【11月新刊予定】MAGIC is LIGHT 1 Chapter 1 Green Flash
うちの寮には、とびきり目立つ六年がいる。
「おい、凪! いー加減歩けって!」
よくもまぁ。こんな大きな食堂で堂々としているものである。スカーッと涎を垂らして菫色の髪の少年に担がれているのは、実は百九十センチもある男だ。魔法界には大男がいるのも事実なのだが、この魔法学校に入学してくる生徒は魔法を使わなければ人間と変わらぬ身体的成長を遂げる。というわけで、百九十センチははっきり言って長身の部類だ。なんとも羨ましい。それはともかくとして、誰だってそんな長身を担ぐことなど滅多にないし、そんな身体的疲労が見込まれるなら、ましてや魔法学校の生徒なら、魔法を使う場面であろう。魔法を使わず巨体をおんぶする姿に生徒はこういう反応を示す。
「玲王くん、今日も大変だね」
「ホントだよ! これで食堂連れてかねーと後から『お腹すいた〜』って文句いうんだからよ、参っちまうよなぁ!」
さらりと髪を靡かせ振り向く王子様スマイル。話しかけた女子生徒は、ほぅと頬を赤らめる。複数の寮生が出入りする食堂は今日も賑わいを見せていた。
「玲王、おはよう。今日も朝から大変だな」
「おー、おはよ! ちょっとでも魔法使うとさ、こいつ煩いんだよ。ちゃんと運んでよーって」
「いや、重いだろ?! どう考えても……」
「まぁ、箒蹴球の試合も近いし、いい筋トレだな!」
ハハッと屈託なく笑うこの高潔な少年、御影玲王こそ、うちの寮が誇る期待の有名人だ。容姿端麗、頭脳明晰、入学試験は首席だとも噂される玲王の家は魔法一家の血族で、完璧なる純血の家系で育った。しかも、玲王の父は魔法省の中にある魔法管理庁魔法具流通部の魔法使いで、同時にMIKAGE社の社長なのである。古くからの伝統で作られる魔法具の安全と保証、更には生産と改良が日々行われ、最近の魔法具は殆どMIKAGE社のマークが刻まれている。だから「あのMIKAGEの御曹司」がやってきたというだけでも目立つのに、彼のポテンシャルと溢れるばかりの才に、すでに周りはほっとくわけがない。
「あ、玲王様いる〜! 今日も素敵……」
「また寝太郎おんぶしてる〜」
「あいつ、玲王くん以外と喋ってるの、見たことないよね」
「でも寝太郎もすごいんでしょ? 魔法史、この学校で初めての満点だって先生が……」
「えー、あれが?!」
「あいつ、悔しいけど箒蹴球もすっっげー上手いよ。ルール全然知らねぇくせに。授業もいつも寝てるけど補習で見かけたことねーから出来る奴なんだと思うよ」
「あの玲王様といつもいるんだもの。じゃなきゃ一緒にいないでしょ、寝太郎はマグル出身だし」
時代が移ろいでも純血が多数派を占める魔法学校で、混血への偏見はなかなか払拭されない。特に凪誠士郎の両親はどちらも人間であるという噂だ。それなのに、魔法が優秀なのである。
「あれでしょ、玲王様が言っってる。そう!」
「「「『凪は俺が見つけた宝物』」」」
玲王だけでも十分目立つ生徒のに、一緒にいる凪誠士郎も相当な変人、もとい有名人なのである。
「ほら! 凪! 食わねーと持たね〜ぞ! 今日は朝から実技もあるし」
ふあぁ〜と大きな欠伸をして玲王の隣に当たり前に座る銀髪は、「めんどくさ〜」と言って口を開けている。それを「しょうがね〜なぁ、もう!」と玲王が朝食を口に放り込んでいく。
「ほんと、朝が弱ぇなぁ、凪は!」
──こっちは何を見せられているのだ……
あんぐりと口を開け口の端から涎を垂らしたまま、「あ〜ん」と凪に餌付けする玲王の一部始終を盗み見している生徒は何十人いるのだろう。それを知らないのは本人たちだけだ。何せこれが二人の日常風景なのだから。
何をしてもこの二人は目立つ。なぜなら、いつも一緒にいて、「そんなにひっつく必要はあるのか?」というほど距離感が近いからである。
「モタモタしてたらこんな時間じゃねぇか。ほら、凪。いくぞ」
「えー……、めんどくさぁ」
「俺だって疲れるんだから歩け!」
んー、と気だるげに返事をした凪は玲王を後ろから抱きしめるように首に纏わりついた。半分引ずられようにして歩いているその姿は、新婚かラブラブカップルのそれに近い。
「……おんぶはしねーぞ?」
「わかってるよー」
この二人のニコイチ感は学校全体に知れ渡っている。有名人とはそういうものなのだ。
「凪! 玲王! おはようっ! 今日も相変わらずだなぁ!」
「プリンス! おはようございます」
「クリス、おはよ〜」
「こら! クリス先生だ! 先生を付けなさい、二人とも!!」
先生とも生徒とも関係は良好、座学、実技共に成績もトップクラス、二人とも箒蹴球の選手に選出、おまけにあの容姿と来たら騒がれない理由がないのである。ただ──
──凪誠士郎が目立つのは面白くない
そう思っているのはきっと俺だけではないはずだ。俺は単純に凪誠士郎が羨ましかったのかもしれない。あの御影玲王とたまたま入学年月日が同じで、たまたま同じ寮で隣で寝ることを許され、ちょっと魔法が優秀だからというだけで気に入られて、いい気なもんだ、と。
俺はあの二人より一つ年上だが、寝室の大部屋が隣で、何かと世話を焼いてきた。先輩として、二人の生活指導は責務の一貫で、だからこそ自然と目が追ってしまう。凪のだらしなさに、横にいる玲王が世話を焼く様子が、日々何故かイライラしてしまう。理由はわからない。何かに取り憑かれたように二人のことが気になった。執着と言っても過言ではない。だから、あの二人の様子を盗み見た肖像画の女の言葉が俺には気掛かりだったのだ。
「ねぇ、あの二人って、深夜にこそこそ出かけてるのよ。知ってた?」
ある肖像画の女と俺は仲が良かった。いつぞやか、絡まってしまった髪のリボンを解いてやるのを手伝ってやったことがあったからだ。二人のことをなんだか気になっていることもさらりと伝えていた。
「どこに?」
「ふふふ、知りたい? じゃあ、私の謎なぞが三つ解けたらね」
肖像画の女は基本暇なので、謎なぞ遊びに小一時間付き合ってやると、やっと凪と玲王のことを教えてくれた。
「クリス・プリンスが持っている姿見が玲王は好きみたい。クリスの衣装部屋にあるその鏡がある部屋を貸してって玲王がお願いするのを見たわ」
うちの寮監は六年生(凪と玲王の学年)の担当教諭でもあるクリス・プリンスだ。クリスの部屋は小さな隠し部屋がたくさんある。衣装部屋、魔法具部屋、昼寝部屋、ティータイム用とトレーニング用の部屋……隠し扉が何個もあるが一体本当は何部屋あるのかはクリスしか知らないらしい。
「姿見……、なぜだい? 何か外の世界でも映すのだろうか?」
「さぁ? 鏡だって今はいろんな用途で使われるし、そこまではわかんないわ。でも凪誠士郎もついて行って、二人でこっそり子の頃に帰ってくる」
何故深夜なのか、昼間の空き時間もあるのに、人気のいない時間を身計らって部屋を借りるとなると二人は何かをしているのではないか。
「毎日?」
「そんなに教えて欲しい?! なら、今日の夕食で出るデザートのプリンを頂戴? そしたら教えてあ、げ、る」
全く女は我儘がすぎる。結局夕食の時間に出たデザートをこっそりローブの下に隠して肖像画の女に持って行った。凪と玲王は相変わらず生徒たちの中心にいて(いや、違うな。中心にいるのは玲王だけで凪は玲王の隣にただいるだけだ。)特に玲王と寮が違ったり学年が違う生徒が玲王と話したいがために変わるが変わるやってきて群がっていた。
「あの二人ね、毎日じゃないのよ。でも今夜はいくわね」
女はプリンを頬張りながら勿体ぶって言った。
「規則性があるのかい?」
「大体、月明かりで明るい夜に出かけるのよ。ロマンチックね」
先生に部屋の使用許可もとり、月夜の晩に二人で姿見がある部屋を使う。何かある──二人に隠された秘密を暴くために、俺は先輩から引き継いだ『忍びの地図』を使って、今夜クリス・プリンスの衣装部屋に侵入することを計画した。
肖像画の女の言う通り、二人はみんなが寝静まったあと、こっそり寝室を抜け出していた。俺はクリス・プリンスのクローゼット近くに出る秘密の通路から二人がそこで何をしているのかを覗き見ることにした。月夜のおかげで二人がいる場所は明かりをつけずともぼんやり何をしているのかが分かる。しかし二人に見つかっては元も子もないない。俺はカーテンの後ろに回って、二人の様子をカーテンの隙間から覗き見た。
凪と玲王は姿見の正面に並んで座っていた。ボソボソと小さく談笑する二人の声が聞こえる。上手く聞こえないので「ソノーラス」と唱え、魔法で二人の声をこっそりこちらに音を響かせた。
「なーぎ」
「……何?」
キラリ──何か、緑色の閃光が見えた。鏡の上から二人に向かってキラキラと落ちてくるような光は月明かりが鏡で反射されているのだろうか。あまりお目にかかることのない翡翠のような光。
「なぁ……、俺に……。言って?」
玲王の声音がいつもと違う。甘く柔く、猫撫で声のような妙な艶っぽさがあり、本当に玲王が発している言葉なのかと耳を疑った。
「なーぎ?」
「レオ……欲しい」
「うん……」
「俺は、レオの全部が欲しい」
「うん……」
「俺に服従してくれる?」
「うん……」
ぼわり、と緑の光が大きく光る。二人は向き合わない。なぜなら鏡を介してお互いを見ているのだろう。
玲王の様子は完全に人が変わったようだった。さっきまでは嘘のように人形のように相槌を打つだけになった。
「レオ、俺のこと褒めて。それから、いっぱい撫でて」
「なぎ……」
玲王の左手が凪の頭をふわふわと撫でた。
「今日も練習いっぱい頑張ったなぁ」
「うん」
「俺のボールで凪が得点した凪、めっちゃカッコよかったァ……」
「そっか」
こてん、と凪の肩に玲王の頭が乗るようにもたれかかった。この不思議な違和感──玲王の表情は後ろからは見えないが、まず言わされているかのようなゆっくりとした口調、声音や声色で恍惚として言葉が宙に浮いているようだ。
「レオ」
「なーに」
「……キスして」
え、と思うと程なくして、レオが凪の口にチュッと躊躇なく口付けた。
「もっと」
「……ん」
玲王は凪の顔中にキスを落とした。おでこ、瞼、鼻先、頬、唇。キスはどんどん下の方に下がっていって首筋の匂いを嗅ぐようにスリスリしながらチュッチュ、とバードキスを繰り返す。
「レオ」
凪が名前を呼べば玲王はぴたりと動きを止める。ぼわっとまた緑の閃光が見える。
「口開けて?」
凪は何をしようとしているんだ、とカーテンの隙間を凝視した。
──杖?!
玲王の口の前に差し出されたのは、杖──だと思ったがそうじゃなかった。凪の人差し指が玲王の口に近づいていく。
「舐めて?」
「……は、ん……っ」
玲王は凪の言われるがまま、指を棒付きキャンディーのようにペロペロと舐める。程なくしてぴちゃぴちゃと水音が響いて、時折、玲王が苦しそうに「んっ」とえずく。
「指増やすね」
「ん……っ、あっ」
これは──ちょっと見ていられない。そう思ってそろそろと来た道を音を立てずに戻り、確信した。
──絶対おかしい! 凪はどう考えても、御影玲王に魔法をかけている。
⌘
『服従してくれる?』
そう、凪誠士郎は言った。これは、許されざる呪文である──というのは図書館で調べればすぐに分かった。我々魔法使いが使ってはならぬ魔法の一つ。これらの呪文は一七一七年に人に対して使用することが禁じられており、仮に使用した場合、牢獄で終身刑を受けるに値する。
「……服従の呪文を受けた者は、『頭のなかに漠然とした幸福感のみが残り、最高にすばらしい気分になる』か」
御影玲王はまさにそんな状態だった。いつもなら饒舌で、凪の世話を焼く優等生な玲王からは想像できないような甘ったるい恍惚とした声──まちがいない。
なぜ、闇の魔術の知識あるのか──
いや、凪誠士郎には何か秘密があるのかもしれない。御影玲王を取り入っていたこと自体が何が大きな力が働いて、玲王が操られていた可能性だってある。他の生徒たちも洗脳しているのか? 考えれば考えるほど凪誠士郎は闇の魔術の使い手だと裏付けられていった。
「おい、セイシロー。ちょっといいか」
同じ寮だから、凪に声を掛けるなんて容易い。しかしいつも隣には玲王がいる。それでも常に一緒にいるわけではない。玲王が監督生と何やら話し込んでいる隙を見て凪誠士郎に話しかけた。
「いきなり何?」
「お前……友達になんてことしてるんだ?」
「……はい?」
「とぼけるなよ。お前が玲王に施していることについて聞かせろよ」
凪の目は闇夜みたいに真っ黒な目になった。警戒している。
「先輩? すみません、凪に用ですか? こいつ、コミュニケーションとか苦手で……」
さっと俺と凪の間に割って現れたのは勿論玲王だ。
「玲王。俺たち純血が混血やマグル出を忌み嫌うのは、何か秘密があるんじゃねぇかっていう恐怖からだ。警戒心が身を救うこともある」
玲王も妙な気配を悟ったらしい。二人とも無言で俺を見た。
俺は玲王を救うために証拠が必要だと思った。今、突いてもかわされるだけと判断し、「次に会った時、詳しく聞く」と言い残して去った。
⌘
今日は満月でもないのにやたらと明るい夜だった。雲が晴れ渡り、空には月しか無かった。狼男も今日なら吠えるだろう明るい月夜、やっぱり凪と玲王は部屋を抜け出した。肖像画の女に確認をすれば、小一時間前にここを出ていったと言う。忍びの地図からまたクリス先生の衣装部屋のクローゼットに出る道を進み、音を立てないようにして忍び込んだ。
ぬちゅぬちゅ、と下卑た水音がして、カーテンの隙間から白と紫のシルエットを捉える。
「レオ、もっと奥までチューチューして?」
「……んん」
凪の指を三本ほど玲王が咥えるようにして一生懸命舐めていた。涎まみれの玲王の顔は正直人違いなくらい違う人間に見えた。
キラキラと緑の閃光は星のように瞬いて時折それは生き物のようにぼわっと丸く光る。
玲王のキリリとした眉は下がり、意志が全く感じられない。異常な光景だった。
「レーオ、なんでも俺の言うこと聞いちゃうの?」
「……ん、ふ」
叡智の塊でできたような玲王が、こんな呂律も回らないようになってしまうなんて──
これは聞いた話だが、凪誠士郎はこの魔法学校に来るまで、自分が魔法使いであることを知らずに人間として生きていたという。人間界で魔法を使いこなしていたのに、新聞沙汰にもならず、人間に不審に思われずに生きていた稀有な存在だったのを、何の因果か見つけ出してこの学校に入学させたのが御影玲王だったらしい。その証拠に、彼の魔法具全てが御影社の物で、大体玲王と同じかお揃いなのである。凪と凪の実家はどういう状態なのかよくは知らないが、年数回ある帰省も御影玲王の実家へ行っているようである。そんな個人情報をなぜ同じ寮にいるだけで知っているかというと、玲王はそれだけこの学校で目立つ生徒で、また凪も同じくらい目立つのだ。
「なーぎ……」
二人は来年最終学年。監督生になることはほぼ確実だろう。この学校を背負い、卒業後は全ての富を手に入れるはずだ。父親よりも地位が高くなるとすれば、魔法省のお役人か、はたまた父親のように魔法ビジネスの世界を広げるのか定かではない。そんな玲王が、誰かの術中に易々ハマる、なんて。
そんな魔法を上級生を差し置いて行えるか。しかし、凪誠士郎ならやりかねない。彼の力は謎に満ちているが、それを一番買っているのが御影玲王なのだ。あの御影玲王が実力を認めている、ということはこの学校の教師が認めるよりも価値があるとなのだ。
──玲王を助けるしかないだろ
凪の出生が信用に欠けるところ、めんどくさがりやで友達がいないところ。また、あの御影玲王に取り入るところを見ると、何か企んでいることがあるかもしれない。
「そんな甘えた声出してると、もっとすごいこと頼んじゃうよ?」
今も厚手の濃紺のカーテンの向こうで二人とも蜂蜜をドロドロ溶かしたような声を出している。
「……ン。いーよ」
いつもの御影玲王では考えられない──それは、絶対だ。
「ほんとに何でも?」
凪誠士郎も凪誠士郎だ。いつも「仕方ないから一緒にいるんです」みたいな顔して玲王の隣にいるくせに……
──そう思わせて油断させて、呪文をかけたってことだな
御影玲王にどんな願いを聞いてもら王としてるのか、そう聞き耳を立てて俺は開いた口が塞がらなかった。
「じゃあ……ぜんぶ、脱いで」
──ハァ?!?! 凪誠士郎、変態か?! いや、違う。脱がせた方の持ち物に何か秘密が……、流石にこれは断るだろう。
玲王は何も言わない。あまりに静かで何も物音がしなかった。だからこそ、衣擦れの音が鼓膜に気づいた時に咄嗟に動き出してしまいそうな衝動を抑えた。もうこうなったら突撃して──!
そう思った矢先だった。
「おーい、凪と玲王。まだこの部屋にいるのかい?」
暗闇はパッと明るくなり、同じように明るい声の主がドアを開ける音がした。
「ごめんなさい、クリス先生。凪の魔法史学の話が面白くてずっと聞いてました」
「そうか。凪は歴史をよく知っているらしいな。魔法史の先生もそれは褒めていたが、もう寝なさい。明日のパフフォーマンスに差し支えるだろ」
「……はい」
「深夜の徘徊者って、まさかお前らじゃねーだろうな?」
「……許可取ったのに?」
「この時間はやめとけ。見回りに俺がドヤされる」
「すみませんでした、プリンス……」
優等生らしく答えた玲王のローブの下がどうなっているかを知っているのは凪と俺だけだろう。最悪だ。何故、玲王にそんなことをさせるんだ。
「ほら、凪も!」
「いいところだったのにな〜」
「違うだろ?!」
「……ごめんなさーい」
何とも変態くさい台詞を吐くものだ。パタンと三人が部屋を出て、三人の話し声が遠のき音を失った。誰もいなくなったことを見計らって俺も静かに隠し扉の方から部屋を出る。
「ねぇ。あんたさぁ、悪趣味じゃない?」
げ、と思ったが、もう相手はその声は誰かわかっている。こっちだって聞きたいことだらけだ。
「それはお前の方だろ、セイシロー」
「……どーゆうこと?」
「とぼけるな。お前玲王に『服従の呪文』を使っただろう? 玲王をいいなりにしてどーするつもりだ? ミカゲごと乗っとる魂胆か?」
あんなに凪のことを庇っている玲王が可哀想だ、と俺は思った。可哀想なマグル出身者をエリートが囲ってやっている。だからこそ、こんな闇の魔術者に唆されてしまったのだと、そう疑っていなかった。
「服従? そんな魔法使えるならとっくにお縄行きだね。退学決定だ」
「そうだ……! でも俺が証人だ。俺はお前が玲王に呪文をかけていたのを……」
「へぇ、なんて言えば使えるの? それ」
そう言われてハッとした。確かに、凪が玲王を服従させるスイッチは一体何だったのか? 急に態度が一変したため、絶対にそうだ、と疑わなかった。
「服従しろ、と言ってただろ?」
「それは呪文じゃないよね」
「む、無言呪文だってありえる! お前の杖の先が緑に光っていただろう?! 禁止呪文を使う物は緑の光が出るって……!」
あれ──話していて矛盾が出てくる。確かに無言呪文で玲王に魔法をかけたとして、玲王は凪が杖を自分に向けたのなら警戒して抵抗するに決まっている。杖を取り出す、人に杖を向ける、そんな行為が仲が良いだけで通じるはずがない。自分に魔法をかけますよ、の状態で側にいることなど、どんなに仲がよくたって無理だ。
「もうちょっと魔法史は勉強した方がいいんじゃない?」
凪が俺の方に近寄ってくる。俺は咄嗟に杖を出した。
そうだ、こうやって相手が杖を出すというのは戦闘体制。じゃあ、なんで玲王は凪が杖を出したのを黙って受け入れたんだ。それとも、もしかして──杖を出していなかった?
「インペリオ──禁句である服従の呪文。魔法学校にいる一生徒が唱えるだけで使えるんなら苦労ないよね。というか、緑の光が出たっていうのは、『死の呪い』で名前を言ってはいけないあの人の一派が起こした歴史的大事件で緑の閃光が確認された話のことだよね。今は電球の色味くらい人間だって変えられるよ。馬鹿なの? 寮名が泣くよ」
「ち、違う!! 服従の呪文をかけられた人の特徴が玲王が似て……」
「ねぇ、そういうのが悪趣味だって言ってんの」
咄嗟に攻撃呪文を唱えようとするのに、凪が距離を詰めて来て、物理的に俺の杖の先を持つのが早かった。魔法より動作が早いって何なんだ。杖は廊下に弾き出されてしまった。あっ、と思った時には胸ぐらを掴まれていた。百七十センチしかない俺は百九十センチある凪は体格で叶うことも、魔法力で叶うことも、ましては頭脳でさえも勝つことは叶わない。でも上級生として、ここは負けられない。
「れ、玲王を解放しろよ! あの御影玲王はお前が好き勝手やっていい奴じゃねぇんだよ!」
悪役に最後まで報いたい。そんな思いで俺は叫び続けた。この凪って奴は正直最初から気に喰わなかった。先輩にとる態度ってもんが、まるでなってない。
「みんなの憧れる玲王様を!! 何でお前みたいな……奴、が…………?」
急に意識が遠のき、ボヤりとした視界がぐらついた。瞼が重く、全身から力が抜けて、そのまま意識はなくなった。
⌘
「オブリビエイト、忘れよ」
静かに、淡々とかけた呪文は凪に胸ぐらを掴まれている金色短髪の先輩に即座に届いた。気を失った先輩を静かに床に下ろしてその場で寝かせた。
「……凪、ごめん、俺のせいだ」
先輩が俺に強い憧れを抱いていたのも知っていたのに、凪に矛先が向かったのは俺のせいだ。どこから謝ればいいのかいいあぐねていると凪が近づいてくる。
「なんの『ごめん』? クリスの衣装部屋に魔法の鏡を持ち込んだこと? あの鏡で『俺に』魔法をかけてたこと?」
いけしゃあしゃあとコイツ──と思ったが、図星なので反論できる余地などない。
「……やっぱ、お前、気づいてたのか?」
「MIKAGE って社名が書いてあるからね、最近の魔法具も著作権とかうるさいの? めんどくさいねぇ」
そうじゃねぇだろ──って思ったけど、きっと凪は俺に気を遣っているのだ。だって、仲の良い相棒に魔法をかけていたなんてさ。
「あれ、なんの魔法なの? 頭がぼーっとして、幸せな気分になって、最高の気分になるんだよね。まるで禁書に載ってる『服従の呪い』ってこんな感じなのかなぁって思った」
「馬鹿。人でなしなこと言うな! そんな危ないもんじゃねえ! っていうか、禁句呪文!! お前、使えちゃうかもしれねーんだからな?! 終身刑だぞ?! 滅多なことでも呪文を唱えるんじゃねえ!! 明日から停学だって言われても文句言えねぇぞ?!」
「杖持ってないから平気でしょ」
「でも……!!」
凪は一度覚えた知識は忘れない。だからこそ、危なかった。魔力が上がれば、闇の魔術も使おうと思えば使えてしまうからだ。ただ、凪は俺に杖を向けたことはない。
そう、緑の光はあの魔法の鏡が作り出したもの。
月明かりを利用して反射で光を作り出す。その反射した光は──現在開発中の魅惑万能の魔法。所謂、惚れ薬だった。
一般的な惚れ薬は液体である。その惚れ薬を身体に取り込む以外に外部からその刺激を作り出せないかと今MIKAGEが開発中の魔法具の試作品──それがこの姿見だった。
「俺はさ、玲王からなら、どんな魔法かけられたっていーもん」
「もん、って……。ずっと分かって、俺に付き合ってくれたのか?」
「まぁ。レオはまぁまぁわかりやすいから。鏡も、もうちょっと改良の必要があるかもね。もしあれに『隠す』用途があるなら」
「……これは多分、実用化しない、と思う」
「ふーん、そうなんだ。緑の光がキラキラ降ってきて綺麗なのにね」
光の刺激だけは魔法として弱い。あの鏡からアモルテンシアが香るようにできていて、それがまだ物体として空中に残る。その光が杖から放たれたものだと先輩は思ったらしい。まさか禁呪と間違えられるなんて──試作段階で判明して良かったとも取れる。
「ねぇ、レオ。どうして俺に魔法を使ったかって、言ってくれないの?」
全部バレている──
先輩は凪が俺に魔法をかけていたと考えていたけど、全くの逆だ。
正確には、俺が凪に魔法をかけていた。本人は知ってたけど、本人の許可を取らずに。
俺の方がよっぽど罪が重い。
「……もう、本当にかわいいね。レオは」
さっきから俺は凪と目が合わせられずに俯いていたから、凪は容易に俺の顔に近づいた。
「痛ッ」
コツンとおでこを突き合わせれて強制的に目を合わせられる。
「レオの態度、俺の前だといつもこんな感じなのにね? 魔法に見間違われるくらい態度違うってことだよ」
ぶわっと顔中に熱という熱が集まったのがわかる。
え、でも。ちょっと待ってくれ。それって──
「お……っ、お前! もしかして、魔法掛かってなかったのかよ?!」
俺はずっと、凪は俺の魔法に掛かっていると思い込んでいた。だから俺に手を出してくれたのだと。でも、魔法にかかっている奴が魔法にかかってることを自覚する、なんてありえない。
「うるさいお口は塞がないとね」
「……んっ」
目の前でキンキンと大声を出していたのがお気に召さなかったようで、俺の口は凪に噛み付かれるように塞がれてしまった。昨日も、一昨日も、その前も、ここでしたようなねっとりとしたキスだ。同じだってことはそういうことだ。
「な、ぎ……っ! お前、性格悪りィ!!」
「レオがいけないんだよ。勝手に人に魔法をかけようとするから」
「いひゃい!」
きゅっと鼻先を摘まれてヒリヒリした痛みが伴う。
「はい、これでチャラね。次はお仕置きだからね」
「……ハイ」
凪に俺を好きになって欲しかった。俺の宝物が惚れる相手は、俺であって欲しかった。ただ、それだけ。ずっと不安だったんだ。いつか誰かの特別になられちゃうことが。
「なんで魔法にかからなかったのか、レオならわかるでしょ?」
「天才相手に魔法が弱かったから……」
「え、それ。本気で言ってる?」
「? だって……」
凪の手が俺の服を弄って素肌をなぞった。冷たい凪の手が突然触れて、ビクッと勝手に身体が動く。身がたじろいだ瞬間、凪の口元は俺の首筋をなぞり、そのまま肩の方でガブリと歯形を付けられた。
「んあっっっ」
突然の痛みにいつもは出ないような声が出てしまって慌てて口を塞いだ。
「次はお仕置きだって言った」
「ごめん、凪。ごめんなさい……」
小さく言った声は涙声になってみっともなかった。凪の前ではみっともないところばかり見せていて、俺の側にもういてくれないかもしれないと思った。
俺が凪を見つけた。凪の世話をするのは俺が凪を離したくないからで、凪が望んだことじゃない。凪は別に魔法遣いになりたいわけじゃない。俺が凪に恋愛的な情を抱いていて、抱かれたがっていることも知られてしまっては、もうおしまいじゃないか。涙が出そうなところを必死で止めることだけに集中する。
やばい、泣きそう──でも、みっともない……
そう思った瞬間、ぎゅうと身体いっぱい抱きしめられた。凪の身体に全身包まれて温かくて大きくて──、やっぱり大好きだなぁと思った。
「好き。俺は、出逢ってからずっとレオが好きだよ」
凪の声が頭の上から降ってくる。幻聴かと思うほど、ずっと、欲しかった言葉だ。
「誰にも取られたくないから、魔法にかかってるフリしてた……レオの隣はずっと俺だって、みんなに知れ渡ればいいって思ってたし。最初から最後まで、俺はずっとレオが好きなんだから、惚れ薬なんて効くわけない」
ほろっと頬に涙を伝った。凪の前では優秀で格好いい御影玲王じゃなくなってしまう。それでも、俺は凪が良かった。
「ねぇ、レオの口から、ちゃんと聞かせてよ?」
腕が弱まって、涙でぐしゃぐしゃな顔面が晒されてしまう。嬉しくて恥ずかしくて、どうにかなってしまいそう。今なら魔法を使わなくても顔から火を出せる。
「……最後まで一緒って約束したでしょ?」
凪の方が堪え性がないらしい。俺の言葉を待つより先に、またキスが降ってきた。いつもよりたくさんキスをした後、凪は言った。
「レオがあいつに忘却魔法使ってくれて良かった」
「……んっ、……ふ、ん」
「俺がやってたら、レオに関する記憶ごと全部吹っ飛ばしてたと思う……あー、ほんと、こんなかわいいレオ、絶対誰にも見せないから……」
「凪っ、俺も言いたいから待って……っ」
凪の止まないキスの嵐が去ってから、やっとの想いで、俺からの告白も言わせてくれた。