ワンドロ【機嫌】「書記官! なぜ却下されるのですか?」
「君たちの提出したプロジェクトについては賢者からの返答が記述されていたはずだ」
「ですが……!」
空たちが知恵の殿堂に足を踏み入れた時、アルハイゼンは数人の生徒に囲まれていた。
「アルハイゼンじゃないか!」
「そうだね」
「何かあったのか? 人に囲まれてるなんて珍しい光景だぞ」
空の隣をふわりと舞うパイモンが、考えるように顎に指先を当てる。確かに珍しい光景だ。
アルハイゼンは普段から人と関わらないように過ごしているタイプだし、何よりも対応している顔には普段の無表情とは違う感情が顔に出ていた。
「あ、アルハイゼンのやつ、随分と機嫌が悪くないか……? 生徒たち、気が付かないのか?」
「気づいてないのかも」
「そうか、アルハイゼンはいつもどこに居るかわからないって聞くもんな。生徒たちはあの顔のアルハイゼンが普通だと思ってるのか」
「機嫌が悪いってわからないのかも」
アルハイゼンは鬱陶しそうに目を細めると、食い下がる生徒に最低限の言葉だけで応じている。
クラクサナリデビ救出作戦の時に行動を共にした彼らなら、アルハイゼンが面倒そうな顔をしていることには気づけるだろう。それは祝賀会などで機嫌のいいアルハイゼンを見たことがあるからこそだ。
「オイラたち、アルハイゼンに用事があったのに。急ぎじゃないけどさ!」
パイモンが隣で呟いた時、空とパイモンの後ろからコツン、と足音がした。
「あなたたち。珍しいじゃないか、知恵の殿堂に来ているなんて」
聞いたことのある声に振り向くと、そこには紐でくるんだ紙を小脇に抱えたカーヴェが立っていた。
「カーヴェ!」
「久しぶり」
返事を返すとカーヴェはにこりと笑った。
「久しぶりだね。会うのは学院祭の時以来かな。……っと、おや」
カーヴェはパイモンと空と目を合わせたあと、何かに気づいたように目線を奥へと向ける。
「アルハイゼン?」
先ほどまで空とパイモンが見ていたアルハイゼンに気づいたのだろう。一度肩をすくめると、柔和な顔が拗ねたように尖った物に変わる。
「ふん、またどうせ生徒の提出したプロジェクトに否決の判を押したんだろう。一から十まで説明するのは面倒だが、一すらも話さずに却下をするのがあいつだからな」
「どうして却下するんだ?」
「プロジェクトを立ち上げることは様々な人を巻き込むことになる。共に研究をする生徒はもちろん、監督者として名前を連ねる官員数名、その学派の賢者の許可、そして莫大な経費と、得られると予想される新しいデータと知識。それにどれほどの価値があるのかは慎重に精査しなければならない。もちろん、僅かでも教令院が決めている根源の六罪にかかるものは棄却されるしね」
「そうなのか……」
パイモンが想像できない話に困ったような声を出す。気づかずにカーヴェはさらに話を続けた。
「大賢者へ回す前の書類に不備がないかを見るのもアルハイゼンの仕事の一つだけど、おおかた、過去に研究履歴のあるプロジェクトでも立ち上げようとしたんじゃないかな。賢者からの指示を読み解けていないんだろう。棄却された理由がアルハイゼンが却下を押したからだと思っているか……って、ちょっと待て。旅人! 今何時だ!?』
急に焦り出したカーヴェに驚いて、急いで時計を取り出す。今の時間を口にすれば、カーヴェはこれ持ってて! と抱えていた紙筒を旅人に押し付けた。
そのままアルハイゼンの方に走るカーヴェを二人は驚いた顔のまま見送る。
「なるほど。君たちがどれほど文章を読み解くことができないのかよくわかった。この件は報告を上げさせてもらう。そして、俺の言うことを聞く気がないこともわかった。仕事に私情は挟まないが、ここからはプライベートの時間だ」
「アルハイゼン!」
呼ばれた名前にアルハイゼンが顔を上げて、驚いた生徒たちが振り向く。生徒の間を抜けてカーヴェはアルハイゼンに正面から飛びつくように抱きついた。
周囲の同様に焦ったようにカーヴェは喋り出す。
「君に渡すものがあって、ええと。だから」
「…………」
抱きついたまま顔を後ろに向けて、生徒たちにカーヴェは笑いかける。
「君たち、悪いけど、……あーっと書記官に用事があるんだ。続きはまた明日でいいかい?」
「明日は休みだ」
黙っていたアルハイゼンが答えると、カーヴェはじゃあ来週で!と大声で返す。
生徒たちは戸惑いつつも散りじりになってその場を離れていった。
人がいなくなる頃にはカーヴェはアルハイゼンから離れて向かい合うように立つ。空とパイモンも小走りで二人に駆け寄った。
「アルハイゼン! カーヴェ!」
近づくと何かを話していた二人が同時に旅人とパイモンに振り返る。
「あぁ、驚かせてすまなかったね」
「いたのか」
紙筒をカーヴェに渡して、アルハイゼンを見る。先ほどの不機嫌さは浄化されたように消え失せていて、隣を浮遊するパイモンは首を傾げた。
「アルハイゼン、さっきまであんなに不機嫌だったのにどうしたんだ? というか、カーヴェびっくりしたぞ! お前もどうしたんだ!」
「あぁ……昔似たような状況で、授業が終わった瞬間にアルハイゼンが先輩と乱闘したことがあって。まぁ最初は一方的にアルハイゼンがやられてて、僕が加勢して……こいつ終業時間になった途端反撃し始めるんだよ。だから今回も定時超えたからまずいと思って」
「あの時は君が横から入ってきて殴られたんだろう」
「仕方ないだろう! 君に当たるかと思ったんだ!」
「避けれる算段はしていた。それに研究時間中の乱闘は継続に悪影響を与える。研究外なら問題はない」
「だからって耐えるのは正解じゃない。って、やめだやめだ、君と研究の時の話を始めると終わらない」
カーヴェは首を振って紙筒を抱え直そうとする。それをアルハイゼンが数個、横から取り上げた。
「おいっ何をするんだ!」
「君はいつ戻ってきていたんだ」
「今日の昼過ぎだよ。この時間なら資料室にいるだろうと思ってこっちに来たんだ」
「戻るのは明日じゃなかったか」
「早めに終わったんだ。予想通り建材が早めに乾いてね。猶予を一日とっていたが、ひと足先にシティへ帰ってきた」
「報告は」
「終わったよ。この紙筒は家に持って帰る分。ようやく身軽になったから、君を探しにきたんだ。まさか僕が大規模な工事に行く前にした約束を忘れていないだろうね?」
「酒場のセール期間は今日からだったな」
「そうさ! だから明日も今日も行けばいい!」
「どうせ、どちらも俺が奢る羽目になるんだろう」
「おい! 僕が稼いでいないようなことを言うな! まだ報酬が入っていないだけだからな!」
「では報酬が入った時には君の奢りで酒が飲めるということか」
「どこかの家主が家賃徴収を諦めてくれたらな」
「どちらにしても今日明日の酒代だって借金に加算されるだけなんだ。家賃を借金に回せばいい。支払う金額は変わらないだろうが」
「君ねぇ。随分機嫌がいいと思ったらそうやって皮肉ばかり……あ、そうだ」
カーヴェはようやく思い出したように振り返って、旅人とパイモンに笑いかける。
「君たちも良ければ酒場に一緒に行くかい?」
カーヴェの後ろに立っているアルハイゼンが目を細めるのが見えた。先ほど生徒たちに囲まれていた時の不機嫌さは嘘のようで、カーヴェに機嫌がいいとまで言われている。
その理由の全てを察したかのように、旅人はパイモンに目配せをして両手を体の前に掲げた。
「いえ、遠慮しておきます……」
「そうなのかい?」
「懸命な判断だ」
「ん? 何か言ったか。アルハイゼン」
「何も」
また向かい合う二人に別れの挨拶をして、旅人とパイモンは全速力で知恵の殿堂を後にした。
End