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    O1Drn_mz_

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    O1Drn_mz_

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    タイトル:私と契約してくれませんか
    発行時期:2月下旬〜3月上旬発行予定
    ページ数:100p前後(予定)
    法師曦臣×モス江澄のAUとなります。
    リットリンク内にて交換・P4P募集のフォームを設置しています。ご希望の方はフォームよりご連絡ください。
    ※相互様のみgiftee交換も可とします。
    ※先着順ではありませんのでごゆっくりどうぞ!

    #曦澄

    私と契約してくれませんか あの、魏無羨が法師と契約した――そんな噂が出回った頃。雲夢蓮花塢では大騒ぎとなっていた。
    「魏無羨はいつになったら戻るんだ⁉」
    「阿羨が法師と契約した、なんて噂が出ているけれど……本当かしら」
    「あの子の魔力は随一だ。召喚されたとしても逃げる事が出来るだろうに」
     三者三様の反応のいずれも、家族同然の存在である魏無羨を気に掛けていた。そう、彼は「モス」と呼ばれる種族の一人である。雲夢蓮花塢に住む全員が同じ種族であるが、彼等と同居する魏無羨は種族の中でも特別視される程、魔力が強いのだ。モスでは通常使えないはずの、高魔力が必要とされる難しい魔法も使えるので、中級の法師よりかは強いだろう。
     そんな彼が、ある日突然姿を消した。
     戻って来ない魏無羨を江澄達が探したところ、彼が気に入って呑んでいる酒の甕が落ちていた。其処で魔力の痕跡を辿ってみたところ、何と法師が住む家へと続いていた! いや、続いていたと言うよりかは、酒の甕が落ちていた場所から魔力が途切れ、数里も先の所にある法師の家から、魏無羨の魔力が溢れている。その瞬間、魏無羨が法師に召喚されたのだと知り、その話がモス達の間に広まった結果、何故だか魏無羨が法師と契約した事になってしまっている。
     そんな事は有り得ないと思っていた江澄は、義兄たる魏無羨の帰りをずっと待っていた。そうして、魏無羨を召喚した法師に対して、日に日に恨みが募っていく。

     法師と呼ばれる存在は、モス達の間では恐れられている。所謂〝魔法使い〟なのだが、魔法を使うのは勿論の事。モスを召喚し、強引に契約させてモスを苦しめる。契約してしまえば一生法師から離れる事が出来ず、酷い時には羽を毟り取られ、鳥籠の中に監禁されたりするそうだ。その上、魔力の差は歴然で、召喚されてしまえば逃げる事すら出来やしない。モス達は古の頃から今まで、ずっと法師の存在に怯えて暮らしているのだ。法師に召喚されないよう、一家の大黒柱は家族の住処に召喚防止の魔法を掛ける。この蓮花塢も、江澄の父である江楓眠の魔法が掛けられているのだ。そのお陰か、今の今まで江氏から法師に召喚された者がいなかったというのに。江澄は丸窓から外の景色を見ながら、顔を顰めた。
     運の悪い事に、江澄の部屋はあの法師の家がある方角に窓があり、こうして外を見るだけで苛立ってしまう。気晴らしに蓮花湖にでも行こうか。そう思った江澄は部屋を出て、ふよふよと蓮花湖へと向かう。長い回廊を進み、蓮花湖の上に浮くように作られた四阿へと到着し、其処から蓮花湖の上をふわふわと飛び、大きな蓮の葉の上にちょこんと乗った。
     蓮花塢からは出るなと、母である虞紫鳶から厳しく言われているが、四阿のすぐ近くのこの場所は、召喚防止の魔法が行き届いているだろう。そう安心していた江澄は、陽光を浴びながらふう、と一息吐いた。
     今、虞紫鳶は金鱗台の金夫人の所に行っている。姉と、金夫人の息子の金子軒との婚姻の話を進めるために。正直、あの金子軒は気に食わない存在だが、どうやら二人は相思相愛らしい。それならば早くと、召喚防止の魔法が蓮花塢の物より強力である金鱗台へと嫁がせようと考えた双方の夫人は、着々と婚姻の準備を進めている。もう二月後には、結婚してしまうのだ。結婚して、蓮花塢を出て行ってしまう。姉の花嫁衣裳を見たいと言っていた魏無羨は、姉の結婚に果たして間に合うのだろうか。ああ、結婚式の後に金子軒を一発殴るという約束も、果たせるのか? そう思いながら、江澄は目蓋を閉じた。
     その、瞬間。身体中の血液が沸騰したかのように熱くなり、ぐんっと何処かへ引き寄せられる感覚がした。ぱっと目を開けて、四阿へと戻ろうと羽を羽ばたかせるが、びくとも動けない。自身の持つ魔力を込めて、四阿まであと一歩の所まで飛ぶ事が出来たが、四阿の柱を掴む前に視界が真っ白に染まった。
    (まずい、これは!)
     子供の頃に習った、召喚される時の感覚。助けを求める声も上げる事が出来ないまま、江澄は蓮花塢から姿を消した。――直後に見えた景色は、一面の蓮の花。咲くには未だ早いと言うのに、江澄を取り囲む蓮はきれいな桃色の花を咲かせていて。蓮の花を掻き分けるように地面を見れば、魔法陣のような物が見える。
    (嘘だろう……)
     蓮花塢のすぐ横の湖から、召喚されてしまうなんて! 魔法が行き届いていなかったのか、それとも、モスが掛けた魔法を破る程度の魔力を持った法師なのか。どちらかは分からないが、召喚されてしまった今、江澄は二度と蓮花塢へ戻る事が出来ないと、まざまざと思い知らされた。絶望に浸りながら、室内をぐるりと見渡す。
     高い天井には西洋の物と思われる大きな、派手な照明。壁に沿うように設置された大きな本棚にはぎっしりと本が詰められている。派手な照明の割には、思っていたより室内は暗い。ふんわりと香る匂いは白檀だろうか。目の前には大きな机があり、地球儀や丸められた羊皮紙、万年筆、分厚い本など様々な物が置かれている。部屋の奥には階段が見え、こつ、こつと足音が聞こえて来た。江澄の身体が強張る。
     俺を召喚した法師は、果たしてどんな奴だ? 義兄に比べると魔力は劣るが、幼い頃から鍛錬を重ねていた身。弱そうな法師なら倒す事が出来る程の魔力は備わっている。法師の姿が見えたら、魔法で一刻程、気を失わせてやる。そう思っていたものの、やがて現れた法師の姿に、魔法を唱えようとしたのに言葉を失った。
     法師には、それぞれの魔力や地位によって着ている服の色が違うという。その家の最高権力者や何かしらの地位を持つ、強い法師が着る服は白と決まっているらしい。その次が黒で、その後は紫、緑、青と続くそうだが、江澄の目の前に現れた法師の服の色は、汚れ一つない綺麗な白。――ああ、そんな。江澄の魔力如きで敵う相手ではない。魔法を使うため、立ち上がっていた江澄はへなへなとその場に座り込んでしまった。
    (どうして、よりにもよって、白の法師なんだ……)
     頭を抱えていれば、江澄の方へ近付いて来た法師がしゃがみ込む。まるで、視線を合わせるかのように。
    「こんにちは、驚かせてしまってすみません」
     その声に、そろそろと顔を上げた江澄は再び声を失った。その法師は、恐ろしい程、顔が整っている。すっと通った鼻梁は高く、桜鼠色の切れ長の瞳は目尻が垂れている事で何処となく柔和な雰囲気を醸し出している。男らしい薄い唇は口角が上がっていて、まるで江澄の召喚に喜んでいるようだった。そうして、陶器のように透き通った白い肌。吹き出物一つ見当たらない綺麗な肌は、きっとそんじょそこらの女より肌質が良いのだろう。法師のあまりの顔の良さに思わず観察してしまっていたのだが、ふわりと身体が浮いた事で、法師に身体を持ち上げられた事に気が付いた。このまま羽を毟り取られてしまうのか、と身体を強張らせたところで、くすくすと笑い声が聞こえて来る。
    「安心してください、何もしませんよ」
     何もしないなんて、絶対に嘘だ。楝色の瞳でキッ、と睨み付けてみるも、法師は何も怖くないようで穏やかな笑顔を浮かべるだけ。このまま逃げようと思えば逃げられるのだろう。それなのに、羽を羽ばたかせる事が出来ない。何かの魔法を掛けられていると察した江澄は、大人しく彼の手のひらに乗ったまま、彼の行先を想像する事しか出来なかった。
     すたすたと、歩いていく法師。歩く速さが、江澄が今まで見た人間や法師より格段と速いが、江澄が落ちないように気を使っているのか指先が軽く丸められている。その、法師の中指をそっと掴みながら、周囲に目を向けてみる。階段を上り始めてから気が付いたが、江澄が召喚された部屋はどうやら地下らしく、窓が一つもない。その上、部屋全体が広く、その中心に敷かれた魔法陣もやたらと大きかった。モスが住処に掛けている魔法を破るためだろうか。家具や、あちこちに置かれた小物、机に乗っている書物なども含めて、全体的に統一された空間の中央に咲き誇る蓮の花。何とも異様な光景である。そう、ぼんやりと考えていれば、すっかり階段を上り終えていて、下を見れば階段が渦を巻いている。成程、これが螺旋階段。見ているだけで目が回る。思わずきゅっと目を瞑った江澄を、たまたま覗き込んだのだろう。法師がどうしたの、と訊ねて来た。召喚されてしまった事が気に食わないので、何も答えずに唇を引き結ぶ。江澄が何も答えないと察したのか、法師はそれ以上、江澄に何かを訊ねる事はなかった。それでも、法師の足は止まらない。
     一体全体、江澄を連れて何処に行こうとしているのだろう。鳥籠か、それとも実験室か。江澄達、モスは貴重な種族である。召喚され、実験されてしまったという話も聞いた事がある。実験というのも、生きたまま自分の腹を裂かれて痛覚やその他の感覚がどうなっているのか調べられたり、丸裸にされて全身をくまなく観察されたり、モスが法師達人間の食事を無理矢理食べさせられたり、そんな事をされるそうで。そんな目に遭うなら、鳥籠に閉じ込められた方がマシだ、と江澄は内心怯え切っていた。
     だが、江澄は矜持が高いモスである。そんな、怯えている自分など法師に見せる訳にはいかない。手足が震えそうになる度に、耐えろ、負けるなと自分を叱咤する。そんな江澄を他所に、法師はガチャ、と何処かの扉を開けた。その音を聞き、瞑ったままの目をそろそろと開けてみる。
     すると、江澄の視界にまず飛び込んで来たのは小さな牀榻。法師が眠るには小さ過ぎるその牀榻は、大きさから見ても江澄のために用意された物だと察してしまう。その次に見えたのは、これまた小さな衣装箪笥に、小さな家具達。どれも全て木目調の物ばかりで、何処となく江澄の住処を彷彿とさせる。何なんだ、此処は。そう思いながら恐る恐る法師を見上げれば、法師はにっこりと笑顔を浮かべた。
    「あなたのために用意しました」
     そう紡ぐ法師に、江澄は首を傾ける。はて、自分が今まで聞いて来た、法師に召喚されたモスの扱いとは全く違うような。念のために部屋全体を見渡すが、鳥籠は見当たらない。この部屋が鳥籠という訳でもなく、法師が普段使うような部屋の一角、のようだった。壁紙は柔らかな白菫色で、小さな牀榻の横にある大きな窓は何やら外に出っ張っているような形をしている。どうやら、江澄のために誂えたこの小さな部屋は、窓の傍らしい。陽の光が燦々と降り注ぎ、この牀榻で横になれば、さぞ気持ち良いのだろう。
     大昔、モスと呼ばれる種族が誕生した当時、モスは夜行性で昼は殆ど眠っていたそうだ。だが、時代が変化するにつれてモスの生態も変化していき、今では人間達と同じように昼に活動し、夜に眠っている。故に江澄も、昼に活動して夜に眠っているのだが、天気の良い日はよく日向ぼっこをしていた。一人の時もあれば、姉や魏無羨と一緒にする時もある。――ふと、家族の事を思い出してしまい、江澄の視界が潤んだ。此処に来てしまったからには、蓮花塢には戻れない。ああ、と俯いてしまった江澄の心情を読み取るかのように、法師は窓の傍に近付いた。
    「見てください」
     そう言われ、江澄は顔を上げる。すると、窓の向こう側には大きな湖が広がっていた。この湖は、もしかして。
    「蓮花湖です。この向こう側には、蓮花塢がありますよ」
     蓮花湖はとても大きく、江澄でも未だに一周した事がない。湖の向こう側には別の種族が住んでいると聞いた事があるが、まさか法師が住んでいたなんて。黙ったまま驚いていれば、法師が江澄を牀榻に乗せた。
    「此処は、あなたを召喚するために用意した家なのです。普段は此処で一人暮らしですが、行く行くは実家に戻ろうかと」
     江澄は牀榻の上にちょこんと座り、窓の外をじっと見つめる。陽の光を浴び、きらきらと輝く湖面。風が吹いているのか、時折水面がさざめく。外は嘸かし、心地が好いのだろう。
    「私の実家は、雲夢と全く違う気候です。山の上にありますので、夏もあまり暑くならず、冬は雪が降り積もる。夏はともかく、冬はきっと、あなたには厳しいと思いまして」
     この家を用意したんです、と紡ぐ法師の言葉を聞き流しながら、江澄はひたすら、外の景色を眺め続けた。



     ――彼は、いつになったら喋ってくれるのだろう。一生懸命外を見つめる小さなモスを見ながら、法師、もとい藍曦臣は眉尻を下げた。
     彼の存在を知ったのはつい先週の事。弟が召喚した魏無羨という名のモスが住んでいた雲夢蓮花塢へ、法師だと気付かれないように魔法で身体を小さくし、偽の羽を生やして向かった時だった。契約はしていないものの、弟にすっかり懐いてしまった魏無羨に頼まれて、蓮花塢に住んでいる彼の義姉弟の様子を見に行ったのだ。本人が行けば一番良いのだが、弟の執着心は姑蘇藍氏のそれ。一度蓮花塢へと行かせれば、彼が戻って来ないかも知れないと不安がっていたので、ならばとその役目を引き受けた。
     偽の羽を羽ばたかせながら、姑蘇から雲夢へと飛び、街の中をゆっくりと歩いて彼方此方で飛び交う話に耳を傾ける。雲夢の住人の話題は専ら魏無羨の事ばかりで、弟が申し訳ない事をしたという気持ちと、未だ契約はしていないと正したくなる気持ちになってしまう。そんな中、蓮花塢の傍へ行った時、藍曦臣は初めて彼と出会った。何やら、母親らしき女性を見送る姿。彼の隣には穏やかで優しそうな雰囲気を纏う女性がいて、〝行ってらっしゃいませ〟と母親へ声を掛けている。その母親は、きっと強く気高いのだろう。横顔ですらあれだけ美しいのだ、正面から見ればもっと美しい筈だ。
    「阿離、阿澄。決して蓮花塢から出てはいけないわよ。蓮花塢の中は安全なの。魏無羨のようになりたくないのなら、蓮花塢の中で大人しくしていなさい」
     母親の言葉の中に、見知った名前を聞いた藍曦臣はぱち、と瞬いた。彼女は、魏無羨が我が弟と契約を結んでしまったと思っているのだろうか。思わずそう考えていたものの、母親が飛び立って行けば、阿離と呼ばれた女性が彼の肩を抱き、蓮花塢の中へ入ろうとしていた。
    「姉上、俺は魏無羨を探して来ます」
    「駄目よ、阿澄。母上も、父上も、蓮花塢から出ては行けないと仰っていたわ。阿羨の事は勿論心配だけれど、阿澄までいなくなってしまったら……私は悲しいわ」
     そう話す二人の姿を遠目に見ながら、この二人が魏無羨の義姉弟だと気付く。優しく、慈愛に溢れた義姉と、母親譲りらしい強気な性格が可愛らしい義弟。この二人の義姉弟は、きっと魏無羨にとってかけがえのない存在だったのだろう。姑蘇藍氏の執着心がどんなものか、勿論分かってはいるが、弟を説得して魏無羨を解放してやりたいと、藍曦臣はそう願ってしまった。
     一般的に、法師に召喚されたモスはもう二度と住処に戻れないと言われている。だが実際のところは、モスが戻りたいと言えば勿論住処へと戻す事が出来る。――しない法師が大半を占めてはいるが。弟は、果たしてどちらだろう。そう考えていれば、藍曦臣の視線に気付いたらしく、阿澄と呼ばれた彼がふと此方を向いた。咄嗟に、藍曦臣は近くの木の裏へ身を隠す。
    「阿澄? どうしたの?」
    「……今、彼処に誰かいたような……」
    「近くに住んでいる子供じゃないかしら。ほら、最近は阿羨が戻って来ているか、確認しに来る子供がいるでしょう?」
     もう戻りましょう、と紡ぐ姉の声を聞きながら、藍曦臣は一瞬見えた彼の顔を思い出す。小さな顔の中でよく目立つ、大きな丸い楝色の瞳。陽の光を浴びて、宝石のように輝いていた。そうして、顔の中心を通る真っ直ぐな鼻梁と、高い鼻先。その下には薄い桃色の唇。触れたら柔らかそうな丸い頬は血色が良く、彼が健康体である事が見て取れる。あれ程の美人は、この世を探してもきっと見付かりやしない。――彼を、自分の手元に置く事が出来たら。そう考えた藍曦臣は、すぐさま姑蘇に戻り、魏無羨に彼の事を聞き出した。
     彼の名は江晩吟。皆は江澄、家族は阿澄と呼ぶ。矜持が高く、警戒心も強く、だが身内の者にはとても甘い。
    「毎日一生懸命鍛錬に励んでいるから、モスの中では魔力も強い。努力家で優しい、俺の自慢の義弟ですよ」
     元気そうで良かったと胸を撫で下ろす魏無羨を見ながら、心の中に浮かんだあの気持ちが膨らんでいく。そんな彼を、自分の元に召喚し、誰の目にも触れないように腕の中へ閉じ込めてしまいたい。――そんな、姑蘇藍氏特有とも呼べる強い執着心に苦笑しながら、藍曦臣は蓮花湖を挟んだ反対側の土地で家を借りた。普通の人間が暮らしている土地のお陰で、藍曦臣は魔法を使わずとも生活出来る。彼のための部屋を誂え、蓮花湖に掛けられている強力な魔法を破るための魔方陣を組み、咲いたばかりの蓮の花を魔法で生み出して魔方陣を覆い隠すように敷き詰める。蓮花塢で生まれ、雲夢蓮花塢を愛する彼ならば、蓮の花があれば召喚出来るだろう。そうして、様々な準備を整えてから召喚の魔法を唱え、無事に彼を召喚する事が出来た、が。彼は一言も言葉を発さず、窓の外を食い入るように見つめるばかり。小さな彼の姿を暫く見つめていたものの、彼が此方を向く事もなさそうなので、藍曦臣は彼の食事を用意しようと静かに部屋を出た。――江澄には申し訳ないが、彼が此処を飛び出さないように魔法を掛けている。目を離しても彼がいなくなる事はないだろう。
     モスの食事は葉物中心だと聞いたので、藍曦臣は厨で用意していた葉物を食べ易いように小さく刻み、彼のために用意した小さな皿に盛り付けていく、辛い物が大好きだと言っていた魏無羨だったが、そういえば彼はどんな味が好きなのだろう。少量の塩を別の皿に用意しておき、これまた彼のために用意した箸と一緒に小さな盆へ乗せて、彼の元へと足を向ける。古の頃を生きていたモス達の食事は専ら花の蜜や樹液だったそうだが、生態が徐々に変化した結果、葉物は食べる事が出来るようになったらしい。モスの生態は本当に不思議だと思いながら彼の元へと戻れば、彼がびく、と肩を跳ねさせて此方を振り返った。
    「食事をお持ちしました。……葉物は食べられると聞いたけれど、もし食べられないのであれば残しても構いませんし、花の蜜や樹液の方が良いのであれば用意します」
     警戒するようにじっと此方の動きを見つめる江澄に笑みを向けながら、机の上に皿を乗せる。これから先、彼が何を好んで食べるのか、知っていこう。そう思っていれば、窓の外からそろそろと離れた彼は椅子に腰を下ろした。羽の事を考え、背凭れがない椅子を選んでみたのだが、どうやらこの選択は正しかったようだ。良かったと安心している藍曦臣を他所に、彼は箸を持って小さく刻んだ球菜キャベツを口に運んだ。小さな口が、もぐもぐと動く。
    「……食べられそうですか?」
     そう訊ねてみれば、江澄は楝色の瞳を一度、藍曦臣へと向けた後、こくりと小さく頷いた。――彼と、初めて取れた意思疎通。藍曦臣は内心感動していたが、表情に出ないように必死に堪えた。



     江澄のために小さく刻まれた葉物。何故か一緒に置かれた塩をちょん、と球菜の先端に付けて口に運ぶ。そうして球菜や白菜、小松菜の葉物を順に食べた江澄は、ふと喉の渇きを覚えた。ちら、と法師を見上げたが、彼が此方を向いたせいで咄嗟に視線を逸らしてしまう。
    「……ああ、飲み物を用意していませんでした。お水で大丈夫ですか?」
     何も言っていないのに、と思いながら小さく頷く。すると法師は足早に部屋を出て行き、江澄は深く溜息を吐いた。――江澄のために用意された、モスが食べられる葉物。大きさも考えられ、食器まで江澄のために小さな物ばかり。モスの住んでいないこの地域で揃えるのは難しかっただろうに、と木製の皿をそっと撫でた。蓮の花が彫られたそれは、正直言って江澄の好みである。魔法陣の上にも蓮の花があったし、江澄が蓮を愛している事を知っているのだろうか。初対面なのだから、有り得ない話である。ふるふると首を振っていれば、ぱたぱたと足音が聞こえて来る。やがて、すぐに扉が開いて法師が入って来た。その手には、小さな小さな洋杯コップと水差しがある。あの小さな物では、水を入れるのも大変だっただろうと手古摺っているこの法師の姿を思わず想像してしまう。
    「どうぞ」
     ことりと置かれた洋杯を手に取る。そうしてこく、こくと水を嚥下していけば、渇いていた喉が潤った。空になった洋杯を机に置き、ふう、と一息吐く。
    「お口に合いましたか?」
     法師の言葉に頷く。此処できちんと、〝ご馳走様でした〟と言わないと、蓮花塢では母の叱責が飛んで来るだろう。それでも、此処で声を出すのも癪で。江澄は生まれて初めて、食事の挨拶をしなかった。
    「召喚の魔法は、召喚された側にも負担が掛かるそうです。今日は此処でゆっくり休んでください。……この部屋は、普段は使わない部屋ですので。私もあまり来ませんから、安心してください。厠はあの仕切りの向こうに。何かあれば、壁に掛かっている紐を引いてください」
     一通り説明をした法師は、食器を持って来た盆の上に乗せてさっさと部屋を出て行ってしまう。確かにこの部屋は、法師が使う物は何一つ置かれていない。よくよく見れば、部屋の壁には本棚が作られ、小さな本がぎっしりと詰まっている。本棚の方へ向かい、どんな本が置いてあるのか見てみれば、魔導書は勿論の事、異国の物と思われる本から巷で流行っている画本、医術が書かれた本など、本当に様々な本が揃っていた。異国の本は流石に読めないぞ、と思ったが、試しに開いてみればこの地の言語で書かれていた。手書きなので、誰かが書き直したのだろう。その本を手に取り、椅子へと戻った江澄は、本の表紙を開きながらふと、首を傾けた。
    「……あの法師は、何のために俺を召喚したんだ?」
     召喚されてからというもの、江澄はまるで招かれた客人のような扱いを受けている。何一つ害を与えられず、何と言うか、大切に扱われている、ような。他のモスは法師に召喚された後、酷い目に遭っているという話ばかり聞いていた江澄は、話が違うぞ? と一人首を傾け、うんうん、と唸ってしまう。
     そもそも、あの法師は江澄の事を知っているようだった。蓮の件もそうだが、江澄が蓮花塢に住んでいる事もそうだ。まるで、江澄を前々から召喚しようとしていたような感じである。何処かで出会った事があるだろうか? 江澄は今までモス以外の種族と出会った事がない。蘭陵金鱗台の金氏だって同じ種族だし、よくよく考えてみれば雲夢と蘭陵以外は行った事がない。他の土地には、様々な種族が住んでいるのだろう。座学で種族についても色々学んだ気がするが、あまり覚えていない。人間、特に法師はモスにとって非常に危険だからと口酸っぱく言われていたから覚えていた訳だが、座学中に配られた教本の中の絵でしか人間は見た事がなかった。あれだけ大きいとは、と法師の姿を思い出す。
     あの法師の顔を思い出してしまい、江澄は思わずちっ、と舌打ちを鳴らしてしまう。忘れようと、開いたままの本へ目を落とす。――人間が、依頼を受けて様々な事件を解決していく話。異国の、東瀛と呼ばれる土地での話だそうだ。東瀛というのは確か、この地からずっと東に行き、湖より遥かに広い海という場所を渡ったその先にある島国。ふうん、と思いながら読み進めていく。人間が殺されたり、眠っている間に家へ押し入られて物を盗まれたり、人間の子供が誘拐されたり。様々な事件が書かれていて、東瀛とはそんなに危ない国なのだろうかと斜め上の方向へ思考が向いてしまう。それでも、中々に面白い話で、江澄はつい読み耽ってしまった。



     こん、こんと扉を叩く音に、江澄はようやく顔を上げた。窓の外を見れば、空が橙色に染まり、湖の水面も空と同じ色になっている。すっかり読み耽ってしまったと、江澄は本に付いていた紐を挟み、本を牀榻に置く。すると、扉を叩いた誰かさん――と言っても、法師しかいない――が、部屋の中へと入って来た。
    「お腹は空いていますか?」
     食べた後、ひたすら読書に耽っていたお陰かあまり空腹を感じない。ふるふると首を振れば、その返答が予想外だったのか、法師が桜鼠色の瞳をぱち、と瞬かせる。そうして、ゆっくりと此方に近付いて来た。
    (何をする気だ?)
     殆ど反射的に反応し、強張った身体。近付いて来た法師を見上げながら、次はどんな事をするのかと様子を窺っていれば、法師はにっこりと笑顔を浮かべた。
    「他の部屋もご案内します」
     だからおいで、と差し出された大きな手。先刻のように乗れば良いのだろうか。自分の力で動けると、羽を羽ばたかせようとしても、やはり力が入らない。いつになったらこの魔法を解くつもりだと思いながら、江澄は渋々、法師の手のひらに乗った。先刻のように、法師は指先を軽く丸めて、江澄が落ちないように気を使ってくれている。江澄も先刻のように、法師の中指に掴まった。
    「……拘束の魔法を掛けてしまい、すみません。折角召喚出来たあなたを、今はまだ、手放したくないのです」
     何だそれ、と法師の言葉を聞きながら、江澄は眉間に皺を寄せる。勝手に召喚しておいて、勝手に手放したくないと言うなんて、何と我儘な事を。俺の意見は無視か、と思わず舌打ちを鳴らせば、法師の耳に届いていたのだろう。部屋を出る直前、法師は目を丸くしながら顔を覗き込んで来た。……近い!
    「何か不満な事でもありますか?」
     全てが不満だ。不満でしかない。法師の身勝手な感情に振り回されている此方の身にもなってくれ。法師から顔を背けて、江澄は大きく溜息を吐いた。
    「……黙ったままでは分かりませんよ、江澄」
    「っ⁉」
    「私は、あなたの声が聞きたいです」
     どうして、この法師は俺の名前を知っているんだ。一体此奴は何者なんだと、江澄は顔を背けたまま眉間の皺を深くさせる。此方を向かないと悟ったのか、法師はそのままゆっくりと部屋を出て、広い廊下を進み始めた。地下室からあの部屋へ来た時と、全く別の廊下を進んで行く。
     この廊下の先に、一体どんな部屋があるのだろう。壁に幾つも飾られた、江澄の身体より大きな絵をちらちらと見ていれば、不意にぴたりと視界が止まる。白銀の世界の中に描かれた、立派な家屋。これは一体何処だろうと見ていれば、ああ、と上から声が降って来た。
    「これは私の実家です。私が描きました」
    「……あ、あなたが描かれたのか? これを?」
    「ああ、ようやくあなたの声が聞けました。ふふ、私の絵が気に入りましたか?」
     はっ、と口元を手で覆うも時すでに遅し。恐る恐る顔を上げれば、満面の笑みで法師が此方を見つめていた。
    「改めまして、江澄。私は藍曦臣と申します。姑蘇藍氏の宗主を務めております」
    「う、雲夢江氏、江晩吟です。……姑蘇というのは、東にあるという、あの?」
    「ええ、そうです。江澄は博学なのですね」
     そんな事はないと首を振りながら、今一度、飾られた絵に目を向ける。法師――藍曦臣の描いた絵。この白銀の世界は雪景色、というやつだろうか。
    「子供の頃に習った。姑蘇の冬はとても寒くなるから、俺達では冬眠してしまうと」
    「ええ……そうですね。特に、私の実家である雲深不知処は山の上にありますので、特に寒さは厳しいかと」
    「そうなのか……」
     そんな所では一生住む事が出来ないと、江澄は話を聞きながら肩を竦めた。この雪景色は死ぬまでに一度で良いから見てみたいとは思うが、冬眠は避けたいところである。
    「此処に飾っている絵は、どれも私が趣味で描いた物です。描いたは良いけれど置き場に困っていたら、この家の廊下に飾るのはどうかと弟に勧められてね」
    「あなたには弟がいるのか」
    「ええ、丁度あなたと同じ年頃でしょうか。あまり感情が表に出ず……そうですねえ、顔は私に似ていますよ」
     感情が表に出ない、藍曦臣に似た弟。人付き合いが苦手なんです、とのほほんと呟く藍曦臣の言葉を聞きながら、人付き合いが苦手な無表情の藍曦臣、を思わず想像してしまう。
    「あなたが雲深不知処に来てくだされば、弟の良い話し相手になってくださるかも知れませんね」
    「……いや、俺は雲深不知処には行かない」
     そう一言呟いて、江澄は絵から顔を背ける。この廊下に飾られている他の絵も、恐らく雲深不知処を描いた物ばかりなのだろう。これを見ていたら、きっと絆されてしまうかも知れない。そう思いながら、江澄は唇を引き結ぶ。
    「……そう、ですか。それは残念です」
     江澄の視界が揺れる。ちらりと藍曦臣を見上げれば、藍曦臣の表情は長い髪に隠れて見えない。姑蘇に行かないからと言って、はいそれでは、と解放してくれる訳がないだろうと思っていたが、僅かな可能性を狙っていたのだ。――解放してくれなかったが。
    「あなたが雲深不知処に来てくださらないのであれば、私が此処に住めば良いだけですから」
     その言葉を聞かなったふりをして、江澄は大人しく藍曦臣の手のひらに乗ったまま移動する。廊下の絵など見なければ良かったと思いながら、江澄は掴んだままの藍曦臣の指に爪を立ててみる。こんな、大きな人間の指なのだ、これぐらいしたって痛む事も、傷が出来る事もないだろう。
    「こら、江澄。悪戯しないの」
     咎められ、思わず顔を顰める。これで気付くなら齧ってやろうかと思ったが、それをするより先に藍曦臣が足を止めた。
    「此処は私の執務室です。実家から離れていますが、私は宗主なので。基本的に此処で仕事をしています。何かありましたら、この部屋にいらっしゃい。あなたが入れるために、此処に小さな扉を付けておきました」
     大きな扉の、丁度真ん中の辺り。江澄の身体の大きさを考えて、真四角に刳り貫かれ、江澄が試しに軽く押してみれば、簡単に開く事が出来た。其処から中を覗いていると、江澄の上からくすくす、と笑みが聞こえて来る。
    「中に入りましょうか」
     江澄の返事を待たずに、藍曦臣が中へと入る。部屋全体にふんわりと香る白檀と、江澄のために誂えた部屋の本棚とは比べ物にならない程、大きな本棚。壁の全てを本棚にしているにも関わらず、窓側に設置された大きな机の横には本がぎゅうぎゅうに詰め込まれた小さな棚が三つ並んでいた。
    「最初はこの部屋に、あなたの部屋を用意しようとしましたが……反対されまして」
     藍曦臣が長椅子に腰を下ろす。すると目の前の卓に江澄も下ろされて、江澄は何処を見れば良いのか分からずに視線を彷徨わせた。拘束魔法は相変わらず掛けられたままなので、飛ぶ事も出来ない。
    「弟が、私より先に一人のモスを召喚しました。その方は非常に友好的でして、色々教えて頂きました」
    「……雲深不知処には、モスがいるのか?」
    「ええ。弟が召喚し、天命だとかで毎日幸せそうに暮らしていますよ」
     先程の話では、藍曦臣の実家たる雲深不知処は、モスが生活しにくい場所な筈。其処にモスを召喚した藍曦臣の弟も信じられないが、召喚されたモスもモスである。そういえば、姑蘇の方角は丁度、召喚されてしまった魏無羨の魔力を感じる方角と同じである
    (……そんなまさか、な)
     藍曦臣の弟が、魏無羨を召喚していたとしたら。脳内に過った一つの可能性に、有り得ないと江澄は頭を振る。何も、あの方角には姑蘇しかない訳ではない。
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     けれど彼を拒否した身で、一緒に寝てくれと願うことはできなかった。
     もう、一時は経っただろうか。
     藍曦臣は眠っただろうか。
     江澄はそろりと帳子を引いた。
    「藍渙」
     小声で呼ぶが返事はない。この分なら大丈夫そうだ。
     牀榻を抜け出して、衝立を越え、藍曦臣の休んでいる牀榻の前に立つ。さすがに帳子を開けることはできずに、その場に座り込む。
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    「んんっ」
     気を削ぐな、とでも言うように舌を吸われた。
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    「ら、藍渙」
    「江澄、あなたに触れたい」
     藍曦臣は返事を待たずに江澄の耳に唇をつけた。耳殻の溝にそって舌が這う。
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     数えてみると三月ぶりになる。
     藍曦臣はわかりやすく飢えていた。江澄も同じように応えてくれてほっとした。
     つまり、油断していた。
    「私は会いたくなかった」
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    (そういえばそうでした。あなたは必ずそうおっしゃる)
     どれほど最中に求めてくれても、必ず江澄は藍曦臣に背を向ける。
     今も、腕の中でごそごそと動いて、体の向きを変えてしまった。
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     藍曦臣は耳の後ろに口付けた。
     江澄は逃げていかない。背を向けるだけで逃れようとしないことは知っている。
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     その日、寒室の飾り棚には竜胆が生けてあった。小さな黒灰の器に、紫の花弁を寄せ合っている。
     藍忘機はそれを横目にして、藍曦臣の向かいに座った。
    「お待たせいたしました、兄上」
    「いいや、大丈夫だよ」
     今日は二人で清談会の打ち合わせである。
     藍曦臣が閉関を解いてから初めての清談会となる。藍曦臣自ら挨拶をするべき宗主、あちらから話しかけてくるのを待った方がいい世家、細々と確認していけばあっという間に時間は過ぎる。
    「こんなものでしょうかね」
    「はい」
    「ふふ」
     藍曦臣は堪えきれずに笑みをこぼした。藍忘機が首を傾げる。
    「実はね、忘機。三日後に江宗主が泊まりにきてくれるんだよ」
     それは今朝届いた文だった。
     ——次の清談会について打ち合わせるので、明日より数日金鱗台に滞在する。その帰りに雲深不知処に寄る。一晩、泊まらせてくれ。五日後だ。
     江澄からの文はいつもそっけない。今回は特に短い。しかしながら、その内容は今までで一番嬉しい。
     会ったときにはまた叱られるのかもしれない。あなたは何度指摘すれば覚えてくれるのか、と目を三角にする江澄は容易に想像ができた。
    「友が、会いにきてくれる 2893