はちゃめちゃに恋愛下手なクルー…ル先生の話そろそろ秋の気温に近づいてきた晩夏の街中。私は街路樹の影でとある人を待っていた。待ち人は約束の時間からもう20分も過ぎているというのに、一向に姿を現さない。
暇つぶしにコーヒーでも買ってこようか……そう思い始めたところで、ようやく道の向こうに彼は現れた。白黒を基調としているのに目立つあのファッション。見間違いようがない。
急ぐ素振りも見せず、悠然とした足取りでやって来て、尊大に私の前に立ち止まる約束の人。私は不満の一つでも投げかけてやろうとその顔を見上げた。
「遅いですよ」
「すまん。身支度に手間取った」
「本当なら私が言うべき台詞なのでは、それ」
まるで年若いガールフレンドのようなことを何の臆面もなく言ってのけるこの人は、既にアラフォーの域に到達しつつある。出会った時が32歳だったから、5年が経った今は37歳……そんな年齢を感じさせないほど、この人は若々しい。
「何度目の遅刻ですか。時間も場所も、先生が指定したんでしょう」
「悪かったと言っているだろう。ほら、行くぞ」
革製の手袋に包まれた手が差し出される。いつまでも子供扱いされているようで悔しいが、けっきょく私はその手を取るほかない。なぜなら、ここが私の知らない街だからである。
この人──クルーウェル先生が待ち合わせに指定するのは、たいてい職場から離れた場所である。いわく「生徒どもに見つかると厄介だからな」とのこと。それは分かるけれど、この世界の土地勘が無い私にとっては待ち合わせ場所までたどり着くのも一苦労なのだ。
それに、移動手段に難があるのも問題だ。歩き始めつつ、その不満を訴えかける。
「出かけるたびに学園長に許可を取らないといけないの、けっこう面倒なんですよ」
「? あの学園で働いている以上、闇の鏡の使用は当然の権利だろう。堂々としていればいいものを」
ここまでやって来るのには、船など公共交通機関では時間が掛かり過ぎる。そのため上司に許可を取って魔法の鏡を使用しているのだが、その許可を取りに行くたび「お熱いですねぇ」と茶化される私の身にもなってほしい。先生は自分の使用許可まで私に取りに行かせるから、その恥ずかしさが分からないのだ。
「先生は開き直ってるからいいですけど、学園長は完全に私たちのことを面白がってますよ」
「別にお前はもう生徒じゃない。何だっていいだろう」
私が学園を卒業して一年が経つ。交際を始めたのがちょうど卒業式の次の日だったから、確かに倫理的な問題は無い。けれど問題はそこじゃないのだ。
「それでも、知り合いの生暖かい目線って辛くないですか?」
「気にしなければ良い話だ。さっさと歩け」
どうも恋人に対する扱いが雑な感じが否めない。私は呆れつつも、そのエスコートは丁寧なことには気が付いていた。早く歩けという割にその歩調は此方に合わせてくれている。普段はもっとサクサク歩く人なのに。
「さて、着いたぞ」
しばらく歩いた先にあったのは、一軒のこじんまりとした店だった。デートの行き先も日程も先生が決めてしまうけれど、食事する場所だけは私が決めることができる。どうにか今回も先生の御眼鏡に適ったようで、私の希望が通ったのだった。
先生はそこの看板を見上げつつ、感慨深げに呟いた。
「ここは以前、バーバラと訪れたことがあったな」
「バーバラさん?」
「ああ。昔の恋人だ」
「……そういうの、私には言わないほうがいいと思います」
この人に過去、恋人が多数いたことは私も知るところではある。けれど、それを何の配慮も無く現在の恋人である私に言ってしまうのはどうなのだろうか。
「そうだな」
さらりと流して店に入っていく先生。いつか私も、先生の過去の思い出になるのだろうか。そんなことを思いながら、私もその背中に続いた。