転化40年後の8月7日「明日だけど、何が食べたい?」
隣に座る男に尋ねれば食い気味に「オム焼きそば!」と弾けた声が返ってくる。肩に乗っていたジョンが大賛成と言わんばかりに小さな両手を上げた。
「肉いっぱい入れてくれよ。あ、ケーキはバナナのがいい!」
子どものようにねだる彼の顔には、歳月を重ねた証である皺は刻まれていない。実年齢はもう百の大台に乗っているというのに、瑞々しく眩しい美貌がそこにはあった。
どうにも異常なほど吸血鬼の適性があったロナルドは、少し多めに血を飲むとドラルクが「若造」とよく読んでいた頃の姿に若返ってしまうのだ。吸血鬼としての能力は強大なものの微調整は苦手な彼は変身で上手く見た目を調整することはできず、一度若返ったらしばらくはそのままだ。昨夜ブラッドワインを開けたから、少なくとも一週間はこの姿だろう。
年老いても端正な顔立ちをしていたロナルドだ。若い姿はまるで磨かれたばかりの宝石みたいに輝いている。ドラルクは美しいものが好きだ。ロナルドの顔も無論、好きだ。
けれど正直なところ、若いロナルドを目の前にするとドラルクはなんだか複雑な気分になる。別に転化しなければよかったとか、今さらそんな後悔はしない。それならばたとえ空き瓶と銀の十字架を持って迫られようが、泣いてすがられようが、脳髄がとろけてしまいそうなほど愛を囁かれようが、彼を同胞になんてしなかった。
ただ、調子が狂うのだ。見た目はピチピチに若いのに、中身は長い歳月をかけて築いた自信に満ちたロナルドの姿というものは。なんというか、バグでも見ているような気分になる。
「何しかめ面してんだよ、ドラ公。可愛い顔が台無しだぜ」
「……これだもんなァ」
「あ? 何の話だよ」
腰に腕が回されてしまえば、ドラルクはもう動けない。躰をソファに横たえたロナルドは、甘えるようにドラルクの胸元へ頭をぐりぐりと押し付けてくる。ふわふわと柔らかい銀髪を撫でていると、美しい顔が上げられた。視線が絡まるとデレッとまなじりを下げて笑う姿も、記憶の中の「若造」は絶対ドラルクには向けなかったものでバグにしか思えない。
「君、さっさと変身の微調整覚えなさいよ。若作りルドめ」
「急になんだよ。お前、俺の顔好きなくせに」
だからその姿でそういう言動されると調子が狂うのだ。けれどあえて口に出して指摘しないのは、ドラルクが動揺していると知ったロナルドが「照れてんのか、可愛いな」と更に調子に乗ることがわかっているからだ。簡単に予測ができるくらいには、それなりに長いこと一緒にいる。
「……若いつばめでも飼ってるみたいに見えそうじゃないか」
「畏怖くてそれもいいんじゃねぇの?」
腰に抱きついていたロナルドの上体が上がって、顔を寄せられる。ちゅっと唇を軽く啄まれて、頬やこめかみにも口づけを落とされていく。
「明日、楽しみだな」
耳元で落とされた声は砂糖に蜂蜜でも混ぜたみたいに甘ったるい。
祝わせてほしいと言ったのはドラルクだ。それでも仮にも自分が人間として死んだ日で、歳月が流れた今となってはかつての友人もほとんどいないのに――ロナルドには憂いの欠片など微塵もないのだ。
かつてあんなに大真面目に八日に転化させてくれと乞うた自分がいっそ滑稽に感じて、なんだかなァ、と思うけれど――。
「なに考えてんだよ? こっち集中しろって」
大きな手が頬に添えられて、吐息が重ねられる。そうすれば複雑な感情なんて考える暇もなくなって、吸血鬼になってなお熱い体温に溺れるしかないのだった。