『禁じられた遊び』③「おまえは死んだらどこにいくんだ」
『梵天』の幹部のひとりである九井一はなにかと噂の多い人物だ。金稼ぎの才能と共に、厄介な性格が語られる。曰く、人を殺すのに躊躇がない。曰く、ヤクザと繋がっている。曰く、麻薬に詳しすぎる。曰く、頭は良いが、ぶっ飛んでいる。
なによりあのイザナが、黒川イザナが、彼のことを危険視していた。瞼を閉じた鶴蝶の耳にイザナの声が蘇る。九井はヤバイやつだけど、乾といっしょに居たらまだマシだ。だからあいつらは離さずにいろよ。
乾という男の名は、たびたびイザナの口から話された。オレにすこし似ている。と言っていた。
乾の話をするときのイザナはすこしだけ懐かしそうで、すこしだけつらそうにしている。乾がイザナの兄、真一郎と由縁があったからだろう。しかし話が九井に移ると、イザナの顔は冷徹なボスに戻る。九井は乾と離すなと、念を押すように言っていた。
九井にとって乾とはなんなんだ。イザナと鶴蝶のようなものか。訊ねた鶴蝶にイザナは唇をゆがめた。
「この世に九井一を生んだのは乾だからだ」
鶴蝶は乾をよく知らないが、一度みたことがある。綺麗な顔をしているが、たしかに男だった。そもそも二人は同い年だというじゃないか。
「産んだ? オトコがどうやって?」
イザナは鶴蝶を振り返って、歯を見せて笑った。あは。あははは。おまえ、ばかだなぁ。イザナがそんな顔をして笑うのは久しぶりで、それをよく覚えている。
そのイザナはもうこの世界にはいない。目をあけた鶴蝶の前には九井一がいる。イザナが危険だと言っていた男。乾から離すなよと言われていたが、鶴蝶は乾の傍にいる九井を知らない。鶴蝶が知っているのは、蛇のように狡猾な九井一だ。
「死んだらどこに行く? 骨になるだけだろう」
「その骨はどうするんだ。野ざらしか」
九井の言葉に、鶴蝶は瞠目した。死ぬことは考えたことはあっても、死んだ後のことなど、考えたことはなかった。素直にそれを伝えると、九井は蛇のように目を細めた。九井と会話をするときはいつもそうだ。会話が成立しているにもかかわらず、どこか気味が悪い。薄気味が悪い。
「おまえのそういう素直なところ、イヌピーに似ている」
「はぁ」
似ていると言われても、困る。それが鶴蝶の素直な感想だ。
「馬鹿な女が馬鹿な男とセックスをして、産まれたのがオレだ」
意外な告白だった。九井は高学歴の両親のもとに生まれたのかと思っていた。劣悪な家庭環境に生まれた子供には、ある種の匂いがする。たとえばイザナのように。たとえば鶴蝶のように。九井にはその匂いを感じなかった。
「オレには戸籍がなかった。名前もなかった」
施設にはそういう子供がひとりいた。ただし彼女は乳児であったけれど。
「行く場所がなくて公園に行ったら、イヌピーが金魚の墓を作っていた」
その金魚の名前がココだ、と九井は言った。
「金魚」
「黒い金魚だったとイヌピーは言っていた」
オレにお似合いだろ、と九井が笑う。
意味が分からなかった。おまえは死んだ金魚の名前を自分につけたというのか。
「イヌピーの苗字が乾だと知って、名前ははじめにした。乾の易数は一なんだぜ。わかんねぇって顔をしているな。まぁ、由縁があるってことだ。そうだな。おまえの名前が鶴だから、亀と名乗るようなものだな」
正直に言えば、九井の話はよくわからなかった。真実というには骨董無形で、嘘をつくにはメリットがない。
「……いったいなんの話なんだ」
「死んだ後の話だよ」
九井はろうろうと歌うように語りはじめる。
「おまえが死んだら、イザナの骨といっしょに埋めてやろう」
ざわりと肌が粟立った。
おまえがその名をかたるな。
だが、無視できない。イザナの骨? 彼の骨は、佐野の祖父がひきとって、佐野家の墓に埋葬された。血縁者ではなかったが、彼は引き受けてくれたのだ。墓石にその名が刻まれている。
「墓を暴いた」
「テメェ……!」
血が沸騰するかと思った。胸ぐらをつかむ。激昂する鶴蝶に対し、九井は冷静だった。
「安心しろよ。オレは触れていない。灰谷にやらせた」
「は、」
「あいつらはイザナの部下だったろう」
今度こそ九井を気味が悪いと思った。理性ではない。感情が、本能が、この男は気持ちが悪いと判断した。
「おまえはイザナの骨を欲しがると思ったんだが、違ったか。それじゃあ、交渉にならないな」
「交渉? いったいなんのことだ」
「オレが死んだら、その骨をイヌピーに渡してほしい」
鶴蝶は今度こそまじまじと九井を見た。つくづくと理解した。たしかにこの男はヤバイ。
「土地は用意してあるんだ。そこに埋めてほしいと伝えてくれ」
「馬鹿なのか」
「オレがイカれてるって、おまえは知らなかったのか?」
どうやら交渉は成立だな。悪意のある蛇の目をした九井はにやりと笑う。おまえのどこが金魚だよ。鶴蝶は喉元まで出かかった言葉を飲みこむ。