短夜(みじかよ)フィリピンのセブ島は、日本からほど近いリゾート地として人気があった。
オールインクルーシブの高級ホテルが立ち並び、欧米やアジアの暇を持て余した観光客が多く詰めかける。
深津と来るのは初めてだ。
アメリカと日本でバスケを極めるプロ同士、遅めの夏休みをリゾートで過ごそうと提案したのは沢北の方からで、場所を決めたのも沢北だった。
日本じゃないところ、リゾート地、ホテル内やその周辺で全て完結するところ。
一日中セックスに耽っていても誰にも何も言われないところ。
2人で7日間の滞在を予定していたのだが、深津は直前になってチームのテレビ取材が入り、1日ずれて一緒にいるのは6日間だけになった。
しかも最終日は、深津だけ1日滞在を延ばすという。
オレもそうしたい、と言ったけれど、どうしてもその後のアメリカでの予定がずらせず沢北は当初と同じ日にアメリカに帰国することになった。
「たまにはお前に迎えられるのも悪くないピョン」と嬉しそうに笑ったのは、いつも深津が沢北を出迎える側だったから。
帰りはまた見送るってことじゃないですか、と言ったら「それは慣れてるピョン」と余裕そうだった。
いつもあんなに寂しそうな顔で沢北をずっと見送っているのに。
着いた、と連絡があって、ホテルのロビーで深津を探す。
「深津さん!」
大きな荷物を送迎用の専用バスから降ろすところだった深津に声をかける。
顔を上げた深津は、てっきり嬉しそうな顔をしてくれると思ったのに、挨拶より先に怒ったような顔をした。
「お前、やりすぎピョン」
「はい?」
「飛行機。勝手にビジネスにしたな」
「えへへ、気付きました?」
「気付かないわけないピョン、ビジネスグレードアップ支払い済みって出てきて焦ったピョン」
そう、勝手に深津の航空券をエコノミーからビジネスにした犯人は沢北だ。
場所も日程も決めたのは沢北だったから、直前に取材が入った為ハードスケジュールになってしまった深津を想って、航空券変更の時に、サプライズとしてやった。
てっきり喜んでくれると思ったのに。
「日本からフィリピンなんて、飛んでる時間短いのにわざわざビジネスにする必要ないピョン」
「でも深津さん疲れてるでしょ」
すり、と頬を撫でて少し浮かんだ目元のクマをなぞる。
1日オフでゆっくり準備して飛行機に乗れるはずだったのに、取材を受けてから家にとんぼ返りして準備してまた空港まで走ったらしいから、心配だった。
「飛行機で少し寝た?」
乾燥してかさついた頬を撫でたままでいると、深津も満更でもなさそうに「ん」と答えた。
そのまま顔を寄せようとしたら、ムッと唇を結んで「部屋にしろ」と怒られる。
部屋ならいいんだ。と嬉しくなる。
これからの6日間、2人きりで、好きなだけ深津に甘えて、甘やかすことができるなんて、最高の夏休みだ。
大きなスーツケースを持って、2人は部屋に急ぐ。ホテルの奥の奥、バンガロー風の一戸建ての建物が、6日間の2人の城となる。
朝起きて、深津がいて、ホテルのレストランで朝食をとり、専用ビーチで遊んで、部屋に戻ってシャワーを浴び、じゃれて、セックスして、また食事をとって、昼寝して、夕方には浜辺を散歩する。時には足を伸ばしてバスケコートでバスケもした。夢のような時間だった。
6日間があっという間で、最終日が来るのが本当につらくなる。
アメリカに戻ったらまた深津と遠距離恋愛だ。
年に1回は必ず会うようにしているが、それでも足りない。電話もメールも、本物の深津と比べたらあまりに物足りなくて、会いたいという気持ちが日に日に強くなる。
結婚しようかなぁ、深津さんと。
隣でスヤスヤと眠る裸の深津の寝顔を眺めながら、ぼんやりと思う。
もう付き合って6年、出会って7年。
お互い大人になったし、2人とも自分たち以外は考えられないほど存在が大切で、今のままでもいいけれど、もっと近くにいるという証明が欲しい。
プロポーズするなら、どうしよう。
沢北は、ゆるく結んだ深津の薬指を撫でる。
事後の気だるさを心地よく感じながら、こんな悩みも贅沢だなぁと我ながら思った。
きっと大仰なやつは好きじゃないから、2人きりの雰囲気がいいところで、指輪を差し出して…
そこまで考えて、嬉しすぎて頬が緩んだ。
いつか必ずするとは思っていたけど、ここ最近の深津への気持ちがそれを確信に変えて、あやふやだった未来が、確実に実行する予定になっていく。
本当に好きだ、この人のことが。
自分は今日先に帰ってしまうけれど、この6日間でさらに深津への愛を実感できて嬉しい。
深津さんも、そうだといいのにな。
「んー………」
深津が少し苦しそうに、身を捩って、うっすらと目を開けた。
「深津さん?」
「ん?…うん、えーじ…」
寝ぼけてる。
セックスの時と寝起きの時だけ、甘えた声で沢北を下の名前で呼ぶ深津が好きだ。
毎日これが見れたらいいのに。
心の底からそう思って、深津の目尻にキスをした。
「準備できたか?」
荷物を詰めたスーツケースを玄関まで運んでいると、身軽な格好の深津が声をかけてきた。
「あー…本当に先に帰りたくない…」
「しょうがないピョン」
「そうだけどお」
唇を尖らせて拗ねた顔を見せると、深津は苦笑して頭を撫でてくれた。この数日で、深津も沢北に対してだいぶ甘えて緩んできたのが分かる。
仕草ひとつに愛を感じて嬉しくなる。
「深津さんはオレと離れて寂しくない?」
「いつも寂しいピョン」
「う…そうだよね」
「まぁ、今回はあと1日、1人でリゾートを満喫するピョン。あの美味しいレストランでピニャコラーダ飲むピョン」
滞在中に見つけたレストランで頼んだピニャコラーダを、深津は大層気に入っていた。
また行こうね、と言いつつ、結局ホテルに籠ってしまったから滞在中に2回目は行けなかった。
「オレも一緒に行きたい」
「もう帰る時間だから。あとで写真送るピョン」
「…変な人にナンパされないで」
ふはっ、と深津が吹き出した。
「んなわけないピョン」
本気でそう思っているらしい深津にムッとする。深津は昔から魅力的だったが、ここ数年は色気も増してきてとても心配になる。
やっぱり縛り付けたいな、と今朝思った事をまた思う。
「忘れものないピョン?」
「ん、ない。あっても深津さんが持っててよ」
「わかった」
「あ、待ってフロントに電話してタクシー呼んでもらうから…」
内線しようと部屋に戻りかけた沢北を、深津が制止した。
「必要ないピョン、車ならある」
「え、呼んでくれてたんですか?」
「違うピョン」
チャラ、という音ともに深津はポケットから車のキーを取り出して見せた。
「えっ!?車、深津さんの運転!?買ったんすか!?」
「まさか。レンタカーだピョン」
「えっえっいつの間に?だって昨日も一昨日もホテルから出てないのに…」
「そんなもん、電話一本でいくらでも用意できるピョン」
「えええ〜〜かっこい〜〜!!!」
海外とはいえタクシーじゃイチャつけないかな、と思っていたから、本当に嬉しい。
こんな風に深津から、沢北のために何かをしてくれる度に、自分はなんて幸せなんだろうと神に感謝したくなる。
しかも深津は、こういうサプライズの仕方が本当にオシャレでスマートでカッコいいのだ。
「飛行機、アップグレードしてくれたお返しだピョン」
イタズラ成功とでもいうようにニコッと笑ったその顔が本当に愛しくて、沢北は気持ちのままに深津を全力で抱きしめた。
「深津さんカッコいい!!」
「今更気づいたピョン?」
「ずっと知ってました!!!」
腕の中で「うるさいピョン」なんて言いながら、深津も幸せそうに笑っている。
幸せが腕の中にある。
また離れてしまうけれど、自分たちは絶対大丈夫だと確信した。
出発まであと数分。
忘れないように、沢北は深津の匂いをめいっぱい吸い込んだ。
深津の運転は上手かった。
いつでも海外で運転できるように、と国際免許を取ったらしい。
出発ゲートで、最後のハグをする。
「深津さん、元気で」
「うん、お前も。怪我するなピョン」
「深津さんも」
この瞬間だけは、いつになっても慣れない。
次はいつかな、会えるかな、会おうね、と車の中で散々約束したけれど、その日が今から待ち遠しい。
「愛してるよ」
「俺も愛してる」
照れずに言い合えるようになったのはいつからか。しっかり目を見て、互いの愛を確認して、また会える日を楽しみに、それぞれの日常に戻る。
深津はいつもの、寂しそうな顔で沢北を見ていた。
何度も振り返りながら、沢北はやっぱり、結婚しようと思った。
必ず戻ってくることの証明があれば、この別れも辛くなくなる。
「次会えたら、プロポーズする!」
突然大声を出した沢北に、周囲がざわついた。でも深津にだけ届けばいいと思っていたから、気にならなかった。
深津は、一瞬ギョッとした顔になって、でもそのあと吹き出して笑って、照れた顔で唇だけ動かした。
まってる。
その言葉を確認して頷き、沢北は歩き出した。
もう振り返らなかった。