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    ゆん。

    @yun420

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    ゆん。

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    7.
    一緒にシャワーを浴びてる。

    7.7.



     パチン、と爪を切る。両脇をそっと切って、次に真ん中。そして最後にヤスリを掛ける。
     何度もやっていれば慣れたもので、切られているフロイドの方ももう文句は言わない。従順にジェイドに足を差し出している。そんなフロイドをベッドの上に座らせて、床にジェイドが膝を付く。
     長く、しなやかなフロイドの足。足の裏を優しく持ち上げ、伸びた爪を一つ一つ丁寧に切ってゆく。
     パチン。
    「……ジェイドが爪を切ってくれるのも、慣れたけどさぁ」
     フロイドはじっとジェイドの頭を見ている。切られている間、スマートフォンや雑誌でも見てても良いと言っても、フロイドはいつもジェイドが爪を切るのを待ってくれている。少しだけ退屈そうに。けれど、興味深げに。
    「そうしてると、なんか跪かれてるみたいで、変な感じ」
     パチン。
    「ふふ、女王様にでもなったような気分でしょうか」
     パチン。
    「馬鹿なこと言ってんねぇ」
     呆れたように笑って、フロイドは俯いたジェイドの額を優しく指で弾く。顔を上げて、「痛いですよ」と文句を言えば、ベ、と舌を出された。
     全ての爪を短く切り終えると、ジェイドはフロイドの足の甲に唇を落とす。騎士が女王に忠誠を誓うかのように、恭しく。
     ジェイドがフロイドの爪を切る時の、最近のルーティンだ。
    「……そういうとこが馬鹿っぽい」
    「酷いですねぇ」
     切った爪の欠片を片付けながら、ジェイドは機嫌良く笑う。ベッドの上に座る兄弟の耳が僅かに赤く染まっている事は、ジェイドも気付いている。自分の心臓が、それにぎゅうっと締め付けられるようになるのも。
    「今日はフロイドの作ったカレーが食べられて嬉しかったです」
    「カレーって次の日のが美味いんだってぇ。明日また残ったの食べよ」
    「そうですね」
     フロイドが作った物はなんだって美味しい。稀に気分が乗らない時は口に合わない物を作る事もあるが、それでも不味い出来ではない。天才気質な兄弟は、料理の腕もやはり天才気質なのだ。
     数日前にバスケ部の合宿に行っていたフロイドは、そこで他の部員達とカレーを作ったのだと言う。カレーを作り、皆で食べて、その後に大きな風呂に入ったのだと。
     それを電話で聞いた時、ジェイドははっきりと胸に昏い感情を抱いた。自分以外と楽しげにしている兄弟に。兄弟の体を見たであろう人間達に。
     苦しさにも似たこんな感情を胸に抱くのは初めてで、ジェイドは自分自身で戸惑っていた。
    「僕も、フロイドと大浴場に入ってみたいですね」
     つい、そんな言葉が口を衝く。ベッドに座るフロイドの頭を撫でながら、正面から顔を覗き込む。フロイドは驚いたように目を丸くして、ジェイドを見上げていた。
    「……別にいーけどさぁ、寮にはおっきいお風呂ないじゃん」
     オクタヴィネル寮には、温泉や銭湯といった施設はない。あるのはシャワールームのみである。
    「そもそもジェイドとお風呂って、海で泳いでんのと変わんなくね?」
    「今は人間の姿ですからね、また意味が違いますよ」
     足もありますしね、と言いながら、ジェイドはフロイドの脹脛を下から上へと撫でる。ハーフパンツから見える足は、肌が滑らかで美しい。「擽ったい」とフロイドが笑うのに、ジェイドはゆっくりと手を離した。
    「じゃー、明日一緒にシャワー浴びる?」
     フロイドは片膝を抱え、こてんと首を傾げる。あざとく見えるような仕草だが、本人は何も考えていないのだ。
    「え」
    「だってここシャワールームしかないじゃん。二人だとすげえ狭いけど」
    「……フロイドは大浴場でどんなことをしたんですか?」
    「どんなって……ふつーだよ。髪の毛洗って体洗って……あー、カニちゃんに背中を流してもらったぁ」
    「ではそれを、僕にもやらせてください」
    「いーけど」
     腹の底で煮え立つ炎を無理矢理抑え込み、ジェイドは愛想の良い笑みを浮かべる。そんなジェイドを見て、フロイドは不思議そうな顔をするが、何も言わなかった。




     部屋着用のシャツを脱ぎ、ハーフパンツも脱いで、あとは下着だけだという姿で、フロイドは顔を上げた。
    「なんか視線が痛いんだけど」
    「そうですか?」
     まだ一枚も衣服を脱いでいないジェイドは、フロイドの言葉に困ったような笑みを浮かべる。勿論、そんな笑みが兄弟に通用する事はない。
    「オレの裸なんて見慣れてるっしょ?」
     確かにフロイドの言う通りなのだが、それとこれとはまた話が違う。思えば人間の体になってから、二人は一緒に風呂に入った事などない。そもそも人魚には入浴の習慣がないのだから、当たり前なのだが。
     程よく筋肉の付いた、均整のとれた体。細身だが、ガリガリと言うほどでもない。腹筋はうっすらと割れているし、手足もすらりと長い。恐らくジェイドと殆ど変わらぬ体だが、フロイドの方が美しい体をしているように見える。
     シャワールームには人がいない。二人がセットで現れた事で、他の寮生達は蜘蛛の子を散らすかのように居なくなってしまった。ジェイドはそれにほんの少しの安堵を覚えながら、自身も衣服を脱ぐ。フロイドの方はといえばさっさと裸になり、一人で狭いシャワー室へ入っていった。
    「不思議なんだけどさ、」
     シャワーのコックを捻りながら、フロイドは後に続いてやって来たジェイドを振り返った。
    「ジェイドはなんでオレとお風呂入りたいのぉ?」
     視界を覆うほどの白い湯気が立ち上り、フロイドは自身の足をお湯で洗い流す。おいで、とジェイドの方へ手招きをすると、ジェイドの体にもシャワーでお湯を掛けてくれた。
    「フロイドがバスケットボール部の方々と入浴したと聞いたので」
    「なにそれぇ」
     肩から腕に流れるシャワーは少し温めの温度だ。入浴という行為に慣れたとはいえ、熱過ぎるお湯を好んでいるわけではない。
    「そう言えばカニちゃんが、煮魚になっちゃわないんですかぁって言ってたぁ」
    「おやおや。フロイドにそんなことを言うとは、随分と勇気がありますね」
     背の高い男二人が入るには、この個室はやはり狭い。ジェイドはフロイドの手からシャワーを取ると、フロイドの髪の毛をお湯で濡らしてゆく。
    「洗っても?」
    「……いーけどぉ」
     部屋から持参したシャンプーを手にし、軽く泡立ててからフロイドの髪に指を差し込む。白い泡と共に、ムスクの甘い香りがふわりと広がった。
    「いー匂い。新しいやつ?」
    「ええ、以前ヴィルさんから勧められたシャンプーです」
     ムスクの香りですよ、とジェイドは言いながら、フロイドのこめかみから耳の後ろを丁寧に洗ってゆく。フロイドは気持ち良さそうに目を閉じて、ジェイドに身を委ねてじっとしていた。
    「……これがしたかったの?」
     泡を流し、トリートメントを付けた髪を綺麗に洗い終わると、ずっと大人しかったフロイドが口を開く。濡れた前髪の隙間からオッドアイが真っ直ぐにこちらを見るのに、ジェイドの心拍数が跳ね上がった。
    「……髪の毛もそうですが、背中も洗いたいです。エースさんにはやらせたのでしょう?」
    「強制したわけじゃねーけど」
     ジェイドの答えに、フロイドは愉しげに口角を吊り上げる。
    「合宿で作ったカレーが食いたいとか、お風呂一緒に入りたいとか……なんかジェイド、ヤキモチ妬いてるみたい」
    「……は、」
     揶揄するようなフロイドの言葉に、ジェイドは虚を衝かれたように目を丸くした。
     そんなことは──と、否定の言葉は喉から出て来ない。この腹の奥底でぐつぐつと煮え滾る感情を、薄々そうではないかと自身で思っていたからだ。
     自分以外と楽しげにしているフロイド。フロイドの体を見たであろう他の部員達。フロイドが気に入っているエースや、監督生、陸の世界の人間達。
     ジェイドはそれら全てが気に食わない。自分以外の人間が、フロイドの隣にいるというだけで嫌な気分になる。体の奥が、腹の奥底が、燃えるように熱くなってゆく。

     この燃え滾る炎の正体は──恐らく嫉妬だ。

    「……そうですね」
     そんな気が狂いそうになる想いの正体を、ジェイドは漸く認める事にする。自分の中にある、醜く昏い感情。何故そんな風に思うのか、ジェイドはもう分かり始めている。
    「……僕は、確かに嫉妬してます。あなたを他の人間に取られたくないと思っている」
    「え、」
     今度はフロイドが驚く番だった。言葉を失い、目を大きく見開いて、目の前にあるジェイドの顔を見つめる。沈黙が落ちたシャワールームに、出しっ放しのシャワーの音だけが響いていた。
    「僕にも、独占欲はあるんですよ」
     濡れた髪を掻き上げて、ジェイドはフロイドの耳許に唇を寄せる。甘く、柔らかなムスクの香り。この匂いは、フロイドにとても良く似合っている。
    「……それって、オレにだけ?」
    「勿論。フロイドにだけです」
    「……ジェイドが、そーいうこと言うの珍しーね」
     フロイドは小さく息を吐くと、濡れた体をジェイドに押し付けてくる。温かな体。僅かに下腹部が触れ合うのに、ジェイドは気付かぬ振りをする。
    「ジェイドに嫉妬されんのも、悪くないねぇ」
    「おや、酷いですねえ」
     二人は殆ど抱き締め合うような体勢で、クスクスと笑い声を漏らした。嬉しそうに頬を緩めるフロイドの顔を見つめるだけで、ジェイドの胸もまた熱くなる。
     こんな感情が自分にもあったとは──戸惑いや驚きと同時に、新鮮な想いも抱く。そしてほんの少しの恐れ。
     どんな未知な感情も、自分にそれを与えてくれるのはフロイドなのだ。フロイドだけが、ジェイドをいつも楽しませてくれる。苦しい事も、嬉しい事も、フロイドはジェイドに色んな事を教えてくれる。

     そしてきっと、これからも。



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