序章「悟、本当にお疲れ。頑張ったね」
目の前にいる傑が顔を綻ばせた。
あの日と同じ言葉を同じ表情で。
「あ……すぐ、る」
だけど、知っていた。ここが現実なのか妄想なのか、それくらい。だってこれは夢の中で何百回、何万回と想像した光景で……
「悟、こっちへおいで」
傑はそう言って両手を広げる。目の前にいるのは最後に見た袈裟を着た傑じゃなくて、高専の、あの3年間の傑だった。少しの違和感を感じながらも、吸い寄せられるように傑の方へと歩みを進めれば懐かしい温もりに包まれた。
「傑」
「なに?」
「コレ現実?」
「そうか違うかで聞かれたら、そう、だよ」
「そうか……俺、ははっ。そっか」
傑の言葉に目を閉じれば一気に記憶が蘇る。生前の記憶、ってやつ。
「俺さぁ頑張れたかな」
「誰よりも、頑張ってたよ」
「オマエがいなくなってから、ずっと孤独だと思ってた。でも、振り返ってみれば仲間も生徒も沢山出来て毎日が楽しかったよ。オマエに自慢してぇくらい」
「ふふ、嫉妬しちゃうじゃないか」
「なーオマエから見てさ、俺、ちゃんと教師やれてた?」
「まさか君が先生になるとは思わなかったけど、立派な教師だし君以上に最強な術師なんて存在しないさ」
「はは。……よかった、よかった!」
ぎゅっと、傑の背中を抱きしめた。最後に抱きしめたのはだんだんと冷めていく体で、どうしようもなくこの熱に安心感を覚えてしまう。
「君、喋り方戻ってるよ」
「オマエの前だから変える必要ねーし。俺さ、傑だったらどうするのかってずっと考えてて、どうしたらまたオマエに会えるかなって行動してた。結果これが正解なのかわかんねぇけど、俺がやれる事やった結果、こうやってまた傑に会えてんならすげぇ嬉しいよ」
「私が未練なく生をまっとう出来た先がここなら、少なからず悟もそうだったんだろうね」
「ん〜言いたかった言葉は沢山あったよ。でも、何が呪いになんのかって俺もはっきりとわかんねぇし、言えなかった」
「私だって、同じだろうね。君に伝えといた方が良かったって思う言葉は沢山あるよ。……言っていい?」
「まって、俺から言う」
そう言って傑の肩を押しては、視線を合わせる。それから、小さく息を吸って───
『あいしてる』
示し合わせたかのように、言葉が重なった。
たった1人の親友なんて言葉が表す意味なんてきっとそれしかなくて。
「くくっ、ははは」
「ばかっ、笑うなよ」
「君は泣くなよ」
「泣いてねぇし」
目元を拭おうとして、拭えなくてサングラスを取り外した。あぁ、俺もあの時に戻っている。直ぐに傑の指の腹で涙を拭われて、それでも涙は止むことは無い。
大きく鼻を啜って微かに感じる潮の香りに、また揺れる視界に広がっていたのはあの日の沖縄の海だった。
「すげぇ、夢みてぇ」
「綺麗だよね、ずっとまた悟と見たいって思ってたんだ」
「戻りたいって、思った?」
「さぁね。戻った所できっとあの世界は変わらないとも思ったよ」
「ふうん」
「でも、君の隣にいられなくなった事には後悔してる」
「……俺はずっと、隣にいたつもりだよ」
「うん。悟が最期そう言ってくれて凄く嬉しかったよ私。だからね、私もずっとここから悟のこと見守ってたけど…気づいた?」
「あ?んなのわかんねぇっつうの!……でも、オマエがここで迎えてくれたっつうことはそういう事だろ?」
「ふふ、そうだね」
「ハァーーーま、良いや。今度はさ一緒に芸人でもやる?」
「なんでよ」
「オマエに笑ってて欲しいから」
「はは、大事にされてるね、私」
「うっせーー」
「まぁ悟を見ていて教師も悪くないって思えたよ」
「まじ?一緒にやる?オマエとなら500倍は楽しくなる」
「この先どうなるのか分からないけどね」
「輪廻転生、六道輪廻。別にオマエがいるなら地獄でも良いけどぉ?」
「私たち、最強だしね」
「そ。俺たち最強だから!」
だんだんと太陽が落ちてきて空はオレンジ色に染まっていく。
告白なんてした事ないのに、愛してるなんて直球で投げてしまったのが少しだけ恥ずかしくて、ソワソワしながら濡れた睫毛を瞬かせる。
「悟、君何年経っても綺麗なままだね」
「今は高専の時に戻ってんだけど?」
恥ずかしげもなく頬を撫でてくる傑がいつものように優しく笑うから、その雰囲気に飲まれてしまう。
「大人の君とも居たかったよ」
「次は一緒にいて大人の俺を堪能しろよ」
「勿論、そのつもりさ」
「でも、転生とやらをする前に今は遊ぼうぜ」
「良いね」
きっとこの海は俺たちのスタートラインなのだろう。1歩、踏み出せば傑の足も隣にある。
「なー傑、何したい?」
「蕎麦食べに行く?」
「またぁ?別に良いけど」
「そういう君は?」
「んーゲーム?寮に戻って……って寮あんのかな?オマエ知らねぇと思うけど、あのゲーム、新作出てんの」
「なに?桃鉄?」
「桃鉄も出てるけど!!」
「懐かしいな。毎日のようにやってたよね」
「そ。任務終わったらどっちかの部屋集まってさ。あーあ戻りてぇなって、オマエは戻りたくねーんだっけ」
「はは。でも悟といた毎日は楽しかったよ。それは事実。それに考えたんだよね。もう一度、あの腐った世界に戻ったとしたら、2回目ならもう少し上手くいったのかなって」
「……ホントに?」
「ほんとほんと。きっと私も教師になって君と同棲してたかな」
「ど、どど同棲って、オマ、飛ばしすぎだろ」
「さとるぅ君、さっき愛してるって言ってくれたじゃないか」
かあっと頬を赤らめて口をハクハクとさせていれば、堪らないとでも言うように唇に熱が触れた。
ビリビリと電撃が走るような感覚に目をぱちくりさせる。
「さとる?大丈夫?固まってるよ」
「ん……もーいっかい」
「ふふ、目を閉じて」
後頭部を支えられて頭の中が傑でいっぱいになる。嬉しくて、満たされて、それから、幸せで。好きだけど、やっぱりそんな言葉じゃ足りない。
「すぐる、これからも俺はずっと隣にいるからな」
「私も。誓うよ」
きっと今世は序章の序章に過ぎなくて、これからが俺たちの本番。そんなふうに思える。
振り返ってみればこれもまた良い生涯だったと思えるし、この先を想えば自分の幸せを掴める気もする。
なんだかとても心地が良くて、潮風を肺いっぱいに吸い込んだ。
それから。どこからともなく聞こえる覚えのある声の方に体を向けて笑い合う。
あの日のように、目配せをして合図なしに力強く、砂浜を蹴った。