【ジャスミン】後日談「…それで?迅君を泣かせちゃったの?」
「゛う………まぁ…」
「非道いわね」
「……そう言うなよ。俺だって切羽詰まってたんだ」
「慶君って、昔から好きな子ほど泣かせたくなるタイプよね。変わらないわ」
「………」
暗に成長がないとでも言われているかのような、容赦なく浴びせられる苦言に返す言葉もない。
本当は泣かせるつもりなんかなかった、とは言っても、結果泣かせたのだから、そんな自己満足の言い訳など聞きたくない、とでも言われてしまうのが容易に想像できるから反論はできない。
月見に口で勝てないのは、これまで嫌というほど経験している。
戦闘中の頭の回転は負けないぞと言ったことがあるが、それは半分以上が本能でしょうと返された。それまで感覚で戦っていた太刀川が、初めて壁にぶち当たった時——それは迅によってもたらされた壁だが——問答無用で戦術を叩き込み、乗り越えさせたのは彼女だ。だから今でも頭が上がらない場合が多い。浅い付き合いでは無いから、今日のように気軽に買い物に付き合ってくれたりはするが、あの時の厳しさを思い出すと今でも胃のあたりがヒヤリとする。
「……だって、しょうがないだろ」
「何が?」
「…あいつが、あんな顔して笑ってるから」
あの日、次の防衛任務までの時間を持て余し、何気なく覗いたラウンジで迅を見かけた。正確に言えば迅たちを。
嵐山をはじめとして同い年の隊員たちに囲まれていた迅は、いつになく晴れやかに笑っていた。
ここ最近、見たことのないその笑顔を最後に見たのはいつだったか。
『あはは!予想外がすぎるよ!』
闘いの最後で見せた笑顔。自分は負け越していたのに、結果よりも内容の楽しさにこらえ切れない、というように笑っていた。結局、その後に迅はS級になってしまったから、あの時期の最後のランク戦だった。
あれからあんな表情は見ていない。
気持ちを受け入れてくれた後も、どこか距離を置かれているような、そんな反応を返されることが多い。なんだかモヤモヤするのは、この蒸し返すような暑さが続くせいだけではないはずだ。
「まぁ、可愛いやきもちね」
「なっ……やきもちって」
「違うの?」
「うーん……どうなんだろうな…」
「…あら」
正直、分からなくなっているのは確かだ。
あの笑顔が懐かしくて、でも、それを向けられているのが自分じゃなくて、その穏やかな空気を纏う空間に入っていける気もしなかった。いつもの力技で作った笑顔ではなく、素直に笑う迅が可愛いなと思う自分と、それを遠くで眺めるしかない自分。それから、迅の可愛い顔を見ることが出来たから良いじゃないかと達観できない、いつまでも子供な自分へのイラつき。
ただのやきもちでは無いとは思うが、ではそれが何かと問われれば明確な答えは出ないのだ。
「……あいつ、俺といて楽しいのかな?」
「………」
「俺といない方が楽しいのかも…」
「弱気な慶君って珍しいわ」
「…茶化すなよ」
「ふふ。ごめんなさい。でも、不安に思うなら、それ以上に大切にして、幸せだと感じさせてあげればいいのよ。私ならその方が安心するわ」
「そういうもんか?」
「そういうものよ」
纏わりつくような暑さすら感じさせないように月見が笑う。
いつか彼女に安心できる空間を与えてくれる存在が現れた時には、全力で祝おうと思うくらい綺麗な笑顔だった。あぁ、あいつも隣でこうやって笑ってくれたなら。
「それで?何か目処はついてるの?」
「いや、全く」
「……好きなものとか、集めてるものとかは無いの?」
「ん——。……ぼんち?」
はぁぁ。月見の大きなため息が会話を断ち切る。戦いや暗躍以外に、あいつの好きなものってなんだろう。そもそも物を欲しがることのない迅を喜ばせたくて、何かサプライズでプレゼントをしよう。そう思いついたは良いが、具体的なものを思い浮かべることが出来なかった。だから月見を頼ったのだ。
あの日、迅を泣かせることになってしまった。もしかすると今こうして月見と出かけている様子を垣間見たのかもしれない。子供じみた嫉妬のせいで、傷つけたことは思い返すだけで胸が痛む。そんな権利は無いと言われてしまえばそれまでだけれど。
あの後、本当は予定などなかった事を素直に謝った。ただの八つ当たりだった。
そもそもが、迅がいつにない笑顔を自分以外に向けるのを見て、面白くなかったから、つい虐めるように、試すように、明日は出かけられないと言ってしまったのが切欠だ。その点は反省している。だから、このプレゼントで何とか名誉挽回といきたい。俺が幸せにする。そう伝えた気持ちに偽りはない。だから、少しでも笑顔でいてくれる切欠を探すのだ。
「…あいつ、ホントに何も欲しがらないんだよなぁ」
ぽつりと漏らした言葉に、予想外に月見が嬉しそうに笑う。
「なら、ビックリさせてあげましょ」
持つべきものは気心知れた幼馴染、とでも言うべきか。いつも以上に頼りがいのある笑顔に、思わずほっと息をついた。
*****
「お帰りなさい」
「おお。ただいま」
月見を家まで送ってから帰ると、玄関前で迅が待っていた。買い物を終えたタイミングで連絡していたから、そんなに待たせることはなかっただろう。
「……楽しかった?」
難しい質問だな。楽しかったと答えれば寂しそうな顔をするだろう。だからと言って楽しくなかったと言っても、複雑な思いをさせるだけだ。いつもは使わない頭をフル回転させる。こんな事は戦闘中以外ではありえない。迅が特別だってだけだ。
「……まぁ、目当ての物は見つかった。でも時々説教挟んでくるからまいったわ…」
慰めて欲しいと言外に伝えるように、そっとその体を抱き寄せる。
「こんなとこで何やってるのさ」
肘でグイグイと突き放される。戸外であからさまにくっつくのはどうも苦手らしい。でも耳が赤くなっているところが可愛いが、それを口に出してしまうとまたへそを曲げ得られる可能性が高いのでやめておく。前回の経験で少しは学んだのだ。
でも、少しで良いから素直に甘えてくる迅というのも体験してみたいとは思う。
ドアを開けるとむわりと熱気に迎い入れられた。数時間だけでも締め切った部屋には、むせかえる程の暑さがこもっていて息苦しい。
「あっちー。クーラー付けるぞ」
「うん。じゃ、お茶でも入れるね」
「お、そんじゃ、これにしてくれ」
小さな白い紙袋を差し出すと迅は一瞬戸惑ってから、おずおずと手を差し出す。少し嬉しそうな顔に罪悪感を覚えてしまう。
「え……お、おみやげ?」
「あ————。すまん。俺じゃなくて蓮から。お前に」
「へ?月見さんが?何で?」
「何かお前にぴったりだって言ってたぞ」
「何それ?」
「さぁな」
納得できないながらも足早にキッチンに向かっていったということは、喜んでくれているのかと少し安心する。
月見のアドバイスで自分では思いつかないようなプレゼントを用意することが出来た。喜んでくれるといいが。人にプレゼントを贈るなんて、これまで数えるほどしかしたことがない。子供の頃の母の日やらは別として、特に年を重ねてからはそんな習慣からは程遠かった。そんなマメな性格ではないのだ。こんなにも緊張するものなのかと思い知る。
クーラーのスイッチを入れてから、散らかったテーブルの上を片付けていると、迅がマグカップを手に戻ってくる。
「これ、すごいね」
「ん?」
差し出されたマグカップには白い小さな花が浮かんでいる。
「へー。こうなるのか」
「良い香り」
反省も含めて迅の話をひとしきりしながら買い物を終えた時、ちょっと待っててと一人で離れていった月見が戻ってきた時に手にしていたのがこのお茶だった。
これは迅君へのお土産。効果があるといいわね。そう言いながら手渡されたそれ。最初は何かがさっぱりわからなかったが、説明を聞いて納得した。
やっぱり女子というものは、思いもよらない発想をするなと改めて実感したのだ。蓮のように沢山の物を知る女は特にだと思う。
「涼しい場所で温かいものとか、温かい場所で冷たいものとかを食べたりすると幸せって思うよね」
「そうか?」
「うん。贅沢な気分っての?」
「そういうもんか。じゃぁ、今度クーラーをガンガンにつけて鍋しようぜ」
「あはは。何だよそれ」
「――良い案だと思うけどなぁ」
そうそう、その笑顔。
それが見たかったんだ。
案外、難しい事では無かったのかも知れない。
幾分和んたところで、迅がマグカップに口を付ける。
ゆっくりと上下する喉元がひどく煽情的に感じてしまう。
「あ……好きかも」
ポツリと零された言葉に、心の隅にわだかまっていた靄がすっきりと晴れるような感覚が沸き上がった。
「お?効果ありか?」
「?」
「ジャスミンの言葉があるんだってよ。俺も蓮にきいたんだけど」
「花言葉?」
「ああ、それそれ」
「何だっけ?」
「………素直」
勢いよく染まる迅の頬に大きな幸せを感じる。
この先少しずつでも、この素直な反応が当たり前になればいい。
それから、太刀川からのプレゼントを見た迅が、全力で素直になろうと頑張るも失敗してしまうのは、また別の話。