夢見た未来と違っても。4ふいに意識が浮上する感覚に重たい目蓋を開いた。
ぼんやりする視界には真っ白な天井が見えた。
確か銃で撃たれて、その後の事は何も思い出せないし軽い頭痛がする。
体も重たくて上手く動かせ無いから今置かれている自分の状況と周囲の情報を得る為に視線を動かした。
クリーム色の壁と消毒液の匂い。点滴台とそれから心電図モニター。
清潔なパリッと糊の利いたシーツ。
これらの物から連想されるのはここが病院の個室であるらしいという事。
病室にしては広めだし少し離れた所には大型のテレビと革張りの黒いソファが置いてあるから一応特別室らしい。
裸眼では相変わらず輪郭がボヤけて見えるが、ソファの上に誰かが横たわっているのも見えた。
「…いってぇ…」
部下の誰かか、と確認しようと身を起こしかけて横っ腹辺りに引き攣るような激痛が走って思わず呻いてしまう。
よく見ると腕や手にも包帯やら絆創膏やらと手当てされた痕跡が見える。
今自分が居るのは一体どの世界なのだろうか。
これはつまり助かったという事なのか。
だとしたら、一体どの世界の続きなのか、それともまた新しい世界の始まりに居るのか。
このまま寝ていても状況が全くわからないままだったから何か確認する物は無いかと周囲を再び見渡した。手を伸ばせば届きそうな位置に花の活けられた花瓶と新聞が見える。
ズキズキと痛む傷口を庇うようにしながら何とか体をずらして手を伸ばすと指先で新聞紙を掴む事が出来た。
それを手元に引き寄せると記事よりも先に日付けを確認した。
ちょうど自分が刺されたのと同じ年、そしてあれから3日程が経っているのが日付けから解った。
つまりこの世界は初めに自分が居た世界のものであり、死んだと思ったものの何とか生き延びれたらしい。
あの出血量でよく助かったものだと自らの悪運の強さには我ながら恐れ入った。
こんな状態では自分が黒龍の仕事に戻れるようになるには時間が掛かりそうだし、後で誰かにパソコンや携帯電話を持って来させなければとこんな時でも金の流れや隊の動きを気にしてる自分が笑える。
だんだんと状況を理解して来ると頭が働き始める。
そうなると、一番に幼馴染の事が気になって仕方無い。あんな電話をしてしまって心配しているだろか、今一人で何をしてるのか。また自分の居ない所で無茶をして怪我をしているのでは…
そう思うと居てもたっても居られなくなってベッドからあちこち痛む体をどうにか起こそうと腕を動かした。
点滴台に手が打つかってあ、と思った時には派手な音を立てて床に倒れて落ちた。
その拍子に腕から針が抜け落ちてしまいじわりと血が滲んでいく。
こういう時は大人しくナースコールを押すべきだな、と恐らくベッドの上辺りにあるだろうそれを手探りで探しているとモゾモゾと下の方で人が動く気配を感じた。
そう言えばソファに誰か居たような気がする。
それならその人物に医者なり看護師なり呼んできて貰うかと声を掛けようとして、喉がカラカラに乾いていて噎せこんだ。
「…ココ?…ココ!?」
ソファの上に横たわっていた体がガバリと身軽に飛び起きて素早くこちらに駆け寄ってきた。
声とその身のこなしだけで直ぐにそれがさっきから頭の中で思い浮かべていた幼馴染と解った。
「み、水…」
とにかく何か喉を潤す物をくれと訴えると花瓶の置いてある台にあったストローのついた水差しを口元に持ってきてくれる。
そのままとりあえず水を飲ませて貰うと渇いた口内や喉に水分が行き渡って染みた。
生きているんだな、とやっとそこで実感が湧いてくる。
「ココ、大丈夫か?どこか痛むか?」
心配そうなその声に顔を上げると目元を赤くして薄っすらと隈が浮かぶ青宗の顔が見えた。
その顔を見て、きっと凄く心配させたんだろうなと思ったし何だか長い夢を見ていてずっと離れていたような懐かしい気持ちにもなった。
「イヌピー、元気そうだな」
「うるせぇ、馬鹿…死んだかと思っただろ…」
怪我一つしていないその姿に安堵してそう言えば、瞳をうるうると潤ませて堪えるように唇を噛んだ。
強がりで意地っ張りらしいその表情や相変わらずの悪態に酷く胸を掴まれたような何とも言えない気分になってしまう。
どの世界の彼も美しくて愛おしかったが、やはりこの素直じゃない乾青宗に一番会いたかったのだと思う。
「俺の為に泣いてくれたのか」
赤く腫れぼったくなっている目元へ手を伸ばして撫でるとじんわりと滲んだ雫が一つ零れ落ちた。
それを拭い取って温かくて滑らかな頬に指先を落とすと金色の長い睫毛がパサリと伏せられて綺麗な影を作る。
「…泣いてねーよ自惚れんな」
鼻の頭を赤くして子供みたいな口調で強がるその姿がいじらしい。
素直で可愛いく笑う青宗や、物静かで色香の漂う微笑みを向ける青宗の顔をそれぞれ思い出す。
「どのイヌピーも良かったけど…俺は口の悪いこのイヌピーがやっぱ好きだわ」
そんな事をつい言ってしまえば、一体何を言っているんだと言う表情で当然見られた。
あれが夢だったのか、それとも本当の未来の出来事だったのかは感触も痛みも何もかもリアル過ぎて判断がつかない。
だけどこうして元居た世界に戻って来れた事に安堵する気持ちが大きい。
こんな幼馴染の事を自分はどうしても放って置けないから、こうやってまた触れる事が出来て本当に良かった。
「大体、お前…何だよあんな電話…」
思い出したようにギロリとこちらを睨んで何やら文句を言いたげな顔をする。
電話、と言われてそういえば自分は死ぬ間際に青宗に電話をしていたのだったと思い当たる。
結果死んでは居なかったから最後の言葉とはならなかったのだが。
「ああ、俺の今際の際の愛の告白な。ちゃんと聞いてたか?」
巫山戯たように言えば今度は怒ったように口を開き掛けて、どうにかして堪えるように歯を食いしばるのが見えた。
「…聞こえてねぇよ。あんなの、ちゃんと直接言えよ馬鹿」
「ええ…俺、3回もイヌピーに告白したのに」
電話越しの告白と、死に際に告げた2回の告白が無効にされたのが可笑しく思わず笑ってしまうと、馬鹿にされたと思ったのかもういい!と語気を強くした青宗が顔を背けた。
怒らせるつもりは無かったし、こんなに泣くほど心配してくれたんだな、と思うと自分は思ってるよりずっと青宗に大切にされてるんだと伝わってくる。
きっと殆ど寝ないで、目を覚まさない自分の側に寄り添ってくれていたのだろう。
その間どれだけ不安で悲しませてしまったのだろうか。
それでも目覚めるのを信じて手を握ってくれていたんだろう。
ああ、やっぱり自分にはコイツしか居ないんだよな、そんな事を実感して愛おしさがこみ上げて来る。
「あのさ、イヌピー。お前の事愛してるからいつか結婚してくれよ」
考えるまでも無い言葉は自然と口から転がり落ちていた。
それは紛れもない本心で、長い夢を、未来を見て乾青宗という男に対して感じた全ての素直な飾らない気持ちだった。
今すぐにどうこうしてくれなんて望まないから、いつか青宗も同じくらい自分の事を愛してくれる時が来たらその時は添い遂げてくれという自分なりのプロポーズのつもりだった。
他の誰かになんて一生言うつもりも無い心からの。
「馬鹿、色々飛び越え過ぎだろ…」
まずは付き合うんじゃねぇの、そう言って笑ってから安堵したのかポタリポタリと次から次に青宗の丸い目から涙が溢れだしていく。
泣き顔だってどんな顔だって可愛いと思えるけど、やっぱ好きな奴泣かすのは駄目だな、と思う。
どんな表情よりも幸せそうに笑ってて欲しい。
出来る事ならその時隣に自分が並んで立って居られますように。
心の奥でそう願いながらその涙を拭ってやる。
「なあ、返事は?」
柔らかな唇を親指でなぞりながら問えば青宗はゴシゴシと乱雑に袖で目元を擦る。
そして顔を上げると困ったような顔で笑ってこちらを見た。
「俺がココのお願い断れるわけねぇだろ」
仕方無いなと言わんばかりの口調で答えると温かな手が髪を撫でて、ゆっくりと顔が近づいてくる。
それから、そっと唇を重ね合わせた。
ただ触れるだけの色気も無いキスだったが、胸を震わせ鼓動を早めるには十分だった。
それはまるで教会の下で交わす誓いのようにも思える程優しくて温かな触れ合いで、きっとこの先何度もこの光景を思い出すのだろう。
「イヌピーからのキス初めてかも」
「キス以上の事もしてぇから早く元気になれよ、ココ」
少しだけ照れて茶化すように返してしまうと、てっきり拗ねるかと思ったのに思いの外情熱的な答えが返ってきて目を丸くする。
それに対して悪戯っ子みたいな顔をしているのが見えて、これからこの可愛い顔に振り回されるのであろう自分の未来が見えたような気がして頭を抱えたくなる。
だけどそんな未来も目の前のこの男となら悪くないと思える。
「…なんだよ、そんな事言われたら今すぐ退院してぇ」
そう呻くと、青宗はクスクスと楽しそうに笑った。
どんな幸せな未来より、これから二人で歩んで行く今が良いとそう思った。
.