ヤドリギの下で こちらの世界にクリスマスはないから、今日はただの『なんでもない冬の一日』だ。
朝、サンタからの贈り物で盛り上がっていた魔法使い達も、朝食を済ませたあとは任務や訓練に励んでいるし、晶も報告書の作成や会議への出席など、午後までみっちりと予定が詰まっている。
(何だかいつも通りだな)
元の世界にいた頃も、クリスマスはあくまで季節行事でしかなく、学校や仕事が休みになるわけではなかったから、この雰囲気自体もなんだか懐かしい。
そんなことを考えながら、午前中いっぱいかけて溜まっていた報告書をまとめ上げ、会議のついでに提出を済ませて魔法舎に戻ってきた頃には、流石の晶も疲れ果てていた。
(少し休憩しよう……)
自室へ戻るのも面倒なので、談話室へと足を向ける。今の時間なら人も少ないはずだ、と思っていたのだが、開け放たれた扉からは賑やかな声が響いてきた。
(この声は……)
そっと扉をくぐれば、暖炉の前のソファーに陣取って、分厚い本をめくりながら楽しそうに喋っているリケとミチルの姿が見える。
「こんにちは、リケ、ミチル。何を読んでいるんですか?」
「賢者様! おかえりなさい」
「今、リケと二人でこの図鑑を見ていたんです」
二人がかりでよいしょ、と持ち上げてみせてくれた本の表紙には、美しい花々の絵が描かれていた。
「これは……植物図鑑ですか?」
「はい! フィガロ先生にもらったんです。珍しい植物がいっぱい載っているんですよ」
「僕はあまり植物に詳しくないので、ミチルに色々と教えてもらっているんです」
ほら見てください、とミチルがめくってくれるページには、写真と見紛うばかりに精緻な絵がフルカラーで掲載されていた。
(これ、かなり貴重な図鑑なのでは……?)
「あっ、見てください。これはとても珍しい植物なんですよ」
不意にページをめくる手を止めたミチルが指さしたのは、高い木の枝にぶら下がるようにして花を咲かせている、不思議な植物の絵だった。枝葉が複雑に絡み合って、こんもりと丸い形になっている。
「僕も実物を見たことがないんですけど、他の植物に寄生して生きる、寄生植物というものなんですって」
「なんだかちょっと怖いですね。虫に寄生する茸のようなものなのでしょうか」
「あれとはまた違うみたいです。ええと……共生関係――つまり、お互いに助け合って育っていくみたいですね」
少々難解な説明文を噛み砕いて読んで聞かせるミチルに、リケが興味深そうに瞳を瞬かせている。好奇心旺盛な二人を見ていると、図鑑や学習漫画に夢中になっていた子供の頃を思い出すようだ。
「そういえば、俺の世界にも似たような植物がありましたよ。確かヤドリギっていって……ええと……」
あまり身近な植物ではなかったから、ミチルのようにすらすらと知識を披露できるわけではなかったけど、一つだけ覚えていることがあった。
「そうそう、確か――ヤドリギの下では、キスを拒めないっていう風習があるんです」
元の伝承がどうだったかは覚えていないけれど、現代では思い人に意思表明をする絶好のチャンスとして利用されている、らしい。あくまで外国の風習だから、晶にとって馴染みのあるものではなかったが、映画やドラマなどでそんなシーンを見たことがあった。
「誰彼構わず口づけできるなんて、あまりにも慎みがない風習ではありませんか?」
眦をつり上げるリケに、慌てて補足説明を入れる。
「いえその、誰彼構わずというよりは、その風習を利用して、わざとヤドリギの下で待ち合わせをしたり、じれったい二人のために、パーティ会場にヤドリギを用意したりするそうです。きっかけづくりというやつですね。あとは、喧嘩して気まずくなった友人や恋人と仲直りをしたいとか、そういう時にも使われるとか」
「なるほど。それなら納得です。仲を深めたい人々を結ぶ、そんな効果があるんですね」
ほっとした様子のリケに、晶も内心で胸を撫で下ろす。
「へえ。これにそんな効果があるんですか」
急に頭上から降ってきた声に、三人揃ってぎゃあと悲鳴を上げる。
「なんですか、怪物でも見たような声を出して」
「ミスラ! もう、びっくりさせないでください」
いつの間に現れたのか、ソファーの後ろから図鑑を覗き込んでいたミスラは、ひょいと背もたれを乗り越えて、ミチルの隣にずん、と腰を下ろす。
「ちょっとミスラさん! 狭いです!」
「これなら、似たようなやつを北の森で見ましたよ。面白い形だなと思って、毟って食べたことがあります。不味くはなかったな」
二人の抗議などどこ吹く風で、誰も聞いていないことを喋るあたり、さすがのマイペースぶりだ。
「味の感想は聞いていませんよ。ミスラは何でもすぐ口にする癖を改めた方が良いと思います」
「はあ? 何がいけないんですか」
「何がって……何でもかんでも見境なく食べていたら、お腹を壊しちゃいますよ!」
「俺の腹を見くびらないでください」
ふふんと鼻を鳴らし、不敵に笑うミスラ。そして何か思いついたように口を開きかけた矢先、外から鐘の音が響いてきた。
「おーい、お子ちゃまどもー! おやつの時間だぞー!」
食堂の方からネロの声が聞こえてきて、途端に「やったあ!」と歓声を上げるリケ。ミチルも図鑑をばたんと閉じて、よいしょと小脇に抱え込む。
「それじゃあ僕達、ネロさんのところに行ってきます!」
「賢者様とミスラも、早く来ないとおやつがなくなっちゃいますよ」
軽快な足取りで談話室を出て行く二人。あっという間に取り残されてしまった晶は、ソファーに座ったままのミスラをちらりと窺った。
「あの、ミスラ。おやつ、食べに行きますか?」
いつもならこちらが聞く前に食堂へと歩き出しているだろうミスラは、しかし今日に限って何やら思案するような様子で、ソファーから動こうとしない。
「……ミスラ?」
「用事を思い出しました」
音もなく立ち上がり、いきなり目の前に《空間の扉》を出現させるミスラ。鈍い音を立てて開いた扉の向こうには、一面の雪景色が広がっていた。吹き抜ける風は雪交じりで、うっかり真正面から浴びてしまったら、一気に体が冷えていく。
「さむっ……! って、ちょっと待ってください! この後は合同訓練の予定でしたよね!?」
「双子には適当に言っておいてください。では失礼します」
バタンと閉じた扉が虚空に融け、わずかに吹き込んだ吹雪の残滓がキラキラと宙を舞う。
「ええ……」
ミスラの突飛な行動はいつものことだけど、ネロ特製のおやつを棒に振ってまで優先させる用事とは、一体何だろう。
(まあ……夜までには戻ってくるかな)
そんなことを考えていたら、再び食堂の方からネロの声がした。
「おーい、賢者さん! ぼやぼやしてるとあんたの分がなくなっちまうぞ」
「わあ! 今行きます!」
慌てて返事をしながら、くるりと踵を返す。
そうして無人になった談話室で、暖炉の火がパチ、と弾けた。
+++++
「メリークリスマス!」
ムルお手製のクラッカーが弾けて、カラフルな紙吹雪が舞い踊る。
若い魔法使い達の提案で開催される運びとなったクリスマスパーティーは、ドラモンドやクックロビン、カナリアなども参加して、なかなかの盛り上がりを見せていた。
食堂には煌びやかな飾り付けが施され、食卓にはネロの用意した鶏の丸焼きや色鮮やかなオードブル、サラダなどが並んでいる。
食堂の中央に据えられたクリスマスツリーには魔法の光が灯り、宙に浮いた楽器達が賑やかな音楽を奏でる中、クロエが用意した揃いの衣装に身を包んだ魔法使い達が気ままに踊ったり、歌ったり。
賑やかで、華やかで。まるで映画で見たクリスマスパーティーそのものだ。あまりにも素敵すぎて、何だか別の世界の景色を眺めているような気分になる。
「賢者様、楽しんで頂けていますか」
カクテルグラスを手にやって来たアーサーが、「どうぞ」と一つを差し出してくれた。その洗練された仕草に惚れ惚れとしながら「ありがとうございます」とグラスを受け取って、えへへ、と小さく笑ってみせる。
「とても素敵なパーティーを開いてくださって、ありがとうございます。実は俺、本物のクリスマスパーティーに参加したことがないので、とても嬉しいです」
そもそもパーティー自体、庶民には縁遠いイベントだ。こちらの世界に来てから何度か参加する機会はあったものの、いつだって場の雰囲気に圧倒されてしまい、気づけば壁の花になっていた。これが魔法舎で開かれたものでなければ、今回も同じことになっていただろう。
「それでは、今日が記念すべき第一回目なのですね。素敵な体験を共に出来て嬉しく思います、賢者様」
晶の感じている場違いさを否定することなく、そっと寄り添う言葉をくれるアーサーには、感謝しかない。きっとこうして声をかけに来てくれたのも、一人でぼんやり突っ立っていた晶を心配してのことなのだろう。
(そうだ、誰にとっても初めての試みなら、変に遠慮することもない)
「はい! 俺も、みんなとこうしてクリスマスを祝うことが出来て、とても嬉しいです!」
元気を取り戻した晶の言葉に、アーサーもにこり、と笑みを深めた。
「では改めて――クリスマスの夜に、乾杯!」
「乾杯!」
二人とも酒は飲めないから、シャイロック特製のノンアルコールカクテルで乾杯する。一気に飲み干せば、口の中でシャランと鈴のような音が弾けた。
「プレゼント交換の時間まで、まだ少し時間があります。そのあとはお待ちかねの、クリスマスケーキの出番です。私やリケも手伝ったんですよ」
「それは楽しみですね。ネロから『今回はすごいやつを作ったから楽しみにしてろよ』って言われました」
「ええ、それはもう、驚くような大きさのケーキが――」
「アーサー殿下! あっ、ご歓談中に失礼します。すみません、少々よろしいですか?」
焦った様子で呼びに来たクックロビンに、名残惜しそうに「それではまた」と去って行くアーサー。連れ立ってドラモンドのところへ走っていったので、恐らく城から何かの緊急連絡が入ったのだろう。
(忙しそうだな……。今日も、無理を言って予定を空けてもらったし)
でも、それだけこの日を楽しみにしてくれていたのだ。そう思うことにして、その気持ちに報いるためにも目一杯パーティーを楽しもう、と顔を上げた、その時。
「ああ、そこにいたんですか。探しましたよ」
気怠げな声が耳を打つ。
鮮やかな赤い衣装の裾を颯爽と翻して現れた赤毛の魔法使いは、びっくりして立ち尽くす晶を訝しげに見下ろして、その手から滑り落ちそうになっていたカクテルグラスを取り上げた。
「危ないな」
「っ……! ああ、びっくりした。ミスラ、どこへ行っていたんですか。なかなか帰ってこないから、心配しまし――ちょっと、ミスラ?」
空のグラスを魔法で机の上に移動させたかと思ったら、むんずと晶の手を掴んで歩き出すミスラ。
「こっちに来てください」
「ミスラ!? 一体どこへ――!」
長身のミスラに全力を出されると、歩幅の関係でどうしても小走りになってしまう。ずんずんと歩く赤い背中を必死に追いかけていると、急にミスラが立ち止まった。
「ぎゃっ!」
間に合わずにその背中に思いっきりぶつかってしまい、ひいいと顔を押さえる晶に、ミスラはようやく振り返って、足下にしゃがみ込んでいる晶にキョトン、と首を傾げる。
「何をやっているんです?」
「鼻をぶつけたんです……」
「間抜けな人だな。ほら、立って。ああそこじゃなくて、もう少し右です」
何だかよく分からないまま立ち上がらされたかと思ったら、なぜか立つ位置まで指定される。
「あの、ミスラ? 一体な――!?」
何やらシュルシュルと音がしたな、と思ったら、気づけば頭上から伸びてきた蔦のようなものに、全身を絡め取られていた。
「!! 何ですかこれ!?」
「はは、なるほど。面白いですね」
何故か納得したように笑っているミスラは、助けてくれるような気配すらない。
「あの!? どういうことか説明してもらっても!?」
「どういうって、あなたが言ったんでしょ。ヤドリギの下では口づけを拒めないって。よく分からない効果だなと思ったんですが、こういうことなら納得です」
ハッと見上げたそこには、簡素な草花の壁飾りが飾られていた。いかにも手作りらしいクリスマススワッグからニョロニョロと伸びた蔓が、晶の体に絡みついて動きを封じている。
「ミスラぁ! これ、俺の知ってるヤドリギじゃないです!!」
「まあそうでしょうね。こちらの世界の寄生植物ですから。興味があるみたいだったから採ってきたんですけど、どうですか」
(どうですかと言われても……!)
晶の知っているヤドリギとは明らかに形状が異なっているし、ミチルの図鑑に載っていたものはこんなに紫がかってはいなかったはずだ。
「あの、図鑑のやつとはちょっと違うような……?」
「そうですか? 似たようなものだと思いますけど。ああでも、北のヤドリギは生命力が強くて、根ごと刈り取っても、こうして蔓を伸ばして養分になるものを探し回るんですよ」
だから、と壁に片手をつき、ぐいと晶の顎を掴む。
「この状態なら、確かに何をされても拒めませんよね」
「ミスラ!! そういうことじゃないと思います! っていうかこれ、俺、寄生されかかってるってことですか!?」
「体に食い込む前に引き剥がせば問題ありませんよ。ただまあ、穴を狙って侵入するので、目や口は閉じておいた方が良いんじゃないですか」
「――!!」
悲鳴を飲み込み、慌てて目と口をぎゅっと閉じた次の瞬間、柔らかな感触が唇に触れた。
思わず目を見開きそうになったけれど、先ほどの忠告を思い出して必死に堪える。
そのうち、唇を割って侵入してきたものに、一瞬ぞくりと背筋が震えたけれど。何度も味わった熱い感覚が、それが『恐怖の寄生植物』などではないことを、はっきりと教えてくれたから。
すぐに恐怖は快楽へと形を変えていき、熱さと激しさに頭の中が真っ白になりかける。
(……って、これはまずいのでは――!)
恐る恐る薄目を開けば、間近に迫る端正な顔立ち――の後ろから、鬼のような形相で飛んでくるファウストと、それを追いかけるネロの姿が見えた。
「ミスラ――! 子供達の前で淫らな行為に及ぶなと言っているだろう!!」
「先生、ちょい待ち! そんなデカい声で言い触らしてどうするんだよ!」
「……うるさいな」
怒鳴られて気が削がれたのか、渋々といった様子で唇が離れていく。ついで短い詠唱が聞こえたかと思うと、全身を締め付けていた蔓が一瞬で灰と化し、ようやく自由が戻ってきた。途端に力が抜けて、その場にへたり込みそうになったところを、全速力で走ってきたファウストが腕を伸ばして受け止めてくれる。
「……っはあ、……ありがとう、ございます……」
「こんな時にまで律儀だな、君は」
呆れたように呟きながら周囲を窺ったファウストは、焼け焦げたような壁飾りの残骸を見つけて、小さく息を呑んだ。
「これは……ムラサキヤドリじゃないか」
「足が速いな、先生。って、ムラサキヤドリ!? なんでそんな物騒なもんが飾ってあるんだよ」
遅れて到着したネロが、ファウストの視線の先を辿って顔をしかめる。
それは北の森に生息する、針葉樹に寄生する植物だ。通常は植物の枝や幹に根を張って生育するが、養分が足りない場合は動物を捕食することもある。
「賢者さん、寄生されてないよな? ――よし、大丈夫そうだ。ビックリしたよな。もう大丈夫だ」
晶を気遣って、労るように背中を撫でるだけに留めたネロに対し、ファウストの方は容赦がなかった。
「ミスラ。何故、賢者の自由を奪って口づけなどした。そもそも、どうして寄生植物を壁に飾った?」
(うわあ、直球――!)
さすがはファウスト、聞きにくいことにもずばりと切り込んでいく精神力には尊敬の念すら抱いてしまうが、問題は声が大きすぎて事の次第が食堂中にダダ漏れになっていることだ。
(俺、このあとどんな顔して、みんなのところに戻ればいいんだ――!?)
思わず手で顔を覆う晶をよそに、ミスラはむしろ得意げに、事の発端から掻い摘まんで説明し始める。
「何故って、賢者様から教わったんですよ。賢者様の世界では、ヤドリギの下では口づけを拒むことは出来ないそうです。面白い効果だなと思って試してみたんですけど、本当でしたね」
あはは、と楽しそうに笑うミスラに、ファウストの額に青筋が浮かび上がった。
「笑い事か! 万が一寄生されていたら、賢者の命が危なかったんだぞ」
「そんなことさせるわけないでしょう。俺を誰だと思ってるんです。第一、侵入口は俺が塞いでいたでしょう」
「そういう問題じゃない! ああもう……!」
頭を抱えそうになったファウストは、ちらりと晶に視線を向けて、少しだけ目を見張ると、どっと息を吐いた。
「――ミスラ。賢者を危険に晒すな。人前で気恥ずかしい思いをさせるな。子供の教育に悪いことをするな。僕が言いたいことはそれだけだ」
静かな口調で、ゆっくりと諭すようにそう告げて、今度は晶の方に向き直る。
「賢者。君達の仲に口を出すつもりは毛頭ないが、その――時と場合を考えるように」
「は、はい……。あの、ファウスト。心配してくださって、ありがとうございます」
「……別に。心配なんかしてないよ。君はれっきとした大人だし、君の意思は何よりも尊重されるべきものだ。ただ……心臓に悪いから、せめて子供達の前では控えてくれ」
「先生の声も相当心臓に悪かったけどな」
ファウストの肩にがしっと腕を回して、そう茶化すネロ。
「大丈夫、あいつらは何も見てないし聞いてない。保護者連中ががっちりガードしてくれたみたいだよ」
ネロの言うとおり、ツリーの周辺に集まっていた若い魔法使い達は、オズやフィガロがツリーの飾りを光らせたり魔法の粉雪を降らせたりするのに夢中で、こちらの騒ぎには気づいてすらいないようだった。
晶の視線に気づいたのか、スノウとホワイトがくるりと振り返って、パチリと片目を瞑ってみせる。先ほどから響き渡っていたファウストの怒声も、きっと彼らがどうにかしてくれたのだろう。
「だから、気持ちが落ち着いたら戻ってきな。もう少ししたらプレゼント交換の時間だ」
そう言って、ファウストの背中を押すようにして歩き出したネロに、ありがとうございます、と頭を下げる。
(二人とも、優しいな)
ファウストが追及を止めたのは、晶の気持ちを汲んでのことだろう。
ネロがあえて軽口を叩いてみせたのも、互いの気まずさを少しでも軽減させるためだ。
一方、そこら辺の機微をいまいち分かっていないミスラは、ファウストの忠言に納得がいっていない様子で、不思議そうに首を傾げている。
「子供の教育に悪いと言われても。チレッタなんて子供の前だろうが俺の前だろうが構わずに、あの人間とキスしまくってましたけど。何がいけないって言うんです?」
「ええと……南の国の人達はかなり奔放ですし、チレッタさん自身も愛情深い方だったみたいですけど……その、俺はまだ、誰かが見ている前でキスをするのはちょっと気恥ずかしいです。それに、ミチルやリケはまだその……そういった経験がないと思うので、さすがに刺激が強すぎるかなと」
愛情表現が激しかったチレッタを見て育ったミスラは、晶の抱く『気恥ずかしい』という感情も、『刺激が強い』という意味合いも、恐らく理解できてはいないだろう。
「はあ……よく分かりませんが、中央の国では、人目を憚らずいちゃつくのは慎むべき行動だってことですか」
思いがけずまともな言葉が返ってきて、思わず目を瞬かせる。
「そ、そうです! そういう認識で問題ないと思います!」
「はあ……面倒なルールですね。まあ、俺の知ったことではありませんけど」
(駄目だったー!)
がっくりと肩を落とす晶に、でも、と手を伸ばすミスラ。
「あなたが嫌がるなら、やめておきます」
「えっ……」
反射的にその手を取ってしまってから、告げられた言葉の意味を飲み込んで、呆然と立ち尽くす。
「人前でなければ良いんでしょう?」
「そっ、そうですね。誰も見ていないところでなら」
咄嗟にそう答えたら、緑の瞳がギラリと煌めいた。まるで獰猛な肉食獣のように、その双眸は晶を見据えて離さない。
「言いましたね。ちゃんと聞きましたから。前言撤回なんてしないでくださいよ」
「えっ!?」
ぎゅっと握りしめられた手が熱い。ぐいと引き寄せられて、端正な顔立ちが目前に迫る。
僅かに身を屈めて晶の耳元に顔を近づけたミスラは、真っ赤に染まっていく耳朶に唇を寄せて、吐息混じりに囁いた。
「パーティーのあと、俺の部屋で続きをしましょう」
(ええ――!?)
思わずへたり込みそうになった晶をよいしょと小脇に抱え、スタスタと歩き出すミスラ。
「ほら、行きますよ。プレゼント交換? とやらをするんでしょう」
「あああああ待ってくださいミスラー!」
そうして、楽しく賑やかなクリスマスの夜は更けていき――。
「いつまで続くんです、このパーティー」
「さ、さあ……」
二人だけの聖夜が始まるには、まだ少し時間がかかりそうだ。