甘えたがり③だいぶ長い時間居座ってしまい、そろそろ帰ろうという頃だった。オレが空っぽになった弁当箱を持っていたランチバッグに入れて立ち上がったそのとき、窓から見える空が光る。そして少し遅れて大きな雷の音がした。がたがたと窓が揺れて、どうやら風もよく吹いているようだった。
「あー…そういえば、昨日の天気予報見てなかったな」
大雨に強い風に雷。
恐らく類に傘を借りさせてもらっても間違いなく家に着く頃にはびしょびしょに濡れてしまうだろう。そう思うと少し億劫になって憂鬱な気分が声に出た。
「………」
「類?」
類が急に黙り込んでしまうので不思議に思って名前を呼びかけた。類の顔を覗き見るといつもゆるりと笑っているその口元が珍しく結ばれていて。
やはり端正な顔立ちをしていると思う。類が集中していることをいいことに類の顔をじっと眺めていた。
今、こいつはオレの恋人なんだな、頭の中でぼんやりと思う。形のいい唇に、筋の通った鼻、見れば見るほど完成されている。肌も綺麗だ。なぜ野菜を食べないのにここまできめ細かい肌なんだとついまじまじと見てしまう。よく見れば睫毛すらも長い。睫毛の影がその月のような目に落ちていて、いつの間にか目が合っているような気がした。
「…司くん、そこまで熱心に見つめられると、照れてしまうんだけど」
あと、その……近いよ。
類にそうやんわりと嗜められてようやく我に返る。
「す、すまん…っ!」
「そんなに気にしなくていいから。とりあえず考えたんだけど、昨日はうちに泊まっていかないかい?」
「え、しかし」
「というか危ないから強制だよ。拒否権はなしね」
それは流石に悪いと断ろうとするとすかさず逃げ場を塞がれた。オレが類のことを恋愛的に想っているのかはまだわからない。わからないままだが、なんとなく、落ち着かなかったのだ。
「でも、その…一応今オレ達、恋人だよな」
「…うん?そうだよ」
こんなペースで家に泊まるなんて、不健全ではないか。たしかに今までにも、類の家に泊まったりすることはあった。しかしそれは友人としてでしかないのだ。類が、あ、と声を小さく漏らした。類は賢いからオレの意図が多分伝わったのだと思った。もしかして、と類が口を開いた。
「意識してくれてるの?」
「うっ」
あまりそこには気が付いてほしくなかったが、簡単に言えばそういうことである。図星をつかれて情けない声が出た。類はその様子を見て確信を得たようで途端に口を抑えた。類が、笑いそうなのを堪えているのだと悟った。
「おい、笑うな」
「……ふふ、つい、嬉しくってね」
てっきりバカにされていたのだと思っていたオレは類の言葉がよくわからなかった。嬉しい?それはどういうことなのだろう。
「司くんは、男同士云々よりも、ちゃんと恋人として見てくれてるんだね」
「?当たり前だろう」
「…そういうところが好きなんだ」
「は」
「いや、そういうところも、かな」
突然の告白に呆然としてしまう。実は、予想はできていたのだが。しかしながら実感がなかったため、いきなり意図せず確証を得てしまった、という状況である。
"僕のことが好きなの?"
"……それはわからん…"
"そこには言葉に詰まるんだねぇ…"
昨日のやりとりが頭をよぎる。オレが類のことを好きなのかはわからない、そう告げると類はあからさまに落ち込んだ様子を見せた。あのとき、もしかしたら、類はオレのことを…と気が付いてしまったのだ。
「僕は、ずっと、君が思っているよりもずーっと前から、君のことが好きだったんだ。最低だけど、代わりを用意しようとするくらいにはね」
「少しも悪びれる様子が見えないんだが」
「だって、全部君のせいだし、逃すつもりもないからね」
オレにはなんとなく類が焦っているのがわかった。類が嘘をついていることすら、お見通しだった。だって今までの類は、恋人の話をするとき、ずっと申し訳なさそうな顔で笑っていたからだ。悪びれる様子がないのではなく、あえてオレにそう見えるようにしているのだ。自分勝手に見えて、いつだって選択権はオレに与えてくれる、類はそういう男だ。でなければ、こうやってわざとオレのせいにして、オレが類を振ったとしても後腐れがないようにするはずがない。そんなに不安そうな目をオレに向けるはずがないのだ。
「…類」
「なぁに、司くん」
多分、類は。オレが拒めば、逃すつもりはないと言いながらも、それを受け入れるだろう。そして、黙って、離れていくのだろう。しかし類は、優しいやつだから、オレが友人としてそばに居てくれなんて言えば、ひどいなあ僕のことをなんだと思っているんだい、なんて返してくれる気もする。だから、類を好きじゃないなら、突き放してしまえばいい。最初はそばに居てくれはすれども、きっと、いつしか類から離れてしまうだろうけれど。
——オレは、許せなかった。
もちろん類だけに我慢を強いることもだが、それ以上に、
「オレから離れるな」
「え、」
「オレは、類がオレのことを好きなのかと思うたび、」
「……嬉しかったぞ」
緊張していたからか、少し声が掠れる。気まずい沈黙が流れた。もしかしたら類に聞こえていなかった?いや、聞こえたはずだと思いたい。耐えきれなくて、つい口を出してしまう。
「おい!なんとか言ったらど…っ」
類に抱きしめられた、と認識したのは類の肩に顔がぶつかってからだった。つよく抱きしめ返すと、類の心音がより大きく聞こえてきた。
「…司くん…っつか、さくん…っ!」
「……ふ、泣いているのか。かわいいやつめ」
嗚咽混じりの声は、情けなくて、ひどく、いとおしかった。類の背中を優しくポンポンと叩く。しばらくしてから抱き締められた身体がようやく離された。類が涙に濡れた目をごしごしと擦る。
「そうやって腫れると言ったのはお前だろう」
少し呆れながらも類の目を指で優しく拭う。すると類は甘えるように擦り寄ってくる。それがまた類にしては変にかわいらしくて吹き出してしまう。その反応に類が不機嫌そうに見つめてくる。
「…なに、笑ってるんだい」
「お前も存外甘えたがりだと思ってな」
「お前、も?じゃあ司くんも甘えるタイプなのかな?」
「ふは、そうかもしれんな」
今度は僕に甘えてね、そう拗ねるように言われてまた思わず吹き出しそうになる。その様子を見てさらに拗ねた類が、突然口付けてきて、オレの叫び声が木霊したのだった。