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    巨大な石の顔

    2022.6.1 Pixivから移転しました。魔道祖師の同人作品をあげていきます。

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    巨大な石の顔

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    江澄女体化現代中国auのつづき。前後編と言っておきながら前中後編になります。

    #魔道祖師
    GrandmasterOfDemonicCultivation
    #曦澄
    #女体化
    feminization
    #現代au
    modernAu

    奈可藍大哥要娶我(中編) 髪や顔を撫でられる感触に、江澄はけだるい瞼をゆっくり開けた。
     藍渙が隣に腰かけ、深く傷ついたような悲し気な表情でこちらを見下ろしている。シャワーを浴びたのか、髪は濡れて白いバスローブを着ていた。
     泣きたいのは私なのになぜあなたが泣きそうなんだ、理不尽だ。
     初めての経験は散々だった。えぐられるように痛いだけで全然気持ちよくなく、コンドームはつけてもらえないわ、おまけに尻をお仕置きだとしこたま叩かれた。きっと臀部は子供のとき躾と称されてぶたれたときよりも赤く腫れあがっている。
     これなら一生自慰で過ごしたほうがましだと江澄は思った。あれほど望んでいたのにもう指一本も触られるのが嫌で頭からシーツをかぶって背を向けた。
     こちらの話も聞かずに人を襲う男とはもうやっていけないなと婚約破棄もぼんやり考えていたら、奇妙に明るい声が落ちてくる。
    「明日にでも君のオフィスも住む場所もこのペントハウスへ移すから」
    「は?」
     江澄はかぶっていたネイビーのシーツをはがして跳ね起きた。
    「とはいっても移すのは君のいる社長室だけ、部下は今まで通り蓮花塢で働いてもらうよ」
     今日の天気は雨のち晴れだよとでも言うように藍渙は朗らかな笑顔だ。
     今ちょうど寝室の大きな窓を強い雨が吹き付けている。はるか下方の街並みは霞がかっていてまるで雲の上に浮かんでいるかのようだ。
    「これから部下にはここからリモートで指示をだして。打合せや会議をしたかったらこのペントハウスの余っている部屋を使ってくれてかまわない。さっき君の主管にもそう指示を出した。明日アシスタントが君のデスクのものをまとめてここへ送ってくれるそうだ」
    「何私に断りなく勝手に部下と話をすすめているんだ? やめろ! 私の部下に指示を出していいのは私だけだ。住む場所はともかくオフィスは移動させん!」
     江澄のオフィスは、蓮花塢にある湖近くに寂しげに佇んでいた古い建物を買い取り改装したものだ。自分自身も改装に直に携わったこともあり、オフィス蓮花塢は江澄の宮殿でもありもう一つの家だ。
     二階にある社長室の窓を開ければ、春には日本の友好都市から贈られた桜並木を、夏には千年以上前から湖に植わっているとされる蓮の花を、秋には紅くけぶる遠くの山々を、冬には北から湖へ渡ってきた美しい水鳥たちを眺められる。
     よく主管やアシスタントとランチに行くオフィス近くの食堂も、大きくて人懐っこい看板犬がいて多忙のため犬を飼えない江澄はいつも触りに行っている。蓮花塢までは市内から高速を使い車で一時間はかかるものの、江澄にとってこれ以上はない職場環境だ。
     そう何度も言ってきたはずなのにこの人はそこから離れろと情け容赦なく言う。
    「私の言うことを聞かないなら君の事業を潰してもいいがどうする?」
     藍渙は切れ長の瞳をすっと目を細めた。
     この瞬間、龍が大きく口を開いて咆哮をあげているかのような強烈な圧を江澄は感じた。驚くべきことに彼の中の金丹が江澄を威嚇してきたのだ。
     単なる口先だけの脅しではない、本気だと悟る。おそらくこうやって主管も脅して移転を迫ったのだろう。
     ようやく軌道に乗ったとはいえ、姑蘇財閥の前では江澄の小さな会社はひとたまりもない。江澄はぎゅっと奥歯をかみ、拳を握った。
    「……あなたは私が浮気しないよう自分の監視下に置きたいんだろうが、私は一度もあなたを裏切ってなどいない」
    「また嘘をつくのか」
     うんざりした様子で返されてしまった。
    「嘘だと? 何が嘘だというんだ? そこまで信じないなら私の不貞の証拠をだせ。言っておくが異性とバーで飲むのは浮気には入らないからな!」
     そんなことまで浮気とするなら即刻婚約破棄だ。そんな狭量な男なら必ずどこかで破綻するだろう。
    「君の口からちゃんと過ちを認めてほしかったのに」
     藍渙は残念そうに頭を振る。はずみで漆黒の髪からしずくが落ちる。彼はこれまでいつだって髪を洗えばちゃんと乾かしていたのに。
     手に持っていた白いスマホからWechatを起動してボイスメッセージを開いた。
     たちまち、じゅぷじゅぷと何か棒のようなものと粘っこい液体が擦れる音、くぐもって苦しそうな声、とどう聞いても交合を連想させられる淫らな音が寝室に大きく響いた。
     それらが一層激しくなったところで、『去…去…去了!』と小さな呻き声のあと荒い息遣いが続いて収まれば、ことが終わった合図かのような水が勢いよく流れた。
     すべて間違いなく自分のもので江澄は赤面するよりほかなかった。
    「君は昨日私に何も言わず会場から抜け出してこのビルで懐桑と待ち合わせてトイレ辺りで彼を咥え込んだんだろう」
     藍渙は顔を大きく歪ませた。まるで日本の般若という元は人間の恐ろしい妖怪のようだ。今にも血を吐きそうなぐらい彼は気分が悪そうだった。
    「ちがう、このとき私が咥え込んだのは懐桑ではない」
    「はあ!?」
     藍渙はこれまで見たことのないくらい眉間に深く皺を寄せた。白皙の美貌には今やどす黒い憎悪と怒りがありありと浮かんでいた。
     今にも江澄を刺殺してきそうな剣幕だ。早く誤解を解かなければこの人は何をするかわからないと江澄の背に冷や汗が流れる。
     だが正直に自慰のことを打ち明けたとしても、やはり今のようにふしだらだと幻滅され怒り狂うかもしれない。
    「懐桑でなければいったい君は誰を咥え込んだんだ?」
     こちらの首をしめそうな勢いで藍渙は江澄に詰め寄ってきた。
     もし適当に誰か男の名前をでっちあげたらその人物を地の果てまで探し出してひそかに抹殺しそうだ。藍渙を自分のせいで犯罪者にするわけにはいかなかった。
     江澄は己の金丹をフル稼働させ、裸のままベッドで宙返りして床の上へ飛びすさった。藍渙はもちろん婚約者をすぐさま広いベッドの端まで這って追いかけてきた。
    「江澄!」
     秀麗な容貌は、江澄がまるで崖から落ちていったかのように悲壮に歪んだ。置いていかれてしまうとでも思ったかのようだ。ちがうのに。
     床に落ちていたバッグを拾い上げ、江澄はとうとう恥を忍んで「私がトイレで咥え込んだのはこいつだ、桑懐じゃない」と昨日買った大人のおもちゃを取り出した。
     素っ裸の婚約者に差し出された男性器に、藍渙は呆気にとられていた。
     子供の頃たまに見ていた日本のアニメで登場人物が驚きのあまり目が点になっていたがまさにリアルで目の当たりにしようとは。
     ああ坊主のように清廉とした生活を送ってきた男は、こんないやらしいものきっと見たことも聞いたこともないだろうと江澄は首筋まで赤くなる。
    「どういうことなんだ?」
     江澄に渡されたシリコン素材でできた男性器を長い指で触りながら呆然としたように問う。彼は明らかにこれまで見たことも触れたこともないものに驚き戸惑っている。
     婚約者の大きな手におさまっている張り型というとんでもなく卑猥な光景を前に、江澄は包み隠さず正直に話すことにした。
    「あなたパーティーの前も最中にも私の体を触っただろう。だから体の奥が熱くなって我慢できなくてな、ついショッピングセンターでこれを買ってトイレで使ったんだ」
    「それはつまり……」
     藍渙は赤面しながら言いかけて黙ってしまった。昨日まで清い身だった男は、どうやらその男性器の使い方を察してくれたらしい。
    「そう今まであなたに触られるたびに私は自分で自分を慰めてきたんだ。私だって健康な大人だからな。人並みに性欲ぐらいある」
     最初は自分の指で慰めていたが、だんだん物足りなくなっておもちゃに頼ることにしたと告白する。
     異性にそれも婚約者に自慰を打ち明けるのは気恥ずかしいことこの上ないが、おもちゃを使って性欲を解消してきたことは恥だとは決して思わない。
     だいたい釣った魚にちゃんと餌をやらない奴が悪いと江澄は心の中で開き直りさえ始めた。
     だが表面上はあくまでしおらしく。
    「こんな私をふしだらだとあなたは軽蔑するか?」
     目を伏せまつげを震わせる。きっと藍渙からは今にも泣きだしそうに見えているはずだと江澄は思った。
     こういう男の転がし方は魏無羨から教わったというか、江澄そっちのけで藍忘機と痴話げんかをおっぱじめた際、義兄はあからさまなウソ泣きをして藍忘機と仲直りしたのだ。
     そのウソ泣きにあのクールな藍忘機がころっと騙されていたのでこの手は藍渙にも使えるかもしれないと記憶に残していた。そして今それを試す絶好の機会だと江澄は判断した。
    「そんなまさか!」
     面白いぐらい江澄の思い通りに、藍渙はすぐさまふるふると首をふった。
     ベッドから下りると、長い腕が江澄を抱きしめた。
     性格もまとう雰囲気も全く似ていないのにこんなところは兄弟そっくりなんだなと心の底で江澄はうっすら笑った。
    「私こそ、君が私とのその、触れ合いに不満を感じていたのに気づかなくてすまなかった」
     この腕に包まれると、江澄はいつもこの上なく安心する。昨夜は残念なことにこんな優しい抱擁がなかった。
     そっと体を離すと、藍渙は江澄の二の腕を掴んできた。いつになく真剣な面持ちだった。
     両家で結納を交わしたとき、彼が婚約指輪を指にはめてくれたときのことを江澄は思い出す。
    「江澄、昨日は君の話を聞こうともせず君にひどいことをしてしまった。本当にすまなかった」
     藍渙は悄然と頭を下げる。それが単なる通り一遍のポーズでないことぐらい江澄にもわかる。
     姉や魏無羨あたりには甘いと言われそうだが、この謝罪たった一つで、江澄は昨夜の暴挙を許してしまいたくなった。
    「顔を上げろよ、藍家の宗主がみっともない」
     照れ隠しでつれない言葉を言ってしまうものの、バスローブから覗いているたくましい胸板に両手をおいて江澄は愛する男にすりよった。
    「私も早くはっきり言えばよかったんだ。我慢できないから抱いてくれって」
     上目遣いに囁けば、愛しの婚約者殿ははっとしたように深く息を吸い込んだ。
     そして江澄から首に腕を回して藍渙へ口づけた。一瞬の触れ合いののちすっと離れると、藍渙はまるで生娘のように恥ずかしそうに白い頬を上気させていた。
     可愛い奴だと江澄は頬が緩まざるをえなかった。
     そう思われているのがわかったのか、己の威厳を取り戻そうとするかのように彼は一つ咳払いして言った。
    「江澄。その、私が言うのもなんだがやり直してもいいかな?」
    ――何を?
    ――私たちの初夜を。

     昨夜とは人が変わったように、いや人が戻ったように年上の婚約者は江澄をそれはそれは優しく慈しんだ。
     挿入もちゃんと江澄のタイミングを確かめてくれてコンドームもつけてくれた。
    妊娠適齢期といえど事業がもう少し発展するまで、江澄はまだ子供がほしいと思わなかった。
     おかげで二度目の初夜では、江澄は身も心もとろけさせられた。自慰ではけっして得られない、愛する人と肌を重ねるがゆえのぬくもりを、充足感を知った。
     二人でシャワーを浴びながら、
    「なぜ結婚するまで致さないはずの男がコンドームを寝室のサイドボードに入れていたんだ?」
     と水の滴る顎に指を這わせて問い質したところ、
    「初夜に備えてここで一人つける練習をしていたんだ」と藍渙がうぶな少年のように素直に告白したのも江澄を大いに満足させた。
     髪を乾かしあったあとまたベッドの上で、お互いを素肌で抱き合いながら、「明日にでも婚姻届を出しにいこう」と言われるままに頷いた。
     江澄が誘って家規を破らせたのだからその責任はとってやろうと思った。
     だが何かひっかかる。何かひどく大切なことを忘れているかのような……。
    「どうしたんだい?」
    「いや腹が減ったなと思って」
     実際腹は空いていた。朝から二人共何も食べていない。
     サイドボードに置かれた時計は夕方の時刻を指している。雨はもうやんでいた。夕陽が修身界市の中枢から海まで赤く染めている。
     このペントハウスは藍渙個人の所有だそうだが、接待で茶席を開くときやそういう夜の練習をしたいときなど、たまにしか使わないから冷蔵庫は当然空っぽだ。
     外食に行こうにもあるのはパーティー用のワンピースだけだ。脱がされて床に放りっぱなしになったせいですでに皺になってしまっている。
     下着も白いズボンも藍渙に蕩けさせられた痕がしっかり残っていて洗濯せずにもう一度はきたいと思わない。
     少し話し合って、替えの下着と服と屋台のテイクアウトを藍渙が買ってきてくれることになった。
     まさか彼に下着売り場を一人で歩かせるわけにもいかないのでスポーツ用の下着を江澄はお願いした。
    「○○通りの小籠包と頼んだが、やはり○△通りの肉まんにしておけばよかったな」
    Wechatで連絡しようと思ったが、二つの屋台は逆方向なのでやめた。
     それに今は夏だ。昼間より気温の低い夕方といえども、雨も降ってきっと蒸し暑いだろう町中を彼に走り回らせたくはない。
    「――ただいま。渙渙イーツがきたよ」
     出て行ってから二時間近く経ったところでようやく藍渙は帰ってきた。
     右手にはスポーツ用品店と高級ブランドの手提げが、左手には湯気がほのかに立ちのぼる袋を複数持っていた。
    「遅い。何かあったのかと思ったぞ」
     おかげですっかりこのペントハウスの内部に詳しくなってしまった。
     接待用の茶室は床より30cmほど高く障子で囲まれていた。障子を開けてみたところ中のしつらえは彼の師匠の茶室とよく似ていたが、巻雲を思わせる透かし彫りの丸窓はこの茶室特有だ。広いタタミのスペースに江澄はごろんと大の字で寝転んでみたりした。
     ゲスト用の部屋も複数あり、会議室に麻雀ルームも当然あった。起き抜けに社長室を移転するのを拒んだものの使わないのは勿体ないなとちらっと思ってしまったのは口が裂けても言わない。
     電話に出てくれなかったとこぼす江澄に、額にうっすら汗をはりつけながらも婚約者は爽やかな笑顔を浮かべた。
    「心配かけてすまない。江澄、君○△通りの肉まん好きだろう。食べるかなと思って寄っていたんだ。他にもいろいろ買っていたら思ったより時間がかかってしまった」。
     肉まんの匂い香る袋を目の前に差し出されて、江澄は歓声をあげた。
    「ちょうど食べたいと思っていたんだ。流石だな」
     細やかな気の利きようを褒めたところ、藍渙はじっと見つめてきた。
    「なんだ? じろじろ見て」
    「ふふ、いい眺めだなと思って」
     いつ帰ってくるかわからなかったので、部屋の中を歩き回るのに江澄は寝室のクローゼットにあった彼の白いシャツを勝手ながら拝借した。下半身はすっぽんぽんでいわゆる俗にいう彼シャツ状態だと気付いた。
     名実ともに彼の伴侶になったようでかっと頬が赤くなる。
    「勝手に借りてすまなかった。先に着替える!」
     江澄は藍渙の手からスポーツ用品と高級ブランドの手提げをひったくった。
    「では私は買ってきた食事を皿に並べておくよ」
     藍渙はオープンキッチンへ行った。
     寝室で開けてみたら、頼んでいたスポーツ用の下着と藤色の品の良いデザインのブラウスと漆黒のズボンがそれぞれ入っていた。さらに光沢のあるシンプルな黒いフラットシューズまで。
     職場では足の筋トレもかねてピンヒールをよく履くが、家の中ではフラットシューズかスリッパなのを彼はよく知っている。鏡の前に立てば試着もしていないのに江澄の容姿を引き立てるコーディネートだった。絵が得意でプロの画家になってもおかしくなかったセンスに江澄は唸る。
     藍渙はともすれば派手好きの人間が多いこの国においては国際的にも通用する美意識の持ち主だ。ファッションにそう興味のない江澄にも求めれば的確なアドバイスをくれる。
     あるとき江澄に経済誌のインタビューがあり、どんな服を着たらいいか悩んでいたらちょうど藍渙から電話がかかってきてどの服がいいかテレビ通話でクローゼットの中から選んでもらった。
     おかげで写真映りがよく、経済紙が発売された後会社の株価があがった。あのときは藍渙を自分のことを常に見守って幸運に導いてくれる守護天使のようだと感激したものだ。
     常に見守って……そこで江澄はようやく今までかすかに抱いていた違和感の正体に気付いてしまった。
     あの私の自慰の音声をあの人は一体どうやって手に入れたんだ!!?
     その後の甘い雰囲気に流されてうっかり忘れていたが。
    「そういえば誕生日のデートを仮病でドタキャンして部下たちと遊びに行ったのもバレていたな」
     江澄がインタビュー用の衣装に困っているとき「君の声を聞きたかったんだ」と電話をかけてきてくれた。偶然にしてはタイミングがよすぎる。
     一時期事業が危なくなったときも、江澄は婚約者の前では平然と装っていたが「最近仕事の調子はどう?部下とうまくいっているかい?」と不自然ではない会話の流れの中で仕事のことをたびたび尋ねられた。彼は核心には一切触れなかったが、あるとき降ってわいたように銀行から会社へ融資の話が舞い込んできた。しかし予想通り調べてみたら藍家の差し金だとわかって断った。その後江澄はなんとか自力で事業を建て直した。
     当時、婚約者殿はおそらく倒産の危機の噂でもどこからともなく聞きつけたのだろうと思っていたが。
     これら複数の事象から導き出される答えは、認めたくはないが当然ながら盗聴だ。
     だがどうやって?
     まさか江澄のいるすべての部屋に盗聴器を仕掛けているのか。いやビルのトイレはどうなる?
     すべての場面で共通したものは?
     そこで江澄はあっと小さく声を上げた。
     恐る恐る左手の薬指にはまっている大粒の白翡翠に視線を落とす。白い光沢も今は不気味に感じる。思えば台座の部分が通常より高いかもしれない。
     さきほど「肉まんが食べたいな」と江澄が呟いたら、彼が肉まんを買ってきてくれたのもおそらくこの指輪を通して江澄の独り言を聞いたのだろう。
    江澄が日頃から自慰をしているのに彼が気付けなかったのは、そのときはいつも指輪を外して致していたからだ。
     パズルのピースがぴたりとあてはまったように、全てのつじつまがあったとき、江澄は身の毛がよだった。江澄のプライベートも仕事も指輪を通して彼にすべて筒抜けだったのだ。苛烈で短気な江澄の恐怖は、すぐ燃えさかる怒りに変わった。
     信用を裏切られた怒りと屈辱で身体がわなわなと震える。
    「よくも今まで騙してくれたな!」
     わざと聞こえるように大声で指輪に向かって怒鳴った。そして寝室のドアをしたたかに開け放ち、江澄は両の拳をかまえた。
     その均整の取れた体の中にある金丹は、黒い玄武に姿をとり雄たけびをあげた。その強烈な波動はペントハウスを地鳴りのように揺らした。
    「藍曦臣! 遺言はあるか!?」
     この婚約指輪を贈ってくれてから十年。そんな長きにも渡ってこの男は江澄を監視していたのだ。頬を一発ビンタして婚約破棄どころか頭からつま先までぼこぼこにして床に叩きつけるぐらいしないと割に合わない。
     愛しい婚約者から一転して信用のおけないストーカーと判明した男は、卓の上で茶を淹れていた。
    「遺言? 今はまだないな。江澄そんなに怒らないでくれ。どうか私の話を聞いてほしい」
     藍渙は手にしていた白いポットを置いて諭すように言った。
    「昨日は私の話をちっとも聞こうとしなかったくせにあなたは勝手だな!」
     頭に血が上っていた江澄は一瞬で間合いをつめた。
     古武道における段は藍渙の方が上だが、江澄とて三毒聖手という称号を持つぐらいの実力はある。
     広いリビングで拳や蹴りを次々と繰り出していく。しかし、全て難なくかわされてしまう。藍渙の俊敏ではありながらもまるで舞を舞っているかのような優美な動きに、これはひょっとしたら師匠以上かもしれないと江澄は内心焦りを覚えた。
    「君に追いかけてもらえたのはきっとこれが初めてだな」
     江澄に追いつめられているという緊張感は欠片もなく、江澄との追いかけっこを楽しんでいるきらいすらある。おまけに彼は巧妙に調度品類が壊れないように江澄を誘導していた。いっそこのペントハウスを破壊しつくしてやろうかと思ったが物に罪はないし、そんなことしようものなら、悔しいがおそらくはまたネクタイか何かで一瞬にして拘束される気がした。
     余裕綽綽なストーカー男の態度に江澄の怒りはますます増したが、空腹と昨日今日のまぐわいで消耗した体力は己の怒りについていけなかった。
    「君を守るために私も努力したんだ」
     結局、赤子の手をひねるかのように攻撃を全てかわされてしまい、力尽きた江澄は床に座り込んだ。何度も息を吸っては吐く。
     交合さえしていなければ鳩尾に一発ぐらい蹴りを入れられただろうに。彼に身体を許してしまった自分を張り倒したい気分だった。
     藍渙は息一つ乱さずに江澄のそばにかがみ込んでその前髪に触れようとしてくる。
     江澄はその手をぱしっと強く振り払った。
    「金輪際、私に触れるな。あなたとは婚約破棄する。婚約者を盗聴するなど最低の人間がすること……うわっ!?」
     全てを言い終える前に江澄は両肩を掴まれ床に引き倒された。藍渙は素早く経穴をついてきた。そのせいで江澄は指一本動かせなくなってしまった。
     背中と膝裏に手を回され、江澄は彼の両腕に抱き上げられた。
    「何をするつもりだ?」
    「江澄、遺言はないけれど君に誓うことがある。私は一生君を守って君をいつも喜ばせたいと思っている。そのためならなんでもするよ、これからもね」
     藍渙は江澄に微笑んだ。その甘さの欠片もない笑顔はぞっとするほど美しかった。
    「さあ肉まんを一緒に食べようか?」



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