐えた血の匂いがした。
    今し方殺した者たちからはこぞって腐臭がする。腐肉の中には硫黄の匂いも混じっているようだ。その激臭にえずくも服の袖で口元を押さえ何とか堪えた。
    いっそ、と過ぎる考えをシモンは一笑にできない。この街を出て行ってしまおうかという考えをよもや否定することさえ危うくなっていた。獣狩りの夜であれば狩人が一人消息を絶ったとしても誰もその行方を探す真似はしないだろう。親しい友人も家族もいない。せいぜい行方を追ってくれそうな者があっても、ずっと彼の安否を追い続けるような時間などないだろう。そう、彼の命の灯火もそう長くは保つはずもないのだ。
    シモンでさえそんな考えが過ぎる、酸鼻を極める状況に心までもを病ませ、また一人、一人と狩人たちの正気は果てていった。
    大通りに目立つ罹患者や獣を葬ればランタンに火を灯し、影に隠れるものがいないかを見回っていく。彼らは知性こそ失われているが攻撃性ばかりは高い。シモンの血を見るためなら影から撲つことも躊躇わない筈だ。慎重にかつ素早く辺りを散策すれば一人見つけた。病魔に蝕まれたように青白い月明かりの中、壁と壁の間に挟まるように蹲る男がいた。黒い革で作られた軽装だ。
    彼もまたヤーナムの英雄の呼びかけに応じて集った狩人なのだろう。獣の血避けにもなり得る帽子は落ち、剥き出しになった頭部を掻き毟っている。ぶちりぶちりと音を立てながら髪の毛を引き抜き、溢れた血がこめかみへと流れていた。それでも掻き毟る手は止まらない。
    青ざめた喉から声にならぬ言葉を紡いでいた。その言葉は支離滅裂で到底理解には及ばなかった。ああ、彼もまた獣となる。罹患者を殺す生業とは言え、一向に良くはならぬ現状に嫌気ばかりが差していた。何故こんなに多くの狩人を動員しても状況は改善しないのか。それどこか惨劇は繰り返され、被害者も罹患者もその数は日毎に増している。歩み寄るシモンの気配に気が付いたのだろう。頭を掻き毟るだけだった男が振り向いた。獣を一匹でも殺したのだろうか。外套は血でぬらぬらと濡れそぼっていた。黄ばんだ歯を打ち鳴らしながらまた、何かを呟いた。

    「……無事かね」

    念のため安否の確認を、と声をかけた瞬間のことだ。ガチガチと鳴らす歯の間で肉厚の舌が爆ぜた。舌を歯ですり潰すように噛みちぎったのだ。正気ではできないだろう行いであってもシモンの心に細波一つ起こることはなかった。いっそ安堵を覚えるほどだった。
    これで彼を殺さなくて済むという安堵だ。その一方で冷め切ってしまった倫理観にどこか悍ましさも感じ得たが。
    男は噛みちぎった舌を飲み込み喉に詰まらせたのだろうか。気管を患ったようなか細い呼気が漏れる。断末魔の痙攣を繰り返す舌を吐き出させたところでこの出血では助かるまい。
    肉体の一部を失ったショックか四肢に痙攣が広がった。バタバタと全身を痙攣らせながら体が倒れ込む。腕が煉瓦の壁を打ち、足が石畳に叩きつけられる。見ていて愉快なものでは決してない。

    「あんたに、血の加護がありますように」

    形式上でしかない教会の謳い文句だ。せめて楽に、とその首へと刃を走らせようとした中、シモンの胸に鋭い感触を覚えた。冷たく薄い氷のようなものが肋骨を縫って突き刺さる。
    視線を落とせば左胸に小ぶりのナイフが突き刺さっていた。胸から突き出た柄を見たその瞬間に冷たさは痛みへと変わり、視界が揺らいだ。足元の感覚も失いその場に膝をつく。
    自分を刺した正体は分かる。地面にのたうつ男だ。正気を失い、シモンを獣だと認識したのだろう。殺されるくらいなら自死を選び、相手も討つ。そんな心算だったのだろうがシモンからすればはた迷惑以上のものではなかった。
    ぐ、と苦痛に息を詰まらせれば柄が震えた。幸いにも肺にも心臓にも達している気配はない。だが場所が場所だ。刃を抜いたその瞬間、致死量の失血する可能性も高い。

    「げっ……ひ、ヒヒぃ……」

    濁った笑い声が男から上がる。血の泡を吹きながら痙攣を繰り返してなお、ゲラゲラと気の触れた高笑いを繰り返す。だが、そんなものに気を取られる余裕は負傷したシモンにはなかった。
    息を深く吸えば肺がキリキリと鋭く痛む。刺し傷だけは熱を持ったようにドクンドクンと不快な脈を打っていた。胸から突き出た柄に血の気が引いた指が触れる。慎重に触れたにもかかわらず、脳天に駆け抜ける雷撃のような痛みに息が詰まる。未だ鼓膜を揺すぶる、息絶えず湿った笑い声が不愉快だった。

    「ああ、……そうかい」

    コルクのように出血を塞ぐ柄はそのまま。ひととき痛みも忘れるように努めながら男の脇に落ちていた槍型の鋸を拾う。血溜まりに落ちていた其れは腐ったように刃は黒ずみ、すっぱい腐臭を漂わせていた。それを杖のように地面について立ち上がる。して、その鋭い切っ先を男の首へと狙いを定めた。
    使い慣れた自身の弓剣はこの胸の傷の深さでは扱えないことを既に把握していた。弦を弾く際の深い呼気もできまい。息が詰まれば狙いは外れるだろう。変形させ刃を翻すにもまた膂力を振り絞る必要がある。ならば手を下さずとも死ぬ男など放っておけばいいと心優しい誰かなら咎めるだろう。
    しかし、獣となればこの程度の傷は脅威にならない可能性もある。
    ……どこか言い訳じみているだろうか。
    傷のショックか妙に思考がぐらつき、仄暗い中へと吸い込まれていく心地だった。揺れ落ちていく思考を振り払うように首を小さく左右に振れば、石畳を槍の先で叩く。
    いい加減楽にしてやろう。手足を失血で悶えさせる男の胸を汚れた素足で踏み、小さく祈りの言葉を呟く。
    ギザつく刃を側面に備えた槍が男の首を貫いた。体重も乗せた一撃はたやすく男の脊椎を砕き、動脈と気管裂いて、刃の先が硬質な地面を削る。ワインが注がれたゴブレットのように、仰向けになった男の口の中に鮮血が溜まり溢れた。ごぷっごぷっと肺に残った息を吐けば、唇の端から幾重にも血の筋が滴り落ちる。
    痛みか無意識かばたばたと悶える手が地面を掻きむしる。その動きはやがて緩慢になり、静けさが一帯を包み込んだ。
    その静けさは不穏だ。ふ、と息を溢せば解決法を思いつかぬ胸の傷がまた鋭い痛みを発した。

    「はっ……!ッぅ……!っふ……」

    痛みに喘ぎながら乱れた呼吸を整える。雪がちらつく冷たい空気が喉を凍らせていくように、喉奥まで不愉快に痛みを感じて眉間に深い皺が刻まれた。獣狩りの夜は始まって数刻も経過していない。だというのに、この深傷は相当にまずい。
    致命傷でこそないが、不幸中の幸いといっただけのこと。
    単独で獣が跋扈する街中にいる。その事実から生まれた焦燥感にじわりと冷や汗が滲んだ。じっとりと汗ばむ額を手の甲で拭い、路地から顔を覗かせ東の空を見る。星も瞬かぬ禍々しい闇が空を包んでいるばかりだった。ここは市街だ。治療をしに聖堂街に戻るには距離もある。ナイフを刺したまま戻るのはまず不可能だ。
    だとすれば、シモンに残された手段は一つのみだった。やつしらしく下げたボロ布の袋から瓶を取り出す。その中には凝固する気配もない血液が収められている。瓶の中の血液を注射器で吸い上げ腿へと刺した。誰のものともしれぬ血液が、自身の血流に乗って隅々と行き渡っていく。徐々に胸の痛みも和らいだが、それでも緩和される程度で完全に消えることはない。
    痛みが和らいだ頃合いを見計らいナイフの柄を握った。痛みは先ほどより幾分マシになったように感じられる。浅い呼吸を繰り返しながら汗で濡れた右手で柄を握り直す。暫しの躊躇いの後、左手で傷を塞ぐように指を沿え、一気に引き抜いた。
    熱を持った刃が引き抜かれる感覚と同時に、開いた傷口に冷たい空気が潜り込む。左手で強く傷を押さえ込むも溢れる血は多量だ。指の間に熱い血がぬるぬると流れ白い服を赤く染めていく。先ほど打った輸血液では不足しているのだ。
    額から滲んだ汗が顎へと伝い落ちる。ひどく冷え込む夜だと言うのに背中一面がぐっしょりと汗で濡れていた。ここで死ぬかもしれないという恐怖に押し潰される気配を感じながら、祈るように再び輸血液を腿に打つ。足に打つ針の痛みはもう感じない。そのおかげか、流れる血の勢いが緩やかなものへと変わる。どうかこのまま止まってくれと願いながら傷を両手で押さえ、背中を壁に押し付ける。
    血が乾いていく気配を感じながらシモンは自身の生存本能を強く感じた。
    死にたくはない、のか。惨めな死に方をしたくない、のか。その意味もわからないままに生き延びた。
    思考が鈍る頭の中に過ぎる、すぐ近くで死んだ男もそう考えただろうかという考えだけは振り払えない。それがひどく偽善的であってもだ。狩人として常日頃から死を覚悟している。だが、そんな覚悟がいかに脆いかを死と直面する度に思い知らされるようだった。
    腕に巻いた帯を歯を使って引き裂き傷を覆う。圧迫して止血を続けた。輸血のおかげか出血はさらに緩やかなものになり、滲む程度までに治まっている。傷はまだ開いてはいるが爪の先も入らないほどに傷も浅くなっていた。これならまだ夜を越すことができる。
    すっかり冷え込んだ爪先で地面を踏む。凍えた爪先では気づくのが遅れたが雪がうっすらと積もり出していた。さく、と雪を踏み抜きながら一歩一歩と足を踏み出すも視界の端が暗く染まる。
    失血が酷すぎたのだろう。輸血では補えないほどに。重く痺れる頭を抱えるようにしながら出た先は、噴水のある広場だった。本来なら愛を語り合う恋人同士や、好奇心旺盛な子供、話好きな者たちの憩いの場になるはずだったそこには何もない。薄く積もる雪が血も骨も屍肉も多い隠した。

    「……」

    また、空を見れば夜の闇を包む雲が見える。その雲の手前に煌々と月が輝っていた。
    既に夜という概念は崩れ、邪悪な月は箱庭を覗くようにこちらを伺っているのだ。
    街の夜はとうに壊れている。そんなこと皆気がついているはずだ。だというのに血に酔い思考を鈍らせて、目を曇らせている。
    ビルゲンワースも医療教会も狩人たちの目をそれらから背けさせていると思わざるを得なかった。水面のように静かに広がっていく不信だけがシモンを正気に留めてくれるような心地だ。
    力なく噴水の淵に腰を下ろす。身体中に砂を流し込まれたように重たく、どこか他人事だ。そうして出てきた言葉も現実味もない。

    「あんたは病気だ」

    音もなく広場に立つ男へとそう告げた。全身を余すことなく鮮血に塗れた英雄は月を見ていた。その月に思うことがあるのかないのかも表情は分からない。
    彼は言葉通り、獣の病の罹患者だ。しかしあるときからルドウイークは錯乱することもなくなり以前のような朗らかさを取り戻していた。しかし治療が進んでいるわけではないことくらい医学の心得がないシモンでもわかる。剣に絡む獣の腸と肉片に頓着せぬ様子を指しているのではない。
    獣に裂かれたのか胸部からは肋骨が覗き、腿は抉れて筋肉と骨が見えた。左腕は踏み抜かれでもしたのか肘から先が潰れていた。身動ぐ度に腕がぶらんと力なく揺れる。
    だというのに彼は傷に気付いていない様子だった。ショック死をしていてもおかしくない大怪我だというのに頬は高揚しかすかな笑みさえ浮かべている。この夜に満たされるものを感じているようだった。

    「……輸血液はまだあるのかね」

    見ていられないと思うくらいなら背中を向けて立ち去ればいいだろう。しかし彼が影でどう呼ばれているか知らないはずもない。痛みさえ感じない様子のまま教会へ戻れば彼の病の悪化を皆知ることになる。
    庇う義理などはないがあまりにも彼が哀れに見えた。病の恐怖を直向きに隠し、市民を守るために狩りに赴いていた頃の姿より今が一層悲壮さを纏っているようだ。

    「ああ……。しかし君こそ、ひどい怪我をしているように伺えるが……」

    初めてシモンの存在に気がついたようにルドウイークが振り返った。ひどい様子のシモンの様子を視界に収めれば痛ましそうに眉根を寄せる。それが形式上のものではない心からの心配であることは口調からも表情からも感じ取れた。だがシモンが安堵することはもうない。
    病を患う以前のルドウイークはもういないのだ。

    「……俺のことは構うことはないさ」

    唯一の救いは左腕を損傷していることだ。あの腕では少なくとも今宵はもう剣を振えまい。
    さらに望むのであれば右腕を負傷すればよかった。戦う手段を失い、悍しい夜が過ぎるのをただ待つだけの身になればよかった。輸血液を打ち、医療教会本部で適切な治療を受けても二度と狩りなどできないよう体に後遺症が残ればいい。そう願うのは不本意だったがそう願わざるを得なかった。そうすれば誰も彼を英雄と囃し立てることも、その影で口汚く罵られることもなくなる。

    「ここの獣は狩り尽くした。新たに発症した罹患者ももういない。……被害総数の報告が必要ならば夜明け後にまとめて報告をしよう」

    話を切り上げるように矢継ぎ早に続ければ立ち上がった。ここに用はない。ルドウイークにかけるべき言葉も何もないのだ。目を背け、背中を向ければまた胸の傷が痛む。塞がったと思ったが勘違いだったのか。生温い血が傷の上に盛り上がり、服へと染み込んでいくのを感じた。煩しそうに舌打ちをすれば手を押し付け再度止血を図る。
    薬と同じく輸血液にも耐性ができるとでもいうのか、傷はなかなか塞がらない。それどこか一度は治りかけた傷が開きジクジクと熱を持って疼く。
    これはただの刺傷ではない。それに気がついたのは額から滴った多量の汗だ。
    ぽたぽたと地面に落ちていく汗の玉に続いて鼻腔から血が滴り、炎を飲み込んだように粘膜が爛れ口の端から血と唾液が溢れた。毒だ。判断が遅れたことに冷たい戦慄が蘇る。まさか市街の狩人が毒なんてものを潜ませているなど予想だにしていなかった。
    視界は目まぐるしく歪み、網膜を鋭い針が刺すようだった。目の奥の神経は焼き切られるように熱く痺れる。目が血走り、いずれ毛細血管が切れて目からも血を流すことになるだろう。そうなった時は先ほど死んだ市街の狩人と同じだ。ただの見窄らしい死体となって転がるだけ。蠅も集らぬ腐った肉の塊に。
    一方、狩人として長く生きても行き着く先は、超越した異質さを身に纏うだけだろう。そんなことは彼を見て明らかだ。死の恐怖をまだ感じることができるのは幸いなことか。それさえももう分からないほどに思考が麻痺していく。脳の内側から何者かに掴まれたように重くなっていくのを感じた。

    「シモン」

    平衡感覚も失っていたが、横転したことだけはシモンにも理解ができた。哀れな姿を覗き込むルドウイークの姿が見えた。その背後にある月は変わらず不気味で、薄気味悪い視線をこちらに向けている。それを見れば強い吐き気に襲われ胃液の味が口に広がった。仰向けのまま吐瀉をすれば窒息するだろう。そのことを見通したルドウイークがシモンをうつ伏せた。体を反転させられる浮遊感に吐き気は最高潮に達し、そのまま嘔吐した。胃の粘膜も爛れているのだろう。吐瀉物は血に塗れている。

    「……すまない」

    市街の狩人が毒を用いたのは自分のせいだと吐露する声が湾曲して届く。そのほとんどの言葉は耳に届かなかったが、おおよそ死の恐怖から免れるために勝手に市民が毒を刃に塗るようになったのだろう。それくらい誰もが予想し得たこと。それを謝られたところで解毒されるわけでもない。眦から滴り落ちたものが苦痛のために溢れた涙か、それとも血か。それさえはっきり確認できないほどに視界は濁り出している。
    力強い腕がまたシモンを仰向けの体制に戻すと、ルドウークが血と胃液で滑る口へと小さな何かを含ませた。それが解毒効果のある丸薬であることを察すれば、痺れきった舌で喉奥へと送り必死に嚥下する。飲み込めたかどうかすら自分で確認もできないシモンの様子を見れば、ルドウイークが右手だけで器用に口をこじ開けて確認をする。飲み込むことに成功したのだろう。表情にかすかな安堵が伺えた。

    「……っ、月は、まだ……そこにあるのかね」

    思考の痺れのままに発した言葉は支離滅裂だろう。しかし見えるのだ。水の底から見上げたように歪んだ視界の中、月は意思を持ってこちらを伺い、狩人を……いいや、狩人たちだろう。そのいく先を見守ろうとしている。嘲笑を浮かべながら足掻く様を楽しんでいるのが見える。
    毒に苦しむシモンの錯乱した問いかけにルドウイークの指がぴくりと跳ねる。銃身に布を巻きつける動きも一瞬だけ止まったが、また何事もなかったかのように布を巻き、それが終わるとシモンの口に弾を抜いた銃身を噛ませようとする。痙攣によって舌を噛み切らないようにする処置だ。

    「あ……、あれ、は……あんたを、救いはしない」

    欺瞞でしかないと訴えるのはルドウイークが心の拠り所としている唯一だった。
    ぐ、と唇を噛みしめ怒りとも不快感とも、錯乱するようにしか見えぬシモンを痛ましそうに思うようにも伺える表情を珍しくも浮かべていた。
    狩りの中、私的な感情を表には出さないルドウイークの心中が初めて見えるようだった。それほどまでに執着する其れは彼の心を捉えて目を曇らせている。

    「……シモン、私にはそれしかないのだよ」

    怒りも憎悪も感じさせない。穏やかな声音だった。だが振り絞るように掠れた低い声だった。

    「私には、もう……それしか……」

    潰れた左腕で銃口側を支え、銃身を掴みシモンの口に慎重に噛ませた。歯が欠けることがないように厚く巻かれた布の柔らかさにシモンは認めざるを得なかった。彼はその内心は変わってなどいないのだろうことに。変わってしまったのは病に侵された肉体と、その取り巻く環境だ。
    諦めたように口への拘束を受け入れた。仰向けに轡を噛まされた無様なままぼうと空を見た。解毒が効き出しているのだろう。吐き気は潮が引くようにゆっくりと静まっていくが視界ばかりは戻らない。それに痙攣も発作のように繰り返される。傷からはまだ血が滲む感覚を覚えた。
    霞む視界の中で何かが蠢くのが見えた。それは目蓋を閉じても変わらず、瞳の奥を細い蚯蚓がのたうち回るような感覚は消えなかった。これが導きであるならば何と悍しいだろうか。
    氷の粒子が肌を切り裂くような冷たい風に流され、どこかから銃声が聞こえた。硝煙の匂いも風に乗って届く。撃たれたのが狩人ではなく獣であればいい。シモンもルドウイークもそう願うしかなかった。

    「……解毒が終わったら君を送ろう」

    丸薬な一時の効果しか得られないから治療を受けるべきだということなのだろう。
    やがて痙攣も小さな震え程度に治れば轡を外された。半々刻はこのままだったのだろうか。ルドウイークの肩に積もった雪が崩れ落ちる。
    立とうとするも身体中の筋肉は強張り骨は軋む。関節に至っては凍りついたように硬まってしまい立ち上がることもままならなかった。
    立てるかね?と声をかけ様子を見るのもそこそこにシモンの下に潜り込み、ルドウイークが肩を抱えて立ち上がる。どちらが大怪我を負っているのかと言われればルドウイークであることは間違いないが、変わらず痛みを感じる様子もなくシモンを抱え歩き出した。広場を抜け、大橋に繋がる路地へ向かって階段を降りる。

    「……、ローレンス教区長は、あんたの病気の進行を知っているのかね」

    ガス灯の炎が頼りなく揺れる。
    強張った関節のせいで階段の段に小さく躓いた。支えられているとはいえ衝撃で傷が痛む。
    頭重感を振り払いつつもそう問えば、暫しの沈黙の後に頷いた。シモンの体制を整えまた歩き出せば今度はどこかで鐘が鳴る。だが獣狩りの夜が明けた知らせの鐘では無いことは明白だ。厚く積もり出した雪を見つめながらルドウイークが口を開いた。

    「報告する義務があるから把握されているだろうとも」

    「だとすれば、教区長は……」

    「シモン」

    とんでもない痴れ者であるとを指摘しようとすれば、それを遮った。

    「それ以上は許されない。……たとえ君であってもだ」

    咎めるような響きを含んでいるが、そこに隠しきれぬ疑念がある。疑ってしまうという罪悪感が響いた。
    敬虔なルドウイークでさえも教会の在りどころに不信感を感じている。そのことに気がついたことにシモンでさえ驚愕を隠せなかった。毒のせいか寒さか、それとも今し方に受けた衝撃のためか小さな震え止まらないシモンに気がついたのだろう。だがルドウイークはそれ以上否定しなかった。無言のままお互いを支え合うようにして道を進む。わたぼうしのような大粒の雪が降り頻る中、月は雲に陰ることなく煌々と光を落としていた。


    「教区長は、君が思うよりずっと街のことを思っている」

    ルドウイークが自分に言い聞かせるように語り聞かせたのは遠い昔のようだ。
    この悪夢に囚われてから時間の感覚はとうに失っている。実際に遥か昔のことだったのかもしれない。そのときの会話の前後どころか、彼の表情さえもシモンはもう思い出すことはできなかった。
    壁を隔てて聞こえる雨音はまるで犠牲者たちの怨嗟の声だ。ビルゲンワースの惨たらしい実験によって未だ死ぬことすらできない哀れな犠牲者たち。実験棟では肥大化した頭部を落とされた者もいた。死ぬこともできず救いを求めて泣き叫ぶ者もいた。そしてここには人の形を失い、魚のように体に鱗を生やした者も存在している。ビルゲンワースへ絶えず呪詛を吐き彷徨う彼らを不憫だと思った。そしてビルゲンワースの末裔として悪夢に囚われ続ける狩人たちも。漁村の呪いは永遠と付き纏い、狩人たちの魂を蝕み続ける。
    あの夜に生まれたシモンの疑念は正しかった。秘匿され続けていた悪夢の中に教区長を始めとした彼らの悪行が秘められていた。
    磯の匂い。黴の生えた木の匂い。体中に蕈が生えそうな湿った重い空気に支配されていた。肺はとうに水に沈んだかのように息を吸うことも吐くこともできなかった。腐った灯台の床に体を横たえ、流れ出ていく血を止める手段もない。
    今度こそ死ぬのだろう。シモンは確信していた。
    一人迎えようとしている死の際、成し遂げられなかったという無念が心を満たしていた。あともう少しで漁村に隠された秘匿を暴くことができるはずだった。村を抜け、灯台への道を進んだ先にシモンの望んだ真実があった筈だった。それをあと一歩のところでシモンは力尽きようとしている。

    「やはり、……身の丈に合わないことなど、すべきではなかった、な……」

    教会の秘密など知ったところでシモンや迷い込んだ狩人がどうすることもできまい。ならば悪夢を暴くなど大それたこともせず、大人しく医療教会の陰に潜み続けれていればよかった。
    そう考える一方で、もしルドウイークがあの夜に見せた疑念を追求すれば何か変わっただろうかという縋るような考えが浮かんでは消える。自分一人ではなく、いいや彼であればこの悪夢を暴いて狩人たちの呪いを解放することができたかもしれない。彼は英雄の一声によって市民を集い、狩人の群衆を作り出した。それは事実だった。
    もし、これがシモンの弱さ故の縋りだとすれば、ルドウイークもまた弱さを内包していた。月光に縋り狩りに溺れ、血を浴びることを求め続けた英雄の姿は弱さそのものだった。それを今更になって知ることになるとはあまりにも皮肉だった。彼もまた等しく人の子であったのだ。
    だが全ては遅すぎた。夢の中で朽ちるだけになった身では弱さと無力感に苛まれ続けるだけしかない。
    願うならば、あの狩人がこの秘匿を暴き狩人たちを救ってくれることのみだ。
    無力感がひしひしと胸を包み締め付けていく。自身の手で暴くことができなかったことばかりが無念でならなかった。
    もはや閉じることすらできなくなった乾いた瞳に膜が張るのを感じる。白ばみ始めた視界の中、遠くに産声が聞こえた気がした。
    死と冒涜しか残らぬ悪夢の中でその産声は確かに波の間に響き、此岸に産み落とされた。
    産湯のように雨と海水を浴びた赤子の声は、視界が黒く閉ざされた後も轟々と鼓膜を揺さぶり続けていた。
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    pa_rasite

    DONEブラボ8周年おめでとう文
    誰かが見る夢の話また同じ夢を見た。軋む床は多量の血を吸って腐り始めている。一歩と歩みを進める度、大袈裟なほどに靴底が沈んだこの感触は狩人にとって馴染みのものだった。獣の唸り声、腐った肉、酸化した血、それより体に馴染んだものがあった。

    「が……ッひゅ……っ」

    喉から搾り出すのは悲鳴にもならない粗末な呼気だ。気道から溢れ出る血がガラガラと喉奥で鳴って窒息しそうになる。致命傷を負ってなお、と腕を手繰り寄せ振り上げる。その右腕に握るのは血の錆が浮いたギザギザの刃だ。その腕を農夫のフォークが刺し貫いた。手首の関節を砕き、肉を貫き、切先が反対側の肉から覗いた。その激痛にのたうちまわるどころか悲鳴さえも上げられない。白く濁った瞳の農夫がフォークを振り回す。まるで集った蝿を払うような気軽さのままに狩人の肩の関節が外された。ぎぃっ!と濁った悲鳴を上げればようやく刺さったフォークが引き抜かれた。その勢いで路上に倒れ込む。死肉がこびりついた石畳は腐臭が染み込んでいる。その匂いを嗅ぎ取り、死を直感した。だがこれで死を与える慈悲はこの街にはなかった。外れた肩に目ざとく斧が叩き込まれたのだ。そのまま腕を切り落とす算段なのだろうか。何度も、何度も無情に肩に刃が叩き込まれていく。骨を削る音を真横に聞きながら、意識が白ばみ遠のきだした。いっそ、死ねるのであれば安堵もできただろう。血で濡れた視界が捉えるのは沈みゆく太陽だ。夜の気配に滲んだ陽光が無惨な死を遂げる狩人を照らし、やがて看取った。
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