正解を探す話 今日はなんだかずっと魈が落ち着かない様子だった。
「鍾離様」
「どうした?」
魈の呼びかけに応えて目を合わせる。
「あ、いえ」
ほんのわずかな時間、見つめ合う形となるが、魈は緩やかに目を伏せる。
「何でもありません」
「何でもないのか?」
「はい、何でもありません。すみません、何でもないのに呼んでしまいまして……」
「幾らでも呼んでもらって構わないが」
緊張の面持ちの魈を解すつもりで、柔らかく笑む。申し訳なさそうにしながらも、自分が笑うのを見た魈が少し安堵したように、そして嬉しそうに目尻を下げるのを見て、自分も何故か同じような気持ちを持つ。
「では……我は槍の手入れをしておりますので……何か御用があれば呼んで下さい」
そう言って自分の前からまた離れていく。
先刻は花びらが落ちていたとわざわざ自分に見せに来てくれた。そんな風流が、魈にあっただろうかと妙な気分になる。意味もなくそんなことをする訳はないので、何かしらの意図があるのだろうと思うが、それが分からない。また別の時には、自分に手を伸ばしてくるので視線をやると「塵がついていたと思ったのですが、気のせいのようでした」とすぐに手を引っ込めた。そして自分から逃げるように離れていく。
自分から少し離れていても、自分を窺っているのが分かる。それと魈の落ち着かない気が、漂う。それは分かり易く伝わってきた。
「散歩でもどうだろうか?」
「散歩……外ですか」
魈は少し考えているようだった。
「……できれば、その、今日は中の方が良いです。あ……しかし、鍾離様が外に出られるのあれば、我もお供いたします」
「いいや、今日は中に居よう」
「あ、ありがとうございます」
緊張した表情が緩むのを見て、自分もどこか緩む。
そうして分かったことは、魈の目的とすることは中にいた方が都合の良いことであるということだった。
少し浮ついた気分になって、魈が次はどのような形を取るのか、少し期待をして待ちたい自分を感じる。魈がたまにちらりと自分を見ているのが分かると、その視線に気付きつつも気付かぬ振りをし、それに形容し難い昂揚を感じた。ちらりと見た瞬間に魈を呼びつけて、魈の目を丸くさせてみたくもなる。けれど、それはしない。
あまりこちらから意識を送ると、警戒して動かなくなってしまう為、また何ともなしに意識を散漫にする。一冊本を取り、長椅子に座り、読み耽る体勢を取る。自分の方に完全に意識が向いていないと考えている魈はまたそわそわとし出し、こちらをちらりちらりと見ているのが分かる。
意を決したように魈が寄ってきて、自分の隣に座る。それだけでも魈にとっては大事なようだった。けれどそこからは何も発さず、またもや何事か考えているようだ。そんな魈をつついてみたくなり、その欲を抑えきれず、声をかける。
「お前も本を読んでみるか?」
「本はあまり……」
そこで一度言葉を切る。
「いえ、読みます」
「では何か見繕おう」
本棚に行こうと腰を上げそうになると、その前に魈が先に声を発した。
「わ、我は! 今、鍾離様が読んでいる本を……その、一緒に、読みたいです」
「これか?」
手に持っていた本を少し上げて見せる。
「はい」
ぐっと目を見開いて見上げる様が猫を思わせて、思わずふっと息が漏れる。
「そうか」
ほんの少し浮いた腰をまた椅子に降ろし、閉じかけた本をまた開く。頁を最初に戻そうとすると、「鍾離様が読んでいたところからで問題ありません」と魈が言う。
そうしてどうやって一緒に読むのかと思っていたら、魈は自分の方に体を寄せて、脇から目線を送って読書の形を取った。大きな文字で書かれている訳でもないこの書籍を読むには、あまり効率的とは言えない。しかし、魈のその姿からは普段の魈からは出ることもない稚拙さを感じさせ、それが酷く自分をくすぐるので、効率的でないなどの指摘は全くの野暮だった。まるで自分も猫であれば、ごろごろと喉を鳴らしてしまいそうだった。
「……」
魈の目線は全て本に注がれていたが、読んでいるというより必死に見つめているだけのようで、やはり今もまた何かを考えているようだ。
「……」
そして息を殺す様に、ゆっくりと魈が動いているのが分かる。魈の緊張が空気で伝わり、接触しそうな肌が少し粟立ちそうなほどである。
「……はは」
「えっ!」
「いや、何でもない。本を読もう」
思わず自分が思いついた考えに笑いが零れてしまい、すぐに反省した。魈の体は先ほどよりも離れてしまったようだった。随分とまた警戒が強まり、今はぴくりとも近づいてこない。
魈はもしかしたら、自分に触れようとしているのかもしれないと、そんな考えが過った。そう考えると今日の行動が全て腑に落ちてしまったので、そうなると魈のやり方が、あまりに不器用で回りくどく面倒で、そしてとても幼稚でいじらしく、息を吹きかければすぐに消えてしまいそうなそれを、両手で守りたくなるような心地を感じた。自分の勘違いでないことを祈るばかりではある。
「本は、これ位にするか」
一応閉じる前に目で魈に確認すると、頷くのでそのまま本を閉じる。
本を傍らに置きながら、ふっと視線を窓へ送るともう夕暮れ時であることに気付いた。今日は魈を気にしていた為か、時間の流れがいつもと違うように思える。あっという間に夕暮れ時になっていた気がする。しかし、まだ夜もあると思えば、まだ夕暮れかという気持ちにもなる。
そうやって遠くを見やっていると、目の前の魈から口を開く気配を感じたので、視線を戻す準備をする。
「鍾離様、あの、寒くなど……ありませんか?」
「お前は寒いのか?」
「いえ、我は寒くはありませんが……鍾離様が寒くはないかと思いまして……」
「いや、寒くはないが」
「そ、そうですか」
魈の落胆したような表情が見れたことに、自分が満たされていた。自分の言動で、魈が表情を変えるのが、嬉しいようだった。このような表情も、この彼はするのだなとも率直に思う。その次の表情も見たくなり、簡単に自分は意見を変える。
「……やはり、少し寒いな」
「寒いですか」
魈の顔が緩むので、自分も思わず緩む。しかし、どうしてくれるのだろうか。
「あの、失礼します」
そう言うと、魈は緊張の気配を漂わせながらこの自分の手を取って、両の手で挟むように包む。
「こうしたら、きっと温かいです」
そのように言いながら真剣な顔で、夜叉には似つかわしくない形で、頬を紅潮させながら、その手でぎゅうと自分の手を包む。その姿に堪らず口から笑みが零れる。
「これではあまり温まらないな。もっと温まる方法があるだろう」
体を魈の方に向けてやると、察した魈の緊張感が増す。
「え、あ……はい……」
魈はその体を寄せてきて、自分の胸に沿うように重ねてくれる。少し間を置いてから、腕も控えめに背中に回される。顔は胸の中に沈んでしまい、表情は見えなくなってしまった。
「温かいな」
自分も魈の体に腕を回してみる。
「良かった」
顔は見えないが、その動きで表情を変えているのが分かる。
これで正解だったのだろうか。
分からないが、胸に感じる魈の頬の隆起を感じれば、正解でいいだろうと思えた。
了