千々なる祈り 食堂へ向かう廊下に立香の影が伸びる。
艦の窓から見る空はオレンジとネイビーのグラデーションを描き、徐々にネイビーの幅が広くなっていた。
ハワトリアで過ごした夏から比べてすっかり陽の落ちる時間も早まったし、影もあっという間に長く伸びていって本格的に冬の様相だ。
白紙化された地球からは日本のような外から見える風景に四季は感じ取れないけれど、データ上は今日から十二月を示している。
師走だからね、と人が口々に言いばたばたと過ごした日常を、伸びた影を見ながらぼんやり思い返す。
カルデアに来てからも何だかんだと大きい出来事は十二月から大晦日、お正月と続いていくものだ。
今年とて何か起きるか分からないし、感傷に浸ってばかりもいられない。
それにハロウィンを大人しく過ごしたし、もしかしたらクリスマスがまた大変な事になるのかもしれない。今年のサンタは誰が担当するのかな、と少し身震いをしながら立香はこつんとブーツの踵を鳴らした。
部屋に戻る最中に喫煙室を覗きこむ。今日は食堂で会わなかったからもしかしたらここにいるかもしれない。
食堂に着いてしばらくしてから、今日のマイルーム担当の欄に彼の名前を入力した。一応、皆のマスターなので毎日を彼にする訳にもいかないが柔軟に変えれるように配慮してもらっている。
今日は見てもらいたい物もあるし、と立香は手元の箱を抱え直す。夕食時に子供系サーヴァントから贈られた可愛い品を彼にも見て欲しかった。彼に通知は入っているから自室に戻れば彼は来るはずだけれど、どうせなら少しでも一緒に過ごしたい。
すりガラスの向こうには淡い金の長髪。お気に入りのサングラスをした大好きなひと。
「テスカトリポカ」
彼を見とめて立香は頬を緩め室内に入る。
「お嬢。食堂から帰りか?」
薄青の眸が笑む。案外プライベートでは表情は柔らかい。それともそんな風に思うのは、立香が好意を寄せているからなのだろうか。何となく、その表情が向けられる先は自分だけにであって欲しいと細やかに願う。テスカトリポカに出逢ってから唯一、ただの藤丸立香として一番奥にずっとある願い。
「そうなの。テスカトリポカはもう食べた?」
「今日はちょっと早めにな。何だ、今日は何か持たされたのか?」
立香の抱えている箱に気付いたらしい。変化には人一倍目敏い。
「うん。ナーサリーやジャックちゃん達に。十二月になったからって貰ったの。部屋で見ていかない?」
「いいぜ。オレが見ても良い物なのか?」
「もちろん。一緒に見てもらいたいなって思って」
「だからさっきマイルーム担当通知が来たってワケか」
優しい時間、楽しい出来事は共有したい。側で見て、話して、緩やかな幸せを束ね合わせておきたい。それはきっと私の力になる。そうしたら戦いにだって奮い立つ事が出来る。彼の隣で戦い続ける為に、毎日の優しい一欠片を集め続けるのだ。
その私の想いを彼が知っているかは分からない。全能神だ。識らない事はないだろう。彼が信徒に対価に求めたものは苛烈なものだけれど、信徒が神に捧げるものは先ず願いなのだから。
告白はしてテスカトリポカも受け入れてくれてはいる。でもテスカトリポカへ私が捧げる願いがこんなに強い恋心なのかを分かっているかは怪しい所だけれど。
彼は自分で思っているより自分に向けられる恋慕には鈍感だと思う。何なら告白した時にはお嬢には嫌われていると思ったんだが、なんて言うものだから呆気に取られた。神の寵愛を受ける覚悟は決まってるのかなんて確認も入ったけれど一生物の恋と愛を捧げている。女の気持ちは移ろいやすいなんて馬鹿にしないで欲しいと啖呵を切って大笑いされたんだっけ。
当時の事を思い出している間にテスカトリポカは灰皿に吸殻を捨てて、さりげなく立香の持っている箱を自分の手元へと収めた。そしてもう片方の手で立香の手を取り廊下を進む。
こつん。かつん。
二人分の靴音が廊下に響いては消える。窓の外には星が煌めいていてその煌めきはまだ微かに記憶している遠い極東の冬の澄んだ空気のそれだった。
自室に着いてテスカトリポカに椅子を勧める。
腰を降ろして長い足が組まれる様は美しい。こんな些細な事だって大事に想う気持ちを忘れたくない。全部記憶に留めておきたい。
テーブルには灰皿を置き、それぞれのマグカップにお茶を淹れて戻ってくる。もらってきた箱を一緒に見る為、今回は椅子を横に置き立香も腰掛けた。テスカトリポカはシガレットケースから黒に金のラインが入った煙草を取り出す。マイルームは禁煙ではない。医療班は渋い顔をしているけれど、立香のたっての希望とあらばなるべくなら叶えようと許可された。
立香はテスカトリポカの紫煙の香りが好きだ。他のサーヴァント達が吸っている煙草のどの物とも違う匂い。テスカトリポカが指先で火を点ける様を見るのも好きだ。こんなに魔術が身近になった今でも魔法みたいだと思う。カドックあたりに言おうものなら呆れた顔をされてしまいそうだけれど。
テスカトリポカの筋張った指が行う一通りの所作をつい真剣に眺めてしまって、煙を吐き出す薄い唇が弧を描く。
「オマエさんは本当にオレの手が好きだな」
揶揄うように紡がれる声だって好き。彼を織りなす全てが好きと伝えたら何と言うだろうか。
「神が作りたもう完璧な肉体に惚れ込まない人がいるなら見てみたいです。頭の天辺から爪の先まで整ってるじゃないですか」
子供っぽく頬を態と膨らませて反論する。
「お?意見か?と聞きたい所だが、それは讃美だな。お前はいつでも初心の反応だがそれが良い」
大きな手が頭を撫で、そのまま顎の下をあやす様に擽る。まるで猫を愛でてるみたいに。彼に眷属するのならばジャガーなのだろうけれど。
「で、これは何なんだ?」
戯れついている間、ずっと放置されている箱にようやく意識が行く。
可愛くラッピングされた箱のリボンを解いていくと、数字の書かれた引き出しが何個もあるこれまた可愛い木箱が現れた。
「アドベントカレンダーだよ」
テスカトリポカからは鸚鵡返しに単語が返ってきて、その後数秒沈黙があった。聖杯にアクセスし、知識を得た数秒だ。それを目を離さずに見つめる。
…本当はこれを無邪気に見せても良いものか立香は食堂で少し悩んだのだ。クリスマスは彼の国家を滅亡させた国家が信仰する宗教の催しである。しかし彼は滅亡と再生を司る神でもあるし、当世に合わせると明言している。
滅亡の結果彼は忘れ去られた神になってしまったけれど、マスターに応えてくれたのは当世を愉しむマスターを赦してくれると言う事よ、マスターまで悲観的になってはいけないわ、とナーサリーは謳う。
信じる事は大事な事よ、ナーサリーは笑う。
信じていれば彼はその気持ちを映してくれるわ。
私達はマスターと彼が楽しく過ごせるようにとびっきりのものを作ったのよ!
「ほぅ。随分と楽しそうなアイテムだな。祭りまで間指折り数えて待つのは善い事だろう」
今回はそんなに変な知識は与えられずに済んだらしい。立香がテスカトリポカと祭りを楽しみたいと言う気持ちも汲んでくれたようだ。
「中身は何だ?」
「お菓子とかが多いと思うんだけど、何か違うっぽいんだよね。ナーサリー達が私達は飾り付けとお品書きを綺麗に描いたのよって言うの」
「デコレーションをって意味じゃないのか?」
「うーん…。中身はメディアさん達がとっても素敵に作って下さったのよって…」
暫し沈黙が落ちる。
受け取った時にあんまりにナーサリーやジャック、ジャンヌオルタリリィ達が誇らしげな顔をしていたし、一切の邪気など感じる訳も無かったので有難うと笑顔で持ってきたけれど、何だか冷静に考えると中身が怖くなってくる。でもでも朝開けるのがオススメよ!って笑顔がキラキラしていたから…!
「とりあえず、今日の分開けてみようか…」
「そうだな…」
『1』とカリグラフィーを用いて美しく書かれた小さな引き出しを開けると小瓶と封筒が丁寧に収められている。ふわり、と華やかな香りが微かに立ち上った。封筒を開けると台紙に花や果実の名前がいくつか美しく書き記されている。
「…香水だな」
台紙を覗き込んだテスカトリポカの手にはいつの間にか小瓶がある。検分済みのようだ。
「成程な。朝香水を着けて、昼そして夜にかけて調合された香りが変化するだろう。おまえが食堂で子供達を抱き締めてやれば喜ぶんじゃないか?マスター素敵な匂い〜!ってな。ギリシャのが主に調合したのは適任だろうな。ついでに十六日を過ぎたら俺がピニャータとポンチェも振る舞ってやるよ」
朗々と語った後に碧眼がにんまりと細まる。
「一番香り立つのは汗ばんだ時、だな。お嬢さん。十二月中のマイルーム担当の予約は任せたぜ」