俺にまかせて!「ミスターー!!」
「え」
ほこほこの体で脱衣所から出てきたミスタに、勢いよく突進してきたブロンズヘアー。分厚くて硬い胸板に頬が押され、思わず「ぐえ」と声が出る。その衝撃で、髪から滴っていた水滴がカーペットに染みを作った。
「び、びっくりした…なんだよルカ!」
「ミスタ出てくるの待ってた!」
「は?」
風呂出たあとなんか約束してたっけ…?と記憶を探るも、全くそんな覚えはない。一方で、ミスタの肩をガッシリと掴んでいるルカの目はこれでもかというほどキラキラしていた。逆に怖い。これからなにが待っているというんだ。
「ふふ、さっきの配信で言ってたやつかな?」
ソファで本を読んでいたらしいアイクが、顔だけこちらに向けてくすくすと笑う。配信?なんのことだ?
「なにそれ?」
「さっきルカがね、自分の配信で"人の髪を梳くのが好き"って話をしてたんだ。」
「…なにそれ。」
教えられてもいまいちよくわからない。なぜそれが風呂上がりの俺に突進したことに繋がるんだ。
頭を傾げたミスタに、アイクが本を閉じて楽しそうに笑う。
「はははっ、つまりルカはミスタの髪を乾かしたいんだよね?」
「そう! いいでしょ!!」
アイクの言葉の直後にルカの笑顔が飛んできた。ふんすふんすと鼻息を慣らし、ほんとに大型犬みたいだなとミスタは思う。でもとりあえずこの距離でその声量は勘弁してもらいたい。そう思ってルカの胸をぐっと押すが、微動だにしなかった。どんだけ乾かしたいんだ。
「それってさ、自分のじゃだめなの?」
「だめ、自分のじゃなくて人のがいいの。」
「アイクは?」
「ふわふわだけど短いじゃん。」
「ヴォックスは? 長いよ。」
「いま配信中なんだもん。今日はASMRだって。」
「…シュウは? 長くない?」
「さっき寝たよ、明日朝早いから。」
「んん……。」
どうやら本当に適任はミスタしかいないらしかった。
別に乾かしてもらうのが嫌というわけではない。なんだか子供になったみたいでちょっと気恥ずかしいのだ。たしかに髪を乾かすのは面倒だし、誰かにやってもらえるのはちょっと嬉しいけど。
「じゃあ僕これから執筆するから、部屋戻るね。」
可愛らしい声で伸びをしたアイクが、そう告げるのと同時に本を持って立ち上がった。あとで夜食でも作りに来よう〜なんて言いながら階段を上っていく。またリビングにキャビアトーストの香りが広がるのか…考えただけなのに、なんだか香ってきた気がした。
色々と考えながら、未だにうーん…と頭を悩ませるミスタ。その間も、髪から流れ落ちた水滴がカーペットにいくつも吸い込まれていた。
「ほら、早く乾かさないと風邪ひくよ! こっち!」
「え、わ!」
しびれを切らしたルカが、ミスタの返事を待たずにぐいっと手を引く。そのまま引っ張られ、さっきまでアイクが座っていたソファへと連れてこられた。「座って!」と強い力で肩を押し込まれ、ソファを背もたれにするように床へ腰を下ろす。
「じゃあ乾かすよ!」
「ちょ、まっ…!」
驚いた声は、一瞬でドライヤーの音にかき消されてしまった。有無を言わさず乾かし始めたルカに、これはもう何を言ってもダメだなと諦め始めるミスタ。ルカは基本的にいい子だが、急にスイッチが入ってクソガキになることがある。その時はもう何を言っても自分の意見を曲げないのだ。
自分を逃がさんとするように挟まれたルカの長い脚に、ミスタは身を預けることにした。なんならルカは、挟み且つ体を包み込むように脚をミスタの正面でクロスさせている。絶対に逃がしたくないという意志を強く感じた。もう逃げないよと伝えても、これはきっと解放されないだろう。
なんだかんだ言ったが、首元をくすぐる温風は気持ちが良かった。いつもは自分でやるから気づかなかったが、ドライヤーは案外眠たくなるものなんだな。そんなことをぼーっとした頭で考える。優しく髪を梳くルカの手に撫でられているみたいでどこか心地よい。人に撫でられるの、良いな。なんか褒められてるみたい。
「かゆいとこない〜?」
「え〜? なに〜?」
「かーゆーいーとーこー!!!」
「はははっ!」
わざとらしく聞き返すと、想像をはるかに超えるボリュームが降ってきた。「ないよ〜」と返事をすると、得意げに片方の口角をあげるルカ。こういうところ、ちょっと可愛いと思う。
「ん! おわり!」
「ありがと。」
部屋が静かになり、脚での拘束が解かれる。数分間ぶりの解放感に軽く伸びをした。ルカはドライヤーにコードを巻き付けながら満足そうにニコニコしている。
「なに、楽しかった?」
「うん、ミスタ髪ふわふわだね!」
「そうか?」
なんにせよ、ルカが楽しいならそれでいいか。まるで子供の遊びに付き合った親みたいな気持ちだと思ったが、ミスタ自身も少し楽しかったからなんとも言えない…と口をつぐんだ。
「ミスタもう寝る?」
「うん、配信は昼にやったしね。ルカは?」
「んー…どうしようかな。」
いつものルカならとっくに眠たくなっている時間なのに、今日はそうでもないらしい。それだけ気持ちが高ぶっていたということだろうか。
「珍しいじゃん、ル……!?」
「決めた!!」
少し考えたあと、ルカがガシッとミスタの手首を掴んだ。急なことで体が軽く飛び上がる。
「な、なんだよ…。」
「俺、ミスタのこと寝かしつける!」
「……は?」
**
「寒くない? 大丈夫?」
「wtf………?」
「あっ、抱き枕いるんだっけ。…はいどうぞ!」
「ルカ…。」
「なんか本でも読んであげようか、なにがいい?」
「ちょ、ストップストップ。」
あれから流れるようにベッドへ運ばれ、いつの間にかルカの寝かしつけが始まっていた。
仰向けになったミスタに暖かい毛布をかけ、お腹の辺りでルカの大きな手が、トン…トン…とゆっくりリズムを取っている。呼吸とほぼ同時に重なるそれを受け入れたら、ミスタは今にも寝落ちてしまいそうだった。
「あれ、眠くなかった?」
「いや眠いよ。眠いけどなにこれ。」
「寝かしつけ!」
いや、たしかにこれは寝かしつけ以外の何物でもない。そんなこと分かっている。でもそうじゃない。
「なんで俺はルカに寝かしつけられてんの?」
「え、だめだった?」
ダメ…という訳ではない。むしろなぜかルカには包容力があり、人肌が恋しいミスタにとってとても居心地の良い環境にあった。特にここ最近はあまり寝付きが良くなくて困っていたのに、今こうしてすんなり瞼を閉じていた自分を疑問に思ったくらいだ。
「いや…ダメじゃない…けど、なんで?」
「なんかさっきの楽しかったから、もっとお世話したいなって。」
"お世話"という言葉に少し引っかかる。どうやら今ルカは母性本能に目覚めているらしい。
普段は一番子供っぽいのに…年齢的にもルカは下だし、むしろ寝かしつけられる側なのでは?という思いは言わないでおこう。
でもメンバーに寝かしつけられるのは…なかなかに恥ずかしい。
「じゃあ子守唄聴いて、俺得意だから。」
「ちょ…。」
そんなミスタの気持ちをよそに、ルカは子守唄を歌い始める。また止められなかった…。
故郷のものなのだろうか、ミスタには聞き馴染みがなかったが、不思議と穏やかな気持ちになる。ルカの優しい歌声が一層眠気を誘った。反抗していたいのと裏腹に、瞼は重くなり始める。
__コンコンっ、
瞼が完全に閉じかけた頃、部屋の扉が控えめにノックされた。ミスタの部屋なのになぜかルカが返事をし、入ってきたのはチキンのマグカップを片手に持ったシュウ。
「シュウ! 起きたの?」
「うん、お手洗いにね。それとついでになんか飲もうと思って。」
んへへ、と笑うシュウと目が合った。しばらく見つめ合ったあと、こてんとシュウは首を傾げる。
「ミスタの部屋からルカの歌声が聴こえてきたから、なにやってるのかな〜って入ってきたんだけど…これはどういう状況?」
メンバーに寝かしつけられるだけで恥ずかしいのに、それを兄弟に見られてしまった。助けて欲しい気持ちと見られたくない気持ちとが戦って、思わず毛布の中に頭を隠す。違うんだ兄弟。
「今ね、ミスタを寝かしつけてる!」
「…うん? ルカが?」
「そう! シュウも寝かしつけてあげようか?」
「んはは、おやすみ〜。」
「シュウ〜〜〜!」
シュウは誘いを軽く受け流すと、ひらひらと手を振りながら部屋から出ていった。「遠慮しなくていいのに!」とルカは笑っている。俺も…俺も連れて行ってくれシュウ……。階段を下りる音が聞こえる。頼みの綱は遠くへ行ってしまった。
「よし! じゃあ続きね!」
そしてまた子守唄が再開される。さっきよりノリノリになっているのは気のせいだろうか。子守唄はそんな元気に歌うものじゃないのに…。
楽しそうなルカを横目に、ミスタは諦めて目を閉じることにした。もうどうにでもなれ。
**
「はっはっはー! それでミスタ、昨日はよく眠れたか?」
翌朝。モーニングコーヒーを片手にしたヴォックスの笑い声がリビングに響いた。切れ長の目を細め、口角が上がりきっている。誰に聞いたのやら。
「あぁ…おかげさまでね…。」
「ぶっはは! そりゃあんな立派な胸に顔を埋めたら快眠だろうさ。」
「いや別に添い寝したわけじゃないからな!?」
「わからんぞ、ルカなら自分の子守唄が効きすぎてその場で寝るかもしれん。」
それは本当にありえそうだとミスタも思う。でも起きた時にルカの姿はなかったし、可能性は低いだろう。…と思いたい。
正直、悔しいけれど昨夜は快眠だった。ここ何日かは寝不足気味で調子が悪かったはずなのに、今朝は久しぶりに全身の疲れが取れていた気がする。
「ただいまー!」
「お、噂をすれば帰ってきたぞ。おかえりルカ。」
朝のランニングから帰ってきたルカが、首から下げたタオルで汗を拭きながらリビングへ入ってくる。眠くて未だに瞼の開ききっていないミスタとは大違いの爽やかさに、朝から圧倒されそうになった。
「あ! ミスタもおはよ!」
「おはよルカ…。」
ニカっ!と満面の笑みを向けられ、さらに目を細めたミスタ。眩しい…太陽が家に入ってきたのかと思った…。
ルカは汗を流しにお風呂へ向かった。かと思いきや、脱衣所からひょこっと顔を出してミスタを見つめる。
「ミスタ、今日の夜もいい?」
「え。」
急な誘いに体と脳が固まった。寝かしつけのことだろうと分かってはいる。分かってはいても、その言葉選びは誤解をうみそうだ。でも純粋なルカには、きっとミスタが考えているもう片方の選択肢なんてこれっぽっちも頭にないんだろう。
「る、ルカ、ルカ、ルカ、それってもしかしてセッ」
「黙ってヴォックス。」
案の定、朝から興奮した大人を1人生み出してしまった。ソファから身を乗り出すヴォックスを抑えながら、小さな声で答える。
「………いいんじゃない?」
「ほんと!? ぽーーーぐ!!」
「み、ミスターーー!! 待ってくれルカ、今度俺にもやってくれないか。明日とかどうだ。」
「?、 いいよ?」
ルカのお世話はしばらく続いた。
ミスタの寝不足も治り、体調も良くなっている。
一方で、「ルカの胸がすごくてだな、硬いのに弾力があって顔を埋めると…。」と、興奮したヴォックスに連日熱弁されるとは、今のミスタはまだ知らない。