かわたれどきのふたりたび
帝国歴一一八七年
目を覚ますと、部屋の空気はシンと冷たくベレトを包んでいた。ひとつ大きく息を吐き、毛布の誘惑から身を引きはがす。窓の外は、どうやら雪が降っているらしかった。
戦争が終結し、新しい未来を切り開いた代わりに、人々は多くを失った。この先も彼等を導き続け、このフォドラを治めて行かねばならない。
勝者は死体の上を歩き、そこに道を創る。後ろを見ている暇などない。縋り付く民の手を取り、傷ついた仲間たちを率いて、歩き続けなくてはならない。より良い未来を夢見て、自分の道を進み行くために斬った者たちへの、それが手向けだ。
手向け。そうだ、敵だけではなく、自分のために死んでいった仲間に報いるためにも、歩き続ける必要があった。歩くのは得意だ。今も、昔もそうだった。
『またアビスへ来たのか? 先生』
散策がてら、アビスに足を向けるのが常だった。懐かしい声が蘇る。しかし、本当に彼がそんな声だったのか、ベレトにはもう分からない。ただ、彼のくれた眼差しと言葉が、確かにこの胸に残っている。
『……俺は、あんたが心配なんだよ』
ユーリス=ルクレール。それが彼の名前だった。どうやら偽名であるらしかったその響きが、ベレトの鼓動無き胸の中で静かに鳴り続けている。父親を失い、天涯孤独となった自分に、彼はそっと寄り添ってくれた。そんな彼の優しさこそが、アビスを支えていたのだろう。すすり泣く子どもたちに歌を聴かせ、飢えた者に食べ物を与え、裏切り者には容赦なく制裁を下す。ベレトのスカウトに応じて学級に転入した彼は、一度はアビスに身を落とした者として、一歩引いた場所から学級を見ていた。ベレトのこともそうだった。物好きな教師と、灰狼学級の級長……いや、賊の頭領か。そんな関係が少しずつ変わっていったのは、いつ頃のことだっただろう。彼と共に、彼の仁義と仲間のために戦ったあの時の記憶が、もはや薄れて消えかかっている。
なのに、彼のことを思い出す。ちょっとこちらを突き放し、試すようなあの口調。早く帰って休みたいとこぼしながらも的確に戦場を駆ける姿は、まるで紫色の風だった。料理には自信があるのだと、食事当番で腕を振るってくれたこともある。ベレトの授業を聞く時は、彼は黙ってじっとこちらを見ていた。挙手することこそなかったが、指名すれば意見をくれた。学級の者たちも、徐々にユーリスを受け入れ、共に生活し、そして戦った。そんな戦いの中で、ユーリスが怪我を負ったのは、もう六年も前の話だ。
戦争が巻き起こって、六年。そのうち、五年はまるきり記憶がない。眠っていたのだ。窓硝子をなぞる指先が震えた。眠っていた。五年間も、独りきりで。生徒たち全員を、置き去りにして。
(彼の期待に、自分は応えることができなかった――)
戦火に包まれたガルグ=マク大修道院で、ユーリスは足に傷を負っていた。治癒魔法で応急処置をして、すぐに下がらせた。しかしベレトが思っていたよりも、その傷は深かったらしい。
『あいつなら、……』
千年祭の日、ユーリスは約束の場所に現れなかった。行方を知らないか、と問いかけたベレトに、バルタザールはらしくなく言葉を探す。
『……二年前に死んだって話だ。敵対してた組織と、かなり派手にやり合ってな……それで、よ……』
『……!』
ベレトは口を開いたが、その唇は紡ぐべき言葉を失っていた。ふらふらと彷徨い歩き、気が付くと、一人で灰狼学級の教室に立っていた。この場所で彼と出会った。あんたが『噂』の、元傭兵だっていう教師か、と。紫水晶みたいな眼が、自分を上から下まで値踏みするように眺めたあの日。
涙は流れなかった。それよりも、胸が締め付けられるように痛んだ。死は、いつも傍らにある。そういう場所で生きてきたはずなのに、ユーリスの死だけが耐え難いほどの痛みと共に胸へと突き刺さり、抜けない棘となってそこにある。もう二度と会えないのだと悟った時、ベレトは本当に世界で独りぼっちになったかのような気分だった。父を亡くし、ユーリスも喪った。それでも、他の仲間たちと共に、歩き続けるしかなかった。
そうして、どうやらこの身が女神ソティスの心臓を宿していると知り、闇に蠢く者たちの陰謀を阻止するために戦った。戦争が終結し、フォドラに束の間の平和が訪れたが、課題は多い。つい先日も、戦災孤児を救うために西方教会を改築し、人を配置したがいまいちうまくいかなかったようだ。領民の中から有志が立ち上がり、声を上げるばかりでなく、孤児院の周辺を整備してくれたらしい。やはり、現地の民と連携しながら支援することが必要なのだ。自分がその場に足を運べたなら、どんなに良いだろう。そうは思っても、立場というものが邪魔をするようになってしまった。統一王、なんて肩書がずしりと圧し掛かる。
こんなことなら、身軽なままでいたかった。気の向くまま、傭兵として働き続けていたならどんな人生だっただろう。
(ここではないどこかへ、行ってしまえたら……あの日、彼を救えたなら……)
時折、そんな詮無いことを考えた。だから、だろうか。
「……⁉」
もう一度窓の外を覗き込もうとした瞬間、なんの前兆もなく、ベレトは眩い光に包み込まれてしまっていた。
ソティスの力よりも、強い光だった。体が平衡感覚を失い、宙に浮いたようになる。声が聴こえた。
(あなたの力を、どうか――力を、貸してください――)
ギュッと閉じていた目を開くと、見知らぬ人間たちの前に立っていた。見たことのない紋様の施されたフードを被った、召喚師を名乗る者に、この王国の王子だという者。彼らに歓迎され、ベレトは新たなる戦いの場へと赴くことになったのだった。
最初の内は、うまくいっていた。と、自分では思う。特別な力を持った英雄として召喚されたのだと聞かされた時は、自分を知らない人間たちが『英雄』と自分を称することに違和感があったものの、すぐに受け入れた。というより、ここに召喚された者たちは、どうやら召喚師を疑ったり、逆らったりすることが難しくなるらしい。もとより、『助けてくれ、力を貸してくれ』という願いを受け入れて、ここアスク王国へ連れて来られているのだから、当然と言えるかもしれないが。
ベレトは教鞭を取っていた頃のように、魔術書を片手に戦うことになった。無論、剣も使えるが、この世界の自分は魔術に長けているようだった。力を使えば、自分らしい魔術が使えるはずだ。そう助言されて試してみると、術の中にかつての教え子たちが置き忘れたり、落としたりしたものたちが現れて驚いた。失われた時間が懐かしくも、物悲しくもある。自分の心の中に、そんな感傷があったとは。
ひとつひとつに、持ち主との思い出があった。そこに、小さな化粧筆を見つけてギクリとする。先端がモモスグリ色に染まっているあれは、浴室の前で拾ったものだ。その色には見覚えがあった。砂を払い、ハンカチに包んで持ち主のところまで届けたはず。あれが瞼に色を乗せるためのものだったのか、それとも唇をなぞるためのものだったのかは分からないが、ユーリスは笑って受け取った。
(なんだ、あんたが拾ってくれてたのか。ありがとう、助かったよ……でも、まさかガルグ=マク中の落とし物を、当人に届けて回ってんのか?)
そんなちょっとした会話まで覚えていたことに、その時気が付いた。魔術によって起こされた風に乗り、化粧筆はフッと消え、後には何も残らなかった。
自分が手に掛けた者たちのことを、すべて覚えていると言ったら嘘になる。それなのに、喪いたくなかった人たちのことは、決して忘れたくないのに頭の中から消えていく。父がベレト、と自分を呼ぶ声。指揮を褒めてくれた時の、柔らかな笑みを含んだ賞賛の言葉。生徒たちが自分を慕って、挨拶してくれた時の嬉しい気持ちも、共に食事をして笑い合った声も、消えていく。
『ああ、先生か』
彼は、ユーリスは、本当にそんな風に自分を呼んだのだったろうか。
『不安がって、怯えてるだけじゃ物事は何も進んでいかねえのさ。』
夜闇に姿を隠そうとしていた時の、あの横顔。忘れられるはずがない、と思うのに、いつしか消える。
『この名が偽名かって? ははっ、さあな。あんたはどう思う? ……なーんてな』
彼のことが知りたかった。もっと話がしたかった。家族のことも、仲間のことも、中途半端にしか分かり合えていなかった。彼は父を亡くしたベレトを気遣ってくれたし、ベレトもまた、ユーリスの仲間を守った。きっと、惹かれていた。その気持ちが、教え子に対する庇護欲に似たものだったのか、それとももっと別なものだったのかも、もう分からない。
(もっと、きみのことを知ろうとすればよかったのに)
それは、叶わない願いだった。彼はもういない。もう、どこにもいないのだ。
ベレトは考えないようにしていた。ここが、アスク王国であるということを。
他の生徒たちが召喚されるのと同様に、ユーリスがここへ現れるかもしれないという可能性から、意図的に目を逸らしていた。
会いたい、と思いながら、その実恐れていたのだ。自分のしたことをまだ知らないユーリスと会うことなど、考えられなかった。自分が選んだ未来に、ユーリスはいない。なのに当時の彼にもう一度会うなんて、許されないことだと思っていた。自分は、ユーリスが傷を負うのと引き換えに、多くの命を救うことを優先した。もっとうまく立ち回らせるべきだった。女神の力を操ってでも、そうすべきだった。それが、自分にはできなかった。そんな情けない自分をユーリスに見せるなんて、大罪だ。
なのに、彼はやってきた。
中略
自分の肩や腕や髪を撫でるベレトには好きにさせておいて、ユーリスはベレトの胸に顔を伏せる。小さな乳首は、柔らかくて甘かった。幼子のように舐めて吸うと、ベレトの息が引きつれる。同時に、わざと触れ合うようにしていた股間同士をいっそう押し付ける。両方をまとめて握ると、ベレトは困ったような顔でユーリスを見上げた。その顔が予想以上に可愛らしくて、ユーリスは嗜虐心にも似た劣情が腹の奥で燃えるのを感じずにはいられない。
「ユーリス……ッ、あっ……」
ゆっくりと、一緒に扱く。弱いであろう裏筋にぐりぐりと自分自身を押し付けて、カリの部分を責めてやる。幹に血管が浮き出た硬い肉棒は、ユーリスの手の中で面白いように弾み、じわりと雫を滲ませている。今にも達してしまいそうなのだろう。
「気持ち良い?」
「ん、……」
こくりと頷くベレトに満足して、ユーリスは手を止める。このまま一緒に出してしまいたいと思わなくもないが、せっかくの夜だ。
「ユーリス? ……待っ、……!」
毛布の中に潜り込み、ぱくりとベレトのそれを咥え込んだ。思った以上に経験がなさそうなその場所は、手で触れた時よりずっと大きいように思えた。皮を剥きおろし、唾液を絡ませて、舌で舐め上げる。下品な音は毛布が隠してくれると思えば、気にならなかった。ただし、ベレトの手が慌てたようにユーリスの頭をどかそうとするのはいただけないが。
「駄目だ、ユーリス、出る……から、……!」
「んん……っいいぜ? らせよ、このまま、……♡」
喉の奥まで飲み込んで吸い上げると、ビクリとベレトの足が寝台の上で跳ね、汗ばんだ腹筋がぎゅっと縮こまった。
「~~ッ!」
「ンッ⁉」
直後、間一髪でユーリスの口内からベレトの肉棒が引き抜かれる。ドクッと勢いよく先端から迸った精液が、ユーリスの顔を汚した。
「あっ……」
「う、……ッ」
ビクビクと痙攣する肉棒から幾度も溢れ出た白濁は、ベレトの腹の上に落ち、下生えや臍の辺りに溜まっている。ユーリスは口元を拭うと、まだピクピクと余韻に浸っているベレト自身を柔らかく握り、扱いてやった。口から逃がしてしまったのは惜しかったが、目の前で絶頂する様子を見せつけられたのはゾクゾクした。
続きは本でお楽しみください。