小さなツヅラの大きなオバケ【五七】「僕は七海の恋人になりたい」
「は?」
共同任務完了直後。帳が上がるその瞬間。
アノ人は理解不能な言葉を発した。
青空が広がり、後始末の補助監督達がわらわらと入ってくる。五条さんはそのまま何事も無かった様に用意されていた車に乗り込んだ。一人ポツンと残され立ち竦んだまま、突然の言葉に処理能力が追い付かない。唐突に一言だけ。今までそんな感情も言葉とまったく向けられたことはない。ただの先輩後輩。ただの呪術師同士。しかもなぜこのタイミング。特に変わったこともなく平坦に流れる日常の一瞬。
意味が 分からない。
「七海さーん!コッチの車にどうぞ!今日はお二人共立て続けに出ていただく事になってしまいましたね。本当にすいません」
「いえ、アナタ達もお疲れ様です。次は何処ですか?急ぎましょう」
補助監督の一人に呼ばれて我に返る。
今日はアノ人も私も分刻みのスケジュール。今の一件以外は単独任務が続く。何かの聞き間違えたろうと気持ちを切り替え用意された車に乗り込んだものの、アノ言葉が脳内で反芻される。空耳。聞き間違え。連日の任務で遂に幻聴か?
ともかくアノ人が、あんなことを言うはずがない。
だって私の心は十年以上。
周到に隠し通している。
* * * * *
それから暫く五条さんと会うことは無かった。それは日常茶飯事の事。高専にでも出向かない限り会わないし、共同任務は年に数度あるかないか。今年の新入生の一人は呪い王を宿しているらしいし、元々多忙な上に何でも抱え込む。それが出来てしまうが故に、アノ人は無自覚に無茶をする。
それに引き換え、私も多忙ではあるが教職の任が無い分アノ人よりは余裕がある。と言っても読みかけの本は溜まる一方だし、風呂に浸かりベッドで寝る余裕がある程度。久々の長湯の最中、ふとアノ言葉が甦る。恋人。それは十代に諦め密やかに奥底に沈めた憧れ。アノ人の恋人なんて。沈めた感情を今更掘り起こさないで欲しい。無理な話だし希望なんて微塵も持たなかった。私は男であり、ただの人より呪力を持っていただけの人間。家柄もアノ人に相応するものではなく、本当にただ一方的に想うだけが限界だった。
なのに。
なりたい。
なんて。
私がずっと抱いていたモノを簡単に言われてしまった。しかもそれだけ。私がどんな気持ちでこの数日を過ごしたかなんて想像も付かないだろう。冗談なら本当にタチが悪い。
思考がループし始めたので風呂を出てビールを煽る。あんな冗談をずっと心に引っ掻けているなんてどうかしている。忘れたいのに耳にこびりついて離れない。アノ人の声だから。アノ人から言われたかった言葉だったから。
私が言いたかった言葉だから。
十年以上仕舞い込んだ想いは、気付かぬうちに大きなモノになりすぎた。いい加減捨ててしまおう。長いこと大切に仕舞い込み過ぎただけのこと。
- ピンポーン -
突然鳴ったインターフォンにビクリとする。こんな時間に、とモニターを覗くと予想外の訪問者。故に応対するか躊躇う。彼に居留守なんて通用しないのは分かっているが、ドアノブにかけた手は、どうしたものかと固まってしまった。
暫くするとイタズラの如く何度もインターフォンを鳴らされたので、近所迷惑を考慮し扉を開ける。そこにはサングラスをかけた五条さんが立っていた。今日は早めに寝ようと玄関の電気は消してしまっていたので、いまいち表情が読めない。
「何かご用ですか?」
「初めて七海の部屋に来た。入れてもらえる?」
「なぜです?」
「答えが聞きたくて。やっと空き時間が出来たんだ」
玄関先に居るだけで目立ってしまう男を、とりあえず部屋に招き入れる。答え?それは、アノ言葉の事なのか。
「コーヒー?緑茶?甘いものがよろしいですか?」
「殺風景だね。で、恋人になってくれる?」
「………意味が分かりません」
「ずっと考えててくれた?」
「いえ、忘れていました」
五条さんは靴を脱がなかった。玄関から先、私の領域に踏み込んでこない。
「上がらないのですか?」
「返答次第」
「フーッ。私と恋人になって、何か利益はありますか?デメリットしか無いでしょう」
「忘れてないじゃん。僕はずっと、考えてたよ」
ケトルに水を入れた所で手を止める。
「意図が読めない」
「僕が恋人になることは七海にとってもデメリットのが大きいとは思う。それでもなりたい。オマエを好きだって自覚が出来たから」
「自覚?なんですかソレ」
私はずっと沈めてきた。隠してきた。アナタに見つからないように。今更やめてくれ。
「好きなんだ」
「なんで、今なんですか。私達は特別何かあった訳ではない」
「ずっと、オマエが僕に向けていた感情が分からなかった。だけど気持ち良かった。どんなに嫌われても、それがあったからオマエとの縁は切れなかった。それがなんなのかやっと分かって、戸惑ったけど、それに対する僕の気持ちも分かってきた。そのタイミングが今ってだけ」
六眼か。この人には隠し事すら出来ないのか。
「勝手に心を覗かないでください。その眼で、なんでも見透かされるのは不快でしかない」
「使ってないよ。意識的に使わないようにしてるんだ。心を読まれるのはみんな不快だろ。だから任務以外ではしない事にしてる」
「………じゃあ、なぜ」
「使わなかったからこんなに時間かかっちゃったんだってば。僕の勘違いで、僕の片想いで、振られたらこのまま帰る。伝えないで後悔するより、伝えて後悔する方を選んだだけ」
「後悔すること前提なんですか?」
「分かったつもりでも人の気持ちを理解するなんて難題だもん」
私は再びケトルを手に取り、スイッチを入れた。湯を沸かすための電子音だけが静かに流れ、ゴボゴボと沸き立つ水音が段々と強くなる。後悔。それは初めてアナタを意識した時からずっとありましたよ。
カチンっとスイッチが上がる音がして、注ぎ口から細く昇る湯気を見つめる。返答を期待できない私の態度を察してか、五条さんはドアノブに手を掛けていた。それならば、私も伝えて後悔するかもしれない方を選びますよ。
「いつからです?」
帰ろうとする背中を止める。五条さんは想定外といった顔。再び私の方を向いて気まずそうにしていた。アナタ、人間らしい部分は本当に不器用ですよね。
「高専の、途中からかな。どんな感情か分かったのは最近」
「アナタにも、分からないモノはあるんですね」
「十年以上かかっちゃった」
「………私も、ですかね。さて、カフェオレで良いですか?寝る前なので温かい牛乳と砂糖を多めに入れます」
「え?」
「恋人になるんでしょう?そのまま帰るなんて無しです。ずっと仕舞っていた気持ち、ちゃんと受け取って下さい。恐らく………かなり重たいですが」
五条さんはキョトンとしてから恥ずかしそうに笑った。
「振られたら暫く寝込む所だった」
「アナタが?まさか」
奥底に沈めた感情はアナタの言葉を養分に更に大きく育ってしまったようだ。寝る前の伽噺にするには重たすぎるが、二人で分け合えば丁度良い。カフェオレ片手にアナタとベッドに腰掛けて。出来ることならこのまま朝まで。
拗らせた二人分の十年以上は。
ゆっくりと時間をかけて溶かしていけばいい。
【終】