扇風機の風に揺れる、良守の黒髪に目を奪われた。今日は一段と蒸し暑い日だ。風にあたる良守は気持ちよさそうに目を細めている。熱を帯び上気した頬には汗が滴っており、襟足まで伸びた髪が首筋に張り付いてひどく扇情的だ。ごくり、生唾を飲み込んで釘付けになる。炎天下から帰宅した喉の渇きがよりいっそう増した気がした。
リリーン。良守と正守の間で風鈴が鳴る。
広い実家は酷く静かで、まるで二人きり大きな結界に包まれていると錯覚してしまう。
正守はそっと良守の側へ忍び寄り、フワフワ揺れる黒髪へ指を伸ばす。軽く掬って遊ぶと良守が正守を見上げた。そのまま隣に腰かけて頭を撫でると、ゆっくり肩に寄りかかってきて微笑を浮かべる。
「いつ帰ってきたんだよ…」
拗ねたような言葉とは裏腹に、良守は甘えた声で正守にもたれ掛かった。正守は柔らかな表情で「さぁ?」と惚けながら良守をあやす。
「髪、少し伸びたんじゃない?」
「そうかァ」
良守が猫のように正守の膝へ寝転び首を傾げた。珍しく甘えん坊な良守の仕草に、正守は思わず口元が緩みそうになる。
「暑くない?」
襟足の髪に触れて軽く口付けるフリをした。
すると良守はギョッとして「身体やわらか!」と目を見開いたので、驚くところはそこか?と思いながら正守は苦笑する。
「床屋に行く暇もないくらい忙しい?」
尋ねると良守は眉をひそめて首を振る。
それから手を掴まれて、ぎゅっと指を絡められた。少し湿った掌が生々しくて、今すぐひとつになれない事がもどかしい。
「実はさー」
「うん」
「俺、最後に兄貴に会った日から髪切ってない」
「えっ」
「…やっぱり、長いよな」
良守の手が正守の頬に伸びた。
小さな手のひらに優しく顔を撫でられて、胸が少し痛む。
「次は、ちゃんと会いにいく」
「本当かよ」
「約束する。良守が毛むくじゃらにならないように」
「じゃあ、心置き無く切りに行けるなぁ」
元気に起き上がった良守は、歯を見せて正守に笑いかけた。そのあと軽く伸びをして、正守に抱きつき口付けをせがんだ。
正守は一瞬躊躇って、でもすぐに唇を寄せた。自身の体で良守を少し隠して、戯ればかりのキスをする。軽く啄んで離れたとき、ゆっくり開いた良守の瞼と伏し目がちな瞳が、正守の心を掴んで離さない。
「おかえり、クソ兄貴」
「…ただいま」
爽やかな夏の風が二人の間に吹き抜けた気がした。