住宅情報と人生設計「ヒヨシは横浜の高校行くんか?」
俺の足を道路に見立ててトラックを走らせている弟の頬を引っ張りながら声の主の方を向く。変な質問をしてきた主は向かいに座る人物とテーブル上の書類を見ているようだった。
「そのつもりじゃが…もしかして父さん転勤?」
「いや、ヒマリの部屋を作らないといけないじゃろう?それを考えたら引っ越した方がいいかなって。」
「俺の部屋は?俺も自分の部屋欲しい!」
「予算オーバーじゃからxxxと同じ部屋で我慢しなさい!」
「ヒマリだけずるい!」
「ヒマリは女の子でしょう!我慢しなさい。」
母さんにまで言われてしまった。3人で寝ている部屋も昔は俺の部屋だったのに。こうなったら数の暴力だと弟に同意を求めてみる。
「xxxはどうじゃ?自分の部屋欲しいよなー」
俺の足を滑走路にしてトラックを飛ばしている弟は手を止めて俺の方を向く。まん丸な瞳を俺に向けたまま固まっているかと思えば、満点の笑みを浮かべて元気よくうん!と答えた。
「ほら、xxxもこう言うとるぞ。」
「xxxはヒヨシが言ったらなんでもうんっていうでしょう。xxx、ヒヨシお兄ちゃんと一緒に寝られなくなるけれどいいの?」
母さんがxxxを諭すように優しく話すと、太陽のような笑顔をくしゃりと歪ませて泣き出してしまった。
「やーあーだ!にいちゃんと!にいちゃんといっしょがいい!!」
うつ伏せから中腰に姿勢を変えたかと思ったら俺にタックルをしてくる。まだ小学校に通っていない子供とはいえ全体重を掛けたそれのダメージは大きく、姿勢を保つことはできずに倒れこんでしまった。弟の柔らかい髪を撫でていると、足に攻撃を受けていることに気付く。足元を向くとさっきまでテレビを見ながらリズムを取っていたヒマリが俺の足をぺちぺちと叩いていた。
「わかった、わかったから、これからもにいちゃんと一緒に寝ような。」
「本当?約束?」
「おう、もちろんヒマリじゃぞ。」
「うん!一緒だよ!ヒマリ!」
満点の笑顔に戻ったxxxがそういうと、ヒマリは理解したのかxxxのほうまで寄ってきて頭をぺちぺちと叩いた。俺の時より少し優しいからきっと撫でているつもりなんだろう。
「で、どうしてヒマリの部屋の話が出たんじゃ?」
ダイニングテーブルを向くも本人たちの顔は見えない。
「さすがにヒマリが中学生になるまでには部屋を分けないといけないだろう。」
「何年先の話じゃ。ちょっと前までハイハイしとったんじゃぞ!」
弟と一緒に俺の上に乗っている妹のやわやわほっぺを手のひらでマッサージする。お気に召さなかったようで眉をしかめられた。
「2人が小学校に入るまでに引っ越すかどうかって話をしていてね。でもヒヨシの受験のことを考えたら高校卒業までは待った方がいいわよね。」
「最悪ヒヨシが一人暮らししたらどうじゃ?」
「一人暮らしできるなら部屋の数増やすわよ!」
母さんのため息を横目に胸元の2人に視線を戻す。
ロケットトラックは妹のほっぺに衝突し、妹は反撃としてトラックを口の中に入れた。妹の頭を撫でながらトラックの口から離す。
「俺も一人暮らし嫌じゃ。こいつらと一緒がいい。そもそもヒマリが中学生って俺成人しとるじゃろう。ヒマリが中学生になるまでは俺の部屋で、後からヒマリの部屋にしたらどうじゃ?あと、小学校の校区内に新しくマンション建つみたいだし、そんなに急がなくてもいいんじゃにゃあか?」
「えっどこに?」
「昔のゲームしかないゲーセンが入ってたスーパーがあったところ。少なくとも中学校の校区は同じ。」
「あーあそこ分譲マンションね。まだ見取り図出てないみたい。」
「分譲マンション?」
「土地みたいに部屋を買うんだよ。毎月家賃を払うんじゃなくて買い取る感じ。まあローン払いだけどね。」
「ふーん。お父さんたちが言っていることは難しくてよくわからんにゃあ」
視線を戻すと遊び疲れた弟は寝息を立てていて、今度は妹が弟の頭を道路にしてトラックの運転手をしていた。
◇◆◇
そういえばそんなことあったなと、手元の住宅情報誌を見て思い出す。中身をペラペラと開くと所々に印や書き込みがあり、挟まっていたメモには『〇〇小学校校区、せめて〇〇中学校校区』とか『南向き』とか『4LDKか5LDK』と物件の条件が記載されていた。発行日は親がいなくなる2年前のものだった。
昔から変わらず物置にしている部屋。今は退治道具を置いているからと俺以外入ることのない部屋に置いている大半は両親の荷物だ。両親の部屋をヒマリの部屋にしたタイミングである程度処分したとはいえまだまだたくさん残っている。書類なんて重要なものを捨てたら怖いからと一番最後にしていた。使わなくなった退治道具を処分してやっと布団を置けるくらいの広さなので、退治道具の処分が終わったら2人に手伝ってもらおうかと考えていた矢先のこと、タイムリーな思い出だ。
書類を封筒に戻して段ボールに入れる。部屋を出てリビングに戻ると、弟が洗濯物を取り込んでベランダから部屋に入るところだった。
俺が怪我をしてから気まずくなったこともあり、目線が合うとすぐに逸らされてしまった。
「xxx、おみゃあ自分の部屋欲しいか?」
軽い気持ちで聞いてみると、弟は洗濯物を持ったまま顔色が暗くなっていく。
「えっいらないけどなんで?引っ越すの?」
「…いや、高校生だし、そろそろほしいかなって思っただけじゃ。いらないならいい。」
「もしかして兄貴部屋分けたいの?」
「いや、物置片づけるのも大変だし、引っ越しも面倒だからこのままでいい。」
「そっか。よかった。」
安心したのか暗い顔が少し明るくなる。その表情は全く違うのに、あの日の顔がふと頭をよぎった。