A cere si luna de pe cerエルゴスの研究施設、屋外の開放されたテラスにて。
有角とラルフは長椅子に腰掛け、共に夜空を眺めている。ひしめく星々は昔から変わらず瞬き続けるが、地を照らすにはあまりにもか細い。
人工の灯が満遍なく夜を照らす前──二人が生を受けた時代、闇は底知れず強大で怖ろしいものだった。
時代が過ぎ技術が発達し、人が闇に抱く恐怖は随分と隅に追いやられたようだ。だが光と闇は片方だけで世界は成り立たず、どちらかに傾きすぎれば揺り戻しがくる。
今回のグリモア・オブ・ソウルによる事件も、押し込められた闇の噴出と言えなくもないのかもしれなかった。
「終わったな」
夜陰に溶けるようなラルフの一言に有角は耳を澄ませる。
遠い過去、共に崩れゆく悪魔城を見届けた者と、こうして穏やかに並んでいられる奇跡を噛みしめながら。
「ああ。…この平穏が、長く続くといいが」
魔導書によって復活したドラキュラは、吸収した死神の魂と共に地獄へ戻った。悪魔城と魂は切り離されたままであり自然と復活することはない。それでも歴史が示すとおり、ありとあらゆる魔王復活の可能性は残されている。
有角はそれを思わずにはいられない。
いつまた、もう一度、また何度でも。
愛する父を葬ることになるのだろうか。
(…父は自分の意思で復活するのではない。だが、あの人は、それを望んでいるのか?)
有角がずっと確かめられずにいることだ。
なぜなら父が望もうと望むまいと、有角のやるべきことは変わらない。永遠に折り合いの付かない争いの中でささいな感傷に意味はないのだ。
それでも時折、肉親の情が胸を刺す。
(あの人の前では、俺はいつまでも子供だ…)
癖で胸元のペンダントをそっと握り締める。アドリアン、アルカードであった頃の思い出は何十世紀経とうと消えることはない。
「アルカード。もしもドラキュラがこの世から完全にいなくなったら、お前はどうする?」
物思いに沈みかけた有角へ、ラルフはいつもの調子で問い掛けてきた。
わざと、だろう。
引き戻されてはっとした有角を見つめるラルフは、暗がりでもそれとわかる笑みすら浮かべている。
「…残念だが、魔王は世界が求める限り降臨するものだ」
「それがドラキュラでなくなったら、だ。…お前の父親が蘇ることが完全になくなったとしたら」
「転生も?あらゆる復活の可能性も?」
「全部さ。ドラキュラの魂が永遠の安らぎを得たら、お前はどう生きるつもりなんだ?」
「………」
そんなことを、考えたことがないというよりは、考えても仕方がないことだった。
ドラキュラ復活の可能性を潰えさせることはいまだできていない。歴史や、ベルモンドはじめ闇に対抗する力が残り続けていることが示すように。
それをわかっていてなおラルフはこんな話をしているのだろう。
(…それならば)
こんな穏やかな夜ならば、その軽口に乗ってもいいだろう。
「また…眠るだろうな」
「この世を見守っていくんじゃなくてか」
「俺が眠らずにいるのは、父が蘇り続けることが分かったからだ。俺は人類の守護者じゃない。父を止めることさえできれば…」
「全く縁もゆかりもない魔王がこの世をどうしようと、知ったことじゃないってことだな」
「…そういうことになる」
今気づいたように有角は言葉をすぼめ、ラルフは目敏く拾い上げる。
「おい、責めてるんじゃない。むしろ俺はそれを聞いて安心した。お前が永遠に背負い込むつもりじゃないと分かってな」
ラルフの言葉は素直に信じられる。有角は小さく頷き返した。
自分の血は人の世に不要だ。
その考えは変わらない。
卑下というより、化物と恐れられ自らが魔王化する恐れを抱いてまで人の世で生きようと思わないだけだ。
父を止めるという使命を抱き、志を同じくする仲間を得た。それが十分に生きる理由で、それで満足で、それがなくなればもういいのだ。
信頼する仲間たちのように、心に願う何かのために生き抜くことさえできたなら。
だが。
「…今の状況では、夢物語だがな」
有角はため息とともに呟いた。
それは失望や諦念ではなく、心に掛かる何かを吐き出そうとする吐息だ。
「何が気にかかる?」
「……」
迷いながら言葉を溜める有角を見てラルフは待つ。
「──蒼真のことだ」
有角の口から出たのは、懺悔だった。
「…俺は、ドラキュラの魂と切り離すために日食へ悪魔城を封印した。だがそれが結果として、来栖蒼真という人間への転生を招いた。…蒼真に、魔王への宿命を背負わせてしまったことになる」
蒼真の魔王化の件は、ラルフは伝聞でしか知らない。直接会った蒼真は、確かに強い力を持っていたが、鍛えられた体でもなく特別戦闘慣れしている様子もなかった。
ただ魔王の魂をもって生まれてしまったせいで。
「お前は…そいつを哀れだと思うのか」
「…蒼真は、己の強い心で邪悪に打ち克った。勝手な同情を抱いているつもりはない。ただ、できる限り普通の人間として生きてほしかっただけだ」
本来の蒼真はただの少年なのだからと、自らの感傷を有角は本人のいない場所で口にする。
(少なくとも、宿命に嘆くばかりにも、負い目を抱かれて喜ぶ奴にも見えないんだがな)
ラルフが蒼真について知ることはあまりにも少ないが、魔王の器に足る力を人としての覚悟で振るう姿には信がおけると感じた。
かつて共に戦ったのなら、有角は蒼真をもっと信頼してやってもいいだろうにと思う。
(魔王と魂、か。…予想はしていたが、根深いものだな)
どうにかできるなら誰かがとっくにそうしている。余計なお世話だとして、それでも放っておきたくないのが、ラルフにとってのアルカードという存在だ。
「日食の封印については聞いた。そこにベルモンドの末裔もいたんだろう」
「ユリウスだ」
「なら、そいつもお前のように、蒼真から『普通の人生』を奪ったと思いながら生きたのか?」
「……」
「俺はそうは思わない。ベルモンドを継ぐ者なら、自分が成したことへの覚悟くらいできている筈だ。そのユリウスのためにも、そんな風に考えるのはやめてやれ」
何も知らない筈のユリウスのことを、見てきたように言い切るラルフに有角は驚かされる。これが血筋というのだろうか。
「よく…分からん励まし方だな」
「お前には効果的だろう?」
ついに、ふ、と困ったような笑いが有角の端正な唇から溢れた。
「…そうだな。ユリウスは封印の際の戦いで記憶を失ったが、後年記憶を取り戻したあと…どんな思いだったのだろうな。聞いてみればよかったかもしれん」
「……」
懐古を含む有角の独白をラルフは黙って聞く。そこに必要以上の感傷がないことを確かめるかのようだ。
やがて断ち切るように有角は居住まいを正す。
「ともかく、魔王の宿命と父の魂を切り離せない以上、俺は眠ることはできないということだ」
「なら俺も付き合う。折角寿命のなさそうな体になったんだしな」
あっけらかんとラルフは言った。
「簡単に言うんだな」
「宿命からお前の父親の魂を解放する。そうすればお前は満足して眠れるんだろう?それまでの間だ。そう難しい事とは思わないがな」
「…難しいことじゃない、か。お前が言うと…信じたくなってしまう」
「信じればいい。想いは自由だ。お前をひとりにしたくないと願うのも俺の自由だろう」
本当にこの男は突拍子もないことを言う、と有角は愁眉を顰めるが、口元は柔らかく笑っている。
──人がドラキュラを求めなくなる日など、来るのだろうか。
神を憎む心がドラキュラを生み出し、人を憎む心が世界への憎悪となった。
それなのに人は、神のために魔王を求める。人を憎むものを人が求め続ける。人は、おいそれと変わることはできない。
ラルフとてわかっているはずで、それでも人に希望を抱かせることができる。
共に前を向きたいと願う。
そういう男だからこそ、時代を超えてここにいるのだろう。
「そういうところだ、ラルフ」
「?何が」
有角は答えなかったが、人目に触れぬ位置でそっと相手の肩に身を寄せ、ラルフは遠慮なく背から肩に腕を回す。
その手は力強く、心地よい。
身を任せ眠るようにうっとりと目を閉じる。
ラルフに出会えたことが、再び共にいられることが、すでに有角にとっては奇跡の体現だ。
(お前のそういうところが……俺を救ってくれるんだ)
いまはただ、空に月を望むまま。