『昼寝と猫』 春の終わりがけ、まだ、太陽の光が穏やかに降り注ぐ日。面倒な任務もなく、かといって他にやることもないブラッドリーは、暇に任せて魔法舎のすぐ裏にある森の木陰で寝ていた。そこへ、かすかに草を踏みしめる音がなる。目を閉じたまま少しずつ近づいてく足音の気配を探れば見知ったもので、警戒するものではない。むしろ安心する気配だ。だが、いつもに比べて音も小さく、近づくまでの時間もかかっているのが気にかかり、まだ重い瞼をゆっくりと持ち上げれば、少し先にいたのは水色の猫だった。
「あ? ネロ……? なんで猫なんかになってんだよ」
そう問えば、猫は違うとでも言うように「ナァ!」と険しく鳴いて毛を逆立てた。
――なんだよ。俺様相手に隠せるわけねぇじゃねぇか。だいたい名前を呼んで怒るなんて、本人だと言っているようなものだろう。
呆れつつ大きなあくびを一つすると、身体を起こし、尚も毛を逆立てる猫を膝の上へと抱えて連れてくる。一瞬抵抗を見せたが、すぐに大人しくなってされるが儘のネロの頭をゆっくりなでてやった。毛は短めで、普段のネロの髪よりも少し硬いそれは、思いの他気持ちが良い。安心する気配と手の中の温度にまた眠気がやってくる。
が、それはカサリと小さく届いた音に邪魔された。来客の多い日だ。
少し遠くで地面を踏みしめ、木々の葉をかき分けながらこちらへと向かってくる音がする。これは、警戒すべき気配だった。素早くいつでも動ける準備と魔道具の確認をして、音のする方をにらみつける。程なくしてのそりと姿を現したのは、ミスラだ。
「あぁ、こんにちは。ブラッドリー」
「……なんか用か?」
「いえ、ネロを見ませんでしたか?」
「?なんで東の飯屋なんて探してんだよ?」
「……何でしたっけ? なんだかオーエンと話していたら探すことになってたんですけど」
「はは。そりゃぁオーエンに乗せられたんだろうよ。ご苦労なことで」
「ふむ。そうですね」
「ま、何だっていいが、こっちでは見かけなかったぜ」
「そうですか。……なんだかむかついてきました。ちょっとオーエンを殺してきます」
「勝手にやってくれ」
ブラッドリーは巻き込まれるのは御免だと、追い払うように手を動かすと、警戒はそのままに背後の木にもたれかかる。ミスラはそのまま、かかとを返して魔法舎の方へ帰っていく。かと思ったが、「あ」と何か思い出したように呟くと、突然こちらを振り返った。
「その猫、食って良いですか?」
「……は?」
「いや、そこに居る猫ですよ。丸焼きとかにしたら美味いかなと思って」
あぐらをかいたブラッドリーの足の隙間で水色の猫はビクリと身体を震わせる。
「……猫は、……食えねぇだろ」
「そうですか。じゃぁ良いです。ではまた」
「はぁ。俺は会いたかねぇけどな」
今度こそ去って行く後ろ姿に、変な緊張でこわばった身体の力を抜いた。ミスラがそこまで執着のない奴で本当に良かった。思わずミスラから隠すように手を回した猫に顔を向けると、こちらも安堵した様子で脱力していた。
「さて、行ったみてぇだが、ほんと、お前何したんだ?」
改めて水色の猫にそう問えば、観念したようで、こちらを見上げると困惑を隠しきれない声が答えた。
「……俺が知りてぇよ」
曰く、昼食片付けを終え、お気に入りの場所で昼寝をしていたら、中庭の方でオーエンが「水色の髪の人間を見なかったか」と動物に尋ねている声が聞こえてきて、訳も分からず猫になって逃げてきたらしい。森の方が人目を避けられるかと思ってやってきたらブラッドリーに出会った。と。
深々と溜息を吐き、疲れたようにうなだれる猫をいたわるよう頭を撫でてやる。普段のコイツならこんなこと許しはしないだろう。でも今は猫の身体に引っ張られるのか、あごの下を撫でればゴロゴロと喉がなる。自分でも不本意なのか、ハッとするとそっぽを向いたり前足ではたいたりとしてくるが、すぐに気持ちよさに溶けていく。
ほんとに嫌なら、さっさと変身魔法を解けばいいだけだ。それをしないところが、少し抜けていて、なんだかんだと可愛いところだろう。気持ちよさに負け、ウトウトし出したネロに、無意識に頬が緩む。そういえば、ブラッドリーも昼寝の途中だったのだ。丁度良いからこのままこの安心する気配と共に眠ってしまおうと、ネロを抱き枕のように抱え直して寝転んだ。眠気はすぐに訪れ、ネロもブラッドリーも眠りの世界へと誘う。
二人はそのまま、穏やかな木漏れ日のなか、探しに来たファウストの気配を感じて目覚めるまで、昼寝と呼ぶには長すぎる時間を共有していたのだった。
終