彷徨う果てに「ミスラ、あの、苦しいです…。」
「そうですか。」
「少し緩めてほしいなぁ、なんて…。」
「嫌です。」
頭上で呟くそれに合わせて、晶を抱える力が増した。
添い寝を始めた当初は、眠れなさそうならば諦めて途中解散することもあったが、最近ミスラは晶を離さなくなった。傷の緩和に成功しているかと問われれば、否と答えるしかない。相変わらず、賢者の力とやらは気まぐれだった。
ケダモノと称される彼だが、晶と共に眠る姿はまるで幼い子供のようだ。これでも割と加減してくれているらしく、晶は苦笑いを浮かべる。
(いつから、添い寝が当たり前になったんだっけ。)
ミスラの傷が分かってからか。いや、最初は手を握るだけだった。そこから定期的に通うようになって、それから。
うとうとと微睡み始めた頭は、思考を放棄する。記憶を遡ろうとして、ついには手放した。
「おやすみなさい…ミスラ。」
♢
それは、ほんの少し遡る。
夜が深まり、魔法舎全体が寝静まった頃。
ミスラは徐ろに目を開ける。
何故起きてしまったのか、寝起きの頭でぼんやり考えるも、それよりも前に、傍らにいたはずの気配がなくなっている事に気付いた。
手を伸ばすと、まだ温い。晶が居なくなってから、それほどの時間は経っていないはずだ。
仮に晶が水を飲みに行ったとしても、今のミスラに待てはできない。端的に言えば、全く寝足りなかった。一刻も早く二度寝をする為、ミスラはもそりと起き上がる。
「全く、世話が焼けますね。」
独りごちたそれは、闇夜に消える。晶の部屋を出て、気配を探りながら不本意な散歩が始まった。
一階に降りて、食堂やキッチンをぐるりと見渡すも、晶はいない。この時点で、既にミスラの機嫌は底辺に落ちていた。
いっそ魔法で呼び寄せるかと思い浮かぶもの、以前それをやったら何かの最中だったらしく、ものすごく怒られた事を思い出す。また怒られたら面倒だとため息を吐き、ミスラはその場をあとにした。
そのまま2階、3階と散策するが、全て空振りだった。眉を顰め、苛立たしげに舌打ちをする。
そして、最後に辿り着いたのは。
「…またここに来たんですか。」
エレベーターの扉に寄り掛かるようにして、晶は目を閉じていた。何も羽織らず、素足のままで。
ミスラが顔を覗き込むと、穏やかな寝息が聞こえてくる。指先も足先も体温を奪われ、生きているか不安になる程だ。
晶本人は、気付いていない。
幾度も夜を彷徨い、その果てに、エレベーターへ縋っている事を。
その度に、ミスラが連れ戻していることを。
恐らく、元の世界に帰ろうと、無意識に身体が動いている。
晶が帰りたがっているのは知っていた。それは本人も公言していることだからだ。
ミスラもまた、賢者とはそういうものだと認識している。毎年来る、その時限りの弱い人間で、役目が終われば帰るのが常だ。
けれどどうしてか、晶がこうしてエレベーターの前に来る度に、心の内が騒めき、言い知れぬ衝動が沸き起こる感覚がした。
その気持ちに名前を付けることが出来ないまま、ミスラはまたため息を吐く。
「まだ、帰らせませんよ。」
晶の肩と膝下に手を入れて、ゆっくりと抱えた。体勢が変わり、ぴくりと一瞬動きを見せるが、またすぐにすうすうと晶は眠る。
連れ去られているのに、あまりにも無防備で、そして無垢だ。
『アルシム』
呼び出された扉は歓迎するかのように、大きく開く。その先に映し出されたのは、晶の部屋ではなく、ミスラの部屋。
ここの所、晶の彷徨う頻度が増している。それに気付いているのは、ミスラだけだ。
どうすれば、晶がエレベーターに行かなくなるだろう。
一番手っ取り早いのは。
晶をベッドに下ろすと壁際に寄せ、逃げ場のないよう抱え込む。ミスラが触れても、晶は身じろぎ一つしない。あまりにも静かに寝入るものだから、戯れに胸元へと顔を寄せた。
「…。」
鼓動が、規則的なリズムで刻まれていく。それはどうにも心地よく、不思議とあれほど遠ざかっていた睡魔が寄ってきたようだ。
くぁ、と欠伸を漏らすと、今度こそ晶が出て行かぬよう抱きしめ直し、ミスラは目を閉じた。
♢
ミスラは晶と毎晩眠るようになった。
手を繋ぐだけではなく、抱き締めるようにして、今日の出来事を密やかに語り合う。
そして強請るようになった事が一つ。
「晶、ボタンを外してください。」
「…ん、待ってください。」
晶の胸元に顔を寄せ、その鼓動を聞き入る。
いつの日からか始まった、新しい習慣。
こうするようになってから、晶はエレベーターへは行かなくなった。