「郷義弘が作刀、名物、松井江。歌って踊るよりは流し流されの方が得意かな。何をって? ……フ、血に決まってるだろう?」
鍛刀部屋で薄桃色の花びらを手に受けながら、僕は顕現の口上を述べた。血に塗れた僕だというのに舞う花弁は真っ赤ではないらしい。
「久し振り、松井」
僕を喚んだ審神者の横に立つ刀剣男士が僕の名を呼ぶ。
聞いた事がない筈なのに聞き覚えのある声。
見た事がない筈なのによく見知った姿。
「桑名?」
「うん、そうだよぉ」
目の前の男士の体躯を頭の先から足の先まで眺め、へえ、桑名って人の身を得るとこんな風なんだ、などと独り言ちる。不思議そうに小首を傾げた桑名に対して、なんだか胸の辺りがふわりとした。
では松井江を頼みます、そう云って審神者が退出し、鍛刀の為に充満していた神気のような張り詰めた空気が一掃され、部屋の中は穏やかな雰囲気に包まれる。
「じゃあ、行こうか」
「血を流しにかい?」
「着替えに、だよぉ」
「着替え?」
改めて自分の姿形を見渡した。とは云え、両手を開いたり腰を捻って背中側を振り返ったりしてみても、いまいち自身の様子が把握出来ない。
「顕現された時はみんな、戦装束を着てるよ。僕が今着てるのも、そう」
「血を流す為に顕現したのだから、戦装束のままで良いのでは?」
「戦以外もしなくちゃいけない事はあるよ。まず松井は人の躯に慣れるところからだね」
ふうん、と適当に相槌を打ち、鍛刀部屋を出る桑名の後ろについて本丸の中を歩き始めた。
三和土を踏んで、庭へと出る。硬い土や軟らかい土、砂利の感触が履き物の底から足の裏に伝わってきた。
「……平気、なんだね」
先を歩いている桑名が振り返って僕に訊ねる。前髪で隠れていて定かではないが、一瞬視線が下を向いた気がした。
「何が?」
釣られて僕も足元を見る。特に変わったものはないように思えた。
「ううん。別に」
「変な桑名」
「そういう風に顕現したのだから平気なんだろうねえ。あ、ここだよぉ」
鍛刀部屋や母屋が見渡せる場所にある小さな離れ。桑名が先立って沓脱石で履き物を脱ぎ、縁側へと上がった。
「ちゃんとした入口はあっちにあるけれど、僕は大概ここから上がっちゃうかな」
畑がこの先だからここの方が便利なんだよねえ、とその畑が在る方を見やり、それから僕を手招きする。
「後で畑も案内するよ」
「……畑には用事は無いかな」
「そんな事云ってられないからね。当番だってあるし」
戦う為に顕現したのに畑当番とは一体どういう事なんだろうか。首を捻りながら縁側の端へと腰掛け、履き物に手を掛ける。桑名は沓脱石の上でするりと履き物を脱いでいたが、僕の靴はどうやらそういう訳にはいかないようだった。
脱いだ靴を桑名のものの横に並べる。色や形だけじゃなくて大きさもかなり違う。
「はい」
まじまじと見比べていた僕の目の前に桑名の手が差し出された。広げられた手のひらと桑名の顔を交互に見て、それからそっとその手の上に僕の手を乗せる。ぎゅっと握られた手は何故がとてもあたたかい。
「松井の手は冷たいねえ」
「桑名が熱いだけじゃないか」
「そうかなあ。まあ、とにかく早く立って。着替えるよ」
「ああ」
握った手で引き上げられて立ち上がる。正面、少し上に桑名の顔。
「?」
おや?
何かが違う。
さっきまで桑名の視線は真っ直ぐに僕に向かっていたし、僕は桑名の前髪に隠れた目を真っ直ぐに見れていた筈だ。いや、もしかしたら見れてなかったのか?
「どうしたの?」
「いや、え、ちょっと……」
思わず視線を逸らして顔を背けてしまった。
「僕の身体、どこかおかしくないか?」
「おかしくないと思うけど……鏡、見る?」
桑名はいきなり僕の背後に回り、肩を押しながら部屋の中へと押し進む。奥の物入れの前の大きな姿見の向かいへと立たされた。
「え……」
鏡の中には細く華奢な体躯の僕と、僕より少し背の高い桑名の像が写っている。
「さっきまで少なくとも背の高さは変わらなかったのに」
「背?」
僕の小さな声を拾って桑名が首を傾げた。そして「ああ!」と一人納得して縁側へ出ると、沓脱石の上に置かれた僕の靴を掲げた。
「この踵、ひーるって云うらしいんだけれど、これの所為じゃない?」
確かに僕の靴の踵は細く高くなっていて、桑名の靴にはそれが無い。
あたらめて鏡を覗き込む。桑名と鏡の中の僕とではどこもかしこも全然違った。
「なんか、狡い」
「なんか云った?」
「なんでもない」
口惜しいからずっとひーるの靴を履いていたいけど、そういう訳にはいかないんだろうか。
‥了