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    6shogayabai

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    6章後の💀が魔法が使えなくなる話(イデアズ)②
     ※pixivに載せている「魔法の使い方を教えて」の改稿です 
     ※中編2までのネタバレある
     ※だらだら続く予定

    「…魔法が、使えなくなった?」
    ティーセットが音を立てる。テーブルという上等なものがないこの部屋では、パソコンの置かれた机しか叩きつけるものがなかった。いつものようにびくりと肩を震わせることもせずに、イデアは項垂れていた。
    燃える青い炎の髪の毛は火力を失くしていて、イデアの感情をそのまま表しているようだった。まるで水でも被ったみたいだ。静かに俯くイデアの横顔に、アズールの視線も厳しいものになる。
    ベッドの上で丸くなり、毛布を頭からかぶったイデアは、自室にいるというのに、式典に出ている時のように覇気がない。
    「イデアさん」
    問いかけてみたところで、返事はなかった。人を呼びつけておいて随分な対応だ。ふう、と溜息をこぼして、アズールはいつもイデアが座っているゲーミングチェアに腰掛ける。
    オルトがいない部屋は思ったよりも温度が低いものだった。イデアの髪の毛は炎を弱めていたし、心なしかいつもよりも覇気がない。煽る元気もないのか、なに、と気だるげに毛布から聞こえる声の調子は悪い。ある程度予想のできたことではあったが、アズールは眉を顰めるしかできない。
    「なに? よ、呼んでおいてなんだけど、君よくきたよね、あんなことがあった後だって言うのに」
    「いえ…そんなことは」
    言いながらも、アズール自身も言葉がうまく出てこない。確かにボードゲームができる相手がいないのはアズールのストレスの捌け口がなくなるからあまりいいことではない。それに、こんなチャンスでもなければ、イデアに貸しを作ることもできないだろう。足を組んで、この部屋の主のようにふんぞりかえるアズールに、本来の部屋の主はブランケットと同化して唸っているだけだ。チリチリとかすかに見え隠れする青い炎はいつもよりも勢いがない。
    嘆きの島から戻ってきてからイデアと直接声を交わしたのは久々だった。あんなに熱心に来ていた部活にすら顔を出すことがなかったのは、バツが悪かったからだろうと踏んでいたのだけれど、どうやら理由はそれだけではないらしい。
    「それで、魔法が使えなくなったと言うのは?」
    ふむ、とアズールは唇に指をあてた。この魔法士養成学校において、魔法が使えないというのは致命的なエラーだ。イデア自身が魔法という現象に固執していなかったとしても、学園にいる以上は魔法士としての資質向上を求められる。
    使えなくなる――というのは、つまるところ、この学園にいる意義を失ってしまうということにほかならない。
    アズールはコクリと喉を鳴らす。彼がここまでするということは余程聞かれたくない話だ。他言無用の圧が高まっているなかで、イデアはようやく顔だけを覗かせる。もともと健康的な人間とは言い難いが、白い肌はより青くなっている。肉が削げた頰がやつれているのを見ると、アズールの中の、微かに残された良心が疼いた。
    アズールを見ると、子供が拗ねるようにぷい、とイデアは視線を逸らしてしまう。言及する気力もないが、だったら呼ぶなという話だ。言葉をなんとか飲み込んで、アズールは腕を組んだ。
    「……特に用事がなければ帰りますが? あなたのわがままに付き合えるほど僕も暇じゃあないんですよ」
    いつものようにーーボードゲームで煽る時みたいにーー刺々しい一言を突き刺すが、手応えはなかった。はあ〜〜?とか煽り返してくることもない弱々しさに辟易する。これでは、アズールが勝手にいじめているみたいじゃないか。
    言葉を促したところでイデアが応じることもないだろう。もうこうなったら耐久戦だ。時間の許す限りはイデアに付き合うより他はない。
    慈悲の精神というのであれば、そのくらいはしてやるべきだ。
    「お話ししたくなければいいんですけれど、……だけど、僕に望みを言ったでしょう、あなた」
    「……」
    「ーー信じてもらえるかわかりませんけれど、嬉しかったんですよ。あなたが僕を頼ってくれたこと」
    「……アズール氏ってマジでブレないね。対価は出来高でヨロ」
    「人聞きの悪いことを言わないでください。…嬉しかったのは本心です。オルトさんがいなくなったあなたが、真っ先に僕を呼んでくれた」
    誠実であることはアズールの強さだ。海のように寛大な心と、力のあるものが与える慈悲。それを駆使して支配者となる快感を誰よりも知っている。イデアほどの強大な力の持ち主を手玉に取りたいという願望はあるけど、そういうときの笑顔が、今は出なかった。
    アズールの言葉をどう受け取ったかはわからないが、イデアは視線を逸らしたままぽつりとこぼした。
    「ざまあないよ。結局同じことの繰り返しだ。魔法が使えなくなったことには変わりないんだから」
    「……イデアさん?」
    「そもそも僕がここから出て出なくても一緒だろって話。何も変わらないし、僕がいてもいなくても時間は進む。それのどこが悪いんだ?」
    言いたいことはなんとなくわかる。そもそもイデアが自室から出ようが、出るまいがこの学園のなかでは何の支障もなかった。それが現実で、悲しいくらいの事実だ。たとえそれが彼のせいでなかったとしても、シュラウドに名を連ねる人間としての責務がイデアにはある。
    下らない話だとアズールは切り捨てることもできた。関係ないでしょうとか、ご自身の逆境に打ち勝ってこそだとか、耳障りのいい言葉をいくらでも言うことはできる。
    「……言いたいことは、そんな懺悔でしたか?」
    けれど、アズールは今のイデアに対してそうできなかった。慈悲の精神がそうさせているのか、それとも、彼と培ってきた時間がそうさせたいのか。いずれにせよ今は、じっと貝のように固く耳を向けるしかできない。
    イデアからはあ、とかう、とか言葉にならない声が漏れ聞こえていた。吃っているというわけでもなく、単純に言葉にならない感情が競り上がってきている時のそれだ。余計なことばかりベラベラしゃべる口なのに、大事なことは何一つ言葉になっていかないのだろう。
    待つことは嫌いではない。それも大局を考えれば必要な時間だからだ。理性ではそうわかってはいるから、何ですか、という言葉を飲み込む。
    そうして、衣擦れと、椅子の軋む音が聞こえた時だった。
    静寂の中にいないと聞き取れない言葉が、アズールの鼓膜を揺らす。
    「……ブロットが足りてないんだ。僕の中に蓄積されていた怒りとか、恨みとか憎しみとか……そういうのが、どこにもなくなってる」
    「嘆きの島で召喚魔法を使ったときにも言っていましたけれど…イデアさんはなぜ、体内にブロットが溜まらないんですか?あれだけの強大な魔法、並の人間には取り扱うこともできないでしょう」
    「…あの時も説明したけど、それが僕たちシュラウド家に課せられた呪いだからだよ」
    のそりと起き上がったイデアは、髪の毛の炎が弱くなっていた。腰まで届くような長い髪の毛は短くなっていて、無秩序さが増している。
    おおきな隈を作った肌は、元から不健康なそれだったが、余計に青くなっている。唇は紫色だし、頬もこけている。イデアが好む髑髏の様に骨だけになってしまいそうな顔だ。
    食事もろくに取っていなければ、睡眠も何もとっていない。笑顔から一番遠い顔を浮かべて、イデアは力なく笑う。
    「僕たちが継承する呪いの炎は、常時体内のブロットを燃やしている。だけどブロットが発生しない時は、魔力が燃料になる。…ブロットが発生しないってどういうことかわかる?」
    「…魔法を使っていない時、ですか」
    「そういうこと。魔法を使ってブロットを作り続けないと僕はこの呪いのおかげでずっと魔力が削られる」
    「今まで魔法を使い続けていたところで、その行き先がなくなった。生み出されていたブロットの代わりに魔力が燃料となって…魔法が使えなくなった、と」
    この学園に入学して、イデアが魔法石を付与されていないのは炎のせいだという。魔法石はブロットを肩代わりする。一般的な魔法士であればブロットは『悪いもの』であるので、体内に溜め込むこと自体が悪だとされている。
    しかし逆を言えば、ブロットは強いエネルギーでもある。炎は触れれば熱いが、有用性を見出すことで人類は発展を遂げてきた。嘆きの島で行われていた研究は、ある意味エネルギーの転用にも近いそれだ。イデアの話は到底アズールには信じ難いことではあるが、彼らは途方もない時間をかけて、自らの性質とそれを有用活用する方法を探していたんだろう。
    ブロットを生み出すことに意味を探すように。自分たちの呪いを祝福に変えるために。
    科学と魔法の融合は、人類に新たな希望を見せる。科学は魔法を越える――イデアが口癖のように言っている言葉を思い出しながら、アズールは言葉を探した。
    「…原因はオルトさん、ですか」
    イデアは答えなかった。その代わりに、魔法石を差し出してくる。
    ペンに付属されることもない剥き出しの石。おそらく力任せに台座ごと抜いたのであろうそれは、縁取りのように金色の飾り枠がついている。
    かつてアズールが問いかけた質問への答えだ。鮮やかな蒼だ。濁ることもシミのつくこともない石にイデアはあーあと呆れた顔をしていた。
    「オルトの体内に埋め込んでた魔法石だよ。僕が持っていたって逆効果でしかない」
    「支給された魔法石で、オルトさんから生じるブロットを吸収していたと?」
    「オルトは一度冥府に下ったことで呪いから解き放たれた。魔法は使えないけれど、繋ぎ止めた魂が機械に影響を及ぼす可能性はゼロではないい」
    おまじないみたいなものだよ、とイデアは石を撫でる。自分の手元に置いておく危険に比べれば、まだオルトのエネルギー源にした方がいいということらしい。
    他の魔法士たちには正気を保つために必要な石でも、イデアたちにとっては致命傷だ。それが手元にあるということは、イデアのブロットは、こちらに吸収されているということになる。
    なるほど、とアズールは状況を把握する。そうなればあとは単純だ。オルトの帰還の目処が立たない以上、イデアはその魔法を使う先がない。
    魔法を使うことができない、と言うことはブロットも溜まらない。そうなれば、ブロットの代わりにイデアの魔力が消費され続けていると言うことだ。
    「君は察しがいいからわかるでしょ。……オルトがいなければ、僕は魔法を使うことすらできない」
    肩をすくめて、イデアは戯けてみせた。期待外れのゲームをプレイした時みたいに、くだらない話だね、と笑う。
    この学園で魔法が使えないとなると在学している意味も薄くなってしまうけれど、それはそれで、イデアは構わないらしい。
    「実技試験はクリアできない。魔法が使えない魔法士はオワコン。……まあ卒業くらいはさせてくれるんじゃない? 卒論とか書けば」
    おどけた言葉にアズールは笑うことはできない。この部屋に持ち込んだティーカップを手持ち無沙汰に撫でながらじ、とイデアを見つめる。
    置かれた魔法石を手に取る。マジカルペンに装飾されることのない剥き出しの石は、確かに入学早々に配れた時のように輝きを纏っていた。
    部屋の電球に透かして見れば、一点の翳りも曇りもない。深海の秘宝のように透明な蒼に、アズールはほうと溜息を吐く。
    「そんなに青い石が珍しい? ボドゲ部員で結構いたでしょ」
    「…そうですが」
    相変わらず情緒に欠ける男だ。アズールにはこうして簡単に見せては来るが、これは一大事だ。入学して、イデアと出会ってからずっと、アズールはこの宝石を探していたというのに。
    感慨に耽っているんですよ、とは言えずに、アズールは掌に石を乗せた。イデアの髪の色と同じ、アズールの瞳の色よりも澄んでいる石はこの無機質な部屋によく似合っている。
    「決闘申し込まれたらどうするんですか? 負けたら一人部屋じゃなくなりますよ」
    「そうなったら退学……」
    「は?」
    くるくると髪の毛を指に巻き付けて、退屈そうに言うイデアに、アズールは思わず地声を出していた。ナイトレイヴンカレッジは望んで入れる場所ではない。たとえ入学になったとしても、卒業まできちんと終えられるほど甘くはない。それを、この男はそんなに簡単に捨てるというのか。
    「退学? イデアさんが?」
    言葉に出してみると思ったよりも自分が動揺していることに気付く。先ほどの部活のことと言い、今といい、どうしてこんなに自分が彼のことを気にしなければいけないのだろう。陸に出て、初めて耳の中に水が入った時のことを思い出す。気持ちが悪くて、なんだかざわざわして、居心地が悪い。
    魔法石を砕かんばかりに握り締めると、イデアはびくっと肩を震わせた。
    「…いやめっちゃ怒るじゃん」
    「寮長まで務めた生徒が自主退学なんて前代未聞ですよ。何を言ってるんですか」
    「拙者、常に想像を越えていくので…」
    「……今の冗談は笑えませんよ」
    パチ、となにかが燃える音がした。イデアの髪の毛が爆ぜた音だ。電気がついているのに窓のない部屋にほんのりと灯りを灯しながら、アズールとイデアの間を照らしていく。
    煽っているわけではなかった。単純に笑えない冗談だったのだ。イデアが簡単に捨てられるものは、他の誰かが努力しても身につかなったものだ。
    嘆きの島から学園に戻ってきて、卒業までの間は自由に自分が好きな魔導工学に没頭できる権利を得た。だというのに、その短い期間すらもイデアは放棄するという。
    彼のこういうところが嫌いで、憎たらしい。諦観と虚無の中を漂いながら、なのに自分が光っていることに何も気づかない。
    望めば、彼はどこにだって行けるというのに。
    知らない間にアズールは拳を握を締めて、奥歯を噛みしめていた。
    「…今更、魔法が使えなくったって困らないくせに」
    「……それはそうなんだけど」
    歯切れの悪いイデアは、のそりとベッドから立ち上がる。背中を丸めて、アズールから魔法石を取り上げる。学園生活終了のお知らせ、と乾いた笑いと共に乱雑にポケットにしまいこまれて、青い石は暗い場所へと埋め込まれる。そうして、そのまま再びベッドに戻ろうとするイデアの肩を、アズールは掴んでいた。
    「い、いたい、いたいってば!離してよ!」
    「嫌です。なんですか、引きこもってたと思ったらそんなことを気にしてたんですか」
    「う、うるさいな。どうせアズール氏だって拙者のこと怒ってるんでしょ。いなくなればいいって」
    「一言も言ってませんが。むしろイデアさんの身を案じてここに来たんですけど」
    イライラする。見覚えがある。こうやって自分ができないことを人のせいにするくせに、自分で何もしようとしない。
    生粋のお坊ちゃまで、甘ったれたイデアらしい考えだ。なまじ、頭がよくて見切りも早いから始末に負えない。だったらどうしてさっさと退学届けを書かなかったんだ、という話だ。
    「大体、本当に退学する気なら、とっくの昔にしていたでしょう。そんな勇気も決断もできないから、僕を呼んだのに?」
    「それは……!」
    「……冷静になってくださいよ。異端の天才、イデア・シュラウド先輩。感情論を振りかざして、投げやりになるなんて、あなたらしくもない」
    はあ、と溜息を吐き出したアズールに、イデアは黙って青い石を投げつける。拗ねた子供のように口を尖らせて、煽る言葉の一つも出てこない。
    面倒な男だ。頼りたいならそういえばいいのに、無駄なプライドと猜疑心ばかりが肥大して,我がままのひとつも言えやしない。
    「イデアさん」
    「な、なに」
    「……僕は、あなたのどんな望みを叶えればいいんですか? 海の魔女の慈悲深さを、どのように発揮すれば?」
    引導を渡すのはいつだってアズールだ。何一つ教えてくれないくせに、孤独でいたいというくせに、本当にそれができないイデアを、アズールは心底哀れだと思う。
    不貞腐れたように視線を逸らすイデアに、一歩アズールは寄り添った。優しい声で、誘惑するように。イデアの隣に座ると、満面の笑みを浮かべる。
    「――望みは、なんですか?」

    ーー

    オルトを悲しませたくないんだ、と小さな声で言った言葉は、及第点というところだろう。なんとかそうやって言葉を紡いだイデアを部屋に置き去りにして、アズールは学園内を散策していた。
    ポケットに忍ばせたハンカチの中に丁寧に包んだ青い魔法石。それは微かに光を放っていた。ブロットを吸収するための石がこうやって光を放つのは魔法を使う時だが、持ち主の元を離れてもその効果は発揮されるらしい。
    「…ふむ」
    体内に集められたブロットを燃やすことで魔力の保持を行なっているというのであれば、確かに魔法石を持っている方がイデアは力を発揮できないだろう。厄介な呪いをかけられたものだとアズールは心底哀れに思う。
    ぎゅ、とアズールは胸元の石を握り締める。先ほど聞いた望みを思い出して、アズールは冬の空を見上げていた。
    「…オルトさんのために、卒業したい、か」
    雪がちらつく季節になったとはいうが、この半島の冬は北の海とに比べればまだ温かいものだ。アズールはもともと人魚であるし、寒さには強い。寒くはないのだけれど、人間の体というのは不便だ、恒常性を保とうとして体は暖を求める。
    ぶるりと身震いを一つする。コート一枚で出てきたのは失敗だっただろうか。同じ北の海の二人がいないからよくわからない。
    いつも連れているジェイドとフロイドは寮に置いてきた。またイデアの望みを叶えるためだといえばなんだか馬鹿にされそうな気がしたからだ。あの二人はアズールがイデアの話をするとクスクスと何か面白いものでも見るように笑う。まったく、失礼な話だ。
    「あの二人の人を見る目も大したものではないですね。イデアさんのように優秀な魔法士がいなくなるのは世界の損失だというのに」
    誰に言うでもなく吐息と共に言葉に、アズールは思った以上に自分がイデアを評価していたことに気付く。
    あんなふうにすべてが投げやりになっていた彼が、唯一掲げた目標が、そんな当たり前すぎることだったなんて、滑稽すぎる。
    学園長であるクロウリーはこの状況を把握はしているようだが、ブロットを放出させなければ魔法が使えない魔法士など、前代未聞だといっていた。イデアが魔法を使えないということは、そのままこの学校の在学資格がなくなるということ。シュラウド君には申し訳ありませんけれど、と溜息を吐き出していた学園長の様子を見るに、イデアが思うよりも状況は切迫しているように思えた。
    冷えた風がアズールの頬を撫でていく。ふう、と大きく息を一つ吐き出して状況を整理する。
    魔法。ブロット。エネルギー転換。魔法の抜け殻を魔力へ転用させる、エネルギー技術。
    イデア・シュラウドという魔法士が、どうして魔法が使えなくなったのか。本当に、ブロットがなくなってしまったからなのか。
    一介の学生ができる範疇を越えているような気がしないでもなかったけれど、一度乗りかけた船を転覆させるような趣味は、アズールにはない。
    それでもヒントもとっかかりもないというのはどうしようもない話だ。さて、と取り出したサファイアのような石は、冬の澄んだ空気のように青い。
    「ふなっ!!!オイアズール!なんでオマエがそれをもっているんだゾ!!」
    「ん?」
    聞きなれたやかましい声が足元から聞こえてきた。ふなーっ!という鳴き声と共に、勝手にいかないで! !と悲痛な叫びも聞こえてきた。
    イデアの青い魔法石に飛びついたのはその小動物だった。アズールの腕に飛びつくとおお!と何か珍しいものでも見るように目を輝かせている。
    「なあユウ、アズールのやつ、青い魔法石を持っているんだゾ!これ、イグニハイドのやつのじゃねえか?」
    「わっ、こら、グリム! アズール先輩困ってるでしょ」
    もう、と飼い猫の粗相をしつけるように、監督生であるユウがオンボロ寮のグリムの首根っこを掴む。ふなああ、と情けない声をだしてアズールの腕から彼は引き剥がされていくけれど、好物を見つけた時のきらきらした目は損なわれていない。
    まったく、いつの間にこの小動物は食い気よりも色気になったのだろう。じ、と目を細めてコートについた毛を払うと、グリムよりもユウのほうがひい、と声を上げた。
    「あああアズール先輩、すみません! その高そうなコートのクリーニング代ならこの通り!!」
    「おや、まだ何も言っていませんが?」
    「目が笑っていません!!!」
    怯えさせてもいいことはないだろうとは思ったが、彼らの自分たちに対する評価はそういうことのようだった。
    事実、アズールはユウにグリムの監督責任を問う気はさらさらなかったのだ。なのに、クリーニング代、とか言われてしまったら、守銭奴の血が騒ぎ始めてしまう。
    「そんなに怯えずとも。確かにこれは、イグニハイド寮生の魔法石ですけれど」
    「な、なんでオクタヴィネルのお前がそんなの……借金の担保か?」
    「あなた方の僕の評価ってどういうものなんですか?」
    ここで漫才をする気はない。アズールが考えなければならないのは、イデアの魔法のことであって、彼らの処罰ではないのだ。
    一歩距離を置いて怯えながらアズールを見ている二人――もとい、一人と一匹はどんな無茶を要求されるのか警戒している。別に取って食おうというわけでもなければ、アズールが彼らに食って掛かる理由もない。むしろ、魔法が使えなくなって自暴自棄になっているイデアの元に言ってくれと頼みたいくらいのものだ。
    「あ、あの、アズール先輩、その、青い魔法石、ブロット何も溜まっていないんです…ね?」
    「目ざといですね」
    「グリムの魔法石はともかく、クラスの子たちは魔法の実技の後でよくうっすら曇ってるのをよくみるので…」
    まっ黒にはなかなかなりませんけど、と言いづらそうにつぶやいたユウは、アズールの白い魔法石も見つめていた。アズールがも合点がいったような返事をしながら自身の胸元に刺さったマジカルペンをまじまじと見る。
    それも確かにそうなのだ。アズールのペンも、うっすらともやがかかったように白い色が濁っている。魔法を使った代償だ、この学園の生徒であれば多少なりとも残っているだろう。
    アズールも今日は実技の授業を受けてきた後だった。飛行術などを熱心にやった次の日には、インクが垂れたようなしみができることがある。
    本来、ブロットというものは魔法を使った後に残る抜け殻のようなもので、体内に蓄積されると健康状態に支障をきたすものだ。魔法石がある程度の肩代わりをするとはいえ、精神的な負荷が多い状態で魔法を連発すればすぐにブロットはたまってしまう。許容量を超えてオーバーブロットをした経験を持つアズールには耳が痛い話だ。専門家からもいまだに定期的なカウンセリングを受けるように言われている。
    しかしそれは、裏を返せばブロットはこの学園にいる生徒なら誰しも溜まる可能性があるものということだ。必要以上の魔法の仕様は制限されているとはいえ、どうしても魔法の実技の授業はある。科目によっては苦手なものがあれば、それだけでストレス状態に晒され、余計にブロットも溜まりやすくなるというものだろう。
    じいっ、とグリムの魔法石を見れば、ラベンダー色をした宝石はどこかくすんでいる。なるほど、学園の問題児、すぐに炎を吐き出すというこの魔法生物もブロットはたまるらしい。
    はて、とアズールはグリムを見る。そういえば――彼も被検体としてあの島に連れて行かれていた。
    監督生の話によれば、グリムはブロットが起きた現場で見つけた黒い石を体内に取り込んでいたという。そうして、おぞましいほどの力を手に入れた。ブロットに染まった石を自分の魔法の力にしたということだ。
    「……時にグリムさん。あなた、……黒い石を食べてましたよね?」
    「……ええ…グリム・・・また?」
    「なっ…ななななななんのことなんだゾ?! オレ様、アレ以来、も、もう拾い食いなんてしてねーゾ!」
    ホントなんだゾ!と涙目になりながら訴える彼をひょいと持ち上げる。ふなーっとか離せ―!!とか暴れられては困る。アズールはふ、っと笑いながらグリムに囁きかけた。
    べつに、とって食おうというわけではない。むしろ――その逆だ。
    ブロットを蓄積することで力をためる魔法生物。今は力を抑えているけれど、彼はイデアと同じく、ブロットが体内に溜まることが悪影響にならない種族なのだろう。
    だったら、話は早い。
    「取引しましょう、グリムさん、ユウさん。なに、あなた方にとってはおつりが出るくらいのお話ですよ」
    他言無用でお願いします、と渾身の笑みを浮かべたはずなのに、二人はなんだか苦笑いをしていた。


    嘆きの島にあの時にいた二人であれば、事情は分かっているだろう。
    かいつまんでイデアのことを話せば、グリムとユウは目を見合わせてほわあ、と息を吐き出した。
    どうやら二人にとってはアズールがこういった取引を持ち掛けるのが意外だったらしい。イデア先輩の、と何やら難しそうな顔をしたユウに、アズールは魔法石を見せる。
    「これはイデアさんの魔法石をお借りしてきたんですが、先ほどのご指摘の通り、全く濁っていないんです」
    隣に比較としておいたのは、アズールの魔法石だ。今はうっすらと暗くなっているが、入学当初はもっと無垢な光を放っていた。比べればイデアの魔法石の透明度は一目瞭然だ。
    「本当だ。すごく澄んでいて綺麗… 魔法を、使っているのに?」
    「……ブロットが精製されない理由が魔法石にあるかもしれないと思ったのですが、そういうことでもないようです」
    深刻そうな声を出したアズールに、ユウの言葉が詰まる。グリムはヘッ、と何かつまらないものでも見たように宝石を小さな指でつついた。
    「イデアのやつ、こんなのなくったってオルトがいるじゃねーか。アイツ、ビームとかバンバン出すだろ」
    「ビームのエネルギーって魔法を使ってるわけじゃないんですよね?」
    「僕も詳細はわからないですけれど、魔導エネルギーは魔法の力を科学で増幅させたものです。いずれは魔法の使えない一般人でもその恩恵を受けられるような仕組みになる、とは聞いていますが」
    「…じゃあ、多少弱くても使えないと困る?」
    「そうなりますね。もっとも、イデアさんのことですから、オルトさんの魔導エネルギーならご自身の魔法以外でもマジックアイテムだとかでしばらく代用しそうなものではありますが…」
    教室にやってきたアズールと監督生、グリムはそっと青い石を撫でながら三人で唸る。ううん、とお手上げのポーズをしたアズールは、本当に困り果てていた。
    イデアが再び魔法が使えるようになるということは、単純に彼の体内にブロットを集めるということだ。
    けれど、魔法が使えないと、ブロットは溜まりにくい。だけど、ブロットを貯めなければイデアは効果的に魔法を使うことはできない。
    だというのに、魔法石はイデアの体内にブロットをためにくくするどころか、ブロット自体を生じさせなくなってしまっているのだ。
    「今までイデア先輩って、どうやって魔法を使っていたんでしょう・・・」
    ユウがううん、と首をひねる。魔法が使えない監督生からしてみれば、魔法の使い方自体が不思議でしょうがないらしい。大体の生徒たちはマジカルペンを振って魔法を制御し、自身のイマジネーションに基づいた魔法を練り上げる。
    「にゃはは、そんなの簡単なんだゾ! イデアのヤツ、真黒なブロットの石を食べてたにきまってる! オレ様はあれを食べると力が漲っていたし、イデアもそうなんじゃねーの?」
    けらけらと笑うグリムに、ユウは呆れながら溜息を吐いた。
    「グリム、さすがにイデア先輩は人間だよ… 髪は燃えてるけど」
    「食事はろくにしませんけれど、さすがに石は食べないはずですよ。髪は燃えていますけど」
    「じゃあどうやって魔法も使わないでブロットを増やすんだ? そんなこと天才のオレ様くらいしかできねー芸当だゾ」
    むっとしたグリムは、てしてしと青い石を叩いた。肉球の跡がついた石を、アズールはハンカチで磨く。今更肉球の一つついたくらいで何も言われはしないだろうけれど――むしろ、喜ぶだろうけれど――いまはまだ貴重な手がかりだ。
    アズールは青い石をグリムから取り上げると電球に透かして見る。インクルージョンもなにもない、カッティングが丁寧に施された石。アズールにもなじみの深い蒼は静かに輝いている。
    人を拒絶するように冷たい宝石は、イデアそのものだ。誰かと関わり合いたくなくて、遠くから輝くだけの地底の炎。ブロットという、魔法士であれば忌避される魔法の残滓を搔き集めて魔力の身代わりにしていたイデアの力は、正直おそろしいものでしかない。
    ブロットは彼がこの世界に、学園にいるための理由だった。忌避されるものでも、それがなければイデアは魔法は使えなかったし、希望を見出そうとも思えなかった。もちろん、アズールに会うことも。
    「イデアさんといい、グリムさんといい、なんだってそんな特殊事例ばかりなんでしょうね。ブロット、なんて、面倒なものだとしか思っていなかったのに…」
    「面倒とは失礼なヤツだな! オレ様にとってはあの黒い石はスゲェおたからだったんだゾ!」
    「おや、お宝というなら請求しますよ、僕のオーバーブロットの後に見つかった黒い石の代金」
    「ふ、ふな…」
    「あ、あはは、アズール先輩、それは今回のお手伝いで帳消しで…!!」
    「まあいいでしょう。実際にイデアさんも体内のブロット量が減ったので十分に魔法が使えない、ということでしたし… ううん、つまるところ、どうやって魔法をつかわずに、イデアさんの体内にブロットを集めるか、ということですよね」
    「ほらみろやっぱり食べるしかねーんだゾ!!」
    「かといってあの黒い石を発生させるために毎回オーバーブロットを引き起こすわけにはいかないでしょう」
    さらに頭をひねってしまったアズールは蒼い石を手持ち無沙汰に弄っていた。イデアの分身のようなものだ。持っていると落ち着くし、微かなイデアの魔力を感じられる気がした。
    ふと、どうして、こんなに一生懸命になっているんだろう、とアズールは思う。
    イデアの魔法が使えなくったって、彼には技術がある。頭脳がある。アズールの力なんか借りなくったってある程度のことはできるだろう。
    魔法が使えなくなったところで、イデアの価値は変わらない。魔法士だけではなく全人類を進歩させるための技術を開発し続けた彼の評価が、魔法ごときで覆るはずはないのだ。
    「……あの、アズール先輩」
    おず、とユウが声を掛ける。没頭していたアズールを引き戻した控えめな言い方は、アズールを気遣っているそれだ。なんでしょう、と答えると、ユウは頬を掻いた。
    「ブロットを集めて魔法を使う、って結局自分で魔法をたくさん使うのが一番手っ取り早いブロットの貯め方ですよね?」
    「それはそうでしょう。ストレス量が多ければ多いほど、一度の魔法で溜まりやすくなる」
    「オルトくんがいないことで魔法の矛先がなくなった…だけど、…いろんなことが解消されたことで、イデア先輩の心労は少なくなりましたったなら…」
    「……なるほど。ご実家のこともそうですし、イデアさん自身が心を落ち着かせていれば、普段と同じように魔法を使っていてもブロットが大量に溜まることはない、か」
    燃料がなければ燃やすことはできない。魔法を使うイデアの状態がストレスから遠ければ、確かに今まで通りにブロットを生じさせることはできないだろう。
    悲しいかなあの一件を経てから、イデアは自分たちと歩み寄りをしたいとすら言ってきたのだ。引きこもって、コミュニケーションを取らなかったあの男が、学友たちの手を取ろうとして、適度な距離感を見出そうとしているのだから、それは確かに負の感情とは逆のものが生まれているだろう。
    ちくりとアズールの胸が痛む。孤独だったからこそ彼は強かったのに、それがなくなってしまうのはどうしようもなく寂しい気がした。
    イデアは誰とも交わらなかったからこそ、誰の目も見ていなかったからこそ、あの死者の国の王のように静かに責務を果たせていた。
    「……イデアさんは、本当に尊敬できる方ですよ。僕は、心からそう思う」
    だけど、とアズールは思う。自分は、それでもイデアに関わりたい。この感情を何と呼ぶのか、アズールはよくわからないけれど、彼の価値をわかる自分でありたいとはずっと思っている。
    だからこそ、こんなに得にもならないことにせいを出している。イデアの魔法を取り戻したいと言ったときのグリムとユウは驚いていた。アズールが、無償でそんなことをするのか、と。
    「だから、助けたいと思うんですよ。僕が、あの天才にできることなんてたかが知れているとは思うんですけど」
    恥ずかしい話を吐き捨てたアズールに、グリムとユウが目を合わせて笑う。アズールってイデアのこと意外と好きなんだな、とからかうように言われて、アズールは目を瞬かせた。
    好きだなんて、そんな俗物的な感情じゃない。大事で、失いたくない友人だ。
    「…いい取引相手ですからね。それはもう、ええ、慈悲深く、愛しておりますが」
    「嫌な笑顔なんだゾ…」
    「あはは…アズール先輩らしいや」
    はは、と笑いながらアズールも考える。ストレスの減退。それが、イデアの魔法をうまく発動させない要因となっているのであれば、何か手立てはあるだろう。
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