香る記憶すれ違いざまに記憶をかすめた香水の、あのブランドはなんといったか。
あなたもつけてよと笑う彼女は、それが叶わぬと少し残念そうにするけれど。
「すみません、肉山さんが今使っているその香水の名前を教えていただけますか?」
「あ、冠萱さんこの香り、気に入りました?」
同僚いわく、昔から定番の香りらしい。人間界では今この香水が再び注目されているようで、街中では同じものをつけている女性たちをたくさん見ることができるそうだ。
尋ねた理由を知りたそうな彼女には、お礼と笑顔で乗り切る。噂になるだろうな、と今更思ったところでもう遅い。記憶が言葉になって勝手に出てきてしまった。
彼女と出会うのはちょうどこの時期だったはずだ。うだるような暑さが薄れ、ゆったりとした静かな季節が近づいてくる、そんな日々の片隅で。
人間界に降りてみると、確かに。いろんな女性が使っているようだ。いつの時代も、彼女との記憶の中には同じ匂いがしていた。
「ちょとー!もう探したんだよ?」
雑踏の中、不意に背後から投げかけられたのは彼女の声だった。
「あっ、あれ!?すみません知人と間違えて声をかけてしまいました」
呼び止めてしまってすみません、と重ねて謝ってきた彼女は、恥ずかしさからかこちらの返事を待たずに踵を返して去ってしまった。小さくなっていく背中の向こうでその探し人が待っているのが見えたから、思わず動いた右手は虚しく空を切った。
いったいいつからだろう。彼女を見守る役目が自分でなくなってしまったのは。
『私にはその香りは似合わないよ』
『もう、いつもそう言う。仮にそうだったとしても、あなたから同じ好きな匂いがしたらいいなって思うんだもん。つけてよー』
『また今度』
『もう!』
お願いをつっぱねると膨れる彼女の顔も、いつから見ていないのだろう。
同じ香りをつけていたら、貴女は私だと気づいてくれただろうか。
いつでも貴女を探せるように、同じ匂いをさせないようにしていただけで、意地悪をしていたわけではなかった。
でもそう言うにはやはり恥ずかしくて、いつも本当の事を言えずに終わってしまう。
女々しく二人の後ろ姿を見つめては、すれ違う記憶に目を閉じた。