ワンドロ【涙】 彼が泣いたところを、僕は見たことがなかった。
『君と……友人になんてならなければよかった』
感情のままに発した言葉は、空気に溶けて二人の間に消えていく。共同研究が破綻するきっかけになった喧嘩の時、僕は冷静ではなかった。
深く刺さったアルハイゼンからの言葉の刃に心臓は暴れて、視界が歪んでいたのを覚えている。
これはただの夢だ。
だって、僕は泣いている自分自身を少し遠くから冷静に見ている。
草神が救出されスメールの人々が夢を見るようになった今。自分のみる夢は昔の記憶をなぞるように、半生をゆっくりとたどるものだった。
見送った父の笑顔も、船から手を振る母の姿も、知恵の殿堂で座るアルハイゼンの瞳も夢の中で見た。そうして今夜、とうとうこの場面が来たのだと遠い意識の中で思う。
教令院の制服を着た幼いアルハイゼンは、同じ制服姿のカーヴェの発した言葉に目を見開いて、何かを話そうとした口を閉じた。
この時、自分はアルハイゼンからの言葉を聞く前に逃げ出したと記憶している。その通りに、帽子を乱暴に掴んだカーヴェは部屋から出ていった。その姿を見送ってから数秒迷い、意を決して立ち尽くしているアルハイゼンへ目を向ける。
「…………」
あの瞬間のアルハイゼンを見たのは初めてで、僕は心臓が止まるかのような衝撃を受けた。
制服姿のアルハイゼンは言葉もなく立ち尽くし、ただ静かにハラハラと涙を流していた。丸みを帯びた頬には雫の跡。その上を、水滴が流れる。
言葉も発しないまま静かに泣く姿はどうしようもなく僕を狼狽させて、触れることができたならすぐにでも抱きしめていただろう。
アルハイゼン。
言葉にならない声に、涙を流し続けるアルハイゼンは気づかない。
避けられない罪悪感からだと核心をついた彼の言葉は、幼い僕の本心を突き刺し痛みを感じさせた。友人にならなければ良かったと告げた言葉は、同じようにアルハイゼンを傷つけていたのだろうか。
彼が僕のことを、僕と同じように友人と思っていたと知っていたのに。
友人にならなければよかったなんて言葉、本心ではなかったと今は理解している。だってあの頃から、僕は君のことが好きだったんだから。
そう思ったと同時に引っ張られるような感覚があった。早く会いたくて、僕は目を閉じた。
「カーヴェ?」
聞こえる耳障りの良い低音に顔を向ける。眩しい光を瞼の向こうで感じて目を開く。目尻に指先が触れたと思えば、そのまま頬を撫でられた。
開いた視界には、アルハイゼン。先ほど夢で見ていたのとは違い、整った顔は大人の顔つきになっていた。
「どうかしたのか」
本を読んでいたのだろう。ベッドの枕元に座って片手に本を手にしたアルハイゼンはカーヴェを見下ろす。その顔が夢の中と重なって、寝起きの身体を軋ませながら指を伸ばした。触れた頬は乾いている。それにどうしようもなく安堵した。
「教令院の時の夢を、ね」
「あぁ……」
僕が見ている夢を知っているからだろう。言葉を濁すアルハイゼンに愛おしさが込み上げて、朝日に包まれたベッドで笑う。
今日は後輩の恋人をとことん甘やかしてあげよう。
そう心に決めて、まずは一つ目。
頬から指先を滑らせ彼の首の後ろに手のひらを回す。そっと引き寄せて、驚いた顔にごめんねのキスをした。
End