いつかの約束「おっがたちゃーん。一緒に酒飲もうぜー」
夕方にようやく山を降り、久しぶりの宿。
お前らにアシリパさんは任せられねぇとの杉元の判断で、部屋分けはいつも杉元とアシリパ、白石と尾形に分かれる。
無口で興味のあること以外にはほぼ無反応の尾形と、明るく剽軽で口達者な白石。初めの頃こそ気まずさがあったが、いつも同室となれば自然と相手の存在にも慣れてくる。
今日も今日とて瓢箪型の酒瓶を手にした白石が、部屋の隅に手拭いを広げて銃を整備する尾形へと声をかけた。
「今日はいつもよりちょっといい酒なんだぜ。たまたま拾った財布の持ち主が気前良くってさぁ」
ぺらぺら喋る間に手を止めた尾形が顔を上げ、白石の顔をじっと見つめる。
酒に強いわけではないが嫌いなわけでもない尾形が白石の酒に付き合うのは、一人で飲ませるといつまでもグダグダと煩いからだ。ということを白石は知らない。
白石が畳に座り、どこぞで拝借してきた猪口に酒を注ぐ間に尾形が銃を組み立て、部屋の端へと押しやる。そして衣嚢に手を突っ込み、その手を白石の方へと差し出した。
「…え?何…?」
今まで何度も酒に誘ったが、今までにない反応に白石が固まる。何せ尾形は何を考えているのかさっぱり分からない。
そして尾形の口から出てきた言葉はやはり予想外のもので。
「やる」
「……やる、って…俺に…?」
思わずと白石が尋ね返したが、それに対する尾形の返事はない。だが部屋には二人きり。そもそも目の前の白石に向けて手を差し出しているのだから、他の誰に渡すわけでもないことは考えるまでもなく分かることだ。
謎の何かを差し出され、ごくりと唾を飲み込んだ白石が恐る恐る手を差し出す。その上で尾形が拳を開くと、白石の掌の上にころりと何かが転がった。
「……飴?」
白い紙に包まれた小さなそれは白石がよく口にしているものだ。
唐突に渡されたそれの意味するところを理解出来ずに悩む白石を眺めていた尾形が、自身の前髪掻き上げながらついと目線を逸らせる。
「…それ、好きだっただろう」
尾形は言葉が少ない。圧倒的に足りていない。だからその部分は白石自身が補足する必要があるのだが。
「…これ、俺の好物だからくれるってこと?」
恐る恐る白石が尋ねると、目逸らせたままに尾形がこくりと頷いた。
「尾形ちゃ〜ん!」
「臭い。近寄るな」
思わず抱きついた白石の身体を表情一つ変えずに尾形が押し返す。だが本気ではない。
細身だとはいえ、仮にも軍人であった尾形が本気で押し返せば白石などあっという間に引き剥がされてしまう。それが剥がされないと言うことは本気で嫌がっているわけではない、と白石は知っている。
「こういうのねぇ、つんでれって言うんだって廓のおねーちゃんが言ってた」
「てめぇ…また遊郭に行ったのか」
「痛い痛い痛い!尾形ちゃん!顔面は掴まないで!?」
「飴ちゃんありがとうね」
今日は月が綺麗だ。満月というには少し下のあたりが欠けているが、煌々と光が降り注いでいる。
宿の一室、窓の側に並んで座り、月を肴に猪口を呷る。
「俺も何かお返ししたいんだけど、尾形ちゃんは何が好きなの?」
「あんこう鍋」
即答された料理に白石が目を剥く。
「あんこう鍋!?高級品じゃん!」
「そうなのか?…生まれ故郷の茨城では安くて庶民的な鍋だったが」
尾形が故郷の話をするの初めてではないだろうか。
ふと白石がそんなことに気付くも、それ以上掘り下げることなく月へ視線を戻す。
「そっかぁ。でも北海道であんこうってのは聞かねぇなぁ。他には何かねぇの?」
再度問われた尾形が、手にした猪口の中の酒精へ視線を落とす。
「…赤飯」
「赤飯〜?小豆飯は見たけど…北海道の赤飯って甘納豆で作るらしいぜ?」
「甘納豆の赤飯は嫌だ」
無口な尾形が思いの外きっぱりとした拒絶を示した。
「なら小豆飯は?」
「…餅米がいい」
「うぅん…じゃあ北海道じゃ自分で作らないと手に入らねぇかもなぁ」
一行の中で飯盒を持っているのは杉元だけだ。あの杉元が果たして尾形のために飯盒を貸してくれるだろうか。
「…食えなきゃ別に構わん」
白石と同じことを考えたのであろう尾形が小さく呟き、くいっと猪口の中の酒を飲み干す。
それを横目に見た白石が尾形の手から空になった猪口を取り上げ、にっと笑いながら宙に浮いたままの手の小指に自らの小指を絡めた。
「んじゃ約束な。あんこう鍋…はちょっとお高いんで無理かも知れねぇけど、お返しに今度赤飯を食わせてやるよ」
* * * * *
「さっむ!ちょっ、尾形ちゃん何で窓開けてんの!?」
コタツ部屋から流れてきた冷気に身震いした白石が部屋を覗き、全開になった窓を見て驚いて声を上げた。窓を開けた張本人である尾形は、いつの間にかちゃっかり暖かそうなコートを着ている。
「どうせ電気代を払ってるのは俺だろうが」
「そりゃそうだけど、そうじゃなくてさぁ…あ、出来た」
電気代が勿体無いというのもあるが、それ以前の問題として純粋に寒い。そう告げるより先に、台所から聞こえてきた電子音に白石が首を引っ込めた。それから白石がコタツ部屋と台所を往復すること3回、4回。
その間ぼんやりと窓の外を眺めていた尾形が漂ってきた出汁の香りにひくりと鼻を動かし、コタツの方へと目を向ける。
「はい、これで最後」
言って白石が持ってきたのは、何の飾りっ気もない真っ白の徳利。それとセットの猪口が2つ。それらをコタツの上に置き、それから慌ててスカジャンを着込む。
「ははっ、美味そうだな」
小さなコタツ机の真ん中には鍋。そしてそれぞれの取り皿と箸、茶碗、徳利と猪口を置けば、机の上はそれでいっぱいだ。
「海老で鯛を釣った気分だぜ」
「はは…金を出したのは尾形ちゃんだけどね」
土鍋の中で野菜と共にぐつぐつと煮えているのはあんこう。もちろん椎茸はない。茶碗の中には湯気の立つ炊き立ての赤飯。
「しかし豪勢だな。盆と正月が一緒に来たみたいだぜ」
言いつつ白石が2つの猪口に酒を注ぐ。
「んじゃ食べよっか」
窓辺で外を眺めていた尾形も白石の言葉を受けてコタツに戻り、その温かな布団の中に足を突っ込む。
そして2人で手を合わせる。
「「いただきます」」
開け放たれた窓の外。
空に浮かぶ月はいつかのように、少し下の欠けた満月で。