「我らが領主は恋をしている」ということは、茨の谷中の妖精にとって周知のことだった。それも、今やひどく辺境に住んでいる者の耳に入るほどに広まっている話となっていた。
領主が恋焦がれているのは他国の人間の娘。魔法は使えるらしい。加えて、かつて領主が通っていた学校の後輩だということまで、妖精たちは知っていた。
茨の谷の民は領主を敬愛している。それはもう、彼が子どもの頃からずっと。そんな彼が選んだ女性であれば、妖精だろうが人間だろうが相手が何であろうとその恋を応援するつもりでいた。
しかし、領主の恋はなかなか進展しないともっぱらの噂だ。
城下の吟遊詩人は今日も歌う。振り向かぬ乙女、領主の心に雨が降る。その澄んだ歌声に乗せられた悲恋は、茨の谷の民の心を揺らして止まない。
果たして噂は本当であった。
茨の谷の城。領主のために設えられた執務室で、立派な二本の角を持つ彼は項垂れていた。「こんな姿など民にはとても見せられぬわ」と傍に控えていたリリアは苦笑した。
「まーた断られたのか。少し前までは面白く思うとったが、さすがにお主が気の毒になってきたわ」
「黙れ……」
「おお、怖い怖い。どうか雷は落とさんでくれ」
リリアの軽口も受け流せないほど、マレウスは心に深く傷を負っていた。ただ落ち込んでいるだけならいい。しかし城の周囲に文字通り雷撃を落とすほど、今日の彼は苛立っていた。
「あの娘も罪な女よの」
リリアはほう、とため息をついた。世界中を巡る旅の間に、リリアは沢山の悪女や魔性の女とかいうものを見てきた。けれど、彼女たちが束になってかかっても、マレウスの意中の娘には敵わないだろう。純粋はそれくらい性質が悪い。
「いい加減、マレウスの求婚を受け入れてくれないものか」
妖精王の求婚は、悉く失敗していた。NRC在学中から現在に至るまで、マレウスは何度もデュースに結婚を申し込んでいる。けれど返ってくるのは毎回同じ言葉。しかも彼女があまりにも男前に「ごめんなさい!」と言うものだから、毎回哀れさ余って滑稽さが滲み出てくるプロポーズとなるのが恒例のことだった。
ただ一つ留意することがあるとすれば、デュースはマレウスの求婚を受け入れないだけで、彼のことはきちんと愛している。
それ故「愛しているから結婚できません!」という彼女の言い分は、マレウスには理解不能なものだった。愛しているならすぐにでも番になってほしい。茨の谷へ移り住み、その身が朽ちるまで共に過ごしてほしいし、何ならその魂まで欲しい。そして生まれ変わっても永遠に一緒にいたい…と事あるごとに呟くほどに、マレウスは彼女を切望していた。リリアからすると「愛が重すぎる。もはや『やんでれ』というやつじゃな」と呆れずにはいられないほどに。
「でも、今夜も行くのだろう?」
「……ああ」
なら仕事を早く終わらせよ、とリリアは主に促した。マレウスは渋々ながら執務を再開した。その手元に狂いはないが、心の中では愛しい娘のことを考えているのだろう。
どこかふわふわと浮ついた様子の主に、リリアはこの日何度目かのため息を零した。
〇〇
すっかり夜も更けた頃。
その日も疲れた身体を引き摺って、どうにかデュースは自宅のアパートに帰った。仕事は楽ではないが、子供の頃から夢見ていた職業に就くことができて嬉しい。その疲労感は、彼女にとって非常に心地よいものだった。
シャワーを浴びて申し訳程度の化粧を落とし、ベッドに潜り込む。
そして今にも眠りに落ちようとしたその時、朧気な視界の端に何かが光ったのが見えた。
身を起こすと、カーテンの向こうから淡く光が漏れているのが確認できた。なんだろう、どこかの車のライトが強く点滅でもしてるのか、カーテンをそっと開く。
瞬間、彼女の眠気は完全に覚めた。そして急いで窓を開く。
「先輩」
「良い夜だな、スペード」
そう言って彼は薄く笑った。ライムグリーンの瞳が闇の中で煌めいている。
窓の枠の向こうで淡い光を纏いながら彼女を見つめているのは、本来ならばここに居るはずもないような人物だ。
この世界で彼の存在を知らない人はほぼいない。いたとすれば相当の世間知らずか、別の世界からやってきた人間くらいのものだろう。
彼は夜ごと、デュースに会うためだけに遥か遠い国からやって来る。その事実が堪らなく嬉しかった。
「外は冷えます。入って」
デュースは半開きだった窓を大きく開けて彼を招いた。
普段デュースはその職業柄、「若い女性がむやみやたらに男性を部屋に上げるな」と指導する立場にある。それが自分はこの有様なのだから、笑ってしまうなと独り言ちた。
「お前が招いてくれるのなら」
微かに相好を崩したマレウスは、音もなく窓から部屋に入った。
初めて彼がこの窓辺にやって来た日はたいそう驚いたものだ。デュースの部屋は4階にあるだとか、こんな夜更けに茨の谷から遥々やって来たのかとか疑問は山積みだった。彼の転移魔法は見慣れたものだけど、国境を跨ぐほどの転移には大量のブロットがつきものだ。同じ魔法士であるデュースにもそれはよく分かっていて、危険なのではないかと尋ねてみたこともあったが、そんな心配は「僕を誰だと思っている?」という返答に一蹴された。
けれど不思議なことは大抵、彼の名前と出自が理屈をつけてくれる。そのことをデュースは、学園での出来事を通してよく理解していた。そのため、特に疑問を口に出すこともせず、彼との談笑を楽しむことにしたのだった。
そういうことが何度か続き、いつの間にか彼の訪れは日常の一部になっていた。客用だったティーカップはすっかりマレウスの専有だし、彼の好きそうな茶菓子を用意しておくのが習慣になった。時折マレウスの方から茶葉や菓子を持ってくることもあった。
彼をソファに座らせて、デュースは小さなキッチンで紅茶を淹れた。お湯が沸くのを待つ間、彼女は昔のことを考えていた。この妖精はもともと神出鬼没なきらいがあることを思い出す。初めて会った時も、本当にいきなり現れたっけ。彼女は当時を思い出して微笑んだ。
「楽しそうだな」
紅茶の入ったカップを手渡すと、マレウスが呟いた。「そうですか?」と問いかけるとマレウスは頷いた。少し不機嫌そうだ。
「昨日も僕を振ったくせに」
「うう……。それは悪いと思ってます……」
デュースはバツの悪そうな顔をして、しかし二人掛けソファのマレウスの隣に収まった。そしてどちらともなく身体を寄せ合う。端から見れば仲の良い恋人そのものだが、その実はプロポーズを断った女と断られた男という関係である。何とも歪な関係の二人だった。
「お前は学生時代から同じことを言う。悪いと思うなら──」
「──さっさと結婚してくれ、でしょう?いくら暗記が苦手な僕でも、さすがに覚えてますよ」
デュースは悪戯が成功したときのように目を細めた。リリアの言う通り、やはり彼女は稀代の悪女かもしれないと、マレウスはその小悪魔的な表情に目を奪われていた。
「僕にも考えてることがあるんです。これは譲れない」
マレウスはデュースの考えもよく知っていた。知っていながら、それを早く諦めて自分のもとに堕ちてこいと願っている。
けれどそれを口にしてしまえば、彼女は再び自分の元から逃げ出すだろう。彼女が学園を卒業する日にもプロポーズをして断られた。その時はもう後がないと思って、無理にでも茨の谷へ連れ去ってしまおうとした。
それをデュースが拒絶した。そして彼女の友人である監督生やエース、グリムらが必死に彼女を匿い、逃がそうとした。勿論ただの人間とちっぽけな魔獣が怒れる妖精族を制止できるはずもなく、あわや殺人に発展しそうだったところを戻って来たデュースが涙ながらに止めた。そんなことも、今となってはもう懐かしい思い出だ。
愛する女性の涙ながらの懇願には流石のマレウスも逆らえず、デュースの茨の谷移住計画はそこで潰えることとなった。
(まあいい。きっといつか……)
そう自分に思い聞かせながらも、一方でマレウスは時間に限りがあるということをよく承知していた。人間の寿命は自分たちに比べて、酷く短い。出会った頃は幼いとも言えるほどだった彼女は、瞬きの間に大人になった。いずれ彼女は──。
今は考えることを止めようと、マレウスはデュースの短い髪に顔を埋めた。くすぐったそうな彼女の吐息が聞こえる。清潔なシャンプーと焼き菓子と紅茶の香り、そして彼女独特の甘い匂い。その心地よさに溺れるような思いがした。
マレウスの唇がデュースの首筋に触れる。彼女が身を固くするのが伝わってきた。けれど嫌がりはしない。結局、彼女は彼を受け入れる。その事実に、マレウスは得も言われぬ喜びを感じた。
〇〇
デュースが目覚める頃にはマレウスはもういない。逢瀬の途中にいつも眠ってしまう彼女に何も言わず、いつの間にか帰ってしまっている。
ベッド脇の机の上にはメモと、いつも何か土産が残されている。メモには美しい文字で「また来る」とだけ。それは逢瀬の後の寂しさを抱えたデュースの心を、じんわりと温め直してくれる。マレウスの求婚を断ることが恒例になりつつ、彼女にとってもそれは毎回心苦しいことに変わりはない。それでも彼が訪れる約束をしていくことが、この関係が終わっていないことの一つの証明となっていた。
メモの傍らには薔薇が一本添えられていた。まだ蕾の状態だ。菓子だったり花だったりと様々だが、彼の贈り物の嗜好は随分変わったものだとデュースは一人微笑む。初めて会った時は、礼の品として茨の谷で獲れる貴重な鉱石をポンと手渡されたっけ。その時の石は未だ箱に入れて保管している。贈り主は「素材として使え」という意図で寄越したのだろうが、勿体なくて使えていなかった。
薔薇の香りを楽しんだ後、花瓶代わりのガラス瓶に挿して支度を始めた。今日も仕事だ。気合を入れるように、デュースは自分の頬を掌で強めに叩いた。
「っしゃあ!やるぞ!!」
〇〇
職場につくと、何やら他の職員たちが賑わっていた。何だろうと近づくと、年の近い同僚が興奮したように話しかけてきた。
「ねえ、モーリンが結婚するんだって!」
「! マジっすか!めでたいですね!」
人だかりはそのせいか、とデュースは納得した。斜め向かいのデスクの女性・モーリンは頬を染めてプロポーズの経緯を語っている。その様子はとても幸せそうで、思わずデュースも笑みが零れた。
同年代の女性が結婚する。同級生たちも少しずつ既婚者になりつつある年齢だ。それは珍しいことでも何でもなかった。
けれどその話題は、その時のデュースの心に引っかかるものがあった。つい先日にもプロポーズされたせいだろうか。それまで軽く受け流していたのに、なんだか居心地の悪さのような何かが押し寄せてきていた。
もし彼のプロポーズを受け入れたとして、自分は目の前の彼女のように喜んで周囲に報告することができるだろうか。デュースの相手はその名前すら軽々しく呼べるヒトではない。今の仕事が好きだから、職場に要らない不安を持ち込むのが憚られるということもあった。
自分も色々考えることが増えたものだと、幸せな光景を眺めながら一人ため息をつく。いつまでも少女のままではいられないのだ。
〇〇
その日は早く上がることができたので、実家に顔を出すことに決めた。デュースが実家を出てから母は一人暮らしだ。時間のある時はできるだけ訪ねるようにしていた。
土産の菓子を持ち、玄関のチャイムを鳴らす。出迎えてくれた母は何だかぼうっとしていた。いつも元気で気丈な人なのに具合でも悪いのだろうかと心配していたデュースだったが、リビングに入ってすぐ理由が分かった。
「これって……」
「あ、仕舞ってなかった!ごめんなさいね、散らかしてて」
言うほど散らかっていない部屋のテーブルには、アルバムが何冊か広げられていた。ほとんどは幼少期のデュースと母、そして祖母が写っているものだったが、一番上にある写真は────。
(───父さんだ)
幼い頃の朧気な記憶が蘇ってきた。母と仲睦まじく寄り添うその男性。
母は極力、この話題を出さないようにしていた。デュース自身もそれに倣って、父の話を積極的にするということはなかった。
恐らく母は父の写真を眺めていたのだろう。先ほどの物憂げな表情の理由が分かった気がした。
気にしていないふりをして、キッチンに向かう。お湯を沸かしてお茶を淹れるのも手慣れたものだ。実家にいたことは何一つできなかったことが、一人暮らしをするようになってから随分できるようになった。お茶を淹れることもその一つだ。
未だ夢見心地な母のもとにマグカップを持っていくと、母は笑顔で受け取り、口に含んだ。そして目を丸くする。
「ありがとう。会わないうちに腕を上げたわねぇ」
「そうかな」
ほとんど毎日、人のために淹れているからかな。その言葉は口にすることなく飲み込んだ。母にすら彼との交際については話していない。いつかは伝えなくてはと思いつつも、どうしても勇気が出ないのだ。
「……母さんは、幸せ?」
不意に口をついた言葉は、すぐに母を悩ませるものだったと気が付いた。しかし慌てるデュースを母は特に意に介した様子はなく、素直に答えた。
「ええ。貴女がいてくれるから幸せよ」
笑顔とともに返された裏表のないその言葉は、デュースを安心させた。同時にそうじゃない、という思いも若干ながら抱えることになった。
とはいえ流石は人の親というべきか。娘の感情の機微には聡いらしく、助言をするように人差し指を立てた。
「今から言うことは強いて言うなら、の話だけど」
母はそう前置きをした。デュースは素直に頷く。
「結婚することは別に、何かを諦めることがイコールではないのよ」
その言葉が、その日のデュースの頭の中に残り続けていた。
〇〇
「どうかしたのか?」
逢瀬の最中もどこか上の空だったデュースに、マレウスは怪訝そうな顔を向けた。仕事で疲れている時とも異なる、何かに悩んでいる様子だ。
「いいえ」
素っ気なく返すと、マレウスは分かりやすく拗ねた。大の男が子どものように頬を膨らませるなんて、と思ったが、この人がやると案外微笑ましいものだ。デュースが手を伸ばしてその頬を指先で押すと、頬に溜まった空気が抜けた。そのまま指先で滑らかな肌を撫でる。
恋人からの触れ方に忽ち機嫌を直したマレウスは、意気揚々と言葉を紡いだ。
「お前のことは全て知っていたい。その憂いも、喜びも…」
これが口説き文句ではなく彼の本心から溢れる言葉だということが、デュースの心を擽った。微笑んで、心配ないと優しく伝える。
「仕事でいろいろあったんです。来月には済みますよ」
仕事が立て込んでいるのは本当だ。年末が近いこともあって、街はどこか浮ついている。こういう時は事件が増えるのだと、デュースは嘆息した。
「来月、か」
マレウスはそっと目を伏せた。何かを考えているようだ。
「もう一月ですね」
「一月に何があるか、お前は知っているか?」
「ええ、さすがに覚えました」
くすくす、とデュースは笑い声を漏らす。彼がこれまた何度も言うから、すっかりデュースの頭にもそれは刻み込まれていた。
「誕生日ですよね」
その答えに、マレウスは満足そうに頷いた。どうやら正解らしい。
「思ったよりも楽しみにしているんですね」
デュースは学生時代のことを思い出す。マレウスは人間が誕生日を祝うことを不思議に思っているようだと、監督生が話していた。彼の寿命が人間よりもずいぶん長いことを知った今なら、その感覚が理解できる気がする。けれど目の前にいるこのマレウスは、存外嬉しそうな顔をしていた。
それを指摘すると、またマレウスは微笑みを深めた。
「次の誕生日はお前が来るのだろう」
少し遅れたホリデーとして、デュースは1月に長期の休みを取っていた。これを利用して茨の谷を訪れるのだ。
「いいんですか?僕みたいなのが城に入るなんて」
マレウスから恋人とは認められていても、あくまでデュースは一般人だ。他国の王の誕生日を当日に祝いに行くことなど、やはり夢のように思われて仕方がない。
マレウスは「構わないと言っているだろう」と少しうんざりしたような表情を浮かべた。(ある意味で)礼儀と体面を重んじる彼女にとって、許可を得るということは重要なことだったのだろう。気にするな、と再度伝えた。
「今回は身内だけでの祝いだ。気を遣うことはない」
「でも……」
「リリアもシルバーもいる、セベクも」
それを聞くと、デュースは安堵したようだった。自分ではなく他の者が彼女を安心させたということは面白くないが、彼女が来てくれるなら何でもいい。
これ以上御託を並べられてたまるかと、マレウスはデュースの口を自分の唇で塞いだ。
〇〇
一月十八日。その日の茨の谷は珍しくも快晴だった。雲一つない青空を見上げながら、谷の民たちは同じことを思っていた。どうやら今日は王の機嫌がいいらしい。王の誕生した日と、その御心の平安に妖精たちは祝杯を捧げた。
城内でもそれは同様だった。
ただでさえ喜ばしい王の誕生日に、今年はその最愛の女性が訪れるのだ。どんな小さなミスも見逃せないと、城に仕える妖精たちは忙しくもどこか浮足立っていた。
「今年は良い誕生日になりそうじゃの。さて、わしもケーキなど焼こうか……」
その言葉には傍に控えていたシルバーがギョッとしていた。見かねたマレウスが助け舟を出す。
「ケーキは既に手配済みだ。それより、お前たちは出迎えに行ってくれ」
「しかと承った」
「承知いたしました」
誰を、とは言わなくても二人はよく分かっている。それ以上は余計な言葉もなく、マレウスの私室を出ていった。
一人になったマレウスは、窓辺に歩み寄って外を見下ろした。眼下に広がるは自分の治める国だ。今日は天気も良く、街を歩いている妖精の数も多い。
そろそろ城門に着いた頃だろうか。否、あの雑踏の中にデュースはいるのだろうか。何にせよ自分の領域に恋しい人がいるというのは、少々奇妙でとてつもなく幸福なことだと、マレウスは口角を上げた。
〇〇
城に到着したデュースを、マレウスは非常に機嫌よく迎えた。そして傍に置いて色々連れまわそうとするのをリリアがやんわりと止めた。
「長旅で疲れているだろう。まずは休ませてやれ」
そう言われればマレウスも頷くしかない。先に滞在用の部屋に案内することにした。
実際のところ茨の谷までは魔法士でも訪れるのには骨が折れる。ほとんど普通の人間は訪れない僻地であるし、移動用の魔法の鏡も近くには設置されていない。ほぼ閉鎖された地であるので、長旅であることは間違いなかった。
それでもデュースは今回の旅を非常に心待ちにしていた。話に聞く茨の谷をこの目で見ることができたということも理由の一つだが、何よりマレウスに会うことができたのだ。普段はこちらが迎える側だが今回はその逆で、とても新鮮さを感じていた。
滞在用にと宛がわれた部屋は一般人が使うには分不相応なほど広く、豪華だった。自由に使って良いとは言われたものの、デュースは萎縮しっぱなしだった。
しかしこの後の夕食に呼ばれている手前、旅装のままいるわけにはいかない。持ってきたドレスを広げ、化粧をしようと鏡台の前に座った。
軽くファンデーションをはたいていると、目の前の鏡面が揺れた気がした。見間違いかと目を凝らすと、明らかに波打っている。
じっと見つめていると、揺らいだ鏡の中から二匹の小さな妖精が顔を出した。
「ふふふ」
「くすくす」
黒い服を身にまとった可憐な妖精たちは笑い声を上げながら鏡を飛び出し、部屋中を飛び回る。驚いたデュースはマジカルペンを手に取ってそれを睨みつけた。
「お前たちは……!?」
デュースが問うと、妖精たちは嘲るような声で返した。
「相手の名を聞く前に名乗りなさいよ」
「……デュース」
「あんがい素直ね」
「単純とも言うわ」
妖精たちは相変わらず笑って、デュースの鼻先すれすれまで近づいてきた。
「私たちはこの城に仕える妖精」
「マレウス様にも近しい存在」
妖精たちの羽が頬に触れる。そのくすぐったさに辟易しながら、デュースは再び問うた。
「それが何の用です?」
片方の妖精の手がデュースの肌に触れた。確かめるようなその動きにデュースは身を固くする。妖精たちは見た目こそ麗しいが、その力は人間など容易く殺すことができるとよく知っていた。
「マレウス様の恋人を見に来たの」
「不誠実な恋人サマをね」
心外なその言葉にデュースは目を見開いた。
「不誠実?」
「ええ。我らの王が何度愛を囁いても、ちっとも返そうとしない」
「僕は、先輩を愛して……」
「じゃあ我が王と貴女はなぜ結ばれないの?」
結ばれる。その言葉に固まった。
「それは……」
追い打ちをかけるように妖精たちは言葉を続ける。
「マレウス様が可哀そうだとは思わないの?」
「哀れなマレウス様。こんなにも非情な小娘のために心を割くなんて」
妖精たちは歌うようにそう呟きながら部屋中を漂い、そして開いていた窓の外へと消えていった。
部屋に残されたのはデュース一人だけ。その顔には明らかな憔悴の色が浮かんでいた。
「そうか……」
マレウスの求婚を何度断ろうと、彼は傍にいてくれた。それは決して当たり前のことではないのに、いつしか自分はこのぬるま湯に浸かりきり甘えていたのだとデュースは自覚した。
マレウスに、要らぬ心労を掛けている。膨大に思える彼の時間とて、無限ではない。他人の心のうちは目に見えないから、自分と離れているときに相手が何を考えているかなんて気に掛けたこともなかった。
鏡を見て、ひどく顔色の悪い女が映っていることにデュースは驚いた。このままではいけない。あの人の憂う顔を見たくはない。必死でチークをはたいて、口紅を塗った。それでも陰気臭さは抜けなかった。
「言わないと」
そう宣言するように、自身を奮い立たせるように呟いたものの、その瞳にいつものような生気は宿っていなかった。
〇〇
晩餐はマレウスの予告していた通り、「身内」で執り行われた。参加者は主役たるマレウスとリリア、シルバー、セベク、そしてデュースのみ。一国の王がそれでいいのか、デュースが密かにセベクに問うと、「陛下が良いとおっしゃっているのだから良いのだ!」と轟音で返答された。その後に小さく「……そもそも陛下の誕生祭は節目の年に祝うものと決まっているからな」と付け足していた。長命の妖精にとって、誕生日はそう毎年大々的に祝うものでもないらしい。
賑やかな晩餐を終えて、マレウスはデュースを夜の散歩に誘った。
二つ返事でデュースはマレウスに付いていく。広い城内はデュースの目を楽しませた。名門校出身であり魔法は身近なものであったが、茨の谷のそれは程度の違うものだった。全て魔法仕掛けで動く城。魔法士として以前に、子ども心をくすぐられるような要素が満載だった。
マレウスはそんな彼女の様子を興味深そうに眺めつつ、城の奥へ奥へと歩みを進めていく。
行き着いた先は外だった。暗い庭園が広がっている。マレウスはデュースに手を貸しながら、そこへ出た。
「ここは……」
「祖母には毎年、この日に薔薇の種を貰うんだ。ここはそれを植えた庭園だ」
デュースにとって薔薇は馴染み深いものだった。しかし眼前に広がるその庭園は風格が違っていた。夜闇に包まれた淑やかな薔薇たちに、デュースは目を奪われていた。
マレウスはそんなデュースを見て目を細めた。
「すごい……とても綺麗です」
「お前にここを見せたかったんだ」
二人はゆっくりと庭園を見て歩いた。暗闇の中だったが、マレウスがしっかりとデュースの手を取って導いたので恐怖はなかった。
薔薇を見て少女のようにはしゃぐデュースの姿に、マレウスは今度は一抹の不安を抱いた。やはり彼女は綺麗になった。時を経るごとに魅力は増していくばかりで、それを眩しく感じると同時に焦燥を感じざるを得ない。
ふと足を止めたマレウスに、デュースは振り返って首を傾げた。その瞳を覗き込めば、忽ちにマレウスの腕の中に囚われた。デュースは驚いたが、その力の込めように逃げることはできないと気づき、自分も恐る恐るその背中に腕を回した。ひとまず満足したマレウスはそっと唇を彼女の髪に押し当てる。
「デュース。僕と結婚してくれ」
キスの合間にもたらされる恒例の言葉。マレウス自身、本気で言ってはいるものの心のどこかで今回も断られるのだろうと想像していた。
しかしその夜のデュースは、どこか上の空で答えた。
「……はい」
マレウスは微かに目を見開いた。そして一度キスを止め、デュースの肩を掴み直した。そのマレウスの様子をデュースは不安げに見つめている。
「……はい、と言ったか?」
「ええ」
彼女が頷いた瞬間、マレウスは言いようのない喜びが湧き上がってくるのを感じた。同時に、デュースの瞳の奥にある曇りにも気が付かざるを得なかった。
デュースの小さな顎を指先でそっと持ち上げて、彼女の視線が己から外れぬように固定する。その瞳に僅かな恐怖が宿ったことをマレウスは見逃さなかった。
「誰かに何か言われたのか?」
「、っ」
お前の考えていることなど容易く分かるのだと、マレウスは嘆息した。あれが彼女の本心から出た言葉ではないことくらい見通していた。その事実に失望しているのも勿論、一瞬だけでもその言葉に歓喜した自分自身にも腹が立っていた。
現にマレウスは、言質さえ取れればと考えていたところもあった。嘘でも冗談でも口に出してしまえばそれで十分、自分は彼女を縛ることができる。言霊とはそれほど重く効果を発揮するのだということを、魔法に長けたマレウスは知っていた。
けれど実際に言われてみればどうだろう。何かが足りない。これでは心の渇きを癒すことができない。それどころか、空虚さは広がっていくばかりだ。
「偽りの言葉は要らない」
「……」
その突き放す冷たい言葉に、デュースは凍ってしまったかのように動けなくなった。
マレウスは「此処は冷える。そこのテラスから入ればお前の部屋の近くに出る」とだけ言い残し、闇の中へ溶けるように消えていった。
〇〇
次の日は朝から暗雲が立ち込め、激しい雨が降っていた。
昨日とは打って変わった悪天候に、茨の谷の民たちは不安げに空を見上げていた。
本来ならば恋人と過ごしているはずの王が、私室に籠ったまま出てこない。昨夜までは二人とも仲睦まじく談笑していたというのに、これには城中の者が首を傾げていた。
「のう、マレウス。どうしたんじゃお主。また断られたのか?」
他の者は怖がって近づかない中、リリアだけが扉の向こうのマレウスに声を掛けた。瞬間、窓の外に稲妻が落ちる。
「図星じゃな」
小さくリリアはため息をついた。
それから何度か雷鳴が轟き、ぱたりと静かになった。
「本当に心を手に入れるには、どうすればいい?」
それは雨の音にかき消されそうなほど小さな声だった。耳の良い妖精族でなければ聞き逃していたかもしれない独り言のようなその呟きに、リリアは目の色を変えた。
「そういう魔術がないわけではないぞ、お主も知っているだろうに」
「あれには魔法は使いたくない。それに、下手を打てば跳ね返してきそうだ」
「そうじゃったな」
けらけらとリリアは笑う。窓の外の雨は依然として強いままだった。
「どうすれば、は何度も考えた。それこそ飽きるほどに」
普段は凪いだマレウスの心に波風が立つ。無表情の奥に、微かな憔悴が浮かび上がっていた。
どうすればデュースは此方に来るのか。離れず傍で共に生きてくれるのか。良い案が浮かんだと思ってもそれは所詮絵空事に過ぎず、彼女は自分の手の隙間をすり抜けるように自由に生きていくのだ。その様子が堪らなく眩しく、一方で非常にもどかしい。
今回だって冷たく突き放してしまったが、出て行ってほしいわけではない。もし彼女が此処を出ていくと言えば、マレウスは幽閉くらいのことは躊躇せずやり遂げるだろう。城でいちばん高い塔の最上階に彼女を連れていき、茨で覆って大切に仕舞ってしまうのだ。それが出来る程の力をマレウスは持っている。
それとなく主の心を読み取ったリリアは、面白おかしそうに身震いした。
「人の一生は瞬きの間だ。いずれデュースも……」
マレウスの心に巣食うのはあまりにも単純で、しかしどうにもできそうのない問題だった。どうあがいても二人が同じだけの時間を生きることはできない。それが分かっているからこそ、この一瞬すらも惜しくて堪らないのだった。
その時、強い雨音に紛れるようにして足音が聞こえた。最初は城の者がそそっかしく走っているのかと思ったが、その足音は迷いなく此方に近づいているようだった。
はて、この場所に用があるのは何奴か……リリアは音のする方向に目を向けた。そしてその姿を確認すると、したり顔で頷いた。息を切らしてやって来たその人物は、予想の範囲内にいる人間のようで、ふとしたときに予想外の反応を見せてくれる。道理でマレウスが飽きないわけだ、とリリアは改めて思った。
「お主の求めるものは既に掌中にあったのかもしれぬな」
これ以上ここにいるのは野暮だろうと、リリアは城の奥に姿を消した。それに、他にやることもあったので。
私室の前に走ってきたのはデュースだった。重厚な扉の前で一度呼吸を整えてから、力強くノックをする。
「……何用だ」
「決めたことが、あります」
あくまで突き放そうとするマレウスと、一歩も引かないと心に決めたデュース。対峙する二人は真剣な顔でお互いを見つめあった。
デュースは扉越しにでも聞こえるようにしっかりした声で話す。マレウスは耳を塞ぎたい衝動に駆られたが、結局そうはしなかった。
「僕は、自分の仕事に誇りをもっています」
「……」
「だから、辞めたくないんです」
それは十分なほど知っている。マレウスは苦々しい顔をした。
僕がどれだけ乞おうが、お前は僕のものにならない。半ば自暴自棄になり、マレウスは固く口を閉ざした。
けれどデュースの言葉はそれを許さなかった。彼女がそう意図したわけではない。不思議とその場の雰囲気が和らいだ気がした。
「でも僕は、貴方のことも諦めたくない」
「……!」
自分の考えていたことと全く同じことを、彼女も考えていた。マレウスは驚いて扉のほうを見た。
「僕は貴方に与えられてばかりだった。全然恩は返せてないし、これからも貴方の期待に全部応えるのは難しいと思います」
これまでのことを思い出すとデュースは胸が苦しくなる。十分すぎるほどの愛情を与えられていたのに、それに気が付かずに自分のことばかり優先していた。
(僕は過去を悔やんでばかりだ)
結局清算はつけられていないのかもしれない。デュースは心の中で自嘲した。けれどここまで来てしまったし、今さら引き下がれはしないと改めて覚悟を決めた。
「貴方が応えてくれないなら、また別の形で償います。そうするのが筋ってもんだと思う」
それにデュースも、マレウスの責務については十分に知っていた。順当ならば同じ妖精のお姫様と結婚し、何の批判も憂いもなく領土を治めるのが彼にとって正しい道なのだろう。これからでもその道に正せるのであれば、自分とマレウスは別れるべきだ。
その言葉を聞いたマレウスは音もなく扉に近づいた。ひとつ息を吐き、取っ手に手を掛けた。
次にマレウスが見たのは、自分をまっすぐ見上げるデュースの瞳だった。それは激しく波立っていて、今にもあふれ出してしまいそうなほど涙を湛えていた。それでも自分の足で立ち、想いを伝えようとする姿にマレウスは自分の心臓が激しく動いたのを感じた。
「……僕から離れる気か?」
「貴方がそう望むなら」
デュースは覚悟に満ちていた。昨夜、薔薇園で見せた曖昧な態度ではなく、今は自分の言葉で話している。マレウスはそれが嬉しくもあり、酷く胸を割かれる痛みのようにも感じた。偽りのない言葉を求めながら、真実は時に残酷だ。マレウスはふと、デュースの口を塞ぎたい衝動に駆られた。
「そのようなことは、許さない」
「え、」
どこか虚ろな目をしたマレウスが呟く。僅かに驚いたデュースは無意識に引き下がろうとしたが、逃がすまいとマレウスの手がその腕を掴んだ。
「どこへ行くつもりだ。許さない」
「ちょ、待って」
「待たない」
マレウスの頭は既に彼女を閉じ込める算段に掛かっていた。いくら魔法士のデュースでも逃げ出すことは敵わない、茨の檻の中へ……。職業柄、危険に敏感になっていたデュースもただならぬ雰囲気を感じ取り、必死にこの場から一度退却しようとする。しかし魔法士としての力量差は圧倒的だ。
部屋の中に魔力が充満する。風もないのに燭台の灯は搔き消され、辺りは闇に包まれた。
デュースは懐に入れていたマジカルペンを取り出す。しかしその行いは、マレウスをさらに不機嫌にさせた。
「お前も僕を恐れるのか」
「ち、違います…!」
デュースは並々ならぬ魔力の磁場に、何度か立ち会ったオーバーブロットの様子を思い出していた。世界屈指の魔法力を持つ彼でも、このまま感情を荒らげていては危険だ。どうにか止めようとマジカルペンを握りしめ、一歩ずつ近づいていく。
強すぎる魔力は茨のようにデュースの肌を刺す。痛みに呻きつつ、それでもデュースはマレウスに手を伸ばした。
マレウスはそれを信じられないといった目で見ていた。人間はもっと利己的で弱い生き物だとマレウスは思っていた。それなのに、なぜデュースは……。
「やめろ、やめないか……お前を傷つけたくはない」
「……この程度、平気です!」
マレウスは必死に遠ざけようとするが、その感情が高まれば高まるほど、その意思に反して魔力はデュースを傷つけた。そしてそれはマレウス自身の身体をも蝕んでいく。
(けど正直、持たないかもしれない……)
デュースは目を伏せ、心の中でそう呟いた。普段鍛えているため魔法力や身体の強さはそれなりにあっても、彼女自身は人間だ。特別な魔法耐性をもつ妖精の身体と比べれば、今の状況はデュースにとって非常に分が悪かった。
マレウスもそれには気づいていて、両手を延べて未だ近づこうとするデュースを止めようとした。
「やめてくれ……」
普段のマレウスからは考えられないほど、悲痛な声だった。その悲しみさえ、魔力の渦を産み出す負のエネルギーと変わり果てる。
「落ち着かんか、二人とも」
膠着の末、デュースが強すぎる魔力の前に諦めかけた時、第三者の声がした。二人はピタリと動きを止め、そちらに注目する。
いつの間にか部屋にリリアが立っていた。一拍遅れて扉が開き、慌てた様子のシルバーが入室する。
入室と同時に、魔力の渦は弱まった。マレウスの意識が逸れたこともあるが、そこが閉じられた空間でなくなったことも作用しているらしい。
痛みから解放されたデュースは、その場にへたりこんだ。それに馬頭らしくも慌ててマレウスが駆け寄り、抱きすくめる。
愉快そうにカラカラと笑うリリアに、二人は今度はきょとんとして顔を見合わせた。その手には何やら麻袋が握られており、しかもそれはキイキイと耳障りな音を発している。二人のもの言いたげな目線に気が付くと「ああ、おいたをした羽虫をちょっとな」とそれを後ろ手に隠した。
「お主ら、ずいぶんと遠回りなことをしておるの」
リリアは悠然とした態度を崩さず言葉を続けた。その間に、手にしていた袋をシルバーに手渡した。
シルバーは微かに蠢く中身に怪訝な顔をしていたが、すぐに合点が言ったようでそれを外へと持って行った。
「遠回りって……?」
デュースが素朴な疑問を口にする。マレウスも同じ思いだったようで顔を顰めている。
若い者たちのその反応に、リリアは興味深げにキロっと瞳を動かした。
「なに、お主ら次第で結末はどうとでもできるのじゃよ」
二人は同時に首を傾げた。先ほどの光景が嘘のように、彼らの間にはもう、緊張感など一欠も残ってはいなかった。
〇〇
デュースは今夜も疲れた体を奮い立たせ、アパートの部屋に続く階段を駆け上った。
借りているその部屋に、私物はずいぶん少なくなった。それも仕事が忙しい時に泊まるために必要な最低限の物ばかりだ。
今日はそれほど立て込んでいないし、それに明日からは連休をもらえた。いそいそと錠に鍵を差し込み、扉を開けた。はやる心は止められない。
それは彼女を迎えにきた人物も同様だったようで。少し前まで招かなければ入ってはこなかったというのに今夜は自らガラス戸を開き、悠然と窓辺に腰掛けていた。デュースはそれを咎めることはしないし、むしろ嬉しそうな笑顔を向けた。
「お待たせしました」
「この程度の時間、待っているうちに入らない」
デュースは彼の待つ窓辺に歩み寄った。彼も呼応するように彼女に恭しく手を差し伸べる。
「さあ、帰るぞ」
「ええ」
デュースがマレウスの手を取ると、たちまちに魔法が展開した。転移魔法だ。最初はその感覚が不思議で仕方がなかったが、最近では慣れたもので安心してマレウスに身体を預けている。
仄かな光に包まれ瞼を閉じる。次に目を開けた時には、茨の谷の城だ。
デュースは現在、マレウスと共に茨の谷の城に住んでいる。
二人で話し合った末、デュースはやはり薔薇の王国で仕事を続けたいと主張した。番を常に傍に置きたいマレウスは渋ったが、リリアの助言もあり、その意思を汲んだマレウスは彼女の自由を尊重することにしたのだった。。
本当は「休暇のたびに会いに行きますから!」とデュースは言ったのだが、「いくら何でもそれでは共に過ごす時間が少なすぎる」とマレウスは折れなかった。
しかし薔薇の王国と茨の谷とでは相当の距離がある。それこそ通常の交通手段では数日を要するほどだ。どうしようかデュースが考えあぐねていたのを、マレウスはあっさり魔法で解決してしまった。転移魔法で、毎日送り迎えをするのである。
デュースはやはり魔力やブロットのことを心配したが、マレウスはそれを一笑に付した。
「僕を誰だと思っている?」
その言葉にデュースは目を丸くした後、微笑んだ。そうだった、この妖精はそういうヒトだった。傲慢にも思えるその言葉が、世界一よく似合うのだ。
「……それはどういう顔なんだ」
茨の谷の城、二人が寝起きする部屋──もともとはマレウスの私室──に降り立ったマレウスは、腕の中のデュースを怪訝そうに見下ろした。
「嬉しい顔です、たぶん」
「ずいぶん複雑そうに見えるが」
未だ不機嫌そうなマレウスを見て、デュースは困ったように微笑んだ。そして背伸びしてその顔に自分の顔を近づける。マレウスもそれに応えて、鼻先に優しいキスを落とした。
妖精は夜、彼女のもとにやって来る。彼女と静かな夜を過ごすために。