冷えた指先とチェリーボーイ Draluc ノースディンの城に着いた途端、あまりの冷気にまず足の先から砂になった。まだ形にもなっていないロナルド君との赤ちゃんにどんな影響が出てしまうのか分からず、根性でどうにか手足だけに留めていればしっかりと暖房の効いた部屋に連れていかれ、ベッドに上に降ろされた。まあ、幼い私が少しでも死ぬようなことがあれば同じように殊更丁寧に扱われていたので、少しの懐かしさを感じてしまう。
「……少し、待っていなさい」
普段よりずっと固い声がそう言って扉を開けて部屋から出て行ってしまった。扉が閉まるまでのほんの僅かな時間であったのに冷たい空気が廊下から流れ込んできてしまい、それに驚いて耳の先が少し砂になってしまった。
私を置いていったあの人はとにかく不機嫌だったのだろう。部屋を出る前はとにかく無言で、私を寒さで死なせないために事前に用意していたらしい毛布で私を包んでから、真っ白いそれなりの大きさのテディベアを私に抱かせていったのだ。
手渡されたテディベアの瞳はきらきらとした青色がまるで星のように瞬いていた。私の家庭教師となったばかりのあの人から私が一人でも眠れるようにと贈ってくれた大切な友人であったことを思い出してしまった。200年近くも前の品がこんなにもやわらかな毛並みを保ち続け、あの人が私に贈ったぬいぐるみをいちいち全て記憶していたのだという事実に笑いを堪えることが出来る訳がなかったのだ。
ふわふわな夜明けの騎士オスカーは幼いジョンと出会う前の私をずっと守ってくれていたのだ。
久しぶりに会えたこの子は師弟期間が終わり、私が実家に帰ることになっても連れて帰るようなことにはならなかった。お父様に連れられてあの人の城に泊まるような機会はいくらでもあり、その度に私はオスカーを抱きながら棺に入って眠っていたのだから。
15歳になっても過保護だったお父様。200年経ってもずっと過保護のままであったけれど、独り立ちをしてお祖父様から頂いた城には連れて行かなかったけれど、幼い頃からあの人が会う度にくれた歌が好きなねこのマーシー、医者になる夢を持つうさぎのジェームズにミルクを丁度いい温度で温められる料理人見習いの狐のアレンなどのぬいぐるみたちは今でもずっと実家にある私の部屋で大切に保管されているのだ。直接言うのは癪だから絶対に言わないが。
今いる部屋にはバルコニーに繋がる窓以外なく、そこすらも遮光カーテンで閉め切られており少しの光も入ってくることはなく、完全に吸血鬼の来客用の部屋なのだろうことが窺えた。ルーマニアに住んでいた頃はともかく、日本に来てからはもう既に壊れた城に閉じこもってばかりだったので、ここに来たのもはじめてだが、不思議とどこか懐かしいような気持ちになった。オスカーという懐かしい友人との再会があったからだろうか。
「ドラルク、まだ起きていたのか」
「貴方が待っていろと言ったのでしょう?」
小さなノックと共に入ってきた髭は言外に朝更かしをするなと咎めているのだが、そんな説教を聞いてやる義理は私にはなかったのだけれど――。
「これを飲んで、今日はもう寝なさい」
差し出された青いマグカップにはたっぷりとチェリーボーイが入れられていた。普段牛乳なんて飲まないで、女性がいれば見境なく魅了をかけて生き血を飲むような女好きなくせに、この人の作るチェリーボーイがくどくて飲めないなんて一度だってなくって、これを飲まされてしまえばすぐに眠くなってしまうのだ。新横浜からの移動が思ったより疲れたのだとか、いつもなら寝ている時間帯だとか言い訳はいくつも浮かんでくるけれど、それを口にしたら、なんだか負けを認めたような気になってしまう。
とろとろと瞼がおりてくる。ネグリジェにだって着替えていないし、ここはいつもの暗くて狭い故郷の土の敷かれた棺桶でもないのに、気付かないうちにマグカップを手から奪われて、代わりに懐かしき私の友人オスカーを抱かされてしまえば幼い頃のようにおやすみなさい、とあいさつを交わして眠りに着いてしまった。