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    aoitori5d

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    ローコラ生存If小話。前作『愛を読む』の続きです。

    #ローコラ
    low-collar

    いのちの名前 そのとき、世界は一瞬だけ時間を止めたのだと思う。
    「ロー……?」
     くすんだ、癖のある金髪に、命を思わせる赤い瞳。記憶にあるよりもすこし痩せて見える身体。太陽を知らない、不健康そうな蒼白い肌。すべてが懐かしく、すべてが真新しい。この人の声はこんなにも力なく頼りなく聞こえただろうか? あいつは自由だと、ほうっておいてやれと兄に向って啖呵をきったあの声は、こんなにもか細く、稚いものだっただろうか。
    「……そうだよ、ローだ、ローだよコラさん……!」
     柔らかなクッションに埋もれるように支えられて寝台から身を起こしていた、その背に腕をまわす。痩せたように見えたのは事実だろうが、それでも腕が回りきることはない。幼い頃はこの背に負ぶわれて短い旅をした。もう遠い過去の記憶のなかの父より倍ほど広い、逞しく温かい背中。以前より筋肉の衰えはあるものの、広さは変わらない。柔らかな綿のシャツの襟ぐりに顔を埋める。すん、と鼻を蠢かせても、香るのは石鹸の優しい甘さだけだ。かつてこのひとに染み込み、一部となっていたニコチンとタールの面影はどこにもない。
    「ロォ? ほんとうに? 本当に、あの小せェ、痩せっぽちのローなのか?」
     彼の声は微かに震えていた。口紅も化粧もないのを見るのは初めてだな、と場違いにもそんなことを頭の端で思いつつ、ローはくしゃりと顔を歪めて笑った。
    「そうだよ。トラファルガー・D・ワーテル・ローだ……あの日あんたが救った、死にかけの珀鉛病のガキの……」
     胸が痞える。ぐすっと鼻を啜ると、喉がカッと熱くなって、それからみるみるうちに瞳に涙の膜が張った。瞬くと、ローの長い睫毛がギリギリを保っていたそれを壊して頬を伝う。
    「隣町って言ったのはあんただろ……遠すぎるよ、コラさん……!」
     ぐす、ずび、と何度も息を吸って、吐く。ヒッ、ヒッ、と死にかけの動物のような喘ぎ声で、必死に溢れ出る涙を止めようとしたが結局それは徒労に終わった。肩口に埋めたローの頭を、抱きつかれなされるがままになっていた男の大きな手がそっと撫でる。そうして耳元で小さく囁く。──ロー、おまえの顔をよく見せてくれ。おれに、立派になったおまえの姿をよく見せてくれよ。
    「…… ……」
     みっともなく泣き腫らした顔を上げる。本当はもっとスマートにこの人と相対するはずだった。生きてたんだな、よかったよ、礼をずっと言いたかったんだ。そんな、ここにくるまでに何度も何度も脳内で繰り返した予行練習など、彼の姿を一目見てしまえばすべてが吹っ飛んで消えてしまった。ずびっ、と鼻を啜るローを、その泣き濡れてなお厳めしい、神経質で気難しそうな男の顔をじっと見つめて、コラソン──ロシナンテは唇の端を薄らと持ち上げて微笑った。最後にみた、へたくそで不器用な笑みとは似て異なる、心の底から安堵したような、失くしてしまった大切なものを見つけたような、そんな笑みだった。
    「へへ……! 大きくなったなあ……! ロー……‼」

     ***

    時は数日前に遡る。ドレスローザ王宮の一室にて、ドンキホーテ・ロシナンテ元海軍本部中佐は、自分が十数年昏睡状態に陥っていたこと、そのうちの十三年は兄ドフラミンゴによって介護されていたこと、ドフラミンゴが王下七武海になっていたこと、だが数年前に海賊たちの同盟によって失脚したことなどを矢継ぎ早に説明されていた。
    「ちょ、ちょっと待って、なに、なに」
    「うむ。いくらでも待とう」
     片手を前に突き出し、もう片方の手で口元を覆う。怒涛の勢いで流し込まれた情報に酔って、吐きだしそうだった。そんなロシナンテを見て鷹揚にうなずいた優しい養父の言葉に、ロシナンテはうぷ、と溢れ出る唾液を必死に嚥下しながらありがとうございます、と返す。だが脳内は焼き切れる寸前だった。なに? おれって十何年も寝てたの? センゴクさん老けたなァなんて思ってたらおれも四十路……ってこと うそだろ、おれ二十代も三十代もすっ飛ばして四十路なの っていうかドフィのやつ七武海だって? あまつさえ四皇カイドウ(これももう四皇じゃないってマジで言ってる?)と繋がってたって?
    「……じゃあ、ドフィのやつは……」
     ロシナンテが俯き顔を覆いながら呟く。ロシナンテにしてみればつい昨日の……いや、まだ死なないぞと雪の中でそう念じていた次の瞬間の出来事なのだ。あの日、あの夜。灯りのない、雪の反射でいやに白々しい夜の闇に浮かぶ、感情がすべて消え失せたような兄の顔が脳裏に過る。黒い皮の手袋に包まれた長い指が引鉄を引く、その一瞬がやけにスローに見えた。引鉄を引いた兄の、真一文字に結ばれた白い唇も。能力で銃などなくとも人を簡単に殺せるくせに、父を殺したときのように一発一発、撃鉄をおろしながら六発すべてを立て続けにロシナンテの胸に撃ち込んだ。赦そう、ロシナンテ。おまえの罪を、おれは赦すさ。
    「インペルダウンだ」
     養父の簡潔な答えに、ロシナンテは小さく首を縦に振った。インペルダウン、海賊たちの監獄。
    「処刑は、まだ?」
     兄の所業を思えば、審理などすっ飛ばしてすぐに処刑されてもおかしくはない。事実、北の海で活動していた頃も幾度かマリージョアから刺客が差し向けられていた。まあ、すべて兄が惨たらしく返り討ちにしていたが。ロシナンテの問いかけに、センゴクは難しい顔をして肩を竦めた。すっかり白くなった髭を撫でながら、うむ、と言葉を探すように口籠る。
    「ドフラミンゴが捕まってから数ヵ月後に政府がひっくり返るような事件が起きてな。いま世界政府はかいた……いや再編中……端的に言うと海賊の処刑に時間を割く余裕がなくてな、捕まっている連中に関してはそのまま放って置かざるを得んのだ」
    「……は?」
     なんだって? 世界政府が? 解体?
    「これについてはまた追々、な。ともかく、インペルダウンの最下層でやつも元気にしているようだ。時々はおつるちゃんが面会に行ってる」
     ゴホン、とわざとらしい咳払いを一つして、センゴクはロシナンテに向き直った。
    「おまえの探している子供は……いやもう子供でもなんでもないが……」
    「ロー! そう、ロー……! あ、あいつ、あいつが海賊ですって? 何かの間違いじゃ」
     寝起きで早々に見せられた、海兵時代に嫌というほど見た指名手配書。どこか見覚えのあるような帽子を被り、顎鬚を生やした厳つい、しかし顔の整った男の写真の下には“トラファルガー・ロー”という名とゼロの数が異様に多い数字。そう、ロシナンテが愛した小さな子供は、三十億という破格の賞金額を引っさげた海賊になっていた。
    「間違いで三十億がつくか。ドフラミンゴを倒したのはガープの孫だが、やつをここまで導いたのはトラファルガーだ。あいつが自分でそう言ったのだ、“おれがアレを唆した”とな」
     まさかそのままビッグ・マムとカイドウを落とすとは思わなんだが、とセンゴクが呆れたように息を吐いた。だがその姿はかつての、ロシナンテのよく知る養父の姿とは似て異なっていた。まるで愉快でしょうがないという雰囲気を醸す養父の姿に、ロシナンテは失ってしまった十数年の時をまざまざと感じた。養父は海賊の話をするときはいつも怒りを潜ませていた。海賊は悪だ。ゴール・D・ロジャーが死んでから爆発的に増えた海賊たちの無法に誰よりも怒り、海軍大将として世界各地へ赴きその力を振るっていた。そんな養父が、もう海兵を引退したからと言って海賊の話をするときに薄く微笑むだろうか? まったくしょうのない奴、と呆れたように笑うだろうか。
    「ローが、海賊……」
     改めて手元の手配書を見下ろす。戦闘中に隠し撮りされた写真のなかの男は厳めしい表情で刀を握り、眼前にいるのだろう敵を睨みつけている。その肌に白い部分は見当たらなかった。
    「海賊と言ってもいまは目立った活動はしていないがな。白ひげといい、赤髪といい……ああいった手合いは周囲が勝手に上納品だなんだと逆上せ上がって貢いでくるからな」
     センゴクはバリバリとおかきを食べながら視線を窓の外へと移す。鮮やかな色合いの街並みと、穏やかな海と空の青。未だ戦禍のあとが残る島の外縁部は、目の覚めるような黄色い向日葵畑が広がっていた。
    「会いたいか」
     静かな問いかけだった。ハッと顔を上げると、深く刻まれた皺に埋もれた瞳が──昔と少しも変わらない、深い慈愛の籠った眼差しが──ロシナンテを見つめていた。
    「あ……ッ」
     会いたい、と言いかけてハッと口籠る。
     ──会いたい。ローに会いたい! だが、会っていいのだろうか? 少なくとも向こうは自分が死んだと思っている。それはしょうがない。だってロシナンテ自身も死んだと思っていたのだから。昏睡状態の自分が、海楼石製の部屋から発見されたのはローたちの預り知らぬ時で、センゴクも知ったのは海賊たちが出航したあとだった。それから小人族の姫の能力やドレスローザ王室の人々の献身的な看護によって徐々に意識の快復が見られはじめたのがここ数週間のこと。話を聞くに、どうやら世界を一変させるほどの大事件の中心人物と一時期同盟を組んでいたらしいローはその間目まぐるしく変わる情勢の只中にいた。ドレスローザに再び戻ることもなく、四皇と戦い、“一つなぎの秘宝”を巡る争奪戦に加わり自由に生きていた。何をするでもなく十数年寝こけていた自分が、そんな彼にどうやって会えばいい? はく、と口を開けたまま固まったロシナンテを見つめていたセンゴクが、ふっと小さく息を吐いた。そしてそのままぽん、と分厚い掌を頭に乗せる。
    「わがままの一つも言ってみせんか。私に、すこしくらい父親面をさせてくれ」
    「っ、センゴク、さ……!」
     ロシナンテは家族についてよく知らない。兄には確たる家族観があったようだが、ロシナンテにとって父とは、母とは、兄とは何なのか、実のところわからないのだ。父も母も優しかった。兄も幼い、ドジな自分をよく守ってくれた。だが、それだけだ。父とはかくあるべし、母とは、兄とは。ぜんぶ全部、わからなくなった。母が死んでから。兄が父を殺してから。父がこんな親ですまないと謝って、そうして微笑って殺されてから、すべてが。
    「だって、それじゃ……おれが……おれ、が、まるでセンゴクさんの」
     つっかえつっかえの聞き取りにくい言葉を、養父は静かに聞いていた。
    柔らかな掛布を握りしめた手の上に、小さな水溜まりが生まれる。ぽとりぽとりとその水溜まりは雨によって次第に大きくなり、やがて溢れて布地の色を濃く変えていく。
    「まるでおれが……っセンゴクさんの、子供、みたい……っ‼」
     ひぐ、と喉からひしゃげた音が鳴った。あつい、苦しい。胸がいっぱいで、喘ぐように息をしてもちっとも楽になりやしない。おれってこんなにすぐ泣くやつだったかしら、いやそうだった、ガキの頃はずっと泣いてばっかりで、ドフィを、センゴクさんを困らせてばっかりの──。
    「私の息子だと、言わせてくれんか」
     固く握りしめた拳を、自分でも嫌になるくらい細くなって関節の目立つ指を、養父の温かな手が優しく解きほぐす。その仕種に、幼い頃の記憶が唐突に甦った。
     ──そう私の服を握ってないでも、おまえを置いてどこにも行きはしない。そうだ、不安なら私の手を握っていればいい。……ほら──
     拾われてすぐの頃は周囲の人間が恐ろしくてたまらなかった。石を投げつけられるのではないか、火で炙られるのではないか。唯一センゴクだけが信じられた。真っ白なコートが汚れるのも構わず膝をついて、視線を合わせ、大きな手で守るように抱きしめてくれた。帰る場所がないのなら、人が怖いのなら私の傍にいなさいと言ってくれた大人の男。その逞しい腕に抱かれて、雄大で青い、波一つない凪いだ海を見た。父とはこういうものなのかしら。優しくて、ロシナンテの揺れる心ごと抱きしめて、一緒にいてくれる人。
     長じてからは、養父の偉大さに父のように慕う心を押し隠して部下の領分からはみ出さないように努めた。センゴク大将は、孤児のおれを拾ってくれた恩人です。ええ、面倒見のいい方ですから。え? ……いやだな、おれはあの人の、そんな大層なもんじゃない。
    「……っ、れも……おれも、ずっとあなたを……! 父と……っ、呼びたかった……っ!」
     家族ってどういうものかしら。兄は裏切らないものと答えた。“家族”は裏切らない。“家族”は“家族”のために死ぬ。でも、おれは違うと思う。裏切ったっていい、おれが間違っていたのなら。おれのために死ななくたっていい、あなたが生きていてくれたなら。
     小さなころのように、大きな胸にしがみついて泣きじゃくった。背中を温かな手が擦る。肩を震わせ、声を殺して泣きながら、ロシナンテは兄に向って心の中で呟いた。
     ──赦すよ、ドフィ。おれもあんたを赦そう。でも、おれのことは赦さなくたってよかったんだ。出来の悪い弟でごめん。面倒ばっかりかけて、泣いてばっかりで、言葉を交わすことが怖くて、ちゃんと向き合えなくて……。
    「うそばっかりついて、ごめん、ごめんね、兄上……」

     ***

     トラファルガー・ローにとって、人生の半分以上を占めるものが“ドンキホーテ・ロシナンテ”であった。彼によって命を救われ、壊れかけた心を取り戻した。
    だが、ローがその人のことについて知っているのはごく僅かだ。海軍本部付の中佐で、兄ドフラミンゴの企みを止めるために海賊団に潜入していた海兵。正義の海兵の割に短気で、カッとなれば平気で民間人にも手をあげるし病院だって爆破するような、そんなハチャメチャな大人で……自分を刺したクソ生意気なガキの境遇に本気で泣いてくれる、優しいひとだった。
    「生きていたと?」
     ドレスローザに向かって全速力で航海中のポーラータング号。船長室のなかには、ハートの海賊団立ち上げ当初からのメンバーが揃っていた。
     声を出したのはペンギンだ。紅茶にレモンを絞り、紅い液体を一口啜って顔を上げる。
    「あの人は……おれを、宝箱にしまった。海賊は宝箱を持ち出す習性があるから、ここにいればいずれ逃げ出せると……。このことを知るのは、おれとあの人以外にいない。センゴクがそれを知ったというのなら、あの人が……い、きて……生きて、その話をした。それ以外に考えられねェ」
     生きている、という部分に詰まりながらローが答える。普段はコーヒーを好んで飲むローのマグカップにも、香り高い紅茶が並々と注がれている。
    「よかったねぇ。キャプテン」
     ベポがにっこりと笑って言う。それにシャチも肯いた。
    「そうですよ。いいことばっかりじゃないですか!」
     なのになんでそんな浮かない顔をしてるんです? シャチの言葉に、ローは一口紅茶を啜りながら眉根を寄せる。
    「今さら、どの面下げて会えばいいのか」
    「いやこの美しィ~お綺麗な面でしょ」
     軽口を叩いたシャチの胴が両断された。冗談じゃん! 横暴! キャプテンの横暴! わがまま世界一! シャチの叫びに、ベポがしょうがないなあと胴を繋ぎ合わせる。
    「シャチのバカは放っといて……」
     放っとくな! という声もきれいに無視し、ペンギンが続ける。
    「バカの言葉にも一理あります。あんたは堂々と向き合えばいいんですよ。なにも後ろ暗いことなんてありゃしないんだもの」
     ペンギンが珍しく、年上ぶった物言いをするのをローが見下ろした。光の加減で灰にも金にも見える瞳が、小さく揺れていた。迷っている。この人が。唯我独尊、傲岸不遜が代名詞のようなこの人が、なにかに怯え、惑っているのだ。その事実に、ペンギンはフッと詰めていた息を静かに吐き、右腕をつなぎの上からそっと抑える。彼の能力のおかげでペンギンはいま五体満足でここにいる。ローの能力は奇跡みたいに美しく、強く、優しい。これまで幾度となく訪れた危機を、彼はこの能力で切り抜けてきた。そんな能力を彼に与えてくれたというのがその“コラさん”……ドンキホーテ・ロシナンテだというのなら、ますますもってペンギンはその人に会わなければ、と意を固めた。
    「おれからも礼を言わせてくれよ、そのコラさんって人に。ね? ローさん」
    「……おまえ、おれの母様にでもなったつもりか?」
     ぶっきらぼうな声は照れ隠しだ。長い付き合いである。常人ならヒッと委縮しそうなほどの、地を這うような低音を気にするでもなくペンギンがアッハッハッハと大口を開けて笑った。
    「やだな、こんなわがままプリンセスみてェな息子いりませんよ。おれは麦わらンとこのロビンさんみたいな、包容力があってミステリアスなひとが好きなんで」
    「てめェ、それってコラさんも当てはまるじゃねえか! 狙ってんのかコラさんを!」
    「ギャー! いや知らん知らんマジで知らん情報です! ってかどの面下げてってそういう 自分で踏ん切りつけといてくださいそういうのは!」
     ペンギンの胸ぐらを掴んでいきり立つローにそう叫び返すと、グッと喉を詰まらせてローがよろよろと後ずさる。狭い潜水艦内の一室だ、すぐに寝台に足を取られてボスッと座り込む。そのまま後ろに倒れ、腕を目の上に置いてローが小さく呟いた。
    「怖ェんだ。あの人に会ったら、傷つけちまう気がして。なんで嘘ついたんだ、大丈夫だって言ったじゃねェか、隣町で、落ち合おう、って……」
    「言えばいいじゃないですか。嘘ついたのも本当だし、それでローさんは傷ついたわけでしょ」
    「しゃ、シャチ……!」
     ベポがおろおろとシャチの腕を引っ張ったが、シャチはその手を優しく振りほどくと唇を尖らせて続けた。
    「おれたちだって言い続けますよ。なんでおれたちをゾウに置いてったんだ、必ず帰るって言ったのは嘘だったのか、ってな」
    「うそじゃねェ……」
    「はいウソ。麦わらがいなかったら死んでたでしょ。ロビンさんからちゃあんと聞いてンだから」
     力ないローの言葉に、シャチが鼻で笑って返す。
    「あんたも同じことした。だけどおれたちの関係は変わってない、変わるはずもない……そうでしょ?」
    「…… ……」
     ローが腕を顔から下した。三人でその顔を上から覗く。
    「ふふっ。目、赤いですよ」
     ペンギンの言葉に、ローはぷいと顔を背けてばかやろう、と呟いた。
    「おまえたち、おれを揶揄ってるな?」
    「そりゃまあ、滅多とない機会だもんな」
    「照れてるキャプテンかわいい~」
    「このまま進めばあと数日でドレスローザですからね。それまでにシャキッとしといてくださいよ」
     ローの鍛え上げられた肉体に大きく彫られた刺青を見る。胸の中央、ハートの中心に存在する、笑顔のジョリー・ロジャー。それが意味するものが、この先の海にいる。不貞腐れたようにゴロリと寝台に横になったローに、ペンギンが笑いながら声をかけた。
    「一番言いたいことを、一番先に言っちゃえばいいんですよ」
     ベポみたいにね。そう言い残して、騒ぐ二人の襟ぐりを引っ掴んで船長室を出ていった。途端にしん、と静まり返った船室で、ローは枕代わりのクッションをギュッと抱きしめた。
     ──一番言いたいこと? そんなの決まってる。あのときの礼と、それと……。
    「生きててくれて、ありがとう……」

     彼と旅をする夢を見続けていた。あの嵐のように過ぎ去った半年間の旅では叶わなかった、世界各地を見て、その広大さに胸躍らせる旅の夢。
     空島に行った。海底深くの魚人島に行った。“北の海”から始まり、“西の海”、“南の海”にも行った。“東の海”では、海賊王が処刑された町にも行った。あんたがいたなら、なにを話してくれただろうか。ゴール・D・ロジャー。かつての海賊王。その名に冠されたDを、あなたはどんな風に語ってくれたのだろう。“偉大なる航路”では、一筋縄ではいかない航海に幾度も泣かされた。ドジの割に航海術に長けていたあなたがいたなら、どんなに心強かっただろうとひとり落ち込んだ夜もあった。初めて懸賞金がかけられた日。とうとう本当の海賊になったのだと、喜びの宴を開く面々を見守りながら心の中であなたに一言詫びた。コラさん、おれ、海賊になったよ。
     どこへ行くにも、なにをしていてもあなたを思い出さない日はなかった。美しい花畑が広がる春島でも、鬱蒼としたジャングルが延々と続く夏島でも。あの日のように雪がしんしんと降り積もる冬島でも、たくさんの宝が山と積まれた遺跡の奥でも。うまい食事を仲間と食いながら、歴史ある街並みを歩きながら。まったく厄介だった四皇の一角を相手取りながら。
    あなたがここにいたなら。どうしただろう、なにを話しただろう。聞き苦しい断末魔を遮る遮音壁を作りながら、あなたを想った。
    「おれの恩人ならこうしただろう」
     ──果たして本当にそうだろうか? あの人は優しいから、死にゆく相手の声を塞ぐのではなく、その恐ろしい声から守るために遮音壁を島に張ったかもしれない。
     なんにせよ、それらはすべてローの想像の範疇でしかない。あの人が本当はどうしたかだなんて、もう永遠に知ることはないのだと思い知らされ、打ちのめされ、そうしてあの夜の幻影を見た。
     ──おまえの聞きてェセリフを言ってやろうか?
     足手纏いで目障り。そう言ってほしかったのだろうか。己は、ドフラミンゴに。あいつにとってコラさんは全くの邪魔者であり、単なる裏切り者であり、家族ではなかったと? ……そうだ、そうであってほしかった。あの優しい人が、実の家族に殺されるだなんてそんな悲劇、あってはならなかった。だってあの人はドフラミンゴを愛していたんだ。家族だから止めようとしていたんだ。誰彼構わず手を差し伸べるほど、あの人はできた大人じゃなかったし、そんな余裕も力もなかった。いまのローに到底及ばない、力ない二十六歳の青年でしかなかったのだ。そしてそれ以上の年月を過ごすこともなかった。
     浮上しながら海面を割って進む船の窓の外を見遣る。だんだんとドレスローザに近づいているのか、空気が乾いて空が高く青く澄んできていた。あの人に会ったらなんて言おう? いやその前に診察を。センゴクのやつめもっとちゃんと情報を書け! 海軍はこんなデタラメな報連相をよしとしてんのかオイ元元帥さんよォ!
     段々とムカついてきた。がばりと寝台から跳ね起き、扉を開けてシャチを探しに出る。まずは散髪しよう。ぼさぼさ頭での再会なんて真っ平ごめんだ。
    トラ男ってシチュエーションに拘るわよね、と麦わらの一味の航海士がこの場に居たならニヤニヤと猫のように笑ってそう揶揄っただろうが、生憎とここはトラファルガー・ローを頂点に頂き愛してやまないクルーが集うハートの海賊団であった。最高にかっこよく美しくしますからね! わあいキャプテンかっこいい~♡と黄色い歓声を浴び自己肯定感を最大値まで上げたトラファルガー・ローが満を持してドレスローザに上陸し、王宮目掛けて“シャンブルズ”で移動し予行練習の成果も何もなく愛を叫ぶ姿を見ても、彼らはよかったなあと微笑ましく見守るだけでだった。

    ***

    時と場は移り変わり、ドレスローザ王宮の一室にて、嘘だらけの海兵と死にかけの子供だった二人は対峙していた。センゴクは最初こそ「病み上がりの病人に抱きつく奴があるか!」と現役時代を彷彿とさせる張り手をローにぶちかましたものの、積もる話もあるだろうと隣室へと移動した。久しぶりに顔を合わせることになった王室の面々も、今度はルフィも一緒にね、と口々に言ってはローの肩を叩いたり頭を撫でたりして去っていった。二人取り残されると、途端に室内が静かになる。それから一頻り泣いたり、笑ったり、身体をスキャンしてみたり、夢かと疑って心臓を取り出してみたりした。ちなみに心臓を取り出してギュッと握り込んだらロシナンテが目を剥いて「なにしてんだおまえェ!」と怒鳴った。そのあとゲホゲホと咳が止まらず、今度こそローは遺憾なくオペオペの実の能力を発揮して見せた。心臓は普通に痛かったので、ようやくこれが現実なのだと認めることができたけれども。
    「なに、こわいことするなよォ……ああ、こんな、指にまで墨入れちまって」
     大きな手がローの手を取る。涙目になってスンスンと鼻を鳴らすその人に、ローは肩を竦めた。
    「海兵だって墨入れてる奴は山ほどいるだろ」
    「それとこれとは別! ああもう、腹までだして……! 風邪ひくぞ!」
     ずび、と鼻を啜り、兎のように赤く目を腫らしたロシナンテが、ローの胸筋をさらけ出すように着ていたシャツのボタンを閉める。
    「やめろって……! もう子供じゃねえンだから」
     その言葉に、大きな指で不器用そうにボタンを留めていたロシナンテの動きが止まった。ゆっくりと顔を上げ、ローの顔から足の先まで視線を走らせる。
    「……そうかあ。おまえももう、立派になったんだもんなァ……!」
     もし。もしも歴史にたらればがあるのなら。見つめていたかったと思う。あの小さな子供が、風に吹かれて折れてしまいそうな弱弱しい子供が、若木のように萌え伸び、逞しい筋肉の鎧をまとい、いまや海の一強として名を馳せるまでの時を、横で見ていたかった。
     そしてそれは、ローも同じことだった。この人はこんな風に笑う人だっただろうか。こんなに子供らしかっただろうか。そこまで考えて気付く。この人はまだ二十六なのだ。ずっと昏睡していて、つい先日目覚めたばかり。七武海となり、四皇を打ち倒し、その後の世界の行く末を見たローよりもずっとずっと若く、幼い。
     もしも二人で旅をできたなら。年相応に老成したこの人を見れたのだろうか。年月とは残酷だ。ワの国で将軍となった幼い子供のことを思い出す。美談のように語られてはいるが、あれもまた非道い話だと思う。八歳の子供から二十年の時を奪うなど。だが、とも思う。もしあのとき二十年の寿命と引き換えにロシナンテが救えたなら、オペオペの実を使いこなすことができたのなら、ローは喜んでその運命を受け入れただろう。だからこそローはあの子供の選択を愚かだとは思わない。真に非道なのは、子供にその選択肢しか与えなかった運命であり、カイドウの所業であり、ワの国の負の歴史だろう。彼の行く末に幸多からんことを柄にもなく祈った。せめて、失われた二十年に匹敵するほどの幸福を、彼に。それは、いまこの場においても言えることだった。
     黙りこくったローに、ロシナンテが首を傾げる。記憶にあるより長く伸びた襟足がさらりと白い首筋を撫でるのを目の端に捉えながら、ローは小さく口を開いた。
    「……おれは」
     ローの視線が躊躇うように何度か床に落ちる。数度それを繰り返し、やがて意を決したようにロシナンテを見上げる。
    「おれはおれの望むように生きた。したいことをして、したくねェことは死んでもしなかった」
     日に焼けた褐色の肌の、長く器用そうな指がロシナンテの手首を掴み、そのままトスンと押し倒す。
    「それがおれの生き方だ。“D”だの、オペオペの実がどうとかは関係なく、それしかできない。ドレスローザのこともだ。おれがしたいからした。あんたの本懐がどうとかよりも、おれが、コラさん……あんたから貰ったこの命を、心を使いたかったんだ」
     ポツリポツリと噛み締めるように吐き出される言葉に、ロシナンテは頷いた。それでいいのだ。だってもうローは自由なのだ。世界政府だって(もう存在しないらしいけれど)、天竜人だって(これも右に同じらしい。どういうこと?)、人の生き方を指図する権利はないし、従う義務もない。細い、絹のような黒髪に手を伸ばす。男らしく生えたもみあげをくしゃりと撫で上げれば、猫のように目を細める。逆光で輝く金の瞳の、中心にある黒い瞳孔が縦に長く伸びていた。
    「だから今からすることも、おれの意思だ。だれにも文句は言わせないし、それはあんたであっても同じだ」
    「うん、うん。おまえは自由だからな。……って、へっ?」
    「もう絶対に離さない……! “ROOM”」
     ヴゥン、と薄青い半円形の膜が二人を中心として張られる。ギュッと腰を抱かれ、そのまま胸元へと抱き寄せられた。
    「“シャンブルズ”‼」
    「ちょ、まっ……!」
     プツン、と視界が途切れる間際。扉を勢いよく開ける養父の、驚愕に見開かれた瞳と目が合った。伸ばされた手がロシナンテの寝間着に届く寸前、二人の姿が室内からかき消えた。

     ***

    「あらまあ。さよならが言えなかったわね」
     センゴクと共に隣室で待機していた王女ヴィオラが、立ちすくむセンゴクの背後からくすくすと笑いながら現れた。ぶるぶると肩を震わせるセンゴクの背を擦りながら、彼も愛と情熱の国の血が流れているのかしら、と嘯く。
    「こ、この……! やはり海賊風情などと一緒にすべきではなかった……!」
    「あらあら。おじさま、そう仰らないで。お孫さんのわがままくらい、許してさしあげて」
     声を震わせ拳を握りしめるセンゴクに、ヴィオラが眉を下げて笑う。
    「年に数回は里帰りしなさいって伝えればよろしいのですよ。それに、仕方のないことですわ」
     街の方角でワッと歓声が上がるのが聞こえた。かつては見ることのなかった男の仲間だろう。随分賑やかで、明るい声だと思った。
    「愛はすべてを奪うものですわ。すべてを与え、すべてを奪う。美しい執着の最終点の名前、そうではありませんか」
     ヴィオラの言葉に、なんだか一気にやつれたように見える老人が深い深いため息を吐いた。
    「……ジジイにはもう、胸やけのする言葉ですな」
    「あら! ウフフ、まだまだこれから、お孫さんがたくさん来て楽しくなりますわよ」

     その言葉通り、この日以降年に数度、マリンフォードにあるセンゴク大目付の屋敷近くで、最悪の世代、その3トップの一つであるハートの海賊団らしき人物を見かけるとの目撃情報が新生海軍本部に寄せられることになる。
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